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大正日日新聞社

306 バイト追加, 2023年3月15日 (水) 02:42
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'''大正日日新聞社'''(たいしょうにちにちしんぶんしゃ)は、大正9年から11年にかけて[[大本]]が経営していた新聞社。もともとは日刊の一般紙を発行していた会社を大本が買収し、大本の主張を載せる新聞になった。
== 概要 ==
* 表記ゆれ:大正日々新聞社
* 社屋は二階建ての洋館である。当時の住所は「大阪市北区角田町333番地」で、現在の「HEP NAVIO」(旧・阪急ナビオビル)が建つ三角地帯一帯に社屋が建っていたと推測される。<ref>『[[大本大阪本苑八十年誌]]』p49</ref>
* 霊界物語にも何度か名前が出る。初出:{{rm09|2|0003|総説}}
== 概要 略史 == 
大正8年(1919年)11月25日、大阪・梅田で大正日日新聞社が創立された。前年(大正7年)の白虹事件(はっこうじけん、大阪朝日新聞の記事に不穏当な表現があったことによる言論弾圧事件)によって大阪朝日を退社した人たちが、勝本忠兵衛(大阪の商人で鉄成金)の出資で創立したもので、大阪朝日を退社した鳥居素川(とりい そせん)を主筆兼編集局長とし、大阪朝日の退社組を始め当時一流のジャーナリストたちが参加した。社長は貴族院議員の藤村義朗で、資本金は200万円<ref>大正9年(1920年)と平成27年(2015年)の貨幣価値を米価で計算すると現在は当時の約1000倍、大卒初任給は約5000倍なので、当時の200万円は現在の20億~100億円くらいか?</ref>で、大阪朝日新聞や大阪毎日新聞と肩を並べうるほどの新聞であった(当時の朝日の資本金は150万円)。<ref name="B195401c2351">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2351|日刊新聞の経営}}」</ref>

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