「大祥殿」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
Jump to navigation Jump to search
 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
'''大祥殿'''(たいしょうでん、だいしょうでん)は、[[亀岡]]の[[天恩郷]]にあった神殿。天恩郷の西北の隅、現在、[[花明山窯]]や[[葉がくれ居]]などがある辺りにあった。大正15年(1926年)2月完成。
+
'''大祥殿'''(たいしょうでん、だいしょうでん<ref>たいていは「たいしやうでん」だが、「だいしやうでん」とルビが振られている場合もある。</ref>)は、[[亀岡]]の[[天恩郷]]にあった神殿。天恩郷の西北の隅、現在、[[花明山窯]]や[[葉がくれ居]]などがある辺りにあった。大正15年(1926年)2月完成。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
14行目: 14行目:
  
 
{{デフォルトソート:たいしようてん}}
 
{{デフォルトソート:たいしようてん}}
[[Category:大本の施設]]
+
[[Category:天恩郷]]

2023年11月24日 (金) 20:27時点における最新版

大祥殿(たいしょうでん、だいしょうでん[1])は、亀岡天恩郷にあった神殿。天恩郷の西北の隅、現在、花明山窯葉がくれ居などがある辺りにあった。大正15年(1926年)2月完成。

概要

  • 大祥殿は天恩郷における一般の礼拝場とされた。また大道場としても使われた。[2]
  • 建坪104坪の大広間からなる。[2]
  • 当初は大道場として建設された。[3]

略年表

脚注

  1. たいていは「たいしやうでん」だが、「だいしやうでん」とルビが振られている場合もある。
  2. 2.0 2.1 2.2 『大本七十年史 上巻』「国内宣教と造営#
  3. 真如の光』大正15年(1926年)2月15日号p25「本日聖師様より大道場に大祥殿と御命名があつた」