「寅天堰」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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* 大本文献では「とらてんいね」と読まれる場合が多いが、大本以外では「とらてんぜき」と読まれる場合が多い。「堰」をなぜ「いね」と読むのかは不明。この地方特有の読み方か?<ref>「堰 いね」で検索するとこの地域の用例しか出て来ない。例①一ノ堰(いちのいね):[https://www.city.kameoka.kyoto.jp/uploaded/attachment/17106.pdf 惣搆につながる水源の散策]、例②京都府南丹市日吉町佐々江久世堰(ささ えくせ いね):[https://www.navitime.co.jp/address/26213050116/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E5%8D%97%E4%B8%B9%E5%B8%82%E6%97%A5%E5%90%89%E7%94%BA%E4%BD%90%E3%80%85%E6%B1%9F%E4%B9%85%E4%B8%96%E5%A0%B0/ NAVITIIME]…日吉町の他の地域にも「堰(いね)」が付く地名がある。</ref> <ref>『大本七十年史』「{{obc|B195401c1511|初参綾への道}}」には「堰」に括弧書きして「井根」と記されているが意味が分からない。</ref>
 
* 大本文献では「とらてんいね」と読まれる場合が多いが、大本以外では「とらてんぜき」と読まれる場合が多い。「堰」をなぜ「いね」と読むのかは不明。この地方特有の読み方か?<ref>「堰 いね」で検索するとこの地域の用例しか出て来ない。例①一ノ堰(いちのいね):[https://www.city.kameoka.kyoto.jp/uploaded/attachment/17106.pdf 惣搆につながる水源の散策]、例②京都府南丹市日吉町佐々江久世堰(ささ えくせ いね):[https://www.navitime.co.jp/address/26213050116/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E5%8D%97%E4%B8%B9%E5%B8%82%E6%97%A5%E5%90%89%E7%94%BA%E4%BD%90%E3%80%85%E6%B1%9F%E4%B9%85%E4%B8%96%E5%A0%B0/ NAVITIIME]…日吉町の他の地域にも「堰(いね)」が付く地名がある。</ref> <ref>『大本七十年史』「{{obc|B195401c1511|初参綾への道}}」には「堰」に括弧書きして「井根」と記されているが意味が分からない。</ref>
 
* 表記ゆれ:[[霊界物語]]では2回出る。{{rm|37|21|参綾}}では「虎天関(とらてんいね)」、{{rm|nm|1|水火訓}}では「虎天堰(とらてんぜき)」。『[[大本七十年史]]』や『[[開祖伝]]』では「虎天堰(とらてんいね)」。『[[大地の母]]』では「寅天堰(とらてんいね)」。大本以外では「寅天堰(とらてんぜき)」と表記される場合が多い。
 
* 表記ゆれ:[[霊界物語]]では2回出る。{{rm|37|21|参綾}}では「虎天関(とらてんいね)」、{{rm|nm|1|水火訓}}では「虎天堰(とらてんぜき)」。『[[大本七十年史]]』や『[[開祖伝]]』では「虎天堰(とらてんいね)」。『[[大地の母]]』では「寅天堰(とらてんいね)」。大本以外では「寅天堰(とらてんぜき)」と表記される場合が多い。
* [[福島久子]]の茶店の跡は現在、鉄道の線路(山陰線)が敷かれている。<ref>『[[大地の母]]』(みいづ舎版)第8巻「錦の機」p.102「寅天堰の茶店跡を二本の鉄道が貫いている」。</ref>
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* [[福島久子]]の茶店は[[喜三郎]]と邂逅した後ほどなく、山陰線の敷設のため立ち退きとなった<ref>福島久子の茶店に上田喜三郎が立ち寄ったのは明治31年(1898年)旧6月(詳細な日付は不明)。その約1年後の明治32年(1899年)8月に山陰線の嵯峨駅~園部駅間が開業している。亀岡駅・八木駅・園部駅もこの時に開業した。</ref>。茶店の跡は現在は線路が通っている。<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c1511|初参綾への道}}」:「ひさの茶店は、喜三郎に開祖のことを依頼したのちに、ほどなく、山陰線敷設工事のため立退きとなった」</ref> <ref>『[[大地の母]]』(みいづ舎版)第8巻「錦の機」p.102「寅天堰の茶店跡を二本の鉄道が貫いている」。</ref>
 
* 亀岡には上流の寅天堰から下流の上中島堰まで7ヶ所に堰があった。しかし昭和34年(1959年)8月の台風7号、9月の台風15号(伊勢湾台風)によって各堰は大きな被害を受けたため、昭和38年(1963年)に7ヶ所の堰を統合し、寅天堰があった場所に「上桂川統合堰」が造られた。<ref>[https://www.pref.kyoto.jp/nantan/do-kikaku/documents/1301392767331.pdf 『保津川かわまちづくり計画』p.5「1.4 保津川の利用」] 平成23年(2011年)3月、京都府南丹土木事務所・亀岡市</ref>
 
