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Onipedia - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-03-29T14:18:39Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.32.0
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王仁神鬮
2024-03-29T01:30:20Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:王仁神鬮(図説民衆の宗教大本p30).jpg|thumb|王仁神鬮の箱。『[[写真図説 民衆の宗教・大本]]』p30掲載の写真。説明文は「おみくじ」。]]<br />
[[ファイル:王仁神鬮の解説書(図説民衆の宗教大本p30).jpg|thumb|王仁神鬮の箱。『[[写真図説 民衆の宗教・大本]]』p30掲載の写真。]]<br />
[[ファイル:図説異端の宗教書p38王仁神鬮.jpg|thumb|『[[図説 異端の宗教書]]』p38に掲載されている『王仁神鬮』の一頁。]]<br />
[[ファイル:図説異端の宗教書p39王仁神鬮.jpg|thumb|『[[図説 異端の宗教書]]』p39に掲載されている『王仁神鬮』の一頁。]]<br />
<br />
'''王仁神鬮'''(おにかみくじ、おにのかみくじ)または'''大本神鬮'''(おおもとかみくじ)とは、[[出口王仁三郎]]が宗教活動の初期(明治30年代)に使っていたとされるおみくじのこと。<br />
<br />
明治37年(1904年)に発表された<ref>『[[巨人出口王仁三郎]]』講談社版331頁</ref>。<br />
<br />
『王仁神鬮』『御王仁鬮誌』『大本神鬮抄』<ref>[[久米晶文]]『[[図説 異端の宗教書]]』p38</ref>等と題する占術解説書が残っている。<br />
<br />
== 関連書籍 ==<br />
* 『大本神鬮抄』大正13年(1924年)1月5日発行、正行居・編纂。目次:序文、凡例、裏の神諭抜萃、神示、小精神、神鬮採り様の事、神鬮の合はざる時の事、神鬮器製作の寸法、神鬮判断心得の事、神鬮本文。<ref>平成26年(2014年)にヤフオクで出品されていた。[https://aucview.aucfan.com/yahoo/f137757697/ aucfan]</ref><br />
* 『別冊歴史読本 日本奇書偽書異端書大鑑』平成6年(1994年)、新人物往来社、「王仁神鬮」と題する書物が紹介されている。<br />
* [[久米晶文]]『[[図説 異端の宗教書]]』平成24年(2012年)、新人物往来社、p38-39で「王仁神鬮」と題する書物が紹介されている。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:おにかみくし}}<br />
[[Category:用語]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E7%8E%8B%E4%BB%81%E7%A5%9E%E9%AC%AE&diff=20360
王仁神鬮
2024-03-29T01:28:42Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:王仁神鬮(図説民衆の宗教大本p30).jpg|thumb|王仁神鬮の箱。『[[写真図説 民衆の宗教・大本]]』p30掲載の写真。説明文は「おみくじ」。]]<br />
[[ファイル:王仁神鬮の解説書(図説民衆の宗教大本p30).jpg|thumb|王仁神鬮の箱。『[[写真図説 民衆の宗教・大本]]』p30掲載の写真。]]<br />
[[ファイル:図説異端の宗教書p38王仁神鬮.jpg|thumb|『[[図説 異端の宗教書]]』p38に掲載されている『王仁神鬮』の一頁。]]<br />
[[ファイル:図説異端の宗教書p39王仁神鬮.jpg|thumb|『[[図説 異端の宗教書]]』p39に掲載されている『王仁神鬮』の一頁。]]<br />
<br />
'''王仁神鬮'''(おにかみくじ、おにのかみくじ)または'''大本神鬮'''(おおもとかみくじ)とは、[[出口王仁三郎]]が宗教活動の初期(明治30年代)に使っていたとされるおみくじのこと。<br />
<br />
『王仁神鬮』『御王仁鬮誌』『大本神鬮抄』<ref>[[久米晶文]]『[[図説 異端の宗教書]]』p38</ref>等と題する占術解説書が残っている。<br />
<br />
== 関連書籍 ==<br />
* 『大本神鬮抄』大正13年(1924年)1月5日発行、正行居・編纂。目次:序文、凡例、裏の神諭抜萃、神示、小精神、神鬮採り様の事、神鬮の合はざる時の事、神鬮器製作の寸法、神鬮判断心得の事、神鬮本文。<ref>平成26年(2014年)にヤフオクで出品されていた。[https://aucview.aucfan.com/yahoo/f137757697/ aucfan]</ref><br />
* 『別冊歴史読本 日本奇書偽書異端書大鑑』平成6年(1994年)、新人物往来社、「王仁神鬮」と題する書物が紹介されている。<br />
* [[久米晶文]]『[[図説 異端の宗教書]]』平成24年(2012年)、新人物往来社、p38-39で「王仁神鬮」と題する書物が紹介されている。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:おにかみくし}}<br />
[[Category:用語]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E5%87%BA%E5%8F%A3%E7%8E%8B%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E%E5%85%A8%E9%9B%86&diff=20359
出口王仁三郎全集
2024-03-28T17:47:12Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>'''出口王仁三郎全集'''(でぐちおにさぶろうぜんしゅう)は、[[出口王仁三郎]]の著作集。全8巻。昭和9年(1934年)から10年にかけて刊行された。[[平凡社]]の[[下中弥三郎]]が企画したもので、[[出口日出麿]]が編集の責任者となった<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5423|文書宣伝}}」:「昭和九年五月六日には『出口王仁三郎全集』が東京の[[万有社]]から出版された。それは全八巻でB6判一冊六〇〇余頁のものである。時局を反映して再び皇道論がさかんになってきたので、[[平凡社]]の[[下中弥三郎]]が企画し、[[日出麿]]総統補が責任編集の衝にあたった。万有社が実際に発行したのは第四巻までで、その後は天声社が万有社の名義で印刷し発行している。予約による第一回の配本は一万二六〇〇部であった。」</ref>。<ref>第二次大本事件の予審の取り調べの中に「昭和九年一月東京の文士で大本信者の[[楠田敏郎]]が亀岡に来て、伊佐男、高木、東尾に対し、『東京の伊藤靖と云ふ者が万有社と云ふ書籍店を開業することゝなつたから、王仁三郎全集を万有社から発行させて貰ひたい、同全集を大本以外の普通の書籍店から発行して居ると云ふことは大本の宣伝上にも好都合であると思ふ故、是非発行させて呉れ』と言ひました」「同全集は第四巻迄は万有社より発行しましたが、同社は経営困難となつた為、昭和九年九月頃瑞声閣に於て伊佐男、高木、岩田、東尾が協議の上、第五巻以下は天声社に於て発行することとし、其の後第五巻乃至第八巻を発行しました。同全集は、第一巻は五、六千部売れ、第二巻乃至第四巻は四、五千部売れ、第五巻乃至第八巻は約三千部売れました。」と書いてあるが、事実かどうかは定かではない。『[[大本史料集成]] Ⅲ』{{obc|B195503c220210|地裁公判速記録}}</ref> <ref>『[[巨人出口王仁三郎]]』講談社版322頁:「なお『王仁三郎全集』の企画者は、これまた出版界でケタはずれの巨人といわれた平凡社社長の[[下中弥三郎]](発行責任者は万有社の阪本勝=後に兵庫県知事)である」</ref><br />
<br />
発行所は第1~4巻は「合資会社[[万有社]]」<ref>万有社の住所は平凡社と同じ(東京市日本橋区呉服橋3-5)なので、実質的に平凡社が業務を行っていたか?</ref>で、第5~8巻は[[天声社]]である。<br />
<br />
各巻の概要・目次は各巻のページを見よ。<br />
<br />
{|class="wikitable"<br />
! 巻 !! 発行日 !! 頁数 !! OBN<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第一巻|第一巻 皇道編]] || 昭和9年6月3日 || 652 || {{obn|121801}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第二巻|第二巻 宗教・教育編]] || 昭和9年10月15日 || 638 || {{obn|121802}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第三巻|第三巻 霊界物語(上)]] || 昭和9年7月17日 || 630 || {{obn|121803}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第四巻|第四巻 霊界物語(下)]] || 昭和9年9月17日 || 650 || {{obn|121804}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第五巻|第五巻 言霊解・其他]] || 昭和10年6月30日 || 680 || {{obn|121805}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第六巻|第六巻 入蒙記・其他]] || 昭和10年4月30日 || 628 || {{obn|121806}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第七巻|第七巻 歌集]] || 昭和10年8月30日 || 671 || {{obn|121807}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第八巻|第八巻 我が半生の記]] || 昭和10年10月25日 || 610 || {{obn|121808}}<br />
|}<br />
<br />
== 復刻版 ==<br />
平成10年(1998年)に[[あいぜん出版]]と[[天声社]]から復刻版が刊行された。<br />
<br />
=== あいぜん出版の復刻版 ===<br />
平成10年(1998年)6月から10月にかけて刊行。ソフトカバー。(OBN:{{obn|1444}})<br />
<br />
=== 天声社の復刻版 ===<br />
平成10年(1998年)7月から翌11年3月にかけて刊行。ハードカバー、函入。(OBN:{{obn|1446}})<br />
<br />
差別用語等に関して削除されている文字がある。<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* {{Pid|1138033|出口王仁三郎全集 第一巻}}<br />
* {{Pid|1138063|出口王仁三郎全集 第二巻}}<br />
* {{Pid|1138090|出口王仁三郎全集 第三巻}}<br />
* {{Pid|1138112|出口王仁三郎全集 第四巻}}<br />
* {{Pid|1138144|出口王仁三郎全集 第五巻}}<br />
* {{Pid|1138170|出口王仁三郎全集 第六巻}}<br />
* {{Pid|1138197|出口王仁三郎全集 第七巻}}<br />
* {{Pid|1138233|出口王仁三郎全集 第八巻}}<br />
* {{obc|B1218|出口王仁三郎全集}} - 霊界物語ネット<br />
* {{Pdfdl}}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:てくちおにさふろうせんしゆう}}<br />
[[Category:書籍]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E5%87%BA%E5%8F%A3%E7%8E%8B%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E%E5%85%A8%E9%9B%86&diff=20358
出口王仁三郎全集
2024-03-28T14:42:37Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>'''出口王仁三郎全集'''(でぐちおにさぶろうぜんしゅう)は、[[出口王仁三郎]]の著作集。全8巻。昭和9年(1934年)から10年にかけて刊行された。[[平凡社]]の[[下中弥三郎]]が企画したもので、[[出口日出麿]]が編集の責任者となった<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5423|文書宣伝}}」:「昭和九年五月六日には『出口王仁三郎全集』が東京の[[万有社]]から出版された。それは全八巻でB6判一冊六〇〇余頁のものである。時局を反映して再び皇道論がさかんになってきたので、[[平凡社]]の[[下中弥三郎]]が企画し、[[日出麿]]総統補が責任編集の衝にあたった。万有社が実際に発行したのは第四巻までで、その後は天声社が万有社の名義で印刷し発行している。予約による第一回の配本は一万二六〇〇部であった。」</ref>。<ref>第二次大本事件の予審の取り調べの中に「昭和九年一月東京の文士で大本信者の[[楠田敏郎]]が亀岡に来て、伊佐男、高木、東尾に対し、『東京の伊藤靖と云ふ者が万有社と云ふ書籍店を開業することゝなつたから、王仁三郎全集を万有社から発行させて貰ひたい、同全集を大本以外の普通の書籍店から発行して居ると云ふことは大本の宣伝上にも好都合であると思ふ故、是非発行させて呉れ』と言ひました」「同全集は第四巻迄は万有社より発行しましたが、同社は経営困難となつた為、昭和九年九月頃瑞声閣に於て伊佐男、高木、岩田、東尾が協議の上、第五巻以下は天声社に於て発行することとし、其の後第五巻乃至第八巻を発行しました。同全集は、第一巻は五、六千部売れ、第二巻乃至第四巻は四、五千部売れ、第五巻乃至第八巻は約三千部売れました。」と書いてあるが、事実かどうかは定かではない。『[[大本史料集成]] Ⅲ』{{obc|B195503c220210|地裁公判速記録}}</ref> <ref>『[[巨人出口王仁三郎]]』講談社版322頁:「なお『王仁三郎全集』の企画者は、平凡社社長の[[下中弥三郎]](発行責任者は万有社の阪本勝=後に兵庫県知事)である」</ref><br />
<br />
発行所は第1~4巻は「合資会社[[万有社]]」<ref>万有社の住所は平凡社と同じ(東京市日本橋区呉服橋3-5)なので、実質的に平凡社が業務を行っていたか?</ref>で、第5~8巻は[[天声社]]である。<br />
<br />
各巻の概要・目次は各巻のページを見よ。<br />
<br />
{|class="wikitable"<br />
! 巻 !! 発行日 !! 頁数 !! OBN<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第一巻|第一巻 皇道編]] || 昭和9年6月3日 || 652 || {{obn|121801}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第二巻|第二巻 宗教・教育編]] || 昭和9年10月15日 || 638 || {{obn|121802}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第三巻|第三巻 霊界物語(上)]] || 昭和9年7月17日 || 630 || {{obn|121803}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第四巻|第四巻 霊界物語(下)]] || 昭和9年9月17日 || 650 || {{obn|121804}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第五巻|第五巻 言霊解・其他]] || 昭和10年6月30日 || 680 || {{obn|121805}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第六巻|第六巻 入蒙記・其他]] || 昭和10年4月30日 || 628 || {{obn|121806}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第七巻|第七巻 歌集]] || 昭和10年8月30日 || 671 || {{obn|121807}}<br />
|-<br />
| [[出口王仁三郎全集 第八巻|第八巻 我が半生の記]] || 昭和10年10月25日 || 610 || {{obn|121808}}<br />
|}<br />
<br />
== 復刻版 ==<br />
平成10年(1998年)に[[あいぜん出版]]と[[天声社]]から復刻版が刊行された。<br />
<br />
=== あいぜん出版の復刻版 ===<br />
平成10年(1998年)6月から10月にかけて刊行。ソフトカバー。(OBN:{{obn|1444}})<br />
<br />
=== 天声社の復刻版 ===<br />
平成10年(1998年)7月から翌11年3月にかけて刊行。ハードカバー、函入。(OBN:{{obn|1446}})<br />
<br />
差別用語等に関して削除されている文字がある。<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* {{Pid|1138033|出口王仁三郎全集 第一巻}}<br />
* {{Pid|1138063|出口王仁三郎全集 第二巻}}<br />
* {{Pid|1138090|出口王仁三郎全集 第三巻}}<br />
* {{Pid|1138112|出口王仁三郎全集 第四巻}}<br />
* {{Pid|1138144|出口王仁三郎全集 第五巻}}<br />
* {{Pid|1138170|出口王仁三郎全集 第六巻}}<br />
* {{Pid|1138197|出口王仁三郎全集 第七巻}}<br />
* {{Pid|1138233|出口王仁三郎全集 第八巻}}<br />
* {{obc|B1218|出口王仁三郎全集}} - 霊界物語ネット<br />
* {{Pdfdl}}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:てくちおにさふろうせんしゆう}}<br />
[[Category:書籍]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%8D%81%E5%85%AD%E7%A5%9E%E5%B0%86.jpg&diff=20357
ファイル:十六神将.jpg
2024-03-28T07:07:27Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[十六神将]]に扮した人たち。右から二人目が[[王仁三郎]]。昭和10年10月13日、[[穴太]]で撮影。<br />
<br />
他の神将は本部の課長や主任が扮した(「[[大本年表]]」)。<br />
<br />
左から二人目の人物が大きなノボリを持っているが、そこに描いてある絵はナマズである(『[[巨人出口王仁三郎]]』講談社版318頁)。なぜナマズなのかは不明。<br />
<br />
== 同じ写真 ==<br />
[[ファイル:十六神将2.jpg|100px|]]<br />
<br />
{{デフォルトソート:てくちおにさふろう}}<br />
[[Category:出口王仁三郎]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9B%91%E8%AA%8C%E8%A8%98%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7&diff=20356
雑誌記事一覧
2024-03-28T06:58:08Z
<p>IHiroaki: /* 昭和(19年まで) */</p>
<hr />
<div>'''雑誌記事一覧'''は、雑誌に掲載された[[王仁三郎]]・[[大本]]関連の記事の一覧。ただし大本関係機関紙誌に掲載された記事は除く。<br />
<br />
== 大正 ==<br />
* [[中村古峡]]「連載 余の観たる大本教」、『東亜の光』大正9年(1920年)3月号~、東亜協会、{{obn|2008}}<br />
* [[大山郁夫]]「社会問題として見たる最近に於ける迷信流行の傾向」、『中央公論』大正9年(1920年)9月号、p63、中央公論社、{{obn|2001}}<br />
* [[境野黄洋]](東洋大学長)「知識階級と大本教」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p117~118、博文館、{{obn|2002}}<br />
* [[高島平三郎]]「教祖出口直子は精神異常者」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p119~122、博文館、{{obn|2003}}<br />
* [[沢田撫松]]「公平無私のメスを揮って解剖したる疑問の大本教」、『新小説』大正9年(1920年)10月号、p1、春陽堂、{{obn|2004}}<br />
* [[本多日生]](大僧正)「我国為政者の覚醒を促す」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p113~117、博文館、{{obn|2005}}<br />
* [[沢田撫松]]「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、{{obn|2006}}<br />
* [[北野博美]]「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、{{obn|2007}}<br />
* [[今村力三郎]]「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、{{digimeta|10232073}}、{{obn|2009}}、{{obc|Z9011|霊界物語ネット}}<br />
* [[吉野作造]]「大本教神殿の取毀ち」、『中央公論』大正10年(1921年)11月号、p180-181、中央公論社、{{digimeta|10232079}}、{{obn|2222}}<br />
* [[川端康成]]「湯ガ島温泉」、『文藝春秋』大正14年(1925年)3月号、p7-9、{{obn|1941}} →単行本『伊豆の旅』(1954年、中央公論社)、中公文庫『伊豆の旅』(1981年)に収録 →「[[湯本館#川端康成]]」参照<br />
<br />
== 昭和(19年まで) ==<br />
* SKP(特派記者)「綾部探訪記 怪教大本の正体」『実業時代』昭和2年(1927年)11月号(第4巻第11号)、p112-120、実業時代社、{{obn|2228}}、{{Ndldl|1541155/1/74|}}<br />
* [[那須皓]]「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、{{obn|2010}}<br />
* [[中河与一]]「アジアの嵐 後日譚」、『新潮』昭和6年(1931年)1月号、頁未確認、新潮社、{{obn|2230}} ──中河与一(小説家、歌人)が出口王仁三郎と会った時にソ連映画「アジアの嵐」(日本で昭和5年に公開)を見たかと聞いたら、王仁三郎は、あれは自分の入蒙をヒントにしたのだという意味のことを答えた。当時、王仁三郎が主人公だと噂されていたらしい(『巨人出口王仁三郎』317~8頁)。<br />
** [[出口王仁三郎]]『[[更生日記]] 一の巻』(昭和6年4月)214~215頁に転載、{{ndldl|1137507/1/121}}<br />
** [[中河与一]]『偶然と文学』(昭和10年11月)341~342頁に転載、{{ndldl|1232758/1/175}}<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)10月号、p46、新潮社、{{obn|2011}}──{{pid|2967335/1/115|大宅壮一選集 第11(宗教・皇室)}}p.219、『[[昭和青年]]』昭和6年(1931年)12月号pp.47-52に西村保男の筆による「出口王仁三郎と大宅壮一の問答」という記事がある。<br />
* [[宇佐美武吉]]「[[日本言霊学概論]]」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、{{obn|2196}}<br />
* [[金王志武哉]]「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、{{obn|2012}}<br />
* [[金王志武哉]]「世界に伸びる出口王仁三郎」、『人の噂』昭和7年(1932年)6月号、p132、月旦社、{{obn|2013}}<br />
* 「世界紅卍字会と結び、満蒙に活躍する大本教」、『世界公論』昭和9年(1934年)1月1日号、p132、世界連邦公報社、{{obn|2014}}<br />
* [[水原祐]]「大本教は果して没落したか 怪人出口王仁三郎の正体」、『話』昭和10年(1935年)2月号、p196、文芸春秋社、{{obn|2015}}<br />
* [[千田二郎]]「大本教教主・出口王仁三郎」、『実業之世界』昭和10年(1935年)9月号、p42-48、実業之世界社、{{ndldl|10293199/31}}、{{obn|2224}} →加筆訂正して「[[邪教を裁く]]」に掲載された<br />
* 「座談会・怪教大本教を暴く(井上善吉・鳥羽重節・梅原眞隆ほか)」、『サンデー毎日』昭和10年(1935年)12月号、毎日新聞社、{{obn|2016}}<br />
* M・T・M「大本教検挙とニウス戦 新聞匿名月評」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p132、文芸春秋社、{{obn|2017}}<br />
* [[阿部真之助]]「妖怪・出口王仁三郎」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p166、文芸春秋社、{{obn|2018}}<br />
* [[高津正道]]「大本教検挙の考察」、『改造』昭和11年(1936年)1月号、p292、改造社、{{obn|2019}}<br />
* [[大宅壮一]]「大本教弾圧是非」、『日本評論』昭和11年(1936年)1月号、p577、日本評論新社、{{obn|2020}}<br />
* [[神岡阿矢夫]]「怪教「大本」を脱出して 一修業者のみたからくり」、『話』昭和11年(1936年)2月号、p20、文芸春秋社、{{obn|2021}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)6月号〔33巻6号〕、京都医学会、{{obn|2022}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)7月号〔33巻7号〕、京都医学会、{{obn|2023}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)8月号〔33巻8号〕、京都医学会、{{obn|2024}}<br />
* 「出口王仁三郎と大本教の信者達 動脈硬化と歯痛で獄中に悩む生き神様」、『話』昭和12年(1937年)12月号、p330、文芸春秋社、{{obn|2025}}<br />
<br />
== 昭和(20年~39年) ==<br />
* [[阿部真之助]]「大本教」、『サンデー毎日』昭和22年(1947年)3月2日号〔26巻10号〕、p14、毎日新聞社、{{obn|2026}}<br />
* [[直方敏]]「綾部の使徒行状記──続・大本教ものがたり」、『読物時事』昭和22年(1947年)9月1日号〔3巻7号〕、p8~9、時事通信社、{{obn|2027}}<br />
