「狭野の島」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
Jump to navigation Jump to search
(概要)
(概要)
 
(同じ利用者による、間の4版が非表示)
3行目: 3行目:
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
 
* 旧名:'''魔の島'''(まのしま)({{rm|77|4|狭野の島生み}}で狭野の島に改名される)(魔島とも)
 
* 旧名:'''魔の島'''(まのしま)({{rm|77|4|狭野の島生み}}で狭野の島に改名される)(魔島とも)
* 別名:'''[[狭野の食国]]'''(さぬのおすくに)
+
* 別名:'''[[狭野の食国]]'''(さぬのおすくに)<ref>「狭野の食国」という呼び方は{{rm|77|3|狭野の食国}}と{{rms|77|5|言霊生島}}だけに出る。</ref> (→[[食国]])
 
* 初出:{{rm|77|3|狭野の食国}}(魔の島)、{{rm|77|4|狭野の島生み}}(狭野の島)
 
* 初出:{{rm|77|3|狭野の食国}}(魔の島)、{{rm|77|4|狭野の島生み}}(狭野の島)
  
9行目: 9行目:
 
[[第77巻]]第3~4章で舞台となる。
 
[[第77巻]]第3~4章で舞台となる。
  
朝香比女の神一行7柱([[朝香比女の神]]、[[初頭比古の神]]、[[起立比古の神]]、[[立世比女の神]]、[[天中比古の神]]、[[天晴比女の神]]、[[狭野彦]])が乗る磐楠舟は魔の島に近づいた。魔の島には駒よりも大きな蟻が島一面に群がっている。しかし魔の島の正体は、巨大な八十曲津見が地中に潜み、頭だけを水上に浮かせており、数多の蟻は曲津見の頭にわいた虱であった。島は次第に高く浮き上がり、曲津見の巨体は水上に浮かび、目鼻口が不規則に付いた顔は雲を圧して高く、足の膝頭より中は海中にあり、形容できないほど大きかった。朝香比女の神が言霊を宣ると、八十曲津見の巨体はそのまま海中に固まり、巨大な巌島となった。この島は周囲100里の相当広い島である。天中比古の神は国津神の狭野彦を譲り受け、諸々の草木五穀を生言霊に生み出で、ついに[[狭野の食国]](さぬのおすくに)を生み出で、永久に鎮まった。〔{{rm|77|3|狭野の食国}}〕
+
朝香比女の神一行7柱([[朝香比女の神]]、[[初頭比古の神]]、[[起立比古の神]]、[[立世比女の神]]、[[天中比古の神]]、[[天晴比女の神]]、[[狭野彦]])が乗る磐楠舟は魔の島に近づいた。魔の島には駒よりも大きな蟻が島一面に群がっている。しかし魔の島の正体は、巨大な八十曲津見が地中に潜み、頭だけを水上に浮かせており、数多の蟻は曲津見の頭にわいた虱であった。島は次第に高く浮き上がり、曲津見の巨体は水上に浮かび、目鼻口が不規則に付いた顔は雲を圧して高く、足の膝頭より中は海中にあり、形容できないほど大きかった。朝香比女の神が言霊を宣ると、八十曲津見の巨体はそのまま海中に固まり、巨大な巌島となった。この島は周囲100里の相当広い島である。天中比古の神は国津神の狭野彦を譲り受け、諸々の草木五穀を生言霊に生み出で、ついに「[[狭野の食国]](さぬのおすくに)」を生み出で、永久に鎮まった。〔{{rm|77|3|狭野の食国}}〕
  
 
朝香比女の神は魔の島を「狭野の島」と改め、天中比古の神と狭野彦を島に残し、他4柱の神々と共に[[万里の海]]を南へと進んで行った。〔{{rm|77|4|狭野の島生み}}〕
 
朝香比女の神は魔の島を「狭野の島」と改め、天中比古の神と狭野彦を島に残し、他4柱の神々と共に[[万里の海]]を南へと進んで行った。〔{{rm|77|4|狭野の島生み}}〕
 +
 +
== その他 ==
 +
日本書紀で「狭野尊(さののみこと)」は神武天皇の幼名である。
 +
 +
巻二の最後、一書(第一)に「先づ彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生みたまふ。次に稲飯命(いなひのみこと)。次に三毛入野命(みけいりののみこと)。次に'''狭野尊'''(さののみこと)。亦は神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)と号(まう)す。狭野と所称(まう)すは、是、年少(みとしわか)くまします時の号(みな)なり」<ref>坂本太郎他校注『日本書紀(一)』岩波書店、1994年、p194</ref>とある。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2019年2月13日 (水) 01:11時点における最新版

狭野の島(さぬのしま)は、霊界物語に登場する島。紫微天界万里の海にある。

概要

主なエピソード

第77巻第3~4章で舞台となる。

朝香比女の神一行7柱(朝香比女の神初頭比古の神起立比古の神立世比女の神天中比古の神天晴比女の神狭野彦)が乗る磐楠舟は魔の島に近づいた。魔の島には駒よりも大きな蟻が島一面に群がっている。しかし魔の島の正体は、巨大な八十曲津見が地中に潜み、頭だけを水上に浮かせており、数多の蟻は曲津見の頭にわいた虱であった。島は次第に高く浮き上がり、曲津見の巨体は水上に浮かび、目鼻口が不規則に付いた顔は雲を圧して高く、足の膝頭より中は海中にあり、形容できないほど大きかった。朝香比女の神が言霊を宣ると、八十曲津見の巨体はそのまま海中に固まり、巨大な巌島となった。この島は周囲100里の相当広い島である。天中比古の神は国津神の狭野彦を譲り受け、諸々の草木五穀を生言霊に生み出で、ついに「狭野の食国(さぬのおすくに)」を生み出で、永久に鎮まった。〔第77巻第3章狭野の食国#

朝香比女の神は魔の島を「狭野の島」と改め、天中比古の神と狭野彦を島に残し、他4柱の神々と共に万里の海を南へと進んで行った。〔第77巻第4章狭野の島生み#

その他

日本書紀で「狭野尊(さののみこと)」は神武天皇の幼名である。

巻二の最後、一書(第一)に「先づ彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生みたまふ。次に稲飯命(いなひのみこと)。次に三毛入野命(みけいりののみこと)。次に狭野尊(さののみこと)。亦は神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)と号(まう)す。狭野と所称(まう)すは、是、年少(みとしわか)くまします時の号(みな)なり」[2]とある。

脚注

  1. 「狭野の食国」という呼び方は第77巻第3章狭野の食国#第5章言霊生島#だけに出る。
  2. 坂本太郎他校注『日本書紀(一)』岩波書店、1994年、p194