* 亀岡には上流の寅天堰から下流の上中島堰まで7ヶ所に堰があった。しかし昭和34年(1959年)8月の台風7号、9月の台風15号(伊勢湾台風)によって各堰は大きな被害を受けたため、昭和38年(1963年)に7ヶ所の堰を統合し、寅天堰があった場所に「上桂川統合堰」が造られた。<ref>[https://www.pref.kyoto.jp/nantan/do-kikaku/documents/1301392767331.pdf 『保津川かわまちづくり計画』p.5「1.4 保津川の利用」] 平成23年(2011年)3月、京都府南丹土木事務所・亀岡市</ref>
 
* 伝承によると、天正(16世紀)以降、「寅天(とらま)長者」と称する人物が[[大井川]]に堰を造った。<ref>{{pid|9576250/1/150|八木町誌}}八木豊太郎・編、昭和62年(1987年)、臨川書店、pp.263-265「一一一、虎松口と鳴瀧口」</ref>
 
* 伝承によると、天正(16世紀)以降、「寅天(とらま)長者」と称する人物が[[大井川]]に堰を造った。<ref>{{pid|9576250/1/150|八木町誌}}八木豊太郎・編、昭和62年(1987年)、臨川書店、pp.263-265「一一一、虎松口と鳴瀧口」</ref>

2023年8月24日 (木) 00:26時点における版

寅天堰(とらてんいね)は、かつて大堰川亀岡八木の境目付近にあった井堰。その近くに福島久子が茶店を開き、上田喜三郎と邂逅した。「虎天堰」「虎天関」とも表記される。寅天堰があった場所には現在「上桂川統合堰(かみかつらがわ とうごうぜき)」がある。

  • 大本文献では「とらてんいね」と読まれる場合が多いが、大本以外では「とらてんぜき」と読まれる場合が多い。「堰」をなぜ「いね」と読むのかは不明。この地方特有の読み方か?[1] [2]
  • 表記ゆれ:霊界物語では2回出る。第37巻第21章参綾#では「虎天関(とらてんいね)」、入蒙記第1章水火訓#では「虎天堰(とらてんぜき)」。『大本七十年史』や『開祖伝』では「虎天堰(とらてんいね)」。『大地の母』では「寅天堰(とらてんいね)」。大本以外では「寅天堰(とらてんぜき)」と表記される場合が多い。
  • 福島久子の茶店は喜三郎と邂逅した後ほどなく、山陰線の敷設のため立ち退きとなった[3]。茶店の跡は現在は線路が通っている。[4] [5]
  • 亀岡には上流の寅天堰から下流の上中島堰まで7ヶ所に堰があった。しかし昭和34年(1959年)8月の台風7号、9月の台風15号(伊勢湾台風)によって各堰は大きな被害を受けたため、昭和38年(1963年)に7ヶ所の堰を統合し、寅天堰があった場所に「上桂川統合堰」が造られた。[6]
  • 伝承によると、天正(16世紀)以降、「寅天(とらま)長者」と称する人物が大井川に堰を造った。[7]

外部リンク

  • 上桂川用水:全国疏水名鑑 - weblio
  • 寅天堰の水争い:国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『ふるさと亀岡をつづる』 PID:9574998/1/86福知正温・著、昭和57年(1982年)、大学堂書店、pp.153-155

脚注

  1. 「堰 いね」で検索するとこの地域の用例しか出て来ない。例①一ノ堰(いちのいね):惣搆につながる水源の散策、例②京都府南丹市日吉町佐々江久世堰(ささ えくせ いね):NAVITIIME…日吉町の他の地域にも「堰(いね)」が付く地名がある。
  2. 『大本七十年史』「初参綾への道#」には「堰」に括弧書きして「井根」と記されているが意味が分からない。
  3. 福島久子の茶店に上田喜三郎が立ち寄ったのは明治31年(1898年)旧6月(詳細な日付は不明)。その約1年後の明治32年(1899年)8月に山陰線の嵯峨駅~園部駅間が開業している。亀岡駅・八木駅・園部駅もこの時に開業した。
  4. 『大本七十年史 上巻』「初参綾への道#」:「ひさの茶店は、喜三郎に開祖のことを依頼したのちに、ほどなく、山陰線敷設工事のため立退きとなった」
  5. 大地の母』(みいづ舎版)第8巻「錦の機」p.102「寅天堰の茶店跡を二本の鉄道が貫いている」。
  6. 『保津川かわまちづくり計画』p.5「1.4 保津川の利用」 平成23年(2011年)3月、京都府南丹土木事務所・亀岡市
  7. 国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『八木町誌』 PID:9576250/1/150八木豊太郎・編、昭和62年(1987年)、臨川書店、pp.263-265「一一一、虎松口と鳴瀧口」