「伊都能売神諭」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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2020年2月21日 (金) 16:22時点における最新版

伊都能売神諭(いづのめしんゆ)とは、出口直の昇天後に国常立尊王仁三郎に帰神して書いた神諭のこと。

名称

厳の御魂である出口直の昇天によって、瑞の御魂である王仁三郎が、厳と瑞を一つに合わせた伊都能売の御魂として活動するようになった[1]。そのため伊都能売神諭と呼ばれる。

ただし王仁三郎自身が「伊都能売神諭」と呼んだわけではなく、教団内の通称である。[2]

発表

伊都能売神諭は『神霊界』大正7年(1918年)12月22日号(第76号、大本教祖号)から大正8年(1919年)11月1日号(第97号)にかけて掲載された。

題名は変遷がある。最初は「神諭」という題名で大本神諭[3]と共に伊都能売神諭を掲載した。次に「教祖神諭」(大本神諭のこと)の後に「神諭」(伊都能売神諭)を掲載した。後に「伊都能売魂」という題名で掲載した。

  • 大正7年12月22日号(第76号、大本教祖号):「神諭」[4] 大正7年12月2日、年月日不明
  • 大正8年1月1日号(第77号):「神諭」[5] 大正7年12月22日、12月25日、12月24日、12月26日
  • 大正8年1月15日号(第78号):「神諭」[6] 大正8年1月1日、7年12月27日、8年1月2日、1月5日
  • 大正8年2月1日号(第79号):「神諭」[6] 大正8年1月11日、7年12月23日、8年1月19日、1月27日
  • 大正8年2月15日号(第80号):「神諭」[6] 大正8年2月6日、1月21日、1月25日、1月27日
  • 大正8年3月1日号(第81号):「神諭」[7] 2月13日、2月18日、2月20日、2月21日
  • 大正8年3月15日号(第82号):「神諭」[7] 3月7日、3月8日、3月11日、3月12日
  • 大正8年4月1日号(第83号):「神諭」[7] 3月10日
  • 大正8年5月1日号(第85号):「神諭」[7] 4月13日
  • 大正8年5月15日号(第86号):「神諭」[6] 4月23日
  • 大正8年7月15日号(第90号):「神諭」[6] 5月5日、6月3日、6月4日
  • 大正8年10月1日号(第95号):「伊都能売魂」[8] 7月12日
  • 大正8年11月1日号(第97号):「伊都能売魂」[7] 7月11日、8月12日

大本神諭の書記日付は基本的に旧暦だが、伊都能売神諭は基本的に新暦で書記されている。

刊本

第二次大戦前は『神霊界』で発表されただけで、単行本化はされなかった。

大戦後は次のような刊本がある。

  • 『伊都能売神諭(研修資料)』平成9年(1997年)4月、あいぜん出版(現・みいづ舎)
  • 『伊都能売神諭─出口王仁三郎神示集(大本資料叢書2)』平成14年(2002年)12月、八幡書店
  • 『いづのめしんゆ』平成28年(2016年)9月、天声社

他に『大本史料集成 1』(1982年刊)第三章(p604~662)に収録されている(一部を除く[9])。

内容

→「伊都能売神諭の内容」を見よ

脚注

  1. 伊都能売神諭 大正8年7月12日/a003-a004#:「変性男子と変性女子の御魂とが一つに成りて、弥々伊都能売魂の御用に変りて来たから」
  2. 愛善苑の研修資料『伊都能売神諭』(平成9年(1997年)、あいぜん出版)の巻頭の「伊都能売神諭復刻によせて」に「「伊都能売神諭」についての表題は、出口聖師によるものではなく大本教団内での通称名であって、その名称が定着しているのでこれを用いた」とある。
  3. 神霊界誌上では大本神諭とは呼ばれていない。単に「神諭」である。
  4. 最初に明治43年旧4月15日、18日の大本神諭(出口直昇天後に拝読を許された)が掲載され、その後に伊都能売神諭が掲載されている。
  5. 伊都能売神諭のみ掲載。
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 「神諭」の前に「教祖神諭」と題して大本神諭が掲載されている。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 「教祖神諭」は掲載されていない。
  8. 最初に「教祖神諭」が、その次に「伊都能売魂」が掲載されている。
  9. 同書の「解題」p715に「教団と出版社の要請によって大正八年(一九一九年)一月十五日を削除した」とあるが、「一月十五日」ではなく「一月五日」の誤記だと思われる。

関連項目

外部リンク