* [[駒沢三郎]]「女弥次将軍と呼ばれても 哀愁の大石ヨシエ(出口王仁三郎を知る)」、『政界ジープ』昭和22年(1947年)10月1日号〔通巻14号(2巻10号)〕、p29~31、政界ジープ社、{{obn|2028}}<br />
* 「出口王仁三郎昇天 百万円の葬式」、『週刊朝日』昭和23年(1948年)2月22日号、p9、朝日新聞社、{{obn|2029}}<br />
* 「喪服の山越え十八里」、『アサヒグラフ』昭和23年(1948年)2月25日号、p10、朝日新聞社、{{obn|2030}}<br />
* [[東大作]]「出口王仁三郎蒙古行状記」、『真相』昭和23年(1948年)5月1日号〔3巻6号〕、p21、人民社、{{obn|2031}}<br />
* 「王仁三郎の横顔」、『号外』(?)昭和23年(1948年)5月27日号〔第2集〕、p22、新史書房、{{obn|2032}}<br />
* [[石井純一]]「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、{{obn|2033}}<br />
* 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、{{obn|2034}}<br />
* 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、{{obn|2035}}<br />
* 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、{{obn|2036}}<br />
* 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、{{obn|2037}}<br />
* 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、{{obn|2038}}<br />
* 「王仁三郎師手造の楽焼茶碗鑑賞会」、『大道』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p39、{{obn|2039}}<br />
* [[東山三郎]]「出口王仁三郎と戦後の大本」、『同盟時報』昭和24年(1949年)11月号〔通号77・78号〕、p44、同盟通信社、{{obn|2040}}<br />
* 「豪華な遺跡 大本教」、『毎日グラフ』昭和25年(1950年)3月15日号、p8、毎日新聞社、{{obn|2041}}<br />
* 「出口家その後」、『アサヒグラフ』昭和27年(1952年)12月24日号、p12、朝日新聞社、{{obn|2042}}<br />
* 「ペンとカメラで…大本愛善苑」、『毎日グラフ』昭和28年(1953年)6月3日号、p6、毎日新聞社、{{obn|2043}}<br />
* [[林逸郎]]「大本教弾圧のかげに」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)1月号〔32巻16号〕、p116、文芸春秋社、{{obn|2044}}<br />
* [[薄田美朝]]「大本教攻略記」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)7月号〔32巻11号〕、p87、文芸春秋社、{{obn|2045}}<br />
* [[乾孝]]、[[松島栄一]]「教祖列伝 大本教」、『中央公論』昭和29年(1954年)9月号〔69巻9号〕、p188、中央公論社、{{obn|2046}}<br />
* [[唐沢俊樹]]「大本教手入れの前後──右翼革命の資金ルート遮断」、『信濃往来』昭和30年(1955年)2月号〔第5巻第2号〕、p22-23、信濃往来社、{{obn|2221}}<br />
* 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、{{obn|2047}}<br />
* [[大宅壮一]]「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、{{obn|2048}}<br />
* [[青地晨]]「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)9月号〔3巻10号〕、知性社、{{obn|2049}} →単行本『[[現代史の曲り角]]』に収録<br />
* [[山科小四郎]]「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、{{obn|2050}}<br />
* 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、{{obn|2051}}<br />
* 「三五教騒動記──手玉にとられた沼津市」、『週刊文春』昭和34年(1959年)11月16日号、p34~38、文芸春秋社、{{obn|2052}}<br />
* [[梅棹忠夫]]「日本探検 綾部・亀岡 大本教と世界連邦」、『中央公論』昭和35年(1960年)3月号〔75巻3号〕、p184、中央公論社、{{obn|2053}}<br />
* 「われこそは万能宗教 教団「大本」を訪ねる」、『毎日グラフ』昭和35年(1960年)4月17日号、p10、毎日新聞社、{{obn|2054}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 1」、『歴史評論』昭和35年(1960年)12月号〔通号124号〕、校倉書房、{{obn|2055}}<br />
* 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 2」、『歴史評論』昭和36年(1961年)1月号〔通号125号〕、校倉書房、{{obn|2056}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 3」、『歴史評論』昭和36年(1961年)2月号〔通号126号〕、校倉書房、{{obn|2057}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 4」、『歴史評論』昭和36年(1961年)3月号〔通号127号〕、校倉書房、{{obn|2058}}<br />
* [[前島不二雄]]「昭和神聖会運動」、『日本史研究』昭和36年(1961年)4月号〔通号54号〕、p66-69、日本史研究会、{{obn|2059}}<br />
* [[芳賀日出男]]「大本の芸能」、『芸能』昭和36年(1961年)4月号〔3巻4号〕、芸能発行所、{{obn|2060}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 5(完)」、『歴史評論』昭和36年(1961年)7月号〔通号131号〕、校倉書房、{{obn|2061}}<br />
* [[野上龍]]「ある新興宗教の教祖」、『文芸春秋』昭和39年(1964年)7月号、p246、文芸春秋社、{{obn|2062}}<br />
* 「連載 ひとつの人格(1~3)(出口栄二・著)」、『図書新聞』昭和39年(1964年)7月4日号~18日号、図書新聞社、{{obn|2063}}<br />
* [[黒田領治]]・他「(座談会)出口直日の陶芸」、『陶説』昭和39年(1964年)12月号〔通号141号〕、日本陶磁協会、{{obn|2064}}<br />
* [[前島不二雄]]「軍ファシズム運動と大本教」、『日本史研究』昭和39年(1964年)12月号〔通号75号〕、p60-78、日本史研究会、{{obn|2065}}<br />
<br />
== 昭和(40年~55年) ==<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、{{obn|2066}}<br />
* [[勝本清一郎]]「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、{{obn|2067}} →随筆集『[[こころの遠近]]』に収録<br />
* [[加藤秀俊]]「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、{{obn|2068}}<br />
* [[上田正昭]]「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、{{obn|2069}}<br />
* [[小沢信男]]「日本教育探検 大本教の青年」、『読書新聞』昭和41年(1966年)1月1日号、p11、{{obn|2070}}<br />
* [[松島栄一]]「教団大本 そのロゴスと、ミュトス」、『図書新聞』昭和42年(1967年)10月7日号、p1、図書新聞社、{{obn|2071}}<br />
* [[出口京太郎]]「出口王仁三郎を語る」、『今橋ニュース』昭和42年(1967年)12月号、p4、{{obn|2072}}<br />
* [[新名丈夫]]「大本事件(上)」、『歴史読本』昭和42年(1967年)12月号、p216、新人物往来社、{{obn|2073}}<br />
* [[末永勝介]]「日本性ゴウ伝7 恍惚の大教祖・出口王仁三郎」、『宝石』昭和43年(1968年)5月号、p280、光文社、{{obn|2074}}<br />
* 「突然銀座に躍り出た香港の“紅卍字会” 有名人をトリコにする中国“老祖のお告げ”」、『週刊サンケイ』昭和43年(1968年)11月11日号、p136、扶桑社、{{obn|2075}}<br />
* [[有竹修二]]「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、{{obn|2076}}<br />
* [[谷川徹三]]・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、{{obn|2077}}<br />
* [[高須令三]]「怪物・出口王仁三郎─その予言と警告─」、『経済往来』昭和45年(1970年)2月号、p228-242、経済往来社、{{obn|2226}}、(肩書きは「評論家」だが愛知主会幹部で医博の高須令三 →『[[明星記]]』参照)<br />
* [[出口栄二]]「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、{{obn|2078}}<br />
* [[出口京太郎]]「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、{{obn|2079}}<br />
* [[清水雅人]]「日本の秘密結社(5)弾圧下の新宗教 蓮門教・大本教・ひとのみち」、『伝統と現代』昭和46年(1971年)9月号、p170、伝統と現代社、{{obn|2080}}<br />
* [[小口偉一]]・[[村上重良]]「出口王仁三郎と戸田城聖」、『現代の眼』昭和47年(1972年)1月号〔13巻1号〕、p136、現代評論社、{{obn|2081}}<br />
* [[村上重良]]「近代日本と中国(28)大谷光瑞と出口王仁三郎」、『朝日ジャーナル』昭和47年(1972年)8月18日号〔14巻33号〕、p40、朝日新聞社、{{obn|2082}}<br />
* [[小沢信男]]「出口王仁三郎──世直し予言の組織者」、『別冊経済評論』昭和47年(1972年)11月号〔通号11号〕、p232、日本評論社、{{obn|2083}}<br />
* [[清水雅人]]「教祖と夢託 彼岸と此岸との往還の使者 大本教・出口王仁三郎」、『伝統と現代』昭和48年(1973年)1月号、p89、伝統と現代社、{{obn|2084}}<br />
* [[前田トシ子]]「続女人の書(6)出口なお──大本教開祖のお筆先」、『日本美術工芸』昭和48年(1973年)4月号〔通号415号〕、p62、日本美術工芸社、{{obn|2085}}<br />
* 「王仁三郎の“耀碗”がパリで評判」、『週刊現代』昭和48年(1973年)4月12日号、p35、講談社、{{obn|2086}}<br />
* 「宗教団体青年部に「青春とは何か」を問う 第5回 大本」、『プレイボーイ』昭和48年(1973年)4月17日号、p156、集英社、{{obn|2087}}<br />
* 「出口王仁三郎から生れた正統と異端」、『週刊文春』昭和48年(1973年)5月14日号、p155、文芸春秋社、{{obn|2088}}<br />
* [[佐木秋夫]]「現代五大教祖烈伝」、『創』昭和48年(1973年)6月号、p144、創出版、{{obn|2089}}<br />
* 「徹底分析 巨大宗教団体10派の実力者地図 大本教 保守派と進歩が混在」、『週刊大衆』昭和48年(1973年)8月23日号、p32、双葉社、{{obn|2090}}<br />
* [[梅原正紀]]「弾圧の嵐の中の出口王仁三郎家」、『文芸春秋』昭和49年(1974年)1月号〔52巻1号〕、p236、文芸春秋社、{{obn|2091}}<br />
* [[梅原正紀]]「経世済民への志向⦿の家(まことのいえ)<民衆宗教の原像(6)>」、『伝統と現代』昭和49年(1974年)1月号、p188、伝統と現代社、{{obn|2092}}<br />
* [[出口京太郎]]「巨人・出口王仁三郎パリに甦る──大本教祖の芸術作品がなぜこんなにも欧米人の心を捉えるのか」、『現代』昭和49年(1974年)2月号、p251-261、講談社、{{obn|2093}}<br />
* 「特集2 大本教団」、『季刊現代宗教』昭和50年(1975年)〔創刊号(1975春季)〕、エヌエス出版会、{{obn|2094}}<br />
* 「パリでプロ扱いされた、ワニサブローの陶器「飛鳥」」、『週刊新潮』昭和50年(1975年)1月2日号、p25、新潮社、{{obn|2095}}<br />
* 「⦿の家(まことのいえ) 世界連邦の建設をめざす<新宗教の“生き神さま”は語る(6)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)1月23日号、p38、双葉社、{{obn|2096}}<br />
* 「紀卍字会「内修・外慈」を説く不思議な修養団<新宗教の“生き神さま”は語る(13)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)3月13日号、p126、双葉社、{{obn|2097}}<br />
* [[北條明直]]「王仁三郎の茶わん」、『月刊ペン』昭和50年(1975年)9月号、p105、月刊ペン社、{{obn|2098}}<br />
* [[出口栄二]]「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、{{obn|2099}}<br />
* 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、{{obn|2100}}<br />
* 長尾和郎(評論家)「出口王仁三郎と世直し思想」(連載12 昭和人物史評伝)、『経済往来』昭和51年(1976年)3月号、230~241頁、{{obn|2229}}<br />
* [[飯田良一]]「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、{{obn|2101}}<br />
* 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、{{obn|2102}}<br />
* [[村上重良]]「特集 妻たちの歴史 出口王仁三郎とその妻すみ」、『伝統と現代』昭和52年(1977年)11月号、p45、伝統と現代社、{{obn|2103}}<br />
* 「求道集団 鈴鹿山脈の麓に潜む「マルチョンの家」とは」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)11月10日号、p64、新潮社、{{obn|2104}}<br />
* 「特集 新聞社説に見る昭和事件史 大本教事件」、『流動』昭和53年(1978年)9月号、p64、流動出版、{{obn|2105}}<br />
* 「大本教・出口王仁三郎は熾仁親王のご落胤!?」、『サンデー毎日』昭和53年(1978年)10月1日号、p172、毎日新聞社、{{obn|2106}}<br />
* [[出口京太郎]]「なぜ王仁三郎の未来予測が見直されるか」、『現代』昭和54年(1979年)6月号、p368、講談社、{{obn|2107}}<br />
* [[川村邦光]]「教祖における神がかりの意味をめぐって」、『論集』昭和55年(1980年)12月31日発行〔通号7号〕、東北印度学宗教学会、{{obn|2108}}<br />
* [[出口栄二]]「日本の近代化と宗教」、『社会科学討究』昭和55年(1980年)3月号〔25巻3号〕、p585~609、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2109}}<br />
* 「ミドル・リーダーの実力診断 大本教総長・出口京太郎43才“名門”は甦ったか」、『宝石』昭和55年(1980年)5月号、p208、光文社、{{obn|2110}}<br />
* [[鹿野政直]]「安丸良夫著「出口なお」」、『歴史評論』昭和55年(1980年)7月号〔通号363号〕、p90~93、校倉書房、{{obn|2111}}<br />
* [[梅原正紀]]「シリーズ新宗教の実像5 大本信仰に生きた人」、『創』昭和55年(1980年)12月号、p258、創出版、{{obn|2112}}<br />
* [[丸山照雄]]「宗教界をおおう「天皇制」の影──東本願寺和解と大本教内紛」、『朝日ジャーナル』昭和55年(1980年)12月12日号〔22巻50号〕、p28、朝日新聞社、{{obn|2113}}<br />
<br />
== 昭和(56年以降) ==<br />
* [[丸山照雄]]「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、{{obn|2114}}、{{ndldl|1771613/1/113}}<br />
* [[梅原正紀]]「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、{{obn|2115}}<br />
* [[有賀龍太]]「スメラミコト出口王仁三郎」、『天皇制研究』第3号=昭和56年(1981年)2月号、p20、JCA出版、{{bib|000000034339}}、{{obn|2225}}<br />
* [[近藤真男]]「国家権力との競合を論ず──大本教事件の場合」、『国士館大学政経論叢』昭和56年(1981年)3月号〔通号35号〕、p111、国士館大学政経学会、{{obn|2116}}<br />
* [[出口和明]]「大本教内紛の現状と改革への途」、『現代の眼』昭和56年(1981年)8月号〔22巻8号〕、p75、現代評論社、{{obn|2117}}<br />
* [[梅原正紀]]「失敗した大本教の“反乱”」、『人と日本』昭和56年(1981年)8月号、p92、行政通信社、{{obn|2118}}<br />
* 「巨大教団の財産追及 第13弾 大本ほか「分離騒動」と「財産」の相関を抉る」、『週刊ポスト』昭和56年(1981年)11月27日号、p222、小学館、{{obn|2119}}<br />
* 「戦後大本教団史の真相を語る」、『民族宗教研究』昭和57年(1982年)第1号、民族宗教研究所、{{obn|2120}}<br />
* [[栗原彬]]「郷(さと)の立替え立直し──出口王仁三郎」、『日本政治学会年報政治学』昭和57年(1982年)、p177、岩波書店、{{obn|2121}}<br />
* [[川村邦光]]「スティグマとカリスマの弁証法──教祖をめぐる一考察」、『宗教研究』昭和57年(1982年)〔25号〕、宗教時報社、{{obn|2122}}<br />
* [[寺井美奈子]]「昇華された恋愛感情──出口なお論」、『思想の科学』昭和57年(1982年)1月号、p15、思想の科学社、{{obn|2123}}<br />
* [[八代誠]]「骨肉の争い「大本教内紛」教団追放で紛争は泥沼化」、『創』昭和57年(1982年)1月号、p158、創出版、{{obn|2124}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ 出口栄二の追放処分」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2125}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2126}}<br />
* [[出口栄二]]「近代日本における「信教の自由」と「宗教弾圧」」、『社会科学討究』昭和57年(1982年)7月号〔27巻3号〕、p751~778、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2127}}<br />
* 「グラビア 昭和の顔60人 昭和10年」、『週刊文春』昭和57年(1982年)7月1日号巻頭、文芸春秋社、{{obn|2128}}<br />
* 「巨大教団追及・第47弾 揺れる「PL教団」「大本教」の後継者騒動と財産問題」、『週刊ポスト』昭和57年(1982年)7月30日号、p209、小学館、{{obn|2129}}<br />
* [[橋本信隆]]「真宗者の大本教批判──伊藤義賢を中心に」、『竜谷大学仏教文化研究所紀要』昭和57年(1982年)11月号〔通号21号〕、p127、竜谷大学仏教文化研究所、{{obn|2130}}<br />
* [[島田一男]]「現代宗教者に問う 大本教嗣・出口聖子」、『中央公論』昭和58年(1983年)2月号〔98巻2号〕、p194、中央公論社、{{obn|2131}}<br />
* [[出口栄二]]「強権政治による「近代化」と民衆宗教の対応──大本教弾圧事件の意味」、『社会科学討究』昭和58年(1983年)6月号〔28巻3号〕、p377~412、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2132}}<br />
* [[栗原彬]]「民衆にとっての平和──民衆宗教大本の平和思想を緒口に」、『平和研究』昭和58年(1983年)11月号〔8号〕、p121、日本平和学会、{{obn|2133}}<br />
* 「昭和の手紙 出口王仁三郎・すみの書簡」、『別冊太陽』昭和59年(1984年)6月25日号、p16、平凡社、{{obn|2134}}<br />
* [[尾辻克彦]]「教祖王仁三郎の精華」、『芸術新潮』昭和60年(1985年)3月号〔36巻3号〕、p64、新潮社、{{obn|2135}}<br />
* [[出口栄二]]「日本近代における政治と宗教のかかわり──祭神論争を通して」、『社会科学討究』昭和61年(1986年)12月号〔32巻2号〕、p331~364、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2136}}<br />
* [[薄井篤子]]「女性教祖の誕生」、『宗教研究』昭和62年(1987年)〔274号〕、宗教時報社、{{obn|2137}}<br />
* [[渡辺雅子]]「ちりめんの町における大本教の受容と展開」、『明治学院論叢』昭和62年(1987年)2月号〔通号403号〕、p1、明治学院大学、{{obn|2138}}<br />
* [[内藤国夫]]「神声天眼学会・倉田地久統理 言霊信仰の超過激<人はいま、なぜ新宗教に走るか(2)ふだん着の教祖サマかく語りき>」、『現代』昭和62年(1987年)3月号、p174~176、講談社、{{obn|2139}}<br />
* [[石川明保]]「中国が発祥 紅卍字会 人類最大の災厄に対処する術とは<日本の霊法集団4>」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)8月号、p42、全貌社、{{obn|2140}}<br />
* [[石川明保]]「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、{{obn|2141}}<br />
* 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、{{obn|2142}}<br />
* 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14-15、講談社、{{obn|2143}}<br />
* 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、{{obn|2144}}<br />
* [[野田晴巳]]「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、{{obn|2145}}<br />
* [[上之郷利昭]]「明治・大正・昭和 有名人おもしろまじめ交遊図巻 英文学者の入信で世間の評価を高めた大本教 出口王仁三郎、浅野和三郎」、『歴史読本臨時増刊』昭和63年(1988年)11月5日号、p92、新人物往来社、{{obn|2146}}<br />
<br />
== 平成 ==<br />
* [[四方田犬彦]]「書評 出口王仁三郎の「霊界物語」の復刊が始まった」、『SPA!』平成元年(1989年)6月21日号、p136、扶桑社、{{obn|2147}}<br />
* [[出口京太郎]]「大本の健康観とヒーリング(日本民間療法大観)」、『思想の科学』平成元年(1989年)10月号〔通号121号〕、p43~48、思想の科学社、{{obn|2148}}<br />
* [[出口京太郎]]「致知随想 世界平和を可能にする心」、『致知』平成2年(1990年)1月号、p95、致知出版社、{{obn|2149}}<br />
* [[滝沢誠]]・[[松本健一]]「対談 幻の大高麗国と出口王仁三郎」、『知識』平成2年(1990年)4月号〔通号100号〕、p254、彩文社、{{obn|2150}}<br />
* [[栗原彬]]「変容する社会主義 市民フォーラム・大本教・ネットワーキング」、『朝日ジャーナル臨時増刊』平成2年(1990年)6月20日号〔32巻24号〕、p150、朝日新聞社、{{obn|2151}}<br />
* [[山口文憲]]「日本ばちかん巡り 第3回 大本 霊界二都物語」、『芸術新潮』平成2年(1990年)9月号、p125、新潮社、{{obn|2152}}<br />
* 「TEMPO インシデント 亡くなった大本教3代教主「出口直日」の傷跡」、『週刊新潮』平成2年(1990年)10月4日号、p26、新潮社、{{obn|2153}}<br />
* [[平川宗信]]「第二次大本教治安維持法違反事件」、『別冊ジュリスト 109号 宗教判例百選(第二版)』平成3年(1991年)1月10日号、p232-233、有斐閣、{{obn|2154}}<br />
* [[早川和広]]「深層追及レポート 宗教界再編の目は立正佼成会、大本、黒住教」、『宝石』平成3年(1991年)2月号、p174、光文社、{{obn|2155}}<br />
* 「ひかり教会 至恩郷 岡本三典 “芸術家教祖”の遺作を守って<グラビア 平成の教祖たち(16)>」、『アサヒ芸能』平成3年(1991年)4月25日号、p96~97、徳間書店、{{obn|2156}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(1)」、『社会学論叢』平成3年(1991年)6月号〔通号111号〕、p75、日本大学社会学会、{{obn|2157}}<br />
* [[アレックス・カー]]「失われし美を求めて 第8回 大本教の国際部に就職し…」、『新潮45』平成3年(1991年)11月号、p164、新潮社、{{obn|2158}}<br />
* [[松本健一]]「中山みき・出口なお──神がかりする女性」、『彷書月刊』平成4年(1992年)〔8巻2号〕、弘隆社、{{obn|2159}}<br />
* 「墓碑銘 大本事件で迫害、拷問を受けた出口日出麿氏」、『週刊新潮』平成4年(1992年)1月16日号、p119、新潮社、{{obn|2160}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読7 増殖への憎悪」、『正論』平成4年(1992年)5月号、p340、産業経済新聞社、{{obn|2161}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、{{obn|2162}}<br />
* [[デ二ス・バッド・グレイ]]「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、{{obn|2163}}<br />
* [[鎌田東二]]「評論 大本霊学と内部生命論」『文芸』第31巻第3号、平成4年(1992年)8月、p296~302、河出書房新社、{{obn|2227}}<br />
* 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、{{obn|2194}}<br />
