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松姫

28 バイト除去, 2022年10月14日 (金) 14:09
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* [[お千代]]は[[カーチン]]夫婦の帰幽後、侠客仲間の[[お寅]]が小北山に「ここで立派に育てたい」と言って連れて来た<ref>{{rm|45|8|小蝶}}:松姫のセリフ「あのお寅さまが連れて来たのですよ。同じ侠客同志で心安かつたと見えて、親も兄弟もない娘だから、ここで立派に育て上げ度いと云つて親切に連れて来たのです」</ref>。
* お千代はカーチン夫婦を産みの親だと思っていた。松姫が産みの親だとは知らずに、小北山の松姫館で小間使い<ref>{{rm|45|5|肱鉄}}:「松姫は千代と云ふ十二三の小娘を'''小間使'''として此処に引籠り」</ref>(または侍女<ref>{{rm|45|7|相生の松}}:「かかる所へ松姫の '''侍女'''のお千代が現はれて」</ref>)として仕えていた。<ref>{{rm|45|7|相生の松}}:お千代のセリフ「吾母と知らず知らずに懐しく 師の君様と思ひ仕へぬ」、「カーチンの父の命を生みの親と 慕ひて朝夕仕へ来にけり」</ref>
* 松姫はお千代が自分の娘だと気づいていたが、今名乗り出てはお千代のためによくないと思い、黙っていた。松彦が小北山を訪れた時に、松彦とお千代を呼んで、そのことをカミングアウトした。松姫はお千代が自分の娘だと気づいていたが、今名乗り出てはお千代のためによくないと思い、黙っていた。松彦が小北山を訪れた時に、松彦とお千代を呼んで、そのことを告白した。<ref>{{rm|45|8|小蝶}}:「それから私が様子を考へて居れば全く私の娘と云ふ事が分り、矢も楯も堪らず嬉しうなつて来ましたが、今名乗つては、あの子の為めによくないと思ひ、今日が日までも隠して居りました」</ref> <ref>{{rm|45|7|相生の松}}:松姫のセリフ「母よ子よと名乗らむものと思ひしが あたり憚り包み居たりし」</ref> <ref>{{rm|45|8|小蝶}}:松姫のセリフ「時々脱線振りをやつて蠑螈別さまや魔我彦さまをアフンとさせ、ヤンチヤ娘の名を擅にして居ります。それ故私も名乗つてやり度かつたなれど、故意とに隠して居りました」</ref>
* 松彦は松姫と別れた後、[[フサの国]]を巡り、[[バラモン教]]の[[大黒主]]の部下・[[ランチ将軍]]や[[片彦将軍]]に見いだされ、バラモン教の神司兼軍人として仕えた。[[河鹿峠]]で、生き別れた兄([[治国別]])と再会し<ref>{{rm|43|14|忍び涙}}~{{rms|43|15|温愛}}</ref>三五教に改宗する。[[野中の森]]で夜を明かした後、[[河鹿川]]の下流に架かる一本橋で、[[浮木の村]]の[[お寅]]と娘・[[お菊]]に出会う<ref>{{rm|44|18|一本橋}}</ref>。二人に案内されて松彦一行は小北山にやって来た<ref>{{rm|44|21|小北山}}</ref>。そこで松姫と再会した<ref>{{rm|45|7|相生の松}}</ref>。<ref>{{rm|45|7|相生の松}}:「お前に別れた其後は 世を果敢なみてウロウロと フサの国をば遠近と 巡り巡りて月の国 バラモン教の本山に 現はれ玉ふ神柱 大黒主の部下とます ランチ将軍片彦が 司の神に見出され 神の柱や軍人 二つを兼ねてまめやかに 仕へ乍らも両親や 兄の身の上汝が身を 思ひ案じて一日も 安く此世を渡りたる 時も涙にかきくれて 悲しき月日を送る折 尊き神の引合せ 河鹿峠の谷間で 恋しき兄に巡り会ひ 茲に心を翻へし 三五教に入信し 御伴に仕へまつりつつ 野中の森で夜をあかし 橋の袂に来て見れば お寅婆さまの母と子に 思はず知らず出会はし 縁の綱に曳かされて 思はず知らず来て見れば 日頃慕ひし吾妻は ここに居たのか嬉しやな」</ref>
