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出口王仁三郎の著述

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[[ファイル:出口王仁三郎の歌日記原稿.jpg|thumb|[[出口王仁三郎]]の歌日記の原稿。昭和4年3月1日。]]
'''出口王仁三郎の著述'''では、[[出口王仁三郎]]が執筆・口述した文書、講演録、側近による如是我聞集など、王仁三郎の著述物を集めて一覧とする。なるべく復刻版の類は省き、初版・初出となるものだけを時系列順に並べた。
[[出口王仁三郎]]の著書として発行された単行本は多数あるが、最初から書籍として発行することを目的に書いた「書き下ろし」は、[[霊界物語]]と『[[王仁蒙古入記]]』『[[記憶便法エス和作歌辞典]]くらいしかない。他は機関誌等で発表されたものを集めて編纂した著作集である。』くらいしかない。他は機関誌等で発表されたものを集めて編纂した著作集である。
== 大正10年まで ==
=== 歌集 ===
少年・青年時代の回顧歌集について →「[[故山の夢#少年・青年時代の回顧歌集について]]」
 
* 第1歌集 [[花明山 (歌集)]]:昭和6年(1931年)5月15日発行。昭和5年5月から6年2月に発表された歌。1391首。
* 第2歌集 [[彗星 (歌集)]]:昭和6年(1931年)7月4日発行。昭和6年3月から5月に発表された歌。1618首。
** [[ほしくらにてよめる歌]]──出口王仁三郎聖師・出口すみ子二代教主 獄中の御歌:平成3年(1991年)12月8日発行。天声社。
* [[月照山 (歌集)]](げっしょうざん):昭和17年後半~19年末に詠んだ歌。3939首。
 
==== 少年~青年時代の回顧歌集について ====
 
王仁三郎は昭和5年(1930年)7月から回顧歌を詠み始め、『[[真如の光]]』に同年8月5日号から10年10月17日号まで連載された。数え年で10歳頃から36歳頃までの出来事が歌われている。これらの歌は「故山の夢」(10~28歳頃)、「霧の海」(8~28歳頃)、「青嵐」(29歳頃)、「浪の音」(30~31歳頃)、「百千鳥」(32~35歳頃)、「都鳥(みやこどり)」(36歳頃)という題が付けられており、同題の歌集として刊行された。「都鳥」は昭和10年10月10日号と同月17日号の2回連載しただけで休載となった<ref>『真如の光』昭和10年10月25日号p1に「回顧歌都鳥は作者御多忙に為め本回は休載いたします」とあり、同号からは代わりに道歌が掲載されている。</ref>。「故山の夢」から「浪の音」までの4冊は王仁三郎在世中に刊行されたが、「百千鳥」は昇天後に刊行された。「都鳥」は歌数が少ないため「百千鳥」の最後に付け加えられている。<ref>『[[出口王仁三郎著作集]] 第五巻 人間王仁三郎』「解題」p457の「故山の夢」の項</ref>
=== エスペラント語訳 ===

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