* [[松本健一]]「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、{{obn|2164}}<br />
* [[武田崇元]]「巨人・出口王仁三郎の黙示」、『ムー』平成5年(1993年)2月号〔15巻2号〕、p36、学習研究社、{{obn|2165}}<br />
* 「ドイモイ(刷新)の進む社会主義国ベトナムで復興著しいカオダイ教とは」、『VIEWS』平成5年(1993年)5月26日号、p119、講談社、{{obn|2166}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(2)」、『社会学論叢』平成5年(1993年)6月号〔通号117号〕、p61、日本大学社会学会、{{obn|2167}}<br />
* [[岡田信子]]「生きた、愛した、時代をつくった日本を創った女たち 第69回 大本教開祖 出口なお」、『週刊女性』平成5年(1993年)8月17日号、p174、主婦と生活社、{{obn|2168}}<br />
* [[佐高信]]「男言葉と改憲論」、『世界』平成6年(1994年)2月号、p238、岩波書店、{{obn|2169}}<br />
* [[佐高信]]「風速計 エスペラント(大本教のエスペラント運動支援)」、『週刊金曜日』平成7年(1995年)4月28日号、p4、金曜日、{{obn|2170}}<br />
* [[原田実]]「私が出会ったもうひとりの「カリスマ」──武田崇元とオカルト雑誌『ムー』、の軌跡」平成7年(1995年)11月号『宝島30』、p138~147、宝島社、{{obn|2171}}<br />
* [[武田崇元]](インタビュー・中島渉)「80年代オカルト一代記!」、『宝島30』平成8年(1996年)1月号、宝島社、{{obn|2172}}<br />
* [[大橋幸泰]]「安丸良夫著「出口なお」を読む」、『民衆史研究』平成8年(1996年)11月号〔通号52号〕、p16~25、民衆史研究会、{{obn|2173}}<br />
* [[南伸坊]]・[[能美勉]]「渥美清とヴィンセント・エドワーズ、ラスプーチンと出口王仁三郎、野口英世とマタ・ハリ」、『太陽』平成8年(1996年)11月号〔34巻12号〕、p149、博文館、{{obn|2174}}<br />
* 「(アートニュース)出口すみこの芸術・ほか」、『日経アート』平成11年(1999年)1月号〔12巻1号〕、p69~76、日本経済新聞社、{{obn|2175}}<br />
* [[武田崇元]]「昭和神聖会と出口王仁三郎」、『福神』平成11年(1999年)12月号〔通号2号〕、p46~56、福神研究所、{{obn|2176}}<br />
* [[武田崇元]]「平田篤胤から国家神道へ」、『福神』平成12年(2000年)3月号〔通号3号〕、p69~77、福神研究所、{{obn|2177}}<br />
* [[五十嵐太郎]]「復元思想の社会史(第19回)宗教建築の破壊と創造──大本教の弾圧をめぐって 」、『住宅建築』平成12年(2000年)8月号〔通号305号〕、p158、建築資料研究社、{{obn|2178}}<br />
* [[藤野七穂]]「偽史源流行(18)反大本運動の中の皇道宣揚会」、『歴史読本』平成13年(2001年)6月号、p220、新人物往来社、{{obn|2180}}<br />
* [[熊田一雄]]「大本聖師のトランスジェンダー志向を再考する 」、『愛知学院大学文学部紀要』平成14年(2002年)、p1、愛知学院大学文学会、{{obn|2181}}<br />
* [[広瀬浩二郎]]「人類愛善運動の史的意義──大本教のエスペラント・芸術・武道・農業への取り組み」、『国立民族学博物館研究報告』平成14年(2002年)〔27巻1号〕、p1-24、国立民族学博物館、{{obn|2182}}<br />
* [[津城寛文]]「国体思想・大本霊学・日蓮主義」、『神道宗教』平成14年(2002年)4月号、p128、神道宗教学会、{{obn|2183}}<br />
* [[森孝一]]「出口王仁三郎の陶芸について──出口王仁三郎とその一門の作品展より」、『陶説』平成14年(2002年)9月号〔通号594号〕、p46、日本陶磁協会、{{obn|2184}}<br />
* [[藤村耕治]]「大本と高橋和巳『邪宗門』──現実を峻拒する宗教」、『国文学 解釈と教材の研究』平成15年(2003年)5月号、p93、学灯社、{{obn|2185}}<br />
* [[熊田一雄]]「大衆宗教と男らしさ──出口王仁三郎の言説から」、『現代のエスプリ』平成16年(2004年)9月号2004年9月号、p163-172、ぎょうせい、{{obn|2186}}<br />
* [[窪田英樹]]「天皇制に関する研究──大本教典「霊界物語」の神格論を巡る第2次大本事件裁判記録」、『Journal of IOND University』平成17年(2005年)1月号、p193~223、イオンド大学出版局、{{obn|2187}}<br />
* [[兵頭晶子]]「大正期の「精神」概念──大本教と『変態心理』の相克を通して」平成17年(2005年)6月号(通号344号)『宗教研究』、p97~120、日本宗教学会、{{obn|2188}}<br />
* [[豊嶋泰國]]「出口王仁三郎 超凡の巨人か「怪物」か」、『歴史読本』平成18年(2006年)3月号、p130-136、新人物往来社、{{obn|2189}}<br />
* [[牧野史敬]]「出口王仁三郎の霊界に学ぶ」、『アネモネ』平成18年(2006年)4月号、p42-43、ビオ・マガジン、{{obn|2190}}<br />
* 「出口王仁三郎・すみ 信仰と弾圧の狭間で(総力特集 「功名が辻」もびっくり! 明治・大正・昭和 13の有名夫婦「怪」事件簿)」、『新潮45』平成18年(2006年)4月号、p42-44、新潮社、{{obn|2191}}<br />
* [[出口信一]]「イラン・ダマバンド山平和祈念祭典を奉仕して 「文明の衝突」から「文明の融和」への転換をめざす八岐大蛇退治を!」、『月刊日本』平成18年(2006年)7月号、p38-45、K&Kプレス、{{bib|7947107}}、{{obn|2223}}<br />
* [[出口信一]]「「文明の共存」実現への鍵を持つ「日本的神観」の再認識を」、『月刊日本』平成18年(2006年)11月号、p86-91、K&Kプレス、{{obn|2192}}<br />
* [[出口信一]](解説)「みやびのことば」、『アネモネ』平成19年(2007年)3月号、p20-21、ビオ・マガジン、{{obn|2193}}<br />
* [[鎌田東二]]「柳宗悦と宮沢賢治と出口王仁三郎における宗教と芸術」、『京都造形芸術大学紀要』第12号、平成19年(2007年)発行、p128-138、{{bib|10230726}}、{{obn|2197}}<br />
* [[早瀬圭一]]「出口王仁三郎──世界平和を目指した満州の地で、張作霖に裏切られた一行の運命は?(特集 石原莞爾と満洲帝国)」、『歴史読本』平成21年(2009年)9月号、p134-137、{{bib|10360682}}、{{obn|2198}}<br />
* [[吉永進一]]「大正期大本教の宗教的場──出口王仁三郎、浅野和三郎、宗教的遍歴者たち」、『舞鶴工業高等専門学校紀要』第45号、平成22年(2010年)3月発行、p69-80、{{bib|10758788}}、{{obn|2199}}<br />
* [[上本雄一郎]]「出口王仁三郎のユーモア──その作品と「屁」」、『国文学』平成22年(2010年)5月号、p81-89、{{bib|10651159}}、{{obn|2200}}<br />
* [[坪内隆彦]]「日本文明の先駆者(31)興亜陣営とともに理想郷建設の夢を描いた宗教家 出口王仁三郎」、『月刊日本』平成22年(2010年)6月号、p84-91、ケイアンドケイプレス、{{bib|10676986}}、{{obn|2201}}<br />
* [[三浦小太郎]]「近代の闇 闇の近代(第7回) 出口王仁三郎と大本教弾圧」、『月刊日本』平成24年(2012年)4月号、p56-61、ケイアンドケイプレス、{{bib|023499438}}、{{obn|2202}}<br />
* [[執行草舟]]「Shigyo Sosyu Collection 憂国の芸術(第3回)国士の涙 頭山満・出口王仁三郎」、『正論』平成26年(2014年)4月号、p14-17、産経新聞社、{{bib|025295817}}、{{obn|2203}}<br />
* [[水内勇太]]「皇道大本の思想と行動 皇道大本前史(特集 日本宗教史像の再構築 トランスナショナルヒストリーを中心として 近代日本宗教史における〈皇道〉のポリティクス)」、『人文学報』第108号、平成27年(2015年)発行、p85-96、京都大学人文科学研究所、{{bib|027062143}}、{{obn|2204}}<br />
* [[鎌田東二]]・[[安藤礼二]]「討議 隠された神々の世界を求めて 折口信夫と出口王仁三郎から(総特集 神道を考える)」、『現代思想』平成29年(2017年)2月臨時増刊号、p54-71、青土社、{{bib|028310074}}、{{obn|2205}}<br />
* [[徐玄九]]「昭和維新運動 大本教・出口王仁三郎を中心に」、『専修人間科学論集 社会学篇』第8号、平成30年(2018年)3月発行、p53-64、専修大学人間科学学会、{{bib|029089975}}、{{obn|2206}}<br />
* [[川島堅二]]「出口王仁三郎『霊界物語』とキリスト教──キリスト教土着の一事例として」、『人文学と神学』第16号、平成31年(2019年)3月発行、p1-12、東北学院大学学術研究会、{{bib|029655659}}、{{obn|2207}}<br />
<br />
== 令和 ==<br />
* [[河原信之]]「出口王仁三郎と船岡妙霊教会物語」、『丹波』第21号、令和元年(2019年)11月発行、p77-94、丹波史談会、{{bib|030182053}}、{{obn|2208}}<br />
* [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命」<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第1回)二〇二〇年と一九二〇年が問いかけるもの」、『三田文学』令和2年(2020年)夏季号、p234-243、三田文学会、{{bib|030559619}}、{{obn|2209}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第2回)世直しと言直し」、『三田文学』令和2年(2020年)秋季号、p216-227、三田文学会、{{bib|030697532}}、{{obn|2210}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第3回)大正十年の言直し」、『三田文学』令和3年(2021年)冬季号、p222-234、三田文学会、{{bib|031258382}}、{{obn|2211}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第4回)大正十年の言直し(2)予言の淵源 承久の乱と日蓮の予言」、『三田文学』令和3年(2021年)春季号、p236-247、三田文学会、{{bib|031420856}}、{{obn|2212}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第5回)大正十年の言直し(3)聖苦と笑いの物語戦略」、『三田文学』令和3年(2021年)夏季号、p212-225、三田文学会、{{bib|031608837}}、{{obn|2213}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第6回)物語の二相系 分岐する日の語りと月の語り」、『三田文学』令和3年(2021年)秋季号、p262-275、三田文学会、{{bib|031770498}}、{{obn|2214}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第7回)関東大震災とモンゴル奇行」、『三田文学』令和4年(2022年)冬季号、p238-249、三田文学会、{{bib|031945038}}、{{obn|2215}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第8回)人類愛善と万教同根」、『三田文学』令和4年(2022年)春季号、p216-228、三田文学会、{{bib|032114443}}、{{obn|2216}}<br />
* [[石原和]]「稲荷講社と出口王仁三郎──講社所管教会という視点から(第78回学術大会紀要特集 パネル 近代宗教政策下における「教団」未満の宗教者たち)」、『宗教研究 別冊』第93号、令和2年(2020年)3月30日発行、日本宗教学会、{{bib|031849681}}、{{obn|2217}}<br />
* [[島薗進]]「あなた自身の死生観のために(第6回)罪を贖うスサノオと出口王仁三郎、太宰治」、『一冊の本』令和2年(2020年)10月号、p14-19、朝日新聞出版、{{bib|030679834}}、{{obn|2218}}<br />
* [[佐々充昭]]「大本教の皇道宣揚運動と人類愛善会朝鮮本部の設立 出口王仁三郎と内田良平との提携を中心に」、『立命館文學』第675号、令和3年(2021年)10月号、p281-321、立命館大学人文学会、{{bib|031839368}}、{{obn|2219}}<br />
* [[小野耕資]]「風土と共同体に基づく経済(24)出口王仁三郎の皇道経済論」、『国体文化』第1172号、令和4年(2022年)1月号、p18-21、日本国体学会、{{bib|031892826}}、{{obn|2220}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:雑誌記事]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9B%91%E8%AA%8C%E8%A8%98%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7&diff=20355
雑誌記事一覧
2024-03-28T06:57:37Z
<p>IHiroaki: /* 昭和(19年まで) */</p>
<hr />
<div>'''雑誌記事一覧'''は、雑誌に掲載された[[王仁三郎]]・[[大本]]関連の記事の一覧。ただし大本関係機関紙誌に掲載された記事は除く。<br />
<br />
== 大正 ==<br />
* [[中村古峡]]「連載 余の観たる大本教」、『東亜の光』大正9年(1920年)3月号~、東亜協会、{{obn|2008}}<br />
* [[大山郁夫]]「社会問題として見たる最近に於ける迷信流行の傾向」、『中央公論』大正9年(1920年)9月号、p63、中央公論社、{{obn|2001}}<br />
* [[境野黄洋]](東洋大学長)「知識階級と大本教」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p117~118、博文館、{{obn|2002}}<br />
* [[高島平三郎]]「教祖出口直子は精神異常者」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p119~122、博文館、{{obn|2003}}<br />
* [[沢田撫松]]「公平無私のメスを揮って解剖したる疑問の大本教」、『新小説』大正9年(1920年)10月号、p1、春陽堂、{{obn|2004}}<br />
* [[本多日生]](大僧正)「我国為政者の覚醒を促す」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p113~117、博文館、{{obn|2005}}<br />
* [[沢田撫松]]「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、{{obn|2006}}<br />
* [[北野博美]]「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、{{obn|2007}}<br />
* [[今村力三郎]]「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、{{digimeta|10232073}}、{{obn|2009}}、{{obc|Z9011|霊界物語ネット}}<br />
* [[吉野作造]]「大本教神殿の取毀ち」、『中央公論』大正10年(1921年)11月号、p180-181、中央公論社、{{digimeta|10232079}}、{{obn|2222}}<br />
* [[川端康成]]「湯ガ島温泉」、『文藝春秋』大正14年(1925年)3月号、p7-9、{{obn|1941}} →単行本『伊豆の旅』(1954年、中央公論社)、中公文庫『伊豆の旅』(1981年)に収録 →「[[湯本館#川端康成]]」参照<br />
<br />
== 昭和(19年まで) ==<br />
* SKP(特派記者)「綾部探訪記 怪教大本の正体」『実業時代』昭和2年(1927年)11月号(第4巻第11号)、p112-120、実業時代社、{{obn|2228}}、{{Ndldl|1541155/1/74|}}<br />
* [[那須皓]]「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、{{obn|2010}}<br />
* [[中河与一]]「アジアの嵐 後日譚」、『新潮』昭和6年(1931年)1月号、頁未確認、新潮社、{{obn|2230}}<br />
** [[出口王仁三郎]]『[[更生日記]] 一の巻』(昭和6年4月)214~215頁に転載、{{ndldl|1137507/1/121}}<br />
** [[中河与一]]『偶然と文学』(昭和10年11月)341~342頁に転載、{{ndldl|1232758/1/175}}──中河与一(小説家、歌人)が出口王仁三郎と会った時にソ連映画「アジアの嵐」(日本で昭和5年に公開)を見たかと聞いたら、王仁三郎は、あれは自分の入蒙をヒントにしたのだという意味のことを答えた。当時、王仁三郎が主人公だと噂されていたらしい(『巨人出口王仁三郎』317~8頁)。<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)10月号、p46、新潮社、{{obn|2011}}──{{pid|2967335/1/115|大宅壮一選集 第11(宗教・皇室)}}p.219、『[[昭和青年]]』昭和6年(1931年)12月号pp.47-52に西村保男の筆による「出口王仁三郎と大宅壮一の問答」という記事がある。<br />
* [[宇佐美武吉]]「[[日本言霊学概論]]」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、{{obn|2196}}<br />
* [[金王志武哉]]「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、{{obn|2012}}<br />
* [[金王志武哉]]「世界に伸びる出口王仁三郎」、『人の噂』昭和7年(1932年)6月号、p132、月旦社、{{obn|2013}}<br />
* 「世界紅卍字会と結び、満蒙に活躍する大本教」、『世界公論』昭和9年(1934年)1月1日号、p132、世界連邦公報社、{{obn|2014}}<br />
* [[水原祐]]「大本教は果して没落したか 怪人出口王仁三郎の正体」、『話』昭和10年(1935年)2月号、p196、文芸春秋社、{{obn|2015}}<br />
* [[千田二郎]]「大本教教主・出口王仁三郎」、『実業之世界』昭和10年(1935年)9月号、p42-48、実業之世界社、{{ndldl|10293199/31}}、{{obn|2224}} →加筆訂正して「[[邪教を裁く]]」に掲載された<br />
* 「座談会・怪教大本教を暴く(井上善吉・鳥羽重節・梅原眞隆ほか)」、『サンデー毎日』昭和10年(1935年)12月号、毎日新聞社、{{obn|2016}}<br />
* M・T・M「大本教検挙とニウス戦 新聞匿名月評」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p132、文芸春秋社、{{obn|2017}}<br />
* [[阿部真之助]]「妖怪・出口王仁三郎」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p166、文芸春秋社、{{obn|2018}}<br />
* [[高津正道]]「大本教検挙の考察」、『改造』昭和11年(1936年)1月号、p292、改造社、{{obn|2019}}<br />
* [[大宅壮一]]「大本教弾圧是非」、『日本評論』昭和11年(1936年)1月号、p577、日本評論新社、{{obn|2020}}<br />
* [[神岡阿矢夫]]「怪教「大本」を脱出して 一修業者のみたからくり」、『話』昭和11年(1936年)2月号、p20、文芸春秋社、{{obn|2021}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)6月号〔33巻6号〕、京都医学会、{{obn|2022}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)7月号〔33巻7号〕、京都医学会、{{obn|2023}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)8月号〔33巻8号〕、京都医学会、{{obn|2024}}<br />
* 「出口王仁三郎と大本教の信者達 動脈硬化と歯痛で獄中に悩む生き神様」、『話』昭和12年(1937年)12月号、p330、文芸春秋社、{{obn|2025}}<br />
<br />
== 昭和(20年~39年) ==<br />
* [[阿部真之助]]「大本教」、『サンデー毎日』昭和22年(1947年)3月2日号〔26巻10号〕、p14、毎日新聞社、{{obn|2026}}<br />
* [[直方敏]]「綾部の使徒行状記──続・大本教ものがたり」、『読物時事』昭和22年(1947年)9月1日号〔3巻7号〕、p8~9、時事通信社、{{obn|2027}}<br />
* [[駒沢三郎]]「女弥次将軍と呼ばれても 哀愁の大石ヨシエ(出口王仁三郎を知る)」、『政界ジープ』昭和22年(1947年)10月1日号〔通巻14号(2巻10号)〕、p29~31、政界ジープ社、{{obn|2028}}<br />
* 「出口王仁三郎昇天 百万円の葬式」、『週刊朝日』昭和23年(1948年)2月22日号、p9、朝日新聞社、{{obn|2029}}<br />
* 「喪服の山越え十八里」、『アサヒグラフ』昭和23年(1948年)2月25日号、p10、朝日新聞社、{{obn|2030}}<br />
* [[東大作]]「出口王仁三郎蒙古行状記」、『真相』昭和23年(1948年)5月1日号〔3巻6号〕、p21、人民社、{{obn|2031}}<br />
* 「王仁三郎の横顔」、『号外』(?)昭和23年(1948年)5月27日号〔第2集〕、p22、新史書房、{{obn|2032}}<br />
* [[石井純一]]「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、{{obn|2033}}<br />
* 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、{{obn|2034}}<br />
* 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、{{obn|2035}}<br />
* 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、{{obn|2036}}<br />
* 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、{{obn|2037}}<br />
* 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、{{obn|2038}}<br />
* 「王仁三郎師手造の楽焼茶碗鑑賞会」、『大道』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p39、{{obn|2039}}<br />
* [[東山三郎]]「出口王仁三郎と戦後の大本」、『同盟時報』昭和24年(1949年)11月号〔通号77・78号〕、p44、同盟通信社、{{obn|2040}}<br />
* 「豪華な遺跡 大本教」、『毎日グラフ』昭和25年(1950年)3月15日号、p8、毎日新聞社、{{obn|2041}}<br />
* 「出口家その後」、『アサヒグラフ』昭和27年(1952年)12月24日号、p12、朝日新聞社、{{obn|2042}}<br />
* 「ペンとカメラで…大本愛善苑」、『毎日グラフ』昭和28年(1953年)6月3日号、p6、毎日新聞社、{{obn|2043}}<br />
* [[林逸郎]]「大本教弾圧のかげに」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)1月号〔32巻16号〕、p116、文芸春秋社、{{obn|2044}}<br />
* [[薄田美朝]]「大本教攻略記」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)7月号〔32巻11号〕、p87、文芸春秋社、{{obn|2045}}<br />
* [[乾孝]]、[[松島栄一]]「教祖列伝 大本教」、『中央公論』昭和29年(1954年)9月号〔69巻9号〕、p188、中央公論社、{{obn|2046}}<br />
* [[唐沢俊樹]]「大本教手入れの前後──右翼革命の資金ルート遮断」、『信濃往来』昭和30年(1955年)2月号〔第5巻第2号〕、p22-23、信濃往来社、{{obn|2221}}<br />
* 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、{{obn|2047}}<br />
* [[大宅壮一]]「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、{{obn|2048}}<br />
* [[青地晨]]「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)9月号〔3巻10号〕、知性社、{{obn|2049}} →単行本『[[現代史の曲り角]]』に収録<br />
* [[山科小四郎]]「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、{{obn|2050}}<br />
* 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、{{obn|2051}}<br />
* 「三五教騒動記──手玉にとられた沼津市」、『週刊文春』昭和34年(1959年)11月16日号、p34~38、文芸春秋社、{{obn|2052}}<br />
* [[梅棹忠夫]]「日本探検 綾部・亀岡 大本教と世界連邦」、『中央公論』昭和35年(1960年)3月号〔75巻3号〕、p184、中央公論社、{{obn|2053}}<br />
* 「われこそは万能宗教 教団「大本」を訪ねる」、『毎日グラフ』昭和35年(1960年)4月17日号、p10、毎日新聞社、{{obn|2054}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 1」、『歴史評論』昭和35年(1960年)12月号〔通号124号〕、校倉書房、{{obn|2055}}<br />
* 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 2」、『歴史評論』昭和36年(1961年)1月号〔通号125号〕、校倉書房、{{obn|2056}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 3」、『歴史評論』昭和36年(1961年)2月号〔通号126号〕、校倉書房、{{obn|2057}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 4」、『歴史評論』昭和36年(1961年)3月号〔通号127号〕、校倉書房、{{obn|2058}}<br />
* [[前島不二雄]]「昭和神聖会運動」、『日本史研究』昭和36年(1961年)4月号〔通号54号〕、p66-69、日本史研究会、{{obn|2059}}<br />