* 松姫は、[[お節]](三五教の宣伝使)によって心から改心することが出来た。松姫は後をお節に任せて高城山の館を飛び出し、身魂磨きの旅に出てしまう。〔{{rm|19|11|変態動物}}~{{rms|19|12|言照姫}}〕
** 実はそれ以前から、フサの国のウラナイ教の本山より[[高姫]]・[[黒姫]]({{rm|19|8|大悟徹底}}で改心し三五教に改宗している)の命令が降り、心はすでに三五教に帰順していたが、部下たちに突然そんなことを言っても理解されないので、どうしたらいいか思い悩んでいたところへ、[[お節]]が高城山を訪れた。<ref>{{rm|19|12|言照姫}}:松姫のセリフ「実の所はフサの国の本山より、高姫様、黒姫様の御命令が降り、心は既に三五教へ帰順致して居つたのですが、部下の皆さま達が俄にそんな事を云つたところで聞いて下さる道理もなし、どうしたらよからうかと思ひ煩つて居りました(略)此間からお節さまがお出でになり、いろいろと言葉を尽して三五教に帰るようとお示し下さつたけれども、余り易々と帰順すればお節さまの夫を思ふ真心の誠が現はれ難いと思つて、わざと心にも無い事を云うて頑張つて居りました。さうして紫姫様の御身の上を案じて助けたいと思ふ馬公、鹿公のお二方に花を持たしたいばつかりで、今迄頑張つて居たのです。私が心の底から改心を致しましたのは、大神様のお慈悲は申すに及ばずお節さまのお力と、馬公鹿公の主人を思ふ真心のお力でございます(略)私は今日限り此の館をあけて暫く修業に参り、身魂を研くつもりでございます。どうぞお節さま、馬公、鹿公と共に此館をお守り下さつて、数多の信者に誠の道を説いてやつて下さいませ」</ref>
* 松姫は[[高熊山]]に登り、岩窟の館で[[言照姫命]]から[[玉照彦]]を預かり、[[世継王山]]麓の悦子姫の館へ送り届けた。[[麓の悦子姫の館へ送り届けた。〔{{rm|19|14|声の在所}}~{{rms|19|16|玉照彦}}]]
=== 第45~46巻 ===
* 三五教の宣伝使となった松姫は、[[言依別命]]の命により、小北山のウラナイ教に入り、教祖の[[蠑螈別]]の信頼を得て、小北山の実権を握った<ref>{{rm|45|5|肱鉄}}:「松姫は千代と云ふ十二三の小娘を小間使として此処に引籠りウラナイ教の実権を握つて居る。表面からは蠑螈別が教祖なれど実力は此松姫にあつた。それ故蠑螈別もお寅婆さまも一目を置いて内部では全部其頤使に甘んじて居た。無論此松姫はもとウラナイ教の取次で高城山に教主をやつて居た剛の女である(略)松姫は蠑螈別一派がウラナイ教の残党を集め小北山に霊場を開き邪教を宣伝しウラル教式を盛に発揮してゐたので、言依別命が特に松姫に命じウラナイ教に差遣はし、教理を根本的に改正せしめむとなし給うたのである」</ref>。松姫は曲神が潜む小北山を改良して三五教に立て直したいと考えていた<ref>{{rm|45|9|賞詞}}:松姫の歌「高姫司の開きたる これの教はさかしけど~霊主体従の正業を 豊葦原の国中に 宣伝せしめ三五の 御稜威を四方に輝かし」</ref>。
* 松姫の元・夫の[[松彦]]が小北山を訪れた<ref>{{rm|44|18|一本橋}}</ref>。松姫は侍女の[[お千代]]に、自分たちが産みの親だとカミングアウトし、親子3人が再会を遂げた。〔に、自分たちが産みの親だと告白し、親子3人が再会を遂げた。〔{{rm|45|7|相生の松}}~{{rms|45|8|小蝶}}〕
* 松姫・松彦・お千代の3人で協力して小北山を改良するために活動する。
* 教祖の[[蠑螈別]]らが小北山を飛び出して行った後、松彦・松姫らは小北山に修祓を行い、国治立大神を始め三五教の神々を鎮祭した。〔{{rm|45|20|蛙行列}}〕

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