二名日記

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二名日記(ふたなにっき)は、月の家(つきのや、出口王仁三郎の雅号)の著書。昭和3年(1928年)5月6日から6月4日にかけて四国四県を巡教した際の出来事を綴った日記。

目次

概要

  • 最初は機関誌『真如能光』昭和3年5月15日号から6月15日号にかけて4回に分けて連載され、後に単行本として出版された。また、随行者の栗原白嶺による「四国巡教随行記」も同じ号に4回連載されている。
  • 歌の数は2000首[1]に及ぶ。
  • 著者名は「月の家」(つきのや、出口王仁三郎の雅号)。
  • 題名の二名(ふたな)は、古事記で四国が「伊予之二名島」と呼ばれていることに由来する。
  • 第二次大戦後に復刻版等は出版されていないようである。「霊界物語ネット」で読むことが出来る。(#外部リンク参照)
題名 二名日記
著者 月の家
発行日 昭和3年(1928年)7月10日
発行所 天声社
頁数 378
定価 1円60銭
OBN 1175
備考

主な動向

  • 王仁三郎はコトタマの順(高知県、徳島県、高松=香川県、松山=愛媛県)の順で四国を回った。
  • 随行者のうち、岩田鳴球(岩田久太郎)と栗原白嶺の二人は、行く先々の支部等の講演会で講演をしている。
  • 愛媛県の大洲では佐賀邸(佐賀伊佐男=出口宇知麿の実家)に宿泊している。