* [[芳賀日出男]]「大本の芸能」、『芸能』昭和36年(1961年)4月号〔3巻4号〕、芸能発行所、{{obn|2060}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 5(完)」、『歴史評論』昭和36年(1961年)7月号〔通号131号〕、校倉書房、{{obn|2061}}<br />
* [[野上龍]]「ある新興宗教の教祖」、『文芸春秋』昭和39年(1964年)7月号、p246、文芸春秋社、{{obn|2062}}<br />
* 「連載 ひとつの人格(1~3)(出口栄二・著)」、『図書新聞』昭和39年(1964年)7月4日号~18日号、図書新聞社、{{obn|2063}}<br />
* [[黒田領治]]・他「(座談会)出口直日の陶芸」、『陶説』昭和39年(1964年)12月号〔通号141号〕、日本陶磁協会、{{obn|2064}}<br />
* [[前島不二雄]]「軍ファシズム運動と大本教」、『日本史研究』昭和39年(1964年)12月号〔通号75号〕、p60-78、日本史研究会、{{obn|2065}}<br />
<br />
== 昭和(40年~55年) ==<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、{{obn|2066}}<br />
* [[勝本清一郎]]「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、{{obn|2067}} →随筆集『[[こころの遠近]]』に収録<br />
* [[加藤秀俊]]「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、{{obn|2068}}<br />
* [[上田正昭]]「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、{{obn|2069}}<br />
* [[小沢信男]]「日本教育探検 大本教の青年」、『読書新聞』昭和41年(1966年)1月1日号、p11、{{obn|2070}}<br />
* [[松島栄一]]「教団大本 そのロゴスと、ミュトス」、『図書新聞』昭和42年(1967年)10月7日号、p1、図書新聞社、{{obn|2071}}<br />
* [[出口京太郎]]「出口王仁三郎を語る」、『今橋ニュース』昭和42年(1967年)12月号、p4、{{obn|2072}}<br />
* [[新名丈夫]]「大本事件(上)」、『歴史読本』昭和42年(1967年)12月号、p216、新人物往来社、{{obn|2073}}<br />
* [[末永勝介]]「日本性ゴウ伝7 恍惚の大教祖・出口王仁三郎」、『宝石』昭和43年(1968年)5月号、p280、光文社、{{obn|2074}}<br />
* 「突然銀座に躍り出た香港の“紅卍字会” 有名人をトリコにする中国“老祖のお告げ”」、『週刊サンケイ』昭和43年(1968年)11月11日号、p136、扶桑社、{{obn|2075}}<br />
* [[有竹修二]]「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、{{obn|2076}}<br />
* [[谷川徹三]]・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、{{obn|2077}}<br />
* [[高須令三]]「怪物・出口王仁三郎─その予言と警告─」、『経済往来』昭和45年(1970年)2月号、p228-242、経済往来社、{{obn|2226}}、(肩書きは「評論家」だが愛知主会幹部で医博の高須令三 →『[[明星記]]』参照)<br />
* [[出口栄二]]「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、{{obn|2078}}<br />
* [[出口京太郎]]「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、{{obn|2079}}<br />
* [[清水雅人]]「日本の秘密結社(5)弾圧下の新宗教 蓮門教・大本教・ひとのみち」、『伝統と現代』昭和46年(1971年)9月号、p170、伝統と現代社、{{obn|2080}}<br />
* [[小口偉一]]・[[村上重良]]「出口王仁三郎と戸田城聖」、『現代の眼』昭和47年(1972年)1月号〔13巻1号〕、p136、現代評論社、{{obn|2081}}<br />
* [[村上重良]]「近代日本と中国(28)大谷光瑞と出口王仁三郎」、『朝日ジャーナル』昭和47年(1972年)8月18日号〔14巻33号〕、p40、朝日新聞社、{{obn|2082}}<br />
* [[小沢信男]]「出口王仁三郎──世直し予言の組織者」、『別冊経済評論』昭和47年(1972年)11月号〔通号11号〕、p232、日本評論社、{{obn|2083}}<br />
* [[清水雅人]]「教祖と夢託 彼岸と此岸との往還の使者 大本教・出口王仁三郎」、『伝統と現代』昭和48年(1973年)1月号、p89、伝統と現代社、{{obn|2084}}<br />
* [[前田トシ子]]「続女人の書(6)出口なお──大本教開祖のお筆先」、『日本美術工芸』昭和48年(1973年)4月号〔通号415号〕、p62、日本美術工芸社、{{obn|2085}}<br />
* 「王仁三郎の“耀碗”がパリで評判」、『週刊現代』昭和48年(1973年)4月12日号、p35、講談社、{{obn|2086}}<br />
* 「宗教団体青年部に「青春とは何か」を問う 第5回 大本」、『プレイボーイ』昭和48年(1973年)4月17日号、p156、集英社、{{obn|2087}}<br />
* 「出口王仁三郎から生れた正統と異端」、『週刊文春』昭和48年(1973年)5月14日号、p155、文芸春秋社、{{obn|2088}}<br />
* [[佐木秋夫]]「現代五大教祖烈伝」、『創』昭和48年(1973年)6月号、p144、創出版、{{obn|2089}}<br />
* 「徹底分析 巨大宗教団体10派の実力者地図 大本教 保守派と進歩が混在」、『週刊大衆』昭和48年(1973年)8月23日号、p32、双葉社、{{obn|2090}}<br />
* [[梅原正紀]]「弾圧の嵐の中の出口王仁三郎家」、『文芸春秋』昭和49年(1974年)1月号〔52巻1号〕、p236、文芸春秋社、{{obn|2091}}<br />
* [[梅原正紀]]「経世済民への志向⦿の家(まことのいえ)<民衆宗教の原像(6)>」、『伝統と現代』昭和49年(1974年)1月号、p188、伝統と現代社、{{obn|2092}}<br />
* [[出口京太郎]]「巨人・出口王仁三郎パリに甦る──大本教祖の芸術作品がなぜこんなにも欧米人の心を捉えるのか」、『現代』昭和49年(1974年)2月号、p251-261、講談社、{{obn|2093}}<br />
* 「特集2 大本教団」、『季刊現代宗教』昭和50年(1975年)〔創刊号(1975春季)〕、エヌエス出版会、{{obn|2094}}<br />
* 「パリでプロ扱いされた、ワニサブローの陶器「飛鳥」」、『週刊新潮』昭和50年(1975年)1月2日号、p25、新潮社、{{obn|2095}}<br />
* 「⦿の家(まことのいえ) 世界連邦の建設をめざす<新宗教の“生き神さま”は語る(6)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)1月23日号、p38、双葉社、{{obn|2096}}<br />
* 「紀卍字会「内修・外慈」を説く不思議な修養団<新宗教の“生き神さま”は語る(13)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)3月13日号、p126、双葉社、{{obn|2097}}<br />
* [[北條明直]]「王仁三郎の茶わん」、『月刊ペン』昭和50年(1975年)9月号、p105、月刊ペン社、{{obn|2098}}<br />
* [[出口栄二]]「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、{{obn|2099}}<br />
* 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、{{obn|2100}}<br />
* 長尾和郎(評論家)「出口王仁三郎と世直し思想」(連載12 昭和人物史評伝)、『経済往来』昭和51年(1976年)3月号、230~241頁、{{obn|2229}}<br />
* [[飯田良一]]「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、{{obn|2101}}<br />
* 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、{{obn|2102}}<br />
* [[村上重良]]「特集 妻たちの歴史 出口王仁三郎とその妻すみ」、『伝統と現代』昭和52年(1977年)11月号、p45、伝統と現代社、{{obn|2103}}<br />
* 「求道集団 鈴鹿山脈の麓に潜む「マルチョンの家」とは」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)11月10日号、p64、新潮社、{{obn|2104}}<br />
* 「特集 新聞社説に見る昭和事件史 大本教事件」、『流動』昭和53年(1978年)9月号、p64、流動出版、{{obn|2105}}<br />
* 「大本教・出口王仁三郎は熾仁親王のご落胤!?」、『サンデー毎日』昭和53年(1978年)10月1日号、p172、毎日新聞社、{{obn|2106}}<br />
* [[出口京太郎]]「なぜ王仁三郎の未来予測が見直されるか」、『現代』昭和54年(1979年)6月号、p368、講談社、{{obn|2107}}<br />
* [[川村邦光]]「教祖における神がかりの意味をめぐって」、『論集』昭和55年(1980年)12月31日発行〔通号7号〕、東北印度学宗教学会、{{obn|2108}}<br />
* [[出口栄二]]「日本の近代化と宗教」、『社会科学討究』昭和55年(1980年)3月号〔25巻3号〕、p585~609、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2109}}<br />
* 「ミドル・リーダーの実力診断 大本教総長・出口京太郎43才“名門”は甦ったか」、『宝石』昭和55年(1980年)5月号、p208、光文社、{{obn|2110}}<br />
* [[鹿野政直]]「安丸良夫著「出口なお」」、『歴史評論』昭和55年(1980年)7月号〔通号363号〕、p90~93、校倉書房、{{obn|2111}}<br />
* [[梅原正紀]]「シリーズ新宗教の実像5 大本信仰に生きた人」、『創』昭和55年(1980年)12月号、p258、創出版、{{obn|2112}}<br />
* [[丸山照雄]]「宗教界をおおう「天皇制」の影──東本願寺和解と大本教内紛」、『朝日ジャーナル』昭和55年(1980年)12月12日号〔22巻50号〕、p28、朝日新聞社、{{obn|2113}}<br />
<br />
== 昭和(56年以降) ==<br />
* [[丸山照雄]]「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、{{obn|2114}}、{{ndldl|1771613/1/113}}<br />
* [[梅原正紀]]「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、{{obn|2115}}<br />
* [[有賀龍太]]「スメラミコト出口王仁三郎」、『天皇制研究』第3号=昭和56年(1981年)2月号、p20、JCA出版、{{bib|000000034339}}、{{obn|2225}}<br />
* [[近藤真男]]「国家権力との競合を論ず──大本教事件の場合」、『国士館大学政経論叢』昭和56年(1981年)3月号〔通号35号〕、p111、国士館大学政経学会、{{obn|2116}}<br />
* [[出口和明]]「大本教内紛の現状と改革への途」、『現代の眼』昭和56年(1981年)8月号〔22巻8号〕、p75、現代評論社、{{obn|2117}}<br />
* [[梅原正紀]]「失敗した大本教の“反乱”」、『人と日本』昭和56年(1981年)8月号、p92、行政通信社、{{obn|2118}}<br />
* 「巨大教団の財産追及 第13弾 大本ほか「分離騒動」と「財産」の相関を抉る」、『週刊ポスト』昭和56年(1981年)11月27日号、p222、小学館、{{obn|2119}}<br />
* 「戦後大本教団史の真相を語る」、『民族宗教研究』昭和57年(1982年)第1号、民族宗教研究所、{{obn|2120}}<br />
* [[栗原彬]]「郷(さと)の立替え立直し──出口王仁三郎」、『日本政治学会年報政治学』昭和57年(1982年)、p177、岩波書店、{{obn|2121}}<br />
* [[川村邦光]]「スティグマとカリスマの弁証法──教祖をめぐる一考察」、『宗教研究』昭和57年(1982年)〔25号〕、宗教時報社、{{obn|2122}}<br />
* [[寺井美奈子]]「昇華された恋愛感情──出口なお論」、『思想の科学』昭和57年(1982年)1月号、p15、思想の科学社、{{obn|2123}}<br />
* [[八代誠]]「骨肉の争い「大本教内紛」教団追放で紛争は泥沼化」、『創』昭和57年(1982年)1月号、p158、創出版、{{obn|2124}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ 出口栄二の追放処分」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2125}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2126}}<br />
* [[出口栄二]]「近代日本における「信教の自由」と「宗教弾圧」」、『社会科学討究』昭和57年(1982年)7月号〔27巻3号〕、p751~778、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2127}}<br />
* 「グラビア 昭和の顔60人 昭和10年」、『週刊文春』昭和57年(1982年)7月1日号巻頭、文芸春秋社、{{obn|2128}}<br />
* 「巨大教団追及・第47弾 揺れる「PL教団」「大本教」の後継者騒動と財産問題」、『週刊ポスト』昭和57年(1982年)7月30日号、p209、小学館、{{obn|2129}}<br />
* [[橋本信隆]]「真宗者の大本教批判──伊藤義賢を中心に」、『竜谷大学仏教文化研究所紀要』昭和57年(1982年)11月号〔通号21号〕、p127、竜谷大学仏教文化研究所、{{obn|2130}}<br />
* [[島田一男]]「現代宗教者に問う 大本教嗣・出口聖子」、『中央公論』昭和58年(1983年)2月号〔98巻2号〕、p194、中央公論社、{{obn|2131}}<br />
* [[出口栄二]]「強権政治による「近代化」と民衆宗教の対応──大本教弾圧事件の意味」、『社会科学討究』昭和58年(1983年)6月号〔28巻3号〕、p377~412、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2132}}<br />
* [[栗原彬]]「民衆にとっての平和──民衆宗教大本の平和思想を緒口に」、『平和研究』昭和58年(1983年)11月号〔8号〕、p121、日本平和学会、{{obn|2133}}<br />
* 「昭和の手紙 出口王仁三郎・すみの書簡」、『別冊太陽』昭和59年(1984年)6月25日号、p16、平凡社、{{obn|2134}}<br />
* [[尾辻克彦]]「教祖王仁三郎の精華」、『芸術新潮』昭和60年(1985年)3月号〔36巻3号〕、p64、新潮社、{{obn|2135}}<br />
* [[出口栄二]]「日本近代における政治と宗教のかかわり──祭神論争を通して」、『社会科学討究』昭和61年(1986年)12月号〔32巻2号〕、p331~364、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2136}}<br />
* [[薄井篤子]]「女性教祖の誕生」、『宗教研究』昭和62年(1987年)〔274号〕、宗教時報社、{{obn|2137}}<br />
* [[渡辺雅子]]「ちりめんの町における大本教の受容と展開」、『明治学院論叢』昭和62年(1987年)2月号〔通号403号〕、p1、明治学院大学、{{obn|2138}}<br />
* [[内藤国夫]]「神声天眼学会・倉田地久統理 言霊信仰の超過激<人はいま、なぜ新宗教に走るか(2)ふだん着の教祖サマかく語りき>」、『現代』昭和62年(1987年)3月号、p174~176、講談社、{{obn|2139}}<br />
* [[石川明保]]「中国が発祥 紅卍字会 人類最大の災厄に対処する術とは<日本の霊法集団4>」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)8月号、p42、全貌社、{{obn|2140}}<br />
* [[石川明保]]「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、{{obn|2141}}<br />
* 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、{{obn|2142}}<br />
* 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14-15、講談社、{{obn|2143}}<br />
* 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、{{obn|2144}}<br />
* [[野田晴巳]]「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、{{obn|2145}}<br />
* [[上之郷利昭]]「明治・大正・昭和 有名人おもしろまじめ交遊図巻 英文学者の入信で世間の評価を高めた大本教 出口王仁三郎、浅野和三郎」、『歴史読本臨時増刊』昭和63年(1988年)11月5日号、p92、新人物往来社、{{obn|2146}}<br />
<br />
== 平成 ==<br />
* [[四方田犬彦]]「書評 出口王仁三郎の「霊界物語」の復刊が始まった」、『SPA!』平成元年(1989年)6月21日号、p136、扶桑社、{{obn|2147}}<br />
* [[出口京太郎]]「大本の健康観とヒーリング(日本民間療法大観)」、『思想の科学』平成元年(1989年)10月号〔通号121号〕、p43~48、思想の科学社、{{obn|2148}}<br />
* [[出口京太郎]]「致知随想 世界平和を可能にする心」、『致知』平成2年(1990年)1月号、p95、致知出版社、{{obn|2149}}<br />
* [[滝沢誠]]・[[松本健一]]「対談 幻の大高麗国と出口王仁三郎」、『知識』平成2年(1990年)4月号〔通号100号〕、p254、彩文社、{{obn|2150}}<br />
* [[栗原彬]]「変容する社会主義 市民フォーラム・大本教・ネットワーキング」、『朝日ジャーナル臨時増刊』平成2年(1990年)6月20日号〔32巻24号〕、p150、朝日新聞社、{{obn|2151}}<br />
* [[山口文憲]]「日本ばちかん巡り 第3回 大本 霊界二都物語」、『芸術新潮』平成2年(1990年)9月号、p125、新潮社、{{obn|2152}}<br />
* 「TEMPO インシデント 亡くなった大本教3代教主「出口直日」の傷跡」、『週刊新潮』平成2年(1990年)10月4日号、p26、新潮社、{{obn|2153}}<br />
* [[平川宗信]]「第二次大本教治安維持法違反事件」、『別冊ジュリスト 109号 宗教判例百選(第二版)』平成3年(1991年)1月10日号、p232-233、有斐閣、{{obn|2154}}<br />
* [[早川和広]]「深層追及レポート 宗教界再編の目は立正佼成会、大本、黒住教」、『宝石』平成3年(1991年)2月号、p174、光文社、{{obn|2155}}<br />
* 「ひかり教会 至恩郷 岡本三典 “芸術家教祖”の遺作を守って<グラビア 平成の教祖たち(16)>」、『アサヒ芸能』平成3年(1991年)4月25日号、p96~97、徳間書店、{{obn|2156}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(1)」、『社会学論叢』平成3年(1991年)6月号〔通号111号〕、p75、日本大学社会学会、{{obn|2157}}<br />
* [[アレックス・カー]]「失われし美を求めて 第8回 大本教の国際部に就職し…」、『新潮45』平成3年(1991年)11月号、p164、新潮社、{{obn|2158}}<br />
* [[松本健一]]「中山みき・出口なお──神がかりする女性」、『彷書月刊』平成4年(1992年)〔8巻2号〕、弘隆社、{{obn|2159}}<br />
* 「墓碑銘 大本事件で迫害、拷問を受けた出口日出麿氏」、『週刊新潮』平成4年(1992年)1月16日号、p119、新潮社、{{obn|2160}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読7 増殖への憎悪」、『正論』平成4年(1992年)5月号、p340、産業経済新聞社、{{obn|2161}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、{{obn|2162}}<br />
* [[デ二ス・バッド・グレイ]]「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、{{obn|2163}}<br />
* [[鎌田東二]]「評論 大本霊学と内部生命論」『文芸』第31巻第3号、平成4年(1992年)8月、p296~302、河出書房新社、{{obn|2227}}<br />
* 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、{{obn|2194}}<br />
* [[松本健一]]「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、{{obn|2164}}<br />
* [[武田崇元]]「巨人・出口王仁三郎の黙示」、『ムー』平成5年(1993年)2月号〔15巻2号〕、p36、学習研究社、{{obn|2165}}<br />
* 「ドイモイ(刷新)の進む社会主義国ベトナムで復興著しいカオダイ教とは」、『VIEWS』平成5年(1993年)5月26日号、p119、講談社、{{obn|2166}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(2)」、『社会学論叢』平成5年(1993年)6月号〔通号117号〕、p61、日本大学社会学会、{{obn|2167}}<br />
* [[岡田信子]]「生きた、愛した、時代をつくった日本を創った女たち 第69回 大本教開祖 出口なお」、『週刊女性』平成5年(1993年)8月17日号、p174、主婦と生活社、{{obn|2168}}<br />
* [[佐高信]]「男言葉と改憲論」、『世界』平成6年(1994年)2月号、p238、岩波書店、{{obn|2169}}<br />
* [[佐高信]]「風速計 エスペラント(大本教のエスペラント運動支援)」、『週刊金曜日』平成7年(1995年)4月28日号、p4、金曜日、{{obn|2170}}<br />
* [[原田実]]「私が出会ったもうひとりの「カリスマ」──武田崇元とオカルト雑誌『ムー』、の軌跡」平成7年(1995年)11月号『宝島30』、p138~147、宝島社、{{obn|2171}}<br />
* [[武田崇元]](インタビュー・中島渉)「80年代オカルト一代記!」、『宝島30』平成8年(1996年)1月号、宝島社、{{obn|2172}}<br />
* [[大橋幸泰]]「安丸良夫著「出口なお」を読む」、『民衆史研究』平成8年(1996年)11月号〔通号52号〕、p16~25、民衆史研究会、{{obn|2173}}<br />
* [[南伸坊]]・[[能美勉]]「渥美清とヴィンセント・エドワーズ、ラスプーチンと出口王仁三郎、野口英世とマタ・ハリ」、『太陽』平成8年(1996年)11月号〔34巻12号〕、p149、博文館、{{obn|2174}}<br />
* 「(アートニュース)出口すみこの芸術・ほか」、『日経アート』平成11年(1999年)1月号〔12巻1号〕、p69~76、日本経済新聞社、{{obn|2175}}<br />
* [[武田崇元]]「昭和神聖会と出口王仁三郎」、『福神』平成11年(1999年)12月号〔通号2号〕、p46~56、福神研究所、{{obn|2176}}<br />
* [[武田崇元]]「平田篤胤から国家神道へ」、『福神』平成12年(2000年)3月号〔通号3号〕、p69~77、福神研究所、{{obn|2177}}<br />
* [[五十嵐太郎]]「復元思想の社会史(第19回)宗教建築の破壊と創造──大本教の弾圧をめぐって 」、『住宅建築』平成12年(2000年)8月号〔通号305号〕、p158、建築資料研究社、{{obn|2178}}<br />
* [[藤野七穂]]「偽史源流行(18)反大本運動の中の皇道宣揚会」、『歴史読本』平成13年(2001年)6月号、p220、新人物往来社、{{obn|2180}}<br />
* [[熊田一雄]]「大本聖師のトランスジェンダー志向を再考する 」、『愛知学院大学文学部紀要』平成14年(2002年)、p1、愛知学院大学文学会、{{obn|2181}}<br />
* [[広瀬浩二郎]]「人類愛善運動の史的意義──大本教のエスペラント・芸術・武道・農業への取り組み」、『国立民族学博物館研究報告』平成14年(2002年)〔27巻1号〕、p1-24、国立民族学博物館、{{obn|2182}}<br />
* [[津城寛文]]「国体思想・大本霊学・日蓮主義」、『神道宗教』平成14年(2002年)4月号、p128、神道宗教学会、{{obn|2183}}<br />
* [[森孝一]]「出口王仁三郎の陶芸について──出口王仁三郎とその一門の作品展より」、『陶説』平成14年(2002年)9月号〔通号594号〕、p46、日本陶磁協会、{{obn|2184}}<br />
* [[藤村耕治]]「大本と高橋和巳『邪宗門』──現実を峻拒する宗教」、『国文学 解釈と教材の研究』平成15年(2003年)5月号、p93、学灯社、{{obn|2185}}<br />
* [[熊田一雄]]「大衆宗教と男らしさ──出口王仁三郎の言説から」、『現代のエスプリ』平成16年(2004年)9月号2004年9月号、p163-172、ぎょうせい、{{obn|2186}}<br />
* [[窪田英樹]]「天皇制に関する研究──大本教典「霊界物語」の神格論を巡る第2次大本事件裁判記録」、『Journal of IOND University』平成17年(2005年)1月号、p193~223、イオンド大学出版局、{{obn|2187}}<br />
* [[兵頭晶子]]「大正期の「精神」概念──大本教と『変態心理』の相克を通して」平成17年(2005年)6月号(通号344号)『宗教研究』、p97~120、日本宗教学会、{{obn|2188}}<br />
* [[豊嶋泰國]]「出口王仁三郎 超凡の巨人か「怪物」か」、『歴史読本』平成18年(2006年)3月号、p130-136、新人物往来社、{{obn|2189}}<br />
* [[牧野史敬]]「出口王仁三郎の霊界に学ぶ」、『アネモネ』平成18年(2006年)4月号、p42-43、ビオ・マガジン、{{obn|2190}}<br />
* 「出口王仁三郎・すみ 信仰と弾圧の狭間で(総力特集 「功名が辻」もびっくり! 明治・大正・昭和 13の有名夫婦「怪」事件簿)」、『新潮45』平成18年(2006年)4月号、p42-44、新潮社、{{obn|2191}}<br />
* [[出口信一]]「イラン・ダマバンド山平和祈念祭典を奉仕して 「文明の衝突」から「文明の融和」への転換をめざす八岐大蛇退治を!」、『月刊日本』平成18年(2006年)7月号、p38-45、K&Kプレス、{{bib|7947107}}、{{obn|2223}}<br />
* [[出口信一]]「「文明の共存」実現への鍵を持つ「日本的神観」の再認識を」、『月刊日本』平成18年(2006年)11月号、p86-91、K&Kプレス、{{obn|2192}}<br />
