「教祖殿」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
Jump to navigation Jump to search
(文字列「本項では」を「本頁では」に置換)
(脚注)
30行目: 30行目:
 
{{デフォルトソート:きようそてん}}
 
{{デフォルトソート:きようそてん}}
 
[[Category:大本の施設]]
 
[[Category:大本の施設]]
[[Category:霊界物語の神殿]]
+
[[Category:霊界物語の殿閣]]

2019年9月17日 (火) 12:15時点における版

教祖殿(きょうそでん)は、

  1. 綾部の神苑にあった神殿。大正8年(1919年)2月に完成。大本教祖(開祖)の出口直を祀った。(教主殿とは別)
  2. 霊界物語に登場する神殿。小北山にある。第45巻第12章#第46巻第8章#に出る。

本頁では大本教祖を祀る神殿である教祖殿について解説する。


概要

  • 最初は「貴賓館」として建設されたが、出口直の昇天後に「教祖殿」と命名された。(王仁三郎は昇天の2年前からそれを知っており、あらかじめ教祖殿を貴賓館という名で造らせていた[1]
  • 金竜海の西海の中洲に、黄金閣と並んで建っていた。
  • 平屋建てで瓦葺きの反り屋根で覆われており、建坪33坪、8畳が4室と10畳が2室あった。[2]

略年表

  • 大正7年(1918年)5月5日、「貴賓館」の斧始式が行われる。[3] [4]
  • 同年8月14日、上棟式。[2] [4]
  • 同年11月6日(旧10月3日)、統務閣で出口直が昇天する。
  • 大正8年(1919年)2月2日、奥都城の背後に稚姫神社を造営して、稚姫君命の神霊を鎮祭する。[2]
  • 同年2月3日、金竜殿で開祖百日祭。教祖殿の竣成式(竣工祭)。深夜12時、開祖の神霊を金竜殿から教祖殿に遷座する。[2] [4]
  • 同年11月25日(旧10月3日)、教祖殿で開祖の一周年祭。王仁三郎は教主の地位を澄子に譲り、自分は教主輔となる。[2] [5]
  • 大正10年(1921年)8月20日、稚姫神社の神霊を教祖殿に遷座。[4] (これは仮遷座で、同8月28日に社殿は焼却。後に本宮山神殿の完成時に、国常立尊の神霊と合体して正式に遷座する予定であった[6]
  • 大正12年(1923年)6月18日(旧5月5日)、出口直日出口大二との結婚式が教祖殿で行われる。[7]
  • 大正13年(1924年)3月1日、五六七殿に安置していた大八洲彦命尊像を教祖殿に遷座。[4]
  • 昭和6年(1931年)12月、鶴山(本宮山)の山頂に綾機神社が完成し鎮座祭が行われる。祭神は稚姫君命で、教祖殿に仮遷座してあった神霊を綾機神社に鎮祭した。[8]
  • 昭和11年(1936年)5月、第二次大本事件により破壊された。

脚注

  1. 玉鏡「開祖様の御昇天」#:「開祖様御昇天の事を王仁は神様から承はつて二年前から知つて居た。それで貴賓館の名に於て教祖殿を造つて置いた」
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 『大本七十年史 上巻』「信者への影響#
  3. 『大本七十年史 上巻』「昇天の前後#
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 「大本年表」
  5. 王仁三郎は開祖昇天後一年間だけ「教主」を務めていた。信者への影響#:「王仁三郎は、当日付の「随筆」に「此大本は代々女の御世継、是を間違へたら治まらぬと、毎度御遺訓が出て居ります。併し昨年教祖の御上天と共に、二代の純子が教主と成る可き神約でありますなれども、過渡時代の大本の内外の状勢上、止むを得ず今日、即ち教祖の御一年祭の当日まで、私が教主の職を汚して居ましたが、弥々神諭を実行する時期が到来したる事を自覚しましたから、教祖の直系の二代に国譲りを致しました云々」(「神霊界」大正8・12・1)と記している。」
  6. 『大本七十年史 上巻』「教団の改革#
  7. 『大本七十年史 上巻』「新機運の動向#
  8. 『大本七十年史 下巻』「二代教主と鶴山織#