年表

  • 5月6日(日)(旧3月17日)
    • 午後1時半、亀岡天恩郷を出発。出口王仁三郎、岩田鳴球栗原白嶺生一吟月玉の家満月の一行5人。
    • 京都駅で乗り換えて大阪へ。梅田駅で乗り換えて神戸駅へ。
    • 午後5時、神戸市花隈町(現・神戸市中央区花隈町)の瑞祥会分所に入る。
    • 午後7時半、浦戸丸に乗って出航。
    • 船中泊。
  • 5月7日(月)
    • 午前4時、室戸岬を通過。6時、高知市の浦戸湾に入港。
    • 材木町(現・高知市はりまや町1丁目12番の辺り)の高知支部に入る。神前で拝礼を済ませ、鏡川沿い、唐人町(とうじんまち)の足立氏邸へ。天気は晴れ。
    • 足立邸泊。
  • 5月8日(火)
    • 朝7時起床。天気は雨。8時に自動車で出て、八幡神社を参拝。9時20分、帰宅。
    • 午後0時、一行25名は菜園場町で川一丸という屋台船に乗り、浦戸湾を巡覧。夕方、帰宅。
    • 足立邸泊。
  • 5月9日(水)
    • 午前6時起床、4台の自動車に分乗して室戸岬に向け出発。天気は晴れ。
    • 9時10分、室戸岬に到着。
    • 午後1時、帰路に着く。赤岡支部で祝詞を奏上した後、香美郡田村(現・南国市田村)の香長支部(山岡宅)へ。
    • 香長支部泊。
  • 5月10日(木)
    • 香美郡山田町(現・香美市土佐山田町)の西内宅へ。天気はどんより曇り。
    • 午後2時、高知を指して出発。紺屋町の伯耆宅に立ち寄り、新市町の山本宅に立ち寄り、蓮池町の畠中宅へ立ち寄り、夕方に足立邸に着く。
    • 足立邸泊。
  • 5月11日(金)
    • 朝8時出発。雨が激しい。自動車で北上し、大歩危、小歩危を通過し、正午頃、徳島県三好郡池田町(現・三好市池田町)の清月館で昼食。
    • 午後3時15分、阿波池田駅から汽車で徳島市へ向け出発。
    • 徳島市二軒屋町の徳島分所に入る。
    • 徳島分所泊。
  • 5月12日(土)
    • 晴れ。本日は休養日。徳島分所泊。
  • 5月13日(日)
    • 晴れ。9時10分、自動車で出発。忌部神社(徳島市二軒屋町)を参拝。
    • 正午、板野郡撫養町(現・鳴門市撫養町)到着。宮崎邸で昼食。
    • 午後4時、沖ノ洲支部に入る。
    • 沖ノ洲支部泊。
  • 5月14日(月)
    • 晴れ。一部の幹部が王仁三郎の内命と称して信者から金を巻き上げた告発を受ける。従兄の岩崎庄太郎の訃報が入る。
    • 午後3時50分、自動車で出発。午後5時30分、栲機支部(旧・勝浦郡横瀬町、現・勝浦町)に着く。花火を見物。
    • 栲機支部泊。
  • 5月15日(火)
    • 天気は曇り。午後0時30分、自動車で出発。
    • 午後2時、徳島市に着く。出来島本町の徳島中央支部に入る。
    • 徳島中央支部泊。
  • 5月16日(水)
    • 晴れ。午後2時、出発。
    • 午後4時、香川県の白鳥支部に到着。(現・東かがわ市白鳥、当時は香川県大川郡白鳥本町及び白鳥村)
    • 高松市新湊町(現・高松市玉藻町)の島中分所長宅に泊まる。
  • 5月17日(木)
    • 晴れ。栗林(りつりん)公園を散策。
    • 島中宅泊。
  • 5月18日(金)
    • 晴れ。午前10時、高松市亀岡町の紫雲閣(牛窪宅)へ移動。
    • 紫雲閣泊。
  • 5月19日(土)(旧4月1日)
    • 晴れ。午前8時30分、自動車で高松港へ向かう。
    • 正宗丸に乗り小豆島へ渡る。入部(にゅうべ、現・香川県小豆郡小豆島町蒲生入部)の支部(支部長・中塚宅)に入る。
    • 午後2時過ぎ、港へ。2時半、正宗丸で高松港へ。午後4時、高松港入港。紫雲閣(牛窪宅)に戻る。
    • 紫雲閣泊。
  • 5月20日(日)
    • 晴れ。半日休み。
    • 紫雲閣泊。
  • 5月21日(月)
    • 晴れ。午前9時、自動車で丸亀を目指して出発。
    • 10時過ぎ、丸亀市に到着。
    • 午後2時18分発の汽車に乗り、新居浜に向かう。
    • 午後5時、新居浜町の支部(白石宅)に入る。本日から支部を分所に改める。
    • 新居浜分所泊。
  • 5月22日(火)
    • 晴れ。本日は休日。
    • 午前11時、宇知麿八重野夫妻が新居浜分所(白石宅)に到着。
    • 午後2時、船に乗り御代島の「白石」を見物。
    • 新居浜分所泊。
  • 5月23日(水)
    • 新居浜分所泊。
  • 5月24日(木)
    • 晴れ。午後2時、白石宅を出発。汽車で今治へ向かう。
    • 午後4時20分、今治支部で拝礼した後、米屋町一丁目の宮田茂光宅へ入る。
    • 宮田宅泊。
  • 5月25日(金)
    • 晴れ。午後1時、宮田宅を出発。今治駅から松山駅へ。
    • 道後鮒屋旅館泊。
  • 5月26日(土)
    • 雨。午後2時、松山分所へ。
    • 松山市北蛭子町の金亀支部へ。
    • 午後5時半、湯の町支部へ。
    • 道後鮒屋旅館泊。
  • 5月27日(日)
    • 晴れ。
    • 道後鮒屋旅館泊。
  • 5月28日(月)
    • 晴れ。午後2時、鮒屋旅館を出発。
    • 坂本村(現・松山市の最南部)の出口支部に寄った後、荏原村(現・松山市の南部)の二名洲支部に向かう。
    • 二名洲支部(支部長・山口恒彦宅)泊。
  • 5月29日(火)
    • 晴れ。休養日。
    • 二名洲支部泊。
  • 5月30日(水)
    • 晴れ。午前11時、二名洲支部を車で出発。
    • 正午前、郡中町(現・伊予市の中心街)の郡中支部(橋本宅)到着。
    • 郡中支部泊。
  • 5月31日(木)
    • 晴れ。正午過ぎ、五色浜を散策。
    • 午後2時半、車で大洲へ向け出発。午後5時過ぎ、喜多郡大洲町常磐町(現・大洲市常磐町)の大洲支部(佐賀伊佐男=出口宇知麿の実家)に到着。
    • 大洲支部(佐賀宅)泊。
  • 6月1日(金)
    • 雨のち晴れ。
    • 大洲支部(佐賀宅)泊。
  • 6月2日(土)
    • 晴れ。臥龍淵の不老庵を訪問。
    • 大洲支部(佐賀宅)泊。
  • 6月3日(日)
    • 朝5時半、汽車で大洲駅を出発。
    • 長浜港(現・大洲市内の長浜港)から第十五宇和島丸に乗る。細雨。のち晴れ。
    • 正午前、今治港に入る。午後1時、出航。
    • 午後5時、香川県の多度津港に入る。
    • 午後8時20分、高松港に入る。
    • 船内泊。
  • 6月4日(月)(旧4月17日)
    • 朝3時、神戸港に入る。
    • 朝5時、大阪港(天保山桟橋)に到着。
    • 7時、梅田駅から汽車で出発。9時前に亀岡に着く。
    • 天恩郷に寄り、午後の汽車で綾部に帰る。

その他

王仁三郎の四国巡教はこれが初めてではなく、大正13年(1924年)1月14日から31日 [2] まで愛媛県松山市に出向き、道後温泉や山口恒彦邸にて霊界物語第69巻を口述している(口述日は1月19、22~25日の計5日間)。

また昭和2年(1927年)10月には中国・九州巡教の帰途、別府から四国に渡り、10月24日には大洲に到着。そして郡中、松山、道後を経て高浜(いずれも愛媛県)を出港し26日に神戸に上陸した。[3]

二名日記以降は、昭和6年(1931年)12月13日から24日まで四国を回り、伊予別院の開院式に出席している。

昭和10年(1935年)には昭和神聖会統管として、1月4日から15日まで四国を回り、その後九州に向かった。

外部リンク

国立国会図書館デジタルコレクションに2冊ある。

脚注

  1. 『大本七十年史 下巻』「聖師巡教の旅へ#」:「四国巡教の歌日記は二〇〇〇首にもおよんでいる」
  2. 王仁三郎が帰綾した1月31日の夜に八重野と宇知麿の婚儀内祝が行われ、2月4日節分大祭当日に結婚している。
  3. 『大本七十年史 上巻』「暁天の機運#」p819-820