* [[出口信一]](解説)「みやびのことば」、『アネモネ』平成19年(2007年)3月号、p20-21、ビオ・マガジン、{{obn|2193}}<br />
* [[鎌田東二]]「柳宗悦と宮沢賢治と出口王仁三郎における宗教と芸術」、『京都造形芸術大学紀要』第12号、平成19年(2007年)発行、p128-138、{{bib|10230726}}、{{obn|2197}}<br />
* [[早瀬圭一]]「出口王仁三郎──世界平和を目指した満州の地で、張作霖に裏切られた一行の運命は?(特集 石原莞爾と満洲帝国)」、『歴史読本』平成21年(2009年)9月号、p134-137、{{bib|10360682}}、{{obn|2198}}<br />
* [[吉永進一]]「大正期大本教の宗教的場──出口王仁三郎、浅野和三郎、宗教的遍歴者たち」、『舞鶴工業高等専門学校紀要』第45号、平成22年(2010年)3月発行、p69-80、{{bib|10758788}}、{{obn|2199}}<br />
* [[上本雄一郎]]「出口王仁三郎のユーモア──その作品と「屁」」、『国文学』平成22年(2010年)5月号、p81-89、{{bib|10651159}}、{{obn|2200}}<br />
* [[坪内隆彦]]「日本文明の先駆者(31)興亜陣営とともに理想郷建設の夢を描いた宗教家 出口王仁三郎」、『月刊日本』平成22年(2010年)6月号、p84-91、ケイアンドケイプレス、{{bib|10676986}}、{{obn|2201}}<br />
* [[三浦小太郎]]「近代の闇 闇の近代(第7回) 出口王仁三郎と大本教弾圧」、『月刊日本』平成24年(2012年)4月号、p56-61、ケイアンドケイプレス、{{bib|023499438}}、{{obn|2202}}<br />
* [[執行草舟]]「Shigyo Sosyu Collection 憂国の芸術(第3回)国士の涙 頭山満・出口王仁三郎」、『正論』平成26年(2014年)4月号、p14-17、産経新聞社、{{bib|025295817}}、{{obn|2203}}<br />
* [[水内勇太]]「皇道大本の思想と行動 皇道大本前史(特集 日本宗教史像の再構築 トランスナショナルヒストリーを中心として 近代日本宗教史における〈皇道〉のポリティクス)」、『人文学報』第108号、平成27年(2015年)発行、p85-96、京都大学人文科学研究所、{{bib|027062143}}、{{obn|2204}}<br />
* [[鎌田東二]]・[[安藤礼二]]「討議 隠された神々の世界を求めて 折口信夫と出口王仁三郎から(総特集 神道を考える)」、『現代思想』平成29年(2017年)2月臨時増刊号、p54-71、青土社、{{bib|028310074}}、{{obn|2205}}<br />
* [[徐玄九]]「昭和維新運動 大本教・出口王仁三郎を中心に」、『専修人間科学論集 社会学篇』第8号、平成30年(2018年)3月発行、p53-64、専修大学人間科学学会、{{bib|029089975}}、{{obn|2206}}<br />
* [[川島堅二]]「出口王仁三郎『霊界物語』とキリスト教──キリスト教土着の一事例として」、『人文学と神学』第16号、平成31年(2019年)3月発行、p1-12、東北学院大学学術研究会、{{bib|029655659}}、{{obn|2207}}<br />
<br />
== 令和 ==<br />
* [[河原信之]]「出口王仁三郎と船岡妙霊教会物語」、『丹波』第21号、令和元年(2019年)11月発行、p77-94、丹波史談会、{{bib|030182053}}、{{obn|2208}}<br />
* [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命」<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第1回)二〇二〇年と一九二〇年が問いかけるもの」、『三田文学』令和2年(2020年)夏季号、p234-243、三田文学会、{{bib|030559619}}、{{obn|2209}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第2回)世直しと言直し」、『三田文学』令和2年(2020年)秋季号、p216-227、三田文学会、{{bib|030697532}}、{{obn|2210}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第3回)大正十年の言直し」、『三田文学』令和3年(2021年)冬季号、p222-234、三田文学会、{{bib|031258382}}、{{obn|2211}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第4回)大正十年の言直し(2)予言の淵源 承久の乱と日蓮の予言」、『三田文学』令和3年(2021年)春季号、p236-247、三田文学会、{{bib|031420856}}、{{obn|2212}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第5回)大正十年の言直し(3)聖苦と笑いの物語戦略」、『三田文学』令和3年(2021年)夏季号、p212-225、三田文学会、{{bib|031608837}}、{{obn|2213}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第6回)物語の二相系 分岐する日の語りと月の語り」、『三田文学』令和3年(2021年)秋季号、p262-275、三田文学会、{{bib|031770498}}、{{obn|2214}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第7回)関東大震災とモンゴル奇行」、『三田文学』令和4年(2022年)冬季号、p238-249、三田文学会、{{bib|031945038}}、{{obn|2215}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第8回)人類愛善と万教同根」、『三田文学』令和4年(2022年)春季号、p216-228、三田文学会、{{bib|032114443}}、{{obn|2216}}<br />
* [[石原和]]「稲荷講社と出口王仁三郎──講社所管教会という視点から(第78回学術大会紀要特集 パネル 近代宗教政策下における「教団」未満の宗教者たち)」、『宗教研究 別冊』第93号、令和2年(2020年)3月30日発行、日本宗教学会、{{bib|031849681}}、{{obn|2217}}<br />
* [[島薗進]]「あなた自身の死生観のために(第6回)罪を贖うスサノオと出口王仁三郎、太宰治」、『一冊の本』令和2年(2020年)10月号、p14-19、朝日新聞出版、{{bib|030679834}}、{{obn|2218}}<br />
* [[佐々充昭]]「大本教の皇道宣揚運動と人類愛善会朝鮮本部の設立 出口王仁三郎と内田良平との提携を中心に」、『立命館文學』第675号、令和3年(2021年)10月号、p281-321、立命館大学人文学会、{{bib|031839368}}、{{obn|2219}}<br />
* [[小野耕資]]「風土と共同体に基づく経済(24)出口王仁三郎の皇道経済論」、『国体文化』第1172号、令和4年(2022年)1月号、p18-21、日本国体学会、{{bib|031892826}}、{{obn|2220}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:雑誌記事]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9B%91%E8%AA%8C%E8%A8%98%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7&diff=20354
雑誌記事一覧
2024-03-28T06:45:48Z
<p>IHiroaki: /* 昭和(19年まで) */</p>
<hr />
<div>'''雑誌記事一覧'''は、雑誌に掲載された[[王仁三郎]]・[[大本]]関連の記事の一覧。ただし大本関係機関紙誌に掲載された記事は除く。<br />
<br />
== 大正 ==<br />
* [[中村古峡]]「連載 余の観たる大本教」、『東亜の光』大正9年(1920年)3月号~、東亜協会、{{obn|2008}}<br />
* [[大山郁夫]]「社会問題として見たる最近に於ける迷信流行の傾向」、『中央公論』大正9年(1920年)9月号、p63、中央公論社、{{obn|2001}}<br />
* [[境野黄洋]](東洋大学長)「知識階級と大本教」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p117~118、博文館、{{obn|2002}}<br />
* [[高島平三郎]]「教祖出口直子は精神異常者」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p119~122、博文館、{{obn|2003}}<br />
* [[沢田撫松]]「公平無私のメスを揮って解剖したる疑問の大本教」、『新小説』大正9年(1920年)10月号、p1、春陽堂、{{obn|2004}}<br />
* [[本多日生]](大僧正)「我国為政者の覚醒を促す」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p113~117、博文館、{{obn|2005}}<br />
* [[沢田撫松]]「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、{{obn|2006}}<br />
* [[北野博美]]「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、{{obn|2007}}<br />
* [[今村力三郎]]「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、{{digimeta|10232073}}、{{obn|2009}}、{{obc|Z9011|霊界物語ネット}}<br />
* [[吉野作造]]「大本教神殿の取毀ち」、『中央公論』大正10年(1921年)11月号、p180-181、中央公論社、{{digimeta|10232079}}、{{obn|2222}}<br />
* [[川端康成]]「湯ガ島温泉」、『文藝春秋』大正14年(1925年)3月号、p7-9、{{obn|1941}} →単行本『伊豆の旅』(1954年、中央公論社)、中公文庫『伊豆の旅』(1981年)に収録 →「[[湯本館#川端康成]]」参照<br />
<br />
== 昭和(19年まで) ==<br />
* SKP(特派記者)「綾部探訪記 怪教大本の正体」『実業時代』昭和2年(1927年)11月号(第4巻第11号)、p112-120、実業時代社、{{obn|2228}}、{{Ndldl|1541155/1/74|}}<br />
* [[那須皓]]「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、{{obn|2010}}<br />
* [[中河与一]]「アジアの嵐 後日譚」、『新潮』昭和6年(1931年)1月号、頁未確認、新潮社、{{obn|2230}}<br />
** [[出口王仁三郎]]『[[更生日記]] 一の巻』(昭和6年4月)214~215頁に転載、{{ndldl|1137507/1/121}}<br />
** [[中河与一]]『偶然と文学』(昭和10年11月)341~342頁に転載、{{ndldl|1232758/1/175}}<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)10月号、p46、新潮社、{{obn|2011}}──{{pid|2967335/1/115|大宅壮一選集 第11(宗教・皇室)}}p.219、『[[昭和青年]]』昭和6年(1931年)12月号pp.47-52に西村保男の筆による「出口王仁三郎と大宅壮一の問答」という記事がある。<br />
* [[宇佐美武吉]]「[[日本言霊学概論]]」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、{{obn|2196}}<br />
* [[金王志武哉]]「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、{{obn|2012}}<br />
* [[金王志武哉]]「世界に伸びる出口王仁三郎」、『人の噂』昭和7年(1932年)6月号、p132、月旦社、{{obn|2013}}<br />
* 「世界紅卍字会と結び、満蒙に活躍する大本教」、『世界公論』昭和9年(1934年)1月1日号、p132、世界連邦公報社、{{obn|2014}}<br />
* [[水原祐]]「大本教は果して没落したか 怪人出口王仁三郎の正体」、『話』昭和10年(1935年)2月号、p196、文芸春秋社、{{obn|2015}}<br />
* [[千田二郎]]「大本教教主・出口王仁三郎」、『実業之世界』昭和10年(1935年)9月号、p42-48、実業之世界社、{{ndldl|10293199/31}}、{{obn|2224}} →加筆訂正して「[[邪教を裁く]]」に掲載された<br />
* 「座談会・怪教大本教を暴く(井上善吉・鳥羽重節・梅原眞隆ほか)」、『サンデー毎日』昭和10年(1935年)12月号、毎日新聞社、{{obn|2016}}<br />
* M・T・M「大本教検挙とニウス戦 新聞匿名月評」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p132、文芸春秋社、{{obn|2017}}<br />
* [[阿部真之助]]「妖怪・出口王仁三郎」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p166、文芸春秋社、{{obn|2018}}<br />
* [[高津正道]]「大本教検挙の考察」、『改造』昭和11年(1936年)1月号、p292、改造社、{{obn|2019}}<br />
* [[大宅壮一]]「大本教弾圧是非」、『日本評論』昭和11年(1936年)1月号、p577、日本評論新社、{{obn|2020}}<br />
* [[神岡阿矢夫]]「怪教「大本」を脱出して 一修業者のみたからくり」、『話』昭和11年(1936年)2月号、p20、文芸春秋社、{{obn|2021}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)6月号〔33巻6号〕、京都医学会、{{obn|2022}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)7月号〔33巻7号〕、京都医学会、{{obn|2023}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)8月号〔33巻8号〕、京都医学会、{{obn|2024}}<br />
* 「出口王仁三郎と大本教の信者達 動脈硬化と歯痛で獄中に悩む生き神様」、『話』昭和12年(1937年)12月号、p330、文芸春秋社、{{obn|2025}}<br />
<br />
== 昭和(20年~39年) ==<br />
* [[阿部真之助]]「大本教」、『サンデー毎日』昭和22年(1947年)3月2日号〔26巻10号〕、p14、毎日新聞社、{{obn|2026}}<br />
* [[直方敏]]「綾部の使徒行状記──続・大本教ものがたり」、『読物時事』昭和22年(1947年)9月1日号〔3巻7号〕、p8~9、時事通信社、{{obn|2027}}<br />
* [[駒沢三郎]]「女弥次将軍と呼ばれても 哀愁の大石ヨシエ(出口王仁三郎を知る)」、『政界ジープ』昭和22年(1947年)10月1日号〔通巻14号(2巻10号)〕、p29~31、政界ジープ社、{{obn|2028}}<br />
* 「出口王仁三郎昇天 百万円の葬式」、『週刊朝日』昭和23年(1948年)2月22日号、p9、朝日新聞社、{{obn|2029}}<br />
* 「喪服の山越え十八里」、『アサヒグラフ』昭和23年(1948年)2月25日号、p10、朝日新聞社、{{obn|2030}}<br />
* [[東大作]]「出口王仁三郎蒙古行状記」、『真相』昭和23年(1948年)5月1日号〔3巻6号〕、p21、人民社、{{obn|2031}}<br />
* 「王仁三郎の横顔」、『号外』(?)昭和23年(1948年)5月27日号〔第2集〕、p22、新史書房、{{obn|2032}}<br />
* [[石井純一]]「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、{{obn|2033}}<br />
* 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、{{obn|2034}}<br />
* 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、{{obn|2035}}<br />
* 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、{{obn|2036}}<br />
* 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、{{obn|2037}}<br />
* 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、{{obn|2038}}<br />
* 「王仁三郎師手造の楽焼茶碗鑑賞会」、『大道』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p39、{{obn|2039}}<br />
* [[東山三郎]]「出口王仁三郎と戦後の大本」、『同盟時報』昭和24年(1949年)11月号〔通号77・78号〕、p44、同盟通信社、{{obn|2040}}<br />
* 「豪華な遺跡 大本教」、『毎日グラフ』昭和25年(1950年)3月15日号、p8、毎日新聞社、{{obn|2041}}<br />
* 「出口家その後」、『アサヒグラフ』昭和27年(1952年)12月24日号、p12、朝日新聞社、{{obn|2042}}<br />
* 「ペンとカメラで…大本愛善苑」、『毎日グラフ』昭和28年(1953年)6月3日号、p6、毎日新聞社、{{obn|2043}}<br />
* [[林逸郎]]「大本教弾圧のかげに」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)1月号〔32巻16号〕、p116、文芸春秋社、{{obn|2044}}<br />
* [[薄田美朝]]「大本教攻略記」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)7月号〔32巻11号〕、p87、文芸春秋社、{{obn|2045}}<br />
* [[乾孝]]、[[松島栄一]]「教祖列伝 大本教」、『中央公論』昭和29年(1954年)9月号〔69巻9号〕、p188、中央公論社、{{obn|2046}}<br />
* [[唐沢俊樹]]「大本教手入れの前後──右翼革命の資金ルート遮断」、『信濃往来』昭和30年(1955年)2月号〔第5巻第2号〕、p22-23、信濃往来社、{{obn|2221}}<br />
* 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、{{obn|2047}}<br />
* [[大宅壮一]]「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、{{obn|2048}}<br />
* [[青地晨]]「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)9月号〔3巻10号〕、知性社、{{obn|2049}} →単行本『[[現代史の曲り角]]』に収録<br />
* [[山科小四郎]]「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、{{obn|2050}}<br />
* 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、{{obn|2051}}<br />
* 「三五教騒動記──手玉にとられた沼津市」、『週刊文春』昭和34年(1959年)11月16日号、p34~38、文芸春秋社、{{obn|2052}}<br />
* [[梅棹忠夫]]「日本探検 綾部・亀岡 大本教と世界連邦」、『中央公論』昭和35年(1960年)3月号〔75巻3号〕、p184、中央公論社、{{obn|2053}}<br />
* 「われこそは万能宗教 教団「大本」を訪ねる」、『毎日グラフ』昭和35年(1960年)4月17日号、p10、毎日新聞社、{{obn|2054}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 1」、『歴史評論』昭和35年(1960年)12月号〔通号124号〕、校倉書房、{{obn|2055}}<br />
* 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 2」、『歴史評論』昭和36年(1961年)1月号〔通号125号〕、校倉書房、{{obn|2056}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 3」、『歴史評論』昭和36年(1961年)2月号〔通号126号〕、校倉書房、{{obn|2057}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 4」、『歴史評論』昭和36年(1961年)3月号〔通号127号〕、校倉書房、{{obn|2058}}<br />
* [[前島不二雄]]「昭和神聖会運動」、『日本史研究』昭和36年(1961年)4月号〔通号54号〕、p66-69、日本史研究会、{{obn|2059}}<br />
* [[芳賀日出男]]「大本の芸能」、『芸能』昭和36年(1961年)4月号〔3巻4号〕、芸能発行所、{{obn|2060}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 5(完)」、『歴史評論』昭和36年(1961年)7月号〔通号131号〕、校倉書房、{{obn|2061}}<br />
* [[野上龍]]「ある新興宗教の教祖」、『文芸春秋』昭和39年(1964年)7月号、p246、文芸春秋社、{{obn|2062}}<br />
* 「連載 ひとつの人格(1~3)(出口栄二・著)」、『図書新聞』昭和39年(1964年)7月4日号~18日号、図書新聞社、{{obn|2063}}<br />
* [[黒田領治]]・他「(座談会)出口直日の陶芸」、『陶説』昭和39年(1964年)12月号〔通号141号〕、日本陶磁協会、{{obn|2064}}<br />
* [[前島不二雄]]「軍ファシズム運動と大本教」、『日本史研究』昭和39年(1964年)12月号〔通号75号〕、p60-78、日本史研究会、{{obn|2065}}<br />
<br />
== 昭和(40年~55年) ==<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、{{obn|2066}}<br />
* [[勝本清一郎]]「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、{{obn|2067}} →随筆集『[[こころの遠近]]』に収録<br />
* [[加藤秀俊]]「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、{{obn|2068}}<br />
* [[上田正昭]]「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、{{obn|2069}}<br />
* [[小沢信男]]「日本教育探検 大本教の青年」、『読書新聞』昭和41年(1966年)1月1日号、p11、{{obn|2070}}<br />
* [[松島栄一]]「教団大本 そのロゴスと、ミュトス」、『図書新聞』昭和42年(1967年)10月7日号、p1、図書新聞社、{{obn|2071}}<br />
* [[出口京太郎]]「出口王仁三郎を語る」、『今橋ニュース』昭和42年(1967年)12月号、p4、{{obn|2072}}<br />
* [[新名丈夫]]「大本事件(上)」、『歴史読本』昭和42年(1967年)12月号、p216、新人物往来社、{{obn|2073}}<br />
* [[末永勝介]]「日本性ゴウ伝7 恍惚の大教祖・出口王仁三郎」、『宝石』昭和43年(1968年)5月号、p280、光文社、{{obn|2074}}<br />
* 「突然銀座に躍り出た香港の“紅卍字会” 有名人をトリコにする中国“老祖のお告げ”」、『週刊サンケイ』昭和43年(1968年)11月11日号、p136、扶桑社、{{obn|2075}}<br />
* [[有竹修二]]「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、{{obn|2076}}<br />
* [[谷川徹三]]・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、{{obn|2077}}<br />
* [[高須令三]]「怪物・出口王仁三郎─その予言と警告─」、『経済往来』昭和45年(1970年)2月号、p228-242、経済往来社、{{obn|2226}}、(肩書きは「評論家」だが愛知主会幹部で医博の高須令三 →『[[明星記]]』参照)<br />
* [[出口栄二]]「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、{{obn|2078}}<br />
* [[出口京太郎]]「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、{{obn|2079}}<br />
* [[清水雅人]]「日本の秘密結社(5)弾圧下の新宗教 蓮門教・大本教・ひとのみち」、『伝統と現代』昭和46年(1971年)9月号、p170、伝統と現代社、{{obn|2080}}<br />
* [[小口偉一]]・[[村上重良]]「出口王仁三郎と戸田城聖」、『現代の眼』昭和47年(1972年)1月号〔13巻1号〕、p136、現代評論社、{{obn|2081}}<br />
* [[村上重良]]「近代日本と中国(28)大谷光瑞と出口王仁三郎」、『朝日ジャーナル』昭和47年(1972年)8月18日号〔14巻33号〕、p40、朝日新聞社、{{obn|2082}}<br />
* [[小沢信男]]「出口王仁三郎──世直し予言の組織者」、『別冊経済評論』昭和47年(1972年)11月号〔通号11号〕、p232、日本評論社、{{obn|2083}}<br />
* [[清水雅人]]「教祖と夢託 彼岸と此岸との往還の使者 大本教・出口王仁三郎」、『伝統と現代』昭和48年(1973年)1月号、p89、伝統と現代社、{{obn|2084}}<br />
* [[前田トシ子]]「続女人の書(6)出口なお──大本教開祖のお筆先」、『日本美術工芸』昭和48年(1973年)4月号〔通号415号〕、p62、日本美術工芸社、{{obn|2085}}<br />
* 「王仁三郎の“耀碗”がパリで評判」、『週刊現代』昭和48年(1973年)4月12日号、p35、講談社、{{obn|2086}}<br />
* 「宗教団体青年部に「青春とは何か」を問う 第5回 大本」、『プレイボーイ』昭和48年(1973年)4月17日号、p156、集英社、{{obn|2087}}<br />
* 「出口王仁三郎から生れた正統と異端」、『週刊文春』昭和48年(1973年)5月14日号、p155、文芸春秋社、{{obn|2088}}<br />
* [[佐木秋夫]]「現代五大教祖烈伝」、『創』昭和48年(1973年)6月号、p144、創出版、{{obn|2089}}<br />
* 「徹底分析 巨大宗教団体10派の実力者地図 大本教 保守派と進歩が混在」、『週刊大衆』昭和48年(1973年)8月23日号、p32、双葉社、{{obn|2090}}<br />
* [[梅原正紀]]「弾圧の嵐の中の出口王仁三郎家」、『文芸春秋』昭和49年(1974年)1月号〔52巻1号〕、p236、文芸春秋社、{{obn|2091}}<br />
* [[梅原正紀]]「経世済民への志向⦿の家(まことのいえ)<民衆宗教の原像(6)>」、『伝統と現代』昭和49年(1974年)1月号、p188、伝統と現代社、{{obn|2092}}<br />
* [[出口京太郎]]「巨人・出口王仁三郎パリに甦る──大本教祖の芸術作品がなぜこんなにも欧米人の心を捉えるのか」、『現代』昭和49年(1974年)2月号、p251-261、講談社、{{obn|2093}}<br />
* 「特集2 大本教団」、『季刊現代宗教』昭和50年(1975年)〔創刊号(1975春季)〕、エヌエス出版会、{{obn|2094}}<br />
* 「パリでプロ扱いされた、ワニサブローの陶器「飛鳥」」、『週刊新潮』昭和50年(1975年)1月2日号、p25、新潮社、{{obn|2095}}<br />
* 「⦿の家(まことのいえ) 世界連邦の建設をめざす<新宗教の“生き神さま”は語る(6)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)1月23日号、p38、双葉社、{{obn|2096}}<br />
* 「紀卍字会「内修・外慈」を説く不思議な修養団<新宗教の“生き神さま”は語る(13)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)3月13日号、p126、双葉社、{{obn|2097}}<br />
* [[北條明直]]「王仁三郎の茶わん」、『月刊ペン』昭和50年(1975年)9月号、p105、月刊ペン社、{{obn|2098}}<br />
* [[出口栄二]]「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、{{obn|2099}}<br />
* 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、{{obn|2100}}<br />
* 長尾和郎(評論家)「出口王仁三郎と世直し思想」(連載12 昭和人物史評伝)、『経済往来』昭和51年(1976年)3月号、230~241頁、{{obn|2229}}<br />
* [[飯田良一]]「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、{{obn|2101}}<br />
* 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、{{obn|2102}}<br />
* [[村上重良]]「特集 妻たちの歴史 出口王仁三郎とその妻すみ」、『伝統と現代』昭和52年(1977年)11月号、p45、伝統と現代社、{{obn|2103}}<br />
* 「求道集団 鈴鹿山脈の麓に潜む「マルチョンの家」とは」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)11月10日号、p64、新潮社、{{obn|2104}}<br />
* 「特集 新聞社説に見る昭和事件史 大本教事件」、『流動』昭和53年(1978年)9月号、p64、流動出版、{{obn|2105}}<br />
* 「大本教・出口王仁三郎は熾仁親王のご落胤!?」、『サンデー毎日』昭和53年(1978年)10月1日号、p172、毎日新聞社、{{obn|2106}}<br />
* [[出口京太郎]]「なぜ王仁三郎の未来予測が見直されるか」、『現代』昭和54年(1979年)6月号、p368、講談社、{{obn|2107}}<br />
* [[川村邦光]]「教祖における神がかりの意味をめぐって」、『論集』昭和55年(1980年)12月31日発行〔通号7号〕、東北印度学宗教学会、{{obn|2108}}<br />
* [[出口栄二]]「日本の近代化と宗教」、『社会科学討究』昭和55年(1980年)3月号〔25巻3号〕、p585~609、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2109}}<br />
* 「ミドル・リーダーの実力診断 大本教総長・出口京太郎43才“名門”は甦ったか」、『宝石』昭和55年(1980年)5月号、p208、光文社、{{obn|2110}}<br />
* [[鹿野政直]]「安丸良夫著「出口なお」」、『歴史評論』昭和55年(1980年)7月号〔通号363号〕、p90~93、校倉書房、{{obn|2111}}<br />
* [[梅原正紀]]「シリーズ新宗教の実像5 大本信仰に生きた人」、『創』昭和55年(1980年)12月号、p258、創出版、{{obn|2112}}<br />
* [[丸山照雄]]「宗教界をおおう「天皇制」の影──東本願寺和解と大本教内紛」、『朝日ジャーナル』昭和55年(1980年)12月12日号〔22巻50号〕、p28、朝日新聞社、{{obn|2113}}<br />
<br />
== 昭和(56年以降) ==<br />
* [[丸山照雄]]「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、{{obn|2114}}、{{ndldl|1771613/1/113}}<br />
* [[梅原正紀]]「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、{{obn|2115}}<br />
* [[有賀龍太]]「スメラミコト出口王仁三郎」、『天皇制研究』第3号=昭和56年(1981年)2月号、p20、JCA出版、{{bib|000000034339}}、{{obn|2225}}<br />
* [[近藤真男]]「国家権力との競合を論ず──大本教事件の場合」、『国士館大学政経論叢』昭和56年(1981年)3月号〔通号35号〕、p111、国士館大学政経学会、{{obn|2116}}<br />
* [[出口和明]]「大本教内紛の現状と改革への途」、『現代の眼』昭和56年(1981年)8月号〔22巻8号〕、p75、現代評論社、{{obn|2117}}<br />
* [[梅原正紀]]「失敗した大本教の“反乱”」、『人と日本』昭和56年(1981年)8月号、p92、行政通信社、{{obn|2118}}<br />
* 「巨大教団の財産追及 第13弾 大本ほか「分離騒動」と「財産」の相関を抉る」、『週刊ポスト』昭和56年(1981年)11月27日号、p222、小学館、{{obn|2119}}<br />
* 「戦後大本教団史の真相を語る」、『民族宗教研究』昭和57年(1982年)第1号、民族宗教研究所、{{obn|2120}}<br />
* [[栗原彬]]「郷(さと)の立替え立直し──出口王仁三郎」、『日本政治学会年報政治学』昭和57年(1982年)、p177、岩波書店、{{obn|2121}}<br />
* [[川村邦光]]「スティグマとカリスマの弁証法──教祖をめぐる一考察」、『宗教研究』昭和57年(1982年)〔25号〕、宗教時報社、{{obn|2122}}<br />
* [[寺井美奈子]]「昇華された恋愛感情──出口なお論」、『思想の科学』昭和57年(1982年)1月号、p15、思想の科学社、{{obn|2123}}<br />
* [[八代誠]]「骨肉の争い「大本教内紛」教団追放で紛争は泥沼化」、『創』昭和57年(1982年)1月号、p158、創出版、{{obn|2124}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ 出口栄二の追放処分」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2125}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2126}}<br />
* [[出口栄二]]「近代日本における「信教の自由」と「宗教弾圧」」、『社会科学討究』昭和57年(1982年)7月号〔27巻3号〕、p751~778、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2127}}<br />
* 「グラビア 昭和の顔60人 昭和10年」、『週刊文春』昭和57年(1982年)7月1日号巻頭、文芸春秋社、{{obn|2128}}<br />
* 「巨大教団追及・第47弾 揺れる「PL教団」「大本教」の後継者騒動と財産問題」、『週刊ポスト』昭和57年(1982年)7月30日号、p209、小学館、{{obn|2129}}<br />
* [[橋本信隆]]「真宗者の大本教批判──伊藤義賢を中心に」、『竜谷大学仏教文化研究所紀要』昭和57年(1982年)11月号〔通号21号〕、p127、竜谷大学仏教文化研究所、{{obn|2130}}<br />
* [[島田一男]]「現代宗教者に問う 大本教嗣・出口聖子」、『中央公論』昭和58年(1983年)2月号〔98巻2号〕、p194、中央公論社、{{obn|2131}}<br />
* [[出口栄二]]「強権政治による「近代化」と民衆宗教の対応──大本教弾圧事件の意味」、『社会科学討究』昭和58年(1983年)6月号〔28巻3号〕、p377~412、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2132}}<br />
* [[栗原彬]]「民衆にとっての平和──民衆宗教大本の平和思想を緒口に」、『平和研究』昭和58年(1983年)11月号〔8号〕、p121、日本平和学会、{{obn|2133}}<br />
* 「昭和の手紙 出口王仁三郎・すみの書簡」、『別冊太陽』昭和59年(1984年)6月25日号、p16、平凡社、{{obn|2134}}<br />
* [[尾辻克彦]]「教祖王仁三郎の精華」、『芸術新潮』昭和60年(1985年)3月号〔36巻3号〕、p64、新潮社、{{obn|2135}}<br />
* [[出口栄二]]「日本近代における政治と宗教のかかわり──祭神論争を通して」、『社会科学討究』昭和61年(1986年)12月号〔32巻2号〕、p331~364、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2136}}<br />
* [[薄井篤子]]「女性教祖の誕生」、『宗教研究』昭和62年(1987年)〔274号〕、宗教時報社、{{obn|2137}}<br />
* [[渡辺雅子]]「ちりめんの町における大本教の受容と展開」、『明治学院論叢』昭和62年(1987年)2月号〔通号403号〕、p1、明治学院大学、{{obn|2138}}<br />
* [[内藤国夫]]「神声天眼学会・倉田地久統理 言霊信仰の超過激<人はいま、なぜ新宗教に走るか(2)ふだん着の教祖サマかく語りき>」、『現代』昭和62年(1987年)3月号、p174~176、講談社、{{obn|2139}}<br />
* [[石川明保]]「中国が発祥 紅卍字会 人類最大の災厄に対処する術とは<日本の霊法集団4>」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)8月号、p42、全貌社、{{obn|2140}}<br />
* [[石川明保]]「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、{{obn|2141}}<br />
* 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、{{obn|2142}}<br />
* 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14-15、講談社、{{obn|2143}}<br />
* 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、{{obn|2144}}<br />
* [[野田晴巳]]「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、{{obn|2145}}<br />
* [[上之郷利昭]]「明治・大正・昭和 有名人おもしろまじめ交遊図巻 英文学者の入信で世間の評価を高めた大本教 出口王仁三郎、浅野和三郎」、『歴史読本臨時増刊』昭和63年(1988年)11月5日号、p92、新人物往来社、{{obn|2146}}<br />
<br />
== 平成 ==<br />
* [[四方田犬彦]]「書評 出口王仁三郎の「霊界物語」の復刊が始まった」、『SPA!』平成元年(1989年)6月21日号、p136、扶桑社、{{obn|2147}}<br />
* [[出口京太郎]]「大本の健康観とヒーリング(日本民間療法大観)」、『思想の科学』平成元年(1989年)10月号〔通号121号〕、p43~48、思想の科学社、{{obn|2148}}<br />
* [[出口京太郎]]「致知随想 世界平和を可能にする心」、『致知』平成2年(1990年)1月号、p95、致知出版社、{{obn|2149}}<br />
* [[滝沢誠]]・[[松本健一]]「対談 幻の大高麗国と出口王仁三郎」、『知識』平成2年(1990年)4月号〔通号100号〕、p254、彩文社、{{obn|2150}}<br />
* [[栗原彬]]「変容する社会主義 市民フォーラム・大本教・ネットワーキング」、『朝日ジャーナル臨時増刊』平成2年(1990年)6月20日号〔32巻24号〕、p150、朝日新聞社、{{obn|2151}}<br />
* [[山口文憲]]「日本ばちかん巡り 第3回 大本 霊界二都物語」、『芸術新潮』平成2年(1990年)9月号、p125、新潮社、{{obn|2152}}<br />
* 「TEMPO インシデント 亡くなった大本教3代教主「出口直日」の傷跡」、『週刊新潮』平成2年(1990年)10月4日号、p26、新潮社、{{obn|2153}}<br />
* [[平川宗信]]「第二次大本教治安維持法違反事件」、『別冊ジュリスト 109号 宗教判例百選(第二版)』平成3年(1991年)1月10日号、p232-233、有斐閣、{{obn|2154}}<br />
* [[早川和広]]「深層追及レポート 宗教界再編の目は立正佼成会、大本、黒住教」、『宝石』平成3年(1991年)2月号、p174、光文社、{{obn|2155}}<br />
* 「ひかり教会 至恩郷 岡本三典 “芸術家教祖”の遺作を守って<グラビア 平成の教祖たち(16)>」、『アサヒ芸能』平成3年(1991年)4月25日号、p96~97、徳間書店、{{obn|2156}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(1)」、『社会学論叢』平成3年(1991年)6月号〔通号111号〕、p75、日本大学社会学会、{{obn|2157}}<br />
* [[アレックス・カー]]「失われし美を求めて 第8回 大本教の国際部に就職し…」、『新潮45』平成3年(1991年)11月号、p164、新潮社、{{obn|2158}}<br />
* [[松本健一]]「中山みき・出口なお──神がかりする女性」、『彷書月刊』平成4年(1992年)〔8巻2号〕、弘隆社、{{obn|2159}}<br />
* 「墓碑銘 大本事件で迫害、拷問を受けた出口日出麿氏」、『週刊新潮』平成4年(1992年)1月16日号、p119、新潮社、{{obn|2160}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読7 増殖への憎悪」、『正論』平成4年(1992年)5月号、p340、産業経済新聞社、{{obn|2161}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、{{obn|2162}}<br />
* [[デ二ス・バッド・グレイ]]「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、{{obn|2163}}<br />
* [[鎌田東二]]「評論 大本霊学と内部生命論」『文芸』第31巻第3号、平成4年(1992年)8月、p296~302、河出書房新社、{{obn|2227}}<br />
* 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、{{obn|2194}}<br />
* [[松本健一]]「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、{{obn|2164}}<br />
* [[武田崇元]]「巨人・出口王仁三郎の黙示」、『ムー』平成5年(1993年)2月号〔15巻2号〕、p36、学習研究社、{{obn|2165}}<br />
* 「ドイモイ(刷新)の進む社会主義国ベトナムで復興著しいカオダイ教とは」、『VIEWS』平成5年(1993年)5月26日号、p119、講談社、{{obn|2166}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(2)」、『社会学論叢』平成5年(1993年)6月号〔通号117号〕、p61、日本大学社会学会、{{obn|2167}}<br />
* [[岡田信子]]「生きた、愛した、時代をつくった日本を創った女たち 第69回 大本教開祖 出口なお」、『週刊女性』平成5年(1993年)8月17日号、p174、主婦と生活社、{{obn|2168}}<br />
* [[佐高信]]「男言葉と改憲論」、『世界』平成6年(1994年)2月号、p238、岩波書店、{{obn|2169}}<br />
* [[佐高信]]「風速計 エスペラント(大本教のエスペラント運動支援)」、『週刊金曜日』平成7年(1995年)4月28日号、p4、金曜日、{{obn|2170}}<br />
* [[原田実]]「私が出会ったもうひとりの「カリスマ」──武田崇元とオカルト雑誌『ムー』、の軌跡」平成7年(1995年)11月号『宝島30』、p138~147、宝島社、{{obn|2171}}<br />
* [[武田崇元]](インタビュー・中島渉)「80年代オカルト一代記!」、『宝島30』平成8年(1996年)1月号、宝島社、{{obn|2172}}<br />
* [[大橋幸泰]]「安丸良夫著「出口なお」を読む」、『民衆史研究』平成8年(1996年)11月号〔通号52号〕、p16~25、民衆史研究会、{{obn|2173}}<br />
* [[南伸坊]]・[[能美勉]]「渥美清とヴィンセント・エドワーズ、ラスプーチンと出口王仁三郎、野口英世とマタ・ハリ」、『太陽』平成8年(1996年)11月号〔34巻12号〕、p149、博文館、{{obn|2174}}<br />
* 「(アートニュース)出口すみこの芸術・ほか」、『日経アート』平成11年(1999年)1月号〔12巻1号〕、p69~76、日本経済新聞社、{{obn|2175}}<br />
* [[武田崇元]]「昭和神聖会と出口王仁三郎」、『福神』平成11年(1999年)12月号〔通号2号〕、p46~56、福神研究所、{{obn|2176}}<br />
* [[武田崇元]]「平田篤胤から国家神道へ」、『福神』平成12年(2000年)3月号〔通号3号〕、p69~77、福神研究所、{{obn|2177}}<br />
* [[五十嵐太郎]]「復元思想の社会史(第19回)宗教建築の破壊と創造──大本教の弾圧をめぐって 」、『住宅建築』平成12年(2000年)8月号〔通号305号〕、p158、建築資料研究社、{{obn|2178}}<br />
* [[藤野七穂]]「偽史源流行(18)反大本運動の中の皇道宣揚会」、『歴史読本』平成13年(2001年)6月号、p220、新人物往来社、{{obn|2180}}<br />
* [[熊田一雄]]「大本聖師のトランスジェンダー志向を再考する 」、『愛知学院大学文学部紀要』平成14年(2002年)、p1、愛知学院大学文学会、{{obn|2181}}<br />
* [[広瀬浩二郎]]「人類愛善運動の史的意義──大本教のエスペラント・芸術・武道・農業への取り組み」、『国立民族学博物館研究報告』平成14年(2002年)〔27巻1号〕、p1-24、国立民族学博物館、{{obn|2182}}<br />
* [[津城寛文]]「国体思想・大本霊学・日蓮主義」、『神道宗教』平成14年(2002年)4月号、p128、神道宗教学会、{{obn|2183}}<br />
* [[森孝一]]「出口王仁三郎の陶芸について──出口王仁三郎とその一門の作品展より」、『陶説』平成14年(2002年)9月号〔通号594号〕、p46、日本陶磁協会、{{obn|2184}}<br />
* [[藤村耕治]]「大本と高橋和巳『邪宗門』──現実を峻拒する宗教」、『国文学 解釈と教材の研究』平成15年(2003年)5月号、p93、学灯社、{{obn|2185}}<br />
* [[熊田一雄]]「大衆宗教と男らしさ──出口王仁三郎の言説から」、『現代のエスプリ』平成16年(2004年)9月号2004年9月号、p163-172、ぎょうせい、{{obn|2186}}<br />
* [[窪田英樹]]「天皇制に関する研究──大本教典「霊界物語」の神格論を巡る第2次大本事件裁判記録」、『Journal of IOND University』平成17年(2005年)1月号、p193~223、イオンド大学出版局、{{obn|2187}}<br />
* [[兵頭晶子]]「大正期の「精神」概念──大本教と『変態心理』の相克を通して」平成17年(2005年)6月号(通号344号)『宗教研究』、p97~120、日本宗教学会、{{obn|2188}}<br />
* [[豊嶋泰國]]「出口王仁三郎 超凡の巨人か「怪物」か」、『歴史読本』平成18年(2006年)3月号、p130-136、新人物往来社、{{obn|2189}}<br />
* [[牧野史敬]]「出口王仁三郎の霊界に学ぶ」、『アネモネ』平成18年(2006年)4月号、p42-43、ビオ・マガジン、{{obn|2190}}<br />
* 「出口王仁三郎・すみ 信仰と弾圧の狭間で(総力特集 「功名が辻」もびっくり! 明治・大正・昭和 13の有名夫婦「怪」事件簿)」、『新潮45』平成18年(2006年)4月号、p42-44、新潮社、{{obn|2191}}<br />
* [[出口信一]]「イラン・ダマバンド山平和祈念祭典を奉仕して 「文明の衝突」から「文明の融和」への転換をめざす八岐大蛇退治を!」、『月刊日本』平成18年(2006年)7月号、p38-45、K&Kプレス、{{bib|7947107}}、{{obn|2223}}<br />
* [[出口信一]]「「文明の共存」実現への鍵を持つ「日本的神観」の再認識を」、『月刊日本』平成18年(2006年)11月号、p86-91、K&Kプレス、{{obn|2192}}<br />
* [[出口信一]](解説)「みやびのことば」、『アネモネ』平成19年(2007年)3月号、p20-21、ビオ・マガジン、{{obn|2193}}<br />
* [[鎌田東二]]「柳宗悦と宮沢賢治と出口王仁三郎における宗教と芸術」、『京都造形芸術大学紀要』第12号、平成19年(2007年)発行、p128-138、{{bib|10230726}}、{{obn|2197}}<br />
* [[早瀬圭一]]「出口王仁三郎──世界平和を目指した満州の地で、張作霖に裏切られた一行の運命は?(特集 石原莞爾と満洲帝国)」、『歴史読本』平成21年(2009年)9月号、p134-137、{{bib|10360682}}、{{obn|2198}}<br />
* [[吉永進一]]「大正期大本教の宗教的場──出口王仁三郎、浅野和三郎、宗教的遍歴者たち」、『舞鶴工業高等専門学校紀要』第45号、平成22年(2010年)3月発行、p69-80、{{bib|10758788}}、{{obn|2199}}<br />
* [[上本雄一郎]]「出口王仁三郎のユーモア──その作品と「屁」」、『国文学』平成22年(2010年)5月号、p81-89、{{bib|10651159}}、{{obn|2200}}<br />
* [[坪内隆彦]]「日本文明の先駆者(31)興亜陣営とともに理想郷建設の夢を描いた宗教家 出口王仁三郎」、『月刊日本』平成22年(2010年)6月号、p84-91、ケイアンドケイプレス、{{bib|10676986}}、{{obn|2201}}<br />
* [[三浦小太郎]]「近代の闇 闇の近代(第7回) 出口王仁三郎と大本教弾圧」、『月刊日本』平成24年(2012年)4月号、p56-61、ケイアンドケイプレス、{{bib|023499438}}、{{obn|2202}}<br />
* [[執行草舟]]「Shigyo Sosyu Collection 憂国の芸術(第3回)国士の涙 頭山満・出口王仁三郎」、『正論』平成26年(2014年)4月号、p14-17、産経新聞社、{{bib|025295817}}、{{obn|2203}}<br />
* [[水内勇太]]「皇道大本の思想と行動 皇道大本前史(特集 日本宗教史像の再構築 トランスナショナルヒストリーを中心として 近代日本宗教史における〈皇道〉のポリティクス)」、『人文学報』第108号、平成27年(2015年)発行、p85-96、京都大学人文科学研究所、{{bib|027062143}}、{{obn|2204}}<br />
* [[鎌田東二]]・[[安藤礼二]]「討議 隠された神々の世界を求めて 折口信夫と出口王仁三郎から(総特集 神道を考える)」、『現代思想』平成29年(2017年)2月臨時増刊号、p54-71、青土社、{{bib|028310074}}、{{obn|2205}}<br />
* [[徐玄九]]「昭和維新運動 大本教・出口王仁三郎を中心に」、『専修人間科学論集 社会学篇』第8号、平成30年(2018年)3月発行、p53-64、専修大学人間科学学会、{{bib|029089975}}、{{obn|2206}}<br />
* [[川島堅二]]「出口王仁三郎『霊界物語』とキリスト教──キリスト教土着の一事例として」、『人文学と神学』第16号、平成31年(2019年)3月発行、p1-12、東北学院大学学術研究会、{{bib|029655659}}、{{obn|2207}}<br />
<br />
== 令和 ==<br />
* [[河原信之]]「出口王仁三郎と船岡妙霊教会物語」、『丹波』第21号、令和元年(2019年)11月発行、p77-94、丹波史談会、{{bib|030182053}}、{{obn|2208}}<br />
* [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命」<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第1回)二〇二〇年と一九二〇年が問いかけるもの」、『三田文学』令和2年(2020年)夏季号、p234-243、三田文学会、{{bib|030559619}}、{{obn|2209}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第2回)世直しと言直し」、『三田文学』令和2年(2020年)秋季号、p216-227、三田文学会、{{bib|030697532}}、{{obn|2210}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第3回)大正十年の言直し」、『三田文学』令和3年(2021年)冬季号、p222-234、三田文学会、{{bib|031258382}}、{{obn|2211}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第4回)大正十年の言直し(2)予言の淵源 承久の乱と日蓮の予言」、『三田文学』令和3年(2021年)春季号、p236-247、三田文学会、{{bib|031420856}}、{{obn|2212}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第5回)大正十年の言直し(3)聖苦と笑いの物語戦略」、『三田文学』令和3年(2021年)夏季号、p212-225、三田文学会、{{bib|031608837}}、{{obn|2213}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第6回)物語の二相系 分岐する日の語りと月の語り」、『三田文学』令和3年(2021年)秋季号、p262-275、三田文学会、{{bib|031770498}}、{{obn|2214}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第7回)関東大震災とモンゴル奇行」、『三田文学』令和4年(2022年)冬季号、p238-249、三田文学会、{{bib|031945038}}、{{obn|2215}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第8回)人類愛善と万教同根」、『三田文学』令和4年(2022年)春季号、p216-228、三田文学会、{{bib|032114443}}、{{obn|2216}}<br />
* [[石原和]]「稲荷講社と出口王仁三郎──講社所管教会という視点から(第78回学術大会紀要特集 パネル 近代宗教政策下における「教団」未満の宗教者たち)」、『宗教研究 別冊』第93号、令和2年(2020年)3月30日発行、日本宗教学会、{{bib|031849681}}、{{obn|2217}}<br />
* [[島薗進]]「あなた自身の死生観のために(第6回)罪を贖うスサノオと出口王仁三郎、太宰治」、『一冊の本』令和2年(2020年)10月号、p14-19、朝日新聞出版、{{bib|030679834}}、{{obn|2218}}<br />
* [[佐々充昭]]「大本教の皇道宣揚運動と人類愛善会朝鮮本部の設立 出口王仁三郎と内田良平との提携を中心に」、『立命館文學』第675号、令和3年(2021年)10月号、p281-321、立命館大学人文学会、{{bib|031839368}}、{{obn|2219}}<br />
* [[小野耕資]]「風土と共同体に基づく経済(24)出口王仁三郎の皇道経済論」、『国体文化』第1172号、令和4年(2022年)1月号、p18-21、日本国体学会、{{bib|031892826}}、{{obn|2220}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:雑誌記事]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9C%8A%E7%95%8C%E7%89%A9%E8%AA%9E%E7%AC%AC1%E5%B7%BB%E3%81%AE%E8%AB%B8%E6%9C%AC%E7%9B%B8%E9%81%95%E7%82%B9&diff=20353
霊界物語第1巻の諸本相違点
2024-03-27T03:35:17Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>{{RmSyohonSouiten|第1巻}}<br />
* 第1巻・第2巻・第27巻の御校正本は現存しないため、各版の編者が、戦前の版を元に、御校正本の他の巻の校正状況を参考にして編纂したようである。<br />
* 「初」は大正10年12月30日発行の初版のこと。<br />
* 「六」は大正14年2月8日発行の第六版のこと。<br />
<br />
----<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p44||確定的'''な'''ものではない。<br />
|-<br />
|愛||p3||確定的'''の'''ものではない。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p45||早く改心して下されよ。<br />
|-<br />
|愛||p4||早く改心'''いた'''して下されよ。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p47||悪を'''懲らし'''<br />
|-<br />
|愛||p8||悪を'''懲し'''<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p49下||確'''古'''不動の権力を<br />
|-<br />
|愛||p12||確'''固'''不動の権力を<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||着ること'''も'''できず、<br />
|-<br />
|愛||p22||着ることできず、<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||その'''御蔭'''によつて<br />
|-<br />
|愛||p22||その'''お蔭'''によつて<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||感謝のみの生活を'''楽しむ'''ことが<br />
|-<br />
|愛||p22||感謝のみの生活を'''楽む'''ことが<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p55上||『あの物音は'''何ん'''でせうか』<br />
|-<br />
|愛||p28||『あの物音は'''何'''でせうか』<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p57下||湯も水も修'''業'''中には禁制である。<br />
|-<br />
|愛||p34||湯も水も修'''行'''中には禁制である。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p58下||その修'''業'''が積んで、<br />
|-<br />
|愛||p38||その修'''行'''が積んで、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p59下||その水に美しい三十'''才'''余りの青年が<br />
|-<br />
|愛||p39||その水に美しい三十'''歳'''余りの青年が<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p60下||一度にパツ'''と'''消えて、<br />
|-<br />
|愛||p43||一度にパツ'''ト'''消えて、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p61下||前の「中」とい'''う'''鬼が現はれ、<br />
|-<br />
|愛||p45||前の「中」とい'''ふ'''鬼が現はれ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p65下||天国も地獄も皆自己の身魂より顕出する'''と'''。<br />
|-<br />
|愛||p55||天国も地獄も皆自己の身魂より顕出する。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p70下||大悪ただちに<br />
|-<br />
|愛||p68||大悪'''は'''ただちに<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p71上||右の方へ一目散に'''駈'''け出した。<br />
|-<br />
|愛||p70||右の方へ一目散に'''駆'''け出した。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p73上||また飛びつかうと狙'''う'''その時、<br />
|-<br />
|愛||p76||また飛びつかうと狙'''ふ'''その時、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p76下||神様に願つて許していただきたいと'''歎願'''した。<br />
|-<br />
|愛||p84||神様に願つて許していただきたいと'''嘆願'''した。<br />
|-<br />
|校||p84||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p112||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p78下||自分ながら実に涼しい<br />
|-<br />
|愛||p91||自分ながら'''も'''実に涼しい<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p81下||'''現'''界にて一層早く見ることもある。<br />
|-<br />
|愛||p99||'''限'''界にて一層早く見ることもある。<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p82下||諸罪悪に充'''み'''満ちて、<br />
|-<br />
|愛||p101||諸罪悪に充'''ち'''満ちて、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p83上||神界の修'''業'''に参加し、<br />
|-<br />
|愛||p102||神界の修'''行'''に参加し、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p144||神界平定後は'''天津日嗣命が現界を治め給ひ'''、国常立尊は幽政を総纜し給ひ、<br />
|-<br />
|六||p139||神界平定後は'''天津日継命が現界を治め給ひ'''、国常立尊は幽政を総纜し給ひ、(初版と同じだが、「嗣」が「継」になっている)<br />
|-<br />
|普||p65下||神界平定後は国常立の尊は幽政を総纜したまい、<br />
|-<br />
|校||p104||神界平定後は、国常立尊は幽政を総纜したまひ、<br />
|-<br />
|八||p83下||六版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p104||校定版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||{{Serious}}「嗣」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p83下||諸々の'''計画'''をめぐらしつつあるのである。<br />
|-<br />
|愛||p104||諸々の'''悪計'''をめぐらしつつあるのである。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p84下||神から'''充'''分保護をするから、<br />
|-<br />
|愛||p107||神から'''十'''分保護をするから、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p90下||雨が'''降'''すぎても<br />
|-<br />
|愛||p124||雨が'''降り'''すぎても<br />
|-<br />
|校||p124||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p91上||我'''儘'''放肆な人間の身魂に<br />
|-<br />
|愛||p125||我'''侭'''放肆な人間の身魂に<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(侭は儘の異体字。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p91上||数多の竜神がお現れになつた。<br />
|-<br />
|愛||p126||数多の竜神がお現'''は'''れになつた。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p96下||風雨電雷を叱'''咤'''し、<br />
|-<br />
|愛||p141||風雨電雷を叱'''咜'''し、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(一般には「叱咤」だが「叱咜」とも書く)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p192||故に'''人間界'''は竜神界よりも一段上で尊とく<br />
|-<br />
|校||p141||「人間界」<br />
|-<br />
|修||p174||「人間」<br />
|-<br />
|愛||p141||「人間界」<br />
|-<br />
|R|| ||「人間界」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p98上||瑞の御'''霊'''を舌の剣、<br />
|-<br />
|愛||p145||瑞の御'''魂'''を舌の剣、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p100上||密'''義'''を凝らした。<br />
|-<br />
|愛||p151||密'''議'''を凝らした。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p102上||竹熊はなほ懲りずに、<br />
|-<br />
|愛||p156||竹熊はなほ懲りず'''ま'''に、<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ(「ま」は誤字だと思うので「懲りずに」にする。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p109上||三部将は'''あたま'''の風軍を引きつれ、<br />
|-<br />
|愛||p175||三部将は'''あまた'''の風軍を引きつれ、<br />
|-<br />
|校||p176||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p111下||三個の珠を一個づつ捧'''持'''して<br />
|-<br />
|愛||p183||三個の珠を一個づつ捧'''拝'''(ほうぢ)して<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ(「ほうぢ」とルビが振ってあるので「拝」は誤字だと思われる。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p112上||実に想'''像'''するに<br />
|-<br />
|愛||p185||実に想'''察'''するに<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p114下||これまで'''数度'''の戦ひに<br />
|-<br />
|愛||p193||これまで'''数多(あまた)'''の戦ひに<br />
|-<br />
|校||p193||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|六||p257||「数度(あまた)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p115上||かかる魔軍に計画あらむとは露だ'''に'''知らず、<br />
|-<br />
|愛||p193||かかる魔軍に計画あらむとは露だ'''も'''知らず、<br />
|-<br />
|校||p193||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p115下||信天翁の背に'''固'''く結びつけ、<br />
|-<br />
|愛||p194||信天翁の背に'''堅'''く結びつけ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p118下||或ひは水上に浮'''か'''び、<br />
|-<br />
|愛||p202||或ひは水上に浮(う)び、 (「か」が抜けている)<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
<br />
<hr style="height:2px;"><br />
{{Serious}}玉を手に入れた12柱の神司のうち、<br />
* 「亀若」が、校定版・八幡版・愛世版の第38章で、「亀彦」になっている。 →「[[亀若]]」「[[亀彦]]」<br />
* 「倉高」が、全ての版の第38章で、「高倉」になっている。 →「[[倉高]]」「[[高倉]]」<br />
** 霊界物語ネットでは、最初は「高倉」にしていたが、2016/12/24に読者の混乱を避けるため「倉高」に直した。<br />
* 「森鷹彦」が、初版以外の版の第38章で、「森高彦」になっている。 →「[[森鷹彦]]」「[[森高彦]]」<br />
** 霊界物語ネットでは、最初は「森高彦」にしていたが、2015/5/2に初版で確認したので「森鷹彦」に直した。<br />
(下記参照)<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p282(第38章)||田依彦、玉彦、芳彦、神彦、鶴若、'''亀若'''、'''高倉'''、杉生彦、高杉別、'''森鷹彦'''、猿彦、時彦 <玉を手に入れた12柱の神司><br />
|-<br />
|普||p106下||「亀若」「高倉」「森高彦」<br />
|-<br />
|校||p205||「亀彦」「高倉」「森高彦」<br />
|-<br />
|八||p119下||校定版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p205||校定版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||「亀若」「倉高」「森鷹彦」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p273(第37章)||高杉別、'''森鷹彦'''、田依彦、玉彦、芳彦、神彦、鶴若、'''亀若'''、'''倉高'''、杉生彦、時彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p199||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p199||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p303(第41章)||神彦、芳彦、高杉別、'''森鷹彦'''、鶴若、'''亀若'''、'''倉高'''、時彦、杉生彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p220||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p220||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p315(第42章)||芳彦、神彦、'''倉高'''、杉生彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p228||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p229||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
<hr style="height:2px;"><br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p122上||'''悪神(あくかみ)'''の仕組は<br />
|-<br />
|愛||p212||'''悪霊(あくがみ)'''の仕組は<br />
|-<br />
|校||p212||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|六||p281||「悪神(あくがみ)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p130上||亀若は緑の玉を生命'''を'''かけて<br />
|-<br />
|愛||p236||亀若は緑の玉を生命'''に'''かけて<br />
|-<br />
|校||p235||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p131下||如何にと待ち'''詫'''びた。<br />
|-<br />
|愛||p240||如何にと待ち'''詑'''びた。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(「詫」と「詑」は全く別字)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p135上||竹熊も武熊別も'''二神'''の誠意を疑はず、<br />
|-<br />
|愛||p250||竹熊も武熊別も'''二神司(にしん)'''の誠意を疑はず、<br />
|-<br />
|校||p249||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p333||「二神((に)しん)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(同じ章に「二神司」は5回使われているが「二神」は他には使われていないので「二神」は「二神司」の誤字誤植と判断する)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p135下||これより'''ふたり'''は竹熊の信任をえ、<br />
|-<br />
|愛||p250||これより'''二神司(にしん)'''は竹熊の信任をえ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p136下||と種々の虚'''儀'''を並べ、<br />
|-<br />
|愛||p252||と種々の虚'''偽'''を並べ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p139上||森鷹彦の'''変心'''に<br />
|-<br />
|愛||p261||森鷹彦の'''変身'''に<br />
|-<br />
|校||p261||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p349||「変心(へんしん)」<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
<br />
----<br />
== 竜世姫 ==<br />
[[竜世姫]]は、第1巻では2つの章に計4回出るが、版によって「竜代姫」と「竜世姫」という表記がある。第2巻では初版から全て「竜世姫」である。そのため「竜代姫」は誤表記と考えて、霊界物語ネットでは全て「竜世姫」という表記にする。<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
| || ||{{rm|1|47|エデン城塞陥落}}<br />
|-<br />
|初||p351||森鷹彦、竜'''代'''姫命、小島別命等の<br />
|-<br />
|六||p337||「代」<br />
|-<br />
|校||p252||「代」 ただし「森鷹彦、竜'''代'''姫、小島別等の」で「命」が省かれている。<br />
|-<br />
|愛||p252||「代」 校定版と同じく「命」が省かれている。<br />
|-<br />
|R|| ||「世」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
| || ||{{rm|1|48|鬼熊の終焉}}<br />
|-<br />
|初||p355-357||「竜'''代'''姫」が3回<br />
|-<br />
|六||p340-342||全て「代」<br />
|-<br />
|校||p254-256||全て「世」<br />
|-<br />
|愛||p254-256||「世」「代」「世」<br />
|-<br />
|R|| ||全て「世」<br />
|}<br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:霊界物語の諸本相違点]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE&diff=20352
大正日日新聞社
2024-03-21T17:52:28Z
<p>IHiroaki: /* 略史 */</p>
<hr />
<div>[[ファイル:大正日日新聞復刊第1号.jpg|thumb|大正日日新聞の復刊第1号。大本が買収してから約1ヶ月後の大正9年(1920年)9月25日に復刊した。]]<br />
<br />
'''大正日日新聞社'''(たいしょうにちにちしんぶんしゃ)は、大正9年から11年にかけて[[大本]]が経営していた新聞社。もともとは日刊の一般紙を発行していた会社を大本が買収し、大本の主張を載せる新聞になった。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[ファイル:大正日日新聞社の社屋.jpg|thumb|大正日日新聞社の社屋。]]<br />
[[ファイル:大正日日新聞社のマーク.jpg|thumb|大正日日新聞社のマーク。]]<br />
[[ファイル:大正日日新聞の題字.jpg|thumb|100px|大正日日新聞の題字。]]<br />
<br />
* 表記ゆれ:大正日々新聞社<br />
* 霊界物語にも何度か名前が出る。初出:{{rm09|2|0003|総説}}<br />
* 社屋は二階建ての洋館である。現在「HEP NAVIO」(旧・ナビオ阪急)が建っている場所に社屋があったようである。当時の住所は「大阪市北野角田町333番地」。(住所と、実際に社屋が建っていた位置について疑義がある→「[[トーク:大正日日新聞社]]」)<br />
<br />
== 略史 ==<br />
大正8年(1919年)11月25日、大阪・梅田で大正日日新聞社が創立された。前年(大正7年)の白虹事件(はっこうじけん、大阪朝日新聞の記事に不穏当な表現があったことによる言論弾圧事件)によって大阪朝日を退社した人たちが、勝本忠兵衛(大阪の商人で鉄成金)の出資で創立したもので、大阪朝日を退社した鳥居素川(とりい そせん)を主筆兼編集局長とし、大阪朝日の退社組を始め当時一流のジャーナリストたちが参加した。社長は貴族院議員の藤村義朗で、資本金は200万円<ref>大正9年(1920年)と平成27年(2015年)の貨幣価値を米価で計算すると現在は当時の約1000倍、大卒初任給は約5000倍なので、当時の200万円は現在の20億~100億円くらいか?</ref>で、大阪朝日新聞や大阪毎日新聞と肩を並べうるほどの新聞であった(当時の朝日の資本金は150万円)。<ref name="B195401c2351">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2351|日刊新聞の経営}}」</ref><br />
<br />
しかし朝日・毎日の販売網を破ることが出来ず、経営難に陥り、一年足らずで身売りをする羽目になった。大本に買収の話が持ち込まれ、大正9年(1920年)7月中旬から交渉が行われた。8月5日に亀岡で買収の仮契約が、8月14日に本契約が取り交わされた。買収金額は表面的には35万円とされたが、実際には50万円が支払われた。<ref name="B195401c2351" /><br />
<br />
最初の主な人事は、社主・[[出口王仁三郎]]、社長・[[浅野和三郎]]、編集局長・[[岩田久太郎]]、編集顧問・鳥居素川などであった。信者ではない旧社員と、信者との混成であったため、意見の対立が絶えず、軋轢が生じたものの、9月25日に復刊第一号を発行。発行部数は48万部だった。<ref name="B195401c2351" /> (ちなみに大阪毎日新聞の大正10年元日時点での発行部数は約69万部<ref>小野秀雄・著『大阪毎日新聞社史』(大正14年4月、大阪毎日新聞社・東京日日新聞社)p140~141([https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1021556/82 NDLDC])には大阪毎日新聞の大正3年から13年までの元旦号の発行部数が掲載されている。それによると大正8年は513,414部、9年は602,408部、10年は686,539部、11年は824,941部である。</ref>、大阪朝日新聞の大正10年上半期の平均実売部数は約48万部である<ref>山本武利『近代日本の新聞読者層』(1981年、法政大学出版局)p410~411の「別表4 『朝日新聞』の発行部数(1日)」による。勘定報告書(営業報告書)の決算上半期の平均実売部数で、大正8年は384,242部、9年は396,501部、10年は483,557部、11年は584,222部である。</ref>。)<br />
<br />
紙面は、大本神諭の予言と警告を時事問題と付き合わせて一般の人々にも理解しやすく解説し、立替え立直しの神意を伝え、社会の革正を促そうという主張が内包されていた。<ref name="B195401c2352">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2352|新聞の論調}}」</ref><br />
<br />
ライバル各紙や当局の圧力があったものの、社長の浅野和三郎はあくまでも大正10年に大峠が起きるという主張([[大正十年立替説]])を変えず、その論調が大本的色彩が濃くなるにつれて一般の購読者が減少し、復刊から三ヵ月後には発行部数が20万部に減少した。また70人ほどいた旧社員が他社に引き抜かれわずか10数人となる。<ref name="B195401c2352" /> <ref name="B195401c2353">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2353|新聞と信者の立場}}」</ref><br />
<br />
経営が苦しくなり、大正10年(1921年)1月13日<ref>『[[大本年表]]』では1月13日。『大本七十年史』では王仁三郎は「一二日から、本社の社長室に起居して、その陣頭指揮にあたった」と書いてある。</ref>、浅野和三郎は退陣し、出口王仁三郎が社長に就任して陣頭指揮にあたったが、挽回は容易ではなかった。<ref name="B195401c2353" /><br />
<br />
その一ヶ月後、2月12日、大本事件が勃発し、王仁三郎は社長室から拘引されてしまう。だがその後も大正日日新聞の発行は続けられた。<ref name="B195401c2354">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c2354|抵抗と閉社}}」</ref><br />
<br />
当初は当局により報道管制が敷かれ大本事件に関する報道は禁じられていたが、5月10日に解禁になると全国の新聞は一斉に大本批判を繰り広げ、大本は陰謀団、妖教、国賊との汚名が広がる。これに対して大正日日新聞は当局の不法をなじり、事件を法難とし、大本擁護の論陣を張った。<ref name="B195401c2354" /><br />
<br />
5月25日、王仁三郎は社長を退任し、[[上滝七五郎]]が就任した。しかし社会の誤解は拭えず、また当局の圧迫が増して経営はいよいよ困難となり、7月21日には[[高木鉄男]]が社長となる。8月3日には本社を梅田から淀川の河畔の天満筋四丁目に移転。11月24日には[[御田村竜吉]]が社長となる。そしてついに大正11年7月15日、大正日日新聞社は[[床次正広]](政治家の[[床次竹二郎]]の弟)<ref>床次正広は後に大本に入信した。出口京太郎『[[巨人出口王仁三郎]]』p220「床次の弟の正広は大正日日新聞社を王仁三郎から買い取った人だが、のちには大本ヘ入信している」</ref>に譲られ、大本との関係が絶たれた。<ref name="B195401c2354" /> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5423|文書宣伝}}」には異なることが書いてある。大正日日新聞社を「聖師は一九二三(大正一二)年三月一日一切の権限を池沢原治郎に委任した。池沢は「大正日日新聞」の名義および設備・備品等の使用料を納めることなどの契約で米田誠夫に貸した。米田は大正一二年三月二八日より同紙を発行していたが契約を履行しなかったため、昭和七年二月に上野音次郎が委任をうけ、池沢への委任を解いた。上野は昭和七年四月一日、「大正日日新聞」の休刊の手続をとり、あらためて復刊する準備をすすめた。」(この池沢原治郎は大正10年8月に「大正日日新聞社編輯長」の肩書きで『飽まで天下と戦はむ』という本を大正日日新聞社から出している。[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/913641 国立国会図書館デジタルコレクション])</ref> <ref>霊界物語{{rm|33|16|暗夜の歌}}(大正11年8月28日口述)の章末に「本日'''大正日々新聞社長 床次正広'''氏湯ケ島へ来訪即日帰阪す」とある。</ref><br />
<br />
しかし多額の債務が残った。社債49万9400円と借入金13万9619円である。大正10年(1921年)11月の会議の報告によると、本部の毎月の経常費は一ヶ月平均、支出が5310円、収入が2120円で、毎月3190円の赤字を出していた。そのような状況下での債務返済は困難であり、債権者から提訴され、聖地の土地・建物の差し押さえの危機にも遭ったが、信者の献金や出口家の財産の処分などで、巨額の債務問題は何とか落着した。<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4443|債務の整理}}」</ref><br />
<br />
== 新聞発行の神示 ==<br />
[[大本神諭]]に次の神示があり、新聞発行は神命であると信者は思っていた。<ref name="B195401c2351" /><br />
<br />
{{Inyou|神の方は何時なんどきにでも着手るから、一旦新聞を出して置かんと、新聞で表現(あらは)れるからと言ふ事を、日本に丈けなりと見せて置かねば、神の役が済まんから、此の筆先出して呉れえと申したら、速く出して下されよ。(略)此の出口に今書した神言(こと)を、先繰(せんぐ)り新聞に出して下さらんと、物事が遅くなりて居るぞよ。新聞屋を急り(せ)立てて下されよ。神も其の方に皆(みな)着手(かか)るから、計画とは速く成ろうも知れんぞよ。|{{os|248|明治三十三年閏八月二十三日}} }}<br />
<br />
== 大失敗 ==<br />
王仁三郎は大正日日新聞社の買収と経営は大失敗だったと述べている。<br />
<br />
{{Inyou|自分の過去を深夜静かに省みると、一代の大失敗は、大正日日新聞社の買収と、経営に就て、何れも素人連に任せ切つた事であつた。併し乍ら、今日になつて考へて見ると、それは神様の大なる経綸の一部であり、大本にとつて大発展の曙光を発揮する唯一の予備条件たる極めて小さい不幸に外ならなかつたのである。<br />
<br />
世の中の凡ての事は皆さうである。末法だ、澆季だ、乱世だと、拗たり、恨んだり、怒つたり、泣いたり、喚いたりして居るが、さうした人は、何日の世に出て来てもさうした人である。<br />
<br />
自分は大正日日の負債数十万円の請求に、攻めつけられた際も、平然として第二の計画に取かかり天恩郷を築き上げた。|{{kgm|278|過去の失敗}} }}<br />
<br />
== 関連資料 ==<br />
* 大正日日新聞(大本七十年史 上巻)<br />
** {{obc|B195401c2351|日刊新聞の経営}}<br />
** {{obc|B195401c2352|新聞の論調}}<br />
** {{obc|B195401c2353|新聞と信者の立場}}<br />
** {{obc|B195401c2354|抵抗と閉社}}<br />
* {{pid|2933374/1/100|新聞史話 : 生態と興亡}}p.192「大正日日新聞」、内川芳美・著、昭和42年(1967年)、社会思想社<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[北国夕刊新聞]]<br />
* [[丹州時報]]<br />
* [[東京毎夕新聞]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* <kb>大正日日新聞</kb>、<wp>大正日日新聞</wp><br />
* <kb>白虹事件</kb>、<wp>白虹事件</wp><br />
* <kb>鳥居素川</kb>、<wp>鳥居素川</wp><br />
* <kb>藤村義朗</kb>、<wp>藤村義朗 (政治家)</wp><br />
* <kb>床次竹二郎</kb>、<wp>床次竹二郎</wp><br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:たいしようにちにちしんふんしや}}<br />
[[Category:企業]]<br />
[[Category:霊界物語の企業]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%83%A1%E3%83%A2&diff=20351
人物メモ
2024-03-20T23:10:12Z
<p>IHiroaki: /* 現実の人物 */</p>
<hr />
<div>オニペディア編集者用のメモ<br />
<br />
* [[生没年一覧メモ]]<br />
<br />
== 霊界物語の人物 ==<br />
*テルモン山の神館の[[小国別]]は、初版では「鬼国別」で、御校正本で「小国別」に直された。なぜか{{rm|56|16|不臣}}だけ「小国彦」になっている。4回出る。<br />
*[[千草姫]]は[[チウイン太子]]の「継母」{{rm|70|20|}}<br />
* [[千草の高姫]]は43歳 {{rm|72|15|}}「最早四十三」<br />
* [[ヨリコ姫]] [[依子姫]] と漢字 {{rm|71|16|}}<br />
* 肉体持った神は[[神素盞嗚大神]]だけ {{rm|72|18|||a152}} ヨリコ姫の歌<br />
* [[高姫]]と[[梅彦]]([[照国別]])は出会って別れてから13~4年になる。{{rm|72|22||a214}}<br />
* [[コルトン]]は[[シャカンナ]]の部下。第67巻で 朝倉谷 浅倉山に、シャカンナ、娘[[スバール姫]]、コルトンの3人で隠れ住んだことになっているが、第68巻では名前が見えない コルトンは6719で逃げている。<br />
* [[黒姫]]の年齢 {{rm|24|4|}}:ブランジーの妻にクロンバーといふ女あり。夫婦何れも五十の坂を四つ五つ越えたる年輩なり<br />
* [[治道居士]]([[鬼春別]])はバラモン軍の「中将」だった {{rm|65|1|}}<br />
* [[ベル]]は[[治道居士]]一行に加わったが、{{rm|65|8}}までしか出ない。これは寝返ったため。「治道居士は、'''ベルが自分を殺害し、セールに裏返らうといふ意味を仄かしてゐるのを'''、鼾をかいてゐる振して聞いてゐた。」<br />
* [[大自在天]]の一派は 併呑のみを唯一の主義としている {{rm|8|28|玉詩異}}a005 淤縢山津見のセリフ<br />
* [[閻魔大王]]が交代した {{rm|14|9|空中滑走}}:与太彦のセリフ「変性男子の閻魔サンが御代りになつてからと云ふものは、地獄の中も、余程寛大になつたといふ事を、神憑の口を通じて聞いて居たが、如何にも変つたものだ、民権発達といふものは、地獄の底まで影響を及ぼし、今度の閻魔サンは、民主主義になられたと見えるな」<br />
* [[初稚姫]]は5歳のときに母が死んだ。{{rm|26|8|虎の嘯||a028}}<br />
* [[常彦]]と[[春彦]]は、[[杢助]]の命令で、高姫のお供になった {{rm|29|12|悔悟の幕||a262|a264}}<br />
* [[高姫]] 改心が12年遅れた {{rm|29|12|悔悟の幕||a233}}<br />
<br />
== 現実の人物 ==<br />
* [[湯浅斎次郎]]は文献によっては湯浅斎治郎と書いてある場合もある<br />
* 『真如能光』昭和3年(1928年)4月5日号「天恩郷だより」p40に「[[笹目恒雄]]氏本日蒙古よりの珍客三名を伴ひて来郷いたしました」とある。<br />
* 笹目恒雄 人類愛善新聞 在満州記者 記事あり 『人類愛善新聞』昭和6年(1931年)11月23日号p1<br />
* 「豊受の神の豊国の、主と現はれ真寸鏡」{{is|15|大正8年1月27日}}<br />
*日向良広は旧名は尾崎享吉 真如の光1934-5p4<br />
** 改姓名 [[尾崎享吉]] → [[日向良広]](ひうが・よしひろ) 真如の光 昭和9年(1934年)5月10日号p4<br />
*森良仁 は「りょうじん」とも読むらしい 大地の母12巻p148 『真如の光』大正15年(1926年)2月15日号p25<br />
*山川日出子の本名は佐賀美子? 愛善世界 平成24年(2012年)5月号 p65<br />
*[[名田音吉]]について「名田(音吉)は有栖川宮様に従いて世界中へ漫遊して来たから蒙古語も皆知つて居ると云ふ」『真如の光』大正14年(1925年)11月5日号「蒙古人とエスペラント」p8(王仁三郎の講演録)<br />
*[[大宮守子]]が大正14年(1925年)9月8日付で宣伝使に任命されている。『真如の光』大正14年(1925年)11月5日号p53<br />
* 大正14年(1925年)11月30日、[[吉田兌三]]、福知山連隊から満期除隊。『真如の光』大正14年(1925年)12月5日号p41<br />
* 大正14年(1925年)12月1日、[[吉田兌三]]、出口家を離席。『真如の光』大正14年(1925年)12月15日号p36<br />
* [[岡田茂吉]]、『真如の光』大正14年(1925年)12月25日号に賀詞を出している<br />
* [[藤沼庄平]]『婦人の国』5月号の「大正聖代の怪宗教大本教撲滅秘史」を取り消す。『真如の光』大正15年(1926年)4月25日号p99<br />
* 昭和2年(1927年)大本春季大祭の後、井上総裁から四女・[[出口一二三]]の帰幽が発表された。一二三は大正10年(1921年)12歳の時にお腹に水が溜まる病気になった。筆先には「[[輪能比売]](りんのうひめ)」という神名。一二三には[[祥栄]](よしひで)という子供がいたが、3月20日に国替えし、一二三は24日に国替えした。 『真如の光』昭和2年(1927年)4月15日号p23~<br />
* [[星田悦子]](ほしだえつこ) {{rm09|44|0001|序文}}<br />
* 昭和2年(1927年)7/28付 [[砂泊兼照]] [[宣伝使試補]]から[[准宣伝使]]に昇任 真如の光 昭和2年(1927年)8/15号p34<br />
* [[大宮守子]]を歌った歌 『真如の光』昭和3年(1928年)4/26p2<br />
* [[第2巻]]で[[盤古大神]]は[[常世の国]]にいる。{{rm|2|49}}「盤古大神の館に参向し」<br />
* 王仁三郎の初孫、出口操、昭和4年(1929年)5月29日生まれ。出口和明「落胤問題を実証する(三)」p8<br />
* 河津雄(いさむ)<br />
* [[松村真澄]]の神名 永春彦命 『[[真如の光]]』昭和3年(1928年)7月5日号p33<br />
* [[筧清澄]] 旧名 守蔵 聖師様から名をいただき改名 『真如の光』昭和3年(1928年)12/25p97<br />
* [[宣統帝]]使を派して親筆の福寿の軸を贈り来ませり 『真如の光』昭和4年(1929年)1月15日号p5<br />
* [[東尾吉雄]] よみかた ひがしおよしお {{rm09|17|0003|総説歌||a091}}<br />
* [[岩田久太郎]] いわたきうたらう 真如の光 昭和9年(1934年)3/25p20<br />
* [[西村光月]] 本名は西村輝雄(てるお) 『真如の光』昭和3年(1928年)3月15日号p10<br />
* [[小山内匠]](こやま たくみ)大正2年(1913年)生まれ、新聞記者10余年の後、信仰生活に入る。『[[霊魂と霊界の話]]』p215著者略歴 富山新聞論説室長 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1692760/972<br />
* [[高木鉄男]] 明治製糖の専務 [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1258017/130 明治製糖株式会社三十年史p86-87]<br />
* [[中野武英]](たけひで)『真如の光』昭和2年(1927年)4月15日号p76に岩太から武英への改名広告あり<br />
* [[土井靖都]]/[[土井大靖]](ひろやす)<ref>読み方は『[[大本関東教区七十年史]]』p117による</ref>:明治16年(1883年)生まれ。東京帝大法学部独学科卒業。東京地検の検事。大正8年(1919年)初参綾。大正9年(1920年)7月7日から亀岡に移住し、本部奉仕。東大病院で看護婦長をしていた清江と大正11年(1922年)に結婚。第二次大本事件で3年8ヶ月の獄中生活を送る。昭和14年(1939年)夏に出所。昭和39年(1964年)1月9日帰幽、享年81歳。<ref>『神の国』平成10年(1998年)4月号「切紙神示はどこから」22~23頁、出口和明の発言による。</ref><br />
* [[三田村四郎]]<br />
** 『[[巨人出口王仁三郎]]』213頁「かくし子事件」<br />
** 『木戸幸一関係文書』(1966年11月刊)に「王仁三郎ヨリ嘗テ三田村四郎等ニ共産党資金ヲ供与セル事実アリト」という記述がある。<br />
** 『労働運動見たまま 第1集』1947年、{{ndldl|1454276/1/137}}、三田村四郎の項、261頁「ただ彼のために一言弁護したいのは大本教の出口王仁三郎師との関係は彼の大阪時代の遺児を出口が世話をしていることで、それ以上の何物でもないとうことである」<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:人物]]<br />
[[Category:霊界物語の人物]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=Onipedia:%E9%A0%85%E7%9B%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7&diff=20350
Onipedia:項目一覧
2024-03-20T23:09:45Z
<p>IHiroaki: /* 作業中 */</p>
<hr />
<div>編集者用<br />
<br />
頭にOnipedia:がついているページは検索されない。<br />
<br />
== 作業中 ==<br />
* ★★★[[メモ]]<br />
<br />
* [[:Category:霊界物語の諸本相違点]]<br />
* [[霊界物語の人物の名前の変遷]]<br />
* [[Onipedia:ページ名の旧字体→新字体エイリアス]]<br />
* [[霊界物語の怪物]]<br />
* [[古事記と霊界物語の神名対照]]<br />
* [[Onipedia:主要人物表]]<br />
* [[Onipedia:主要用語]]<br />
* [[別院・分院・分社の一覧]]<br />
<br />
* [[Onipedia:霊魂・霊界の一覧]]<br />
<br />
* [[Onipedia:霊界物語の刀剣の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の鏡の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の玉の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の星の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の地名の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の海峡の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の山の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の峠の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の谷の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の坂の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の滝の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の河川の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の湖沼の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の海の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の港湾の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の浜の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の浦の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の井の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の野原の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の森林の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の岩の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の石の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の岬の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の橋の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の城の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の館の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の神社の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の宮の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の殿の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の閣の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の関所の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の園の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の村の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の町の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の都市の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の国の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の島の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の星の一覧]]<br />
* [[Onipedia:霊界物語の動物の一覧]]<br />
* [[:カテゴリ:削除予定ページ]]</div>
IHiroaki
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雑誌記事一覧
2024-03-20T22:55:46Z
<p>IHiroaki: /* 昭和(56年以降) */</p>
<hr />
<div>'''雑誌記事一覧'''は、雑誌に掲載された[[王仁三郎]]・[[大本]]関連の記事の一覧。ただし大本関係機関紙誌に掲載された記事は除く。<br />
<br />
== 大正 ==<br />
* [[中村古峡]]「連載 余の観たる大本教」、『東亜の光』大正9年(1920年)3月号~、東亜協会、{{obn|2008}}<br />
* [[大山郁夫]]「社会問題として見たる最近に於ける迷信流行の傾向」、『中央公論』大正9年(1920年)9月号、p63、中央公論社、{{obn|2001}}<br />
* [[境野黄洋]](東洋大学長)「知識階級と大本教」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p117~118、博文館、{{obn|2002}}<br />
* [[高島平三郎]]「教祖出口直子は精神異常者」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p119~122、博文館、{{obn|2003}}<br />
* [[沢田撫松]]「公平無私のメスを揮って解剖したる疑問の大本教」、『新小説』大正9年(1920年)10月号、p1、春陽堂、{{obn|2004}}<br />
* [[本多日生]](大僧正)「我国為政者の覚醒を促す」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p113~117、博文館、{{obn|2005}}<br />
* [[沢田撫松]]「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、{{obn|2006}}<br />
* [[北野博美]]「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、{{obn|2007}}<br />
* [[今村力三郎]]「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、{{digimeta|10232073}}、{{obn|2009}}、{{obc|Z9011|霊界物語ネット}}<br />
* [[吉野作造]]「大本教神殿の取毀ち」、『中央公論』大正10年(1921年)11月号、p180-181、中央公論社、{{digimeta|10232079}}、{{obn|2222}}<br />
* [[川端康成]]「湯ガ島温泉」、『文藝春秋』大正14年(1925年)3月号、p7-9、{{obn|1941}} →単行本『伊豆の旅』(1954年、中央公論社)、中公文庫『伊豆の旅』(1981年)に収録 →「[[湯本館#川端康成]]」参照<br />
<br />
== 昭和(19年まで) ==<br />
* SKP(特派記者)「綾部探訪記 怪教大本の正体」『実業時代』昭和2年(1927年)11月号(第4巻第11号)、p112-120、実業時代社、{{obn|2228}}、{{Ndldl|1541155/1/74|}}<br />
* [[那須皓]]「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、{{obn|2010}}<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)10月号、p46、新潮社、{{obn|2011}}──{{pid|2967335/1/115|大宅壮一選集 第11(宗教・皇室)}}p.219、『[[昭和青年]]』昭和6年(1931年)12月号pp.47-52に西村保男の筆による「出口王仁三郎と大宅壮一の問答」という記事がある。<br />
* [[宇佐美武吉]]「[[日本言霊学概論]]」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、{{obn|2196}}<br />
* [[金王志武哉]]「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、{{obn|2012}}<br />
* [[金王志武哉]]「世界に伸びる出口王仁三郎」、『人の噂』昭和7年(1932年)6月号、p132、月旦社、{{obn|2013}}<br />
* 「世界紅卍字会と結び、満蒙に活躍する大本教」、『世界公論』昭和9年(1934年)1月1日号、p132、世界連邦公報社、{{obn|2014}}<br />
* [[水原祐]]「大本教は果して没落したか 怪人出口王仁三郎の正体」、『話』昭和10年(1935年)2月号、p196、文芸春秋社、{{obn|2015}}<br />
* [[千田二郎]]「大本教教主・出口王仁三郎」、『実業之世界』昭和10年(1935年)9月号、p42-48、実業之世界社、{{ndldl|10293199/31}}、{{obn|2224}} →加筆訂正して「[[邪教を裁く]]」に掲載された<br />
* 「座談会・怪教大本教を暴く(井上善吉・鳥羽重節・梅原眞隆ほか)」、『サンデー毎日』昭和10年(1935年)12月号、毎日新聞社、{{obn|2016}}<br />
* M・T・M「大本教検挙とニウス戦 新聞匿名月評」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p132、文芸春秋社、{{obn|2017}}<br />
* [[阿部真之助]]「妖怪・出口王仁三郎」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p166、文芸春秋社、{{obn|2018}}<br />
* [[高津正道]]「大本教検挙の考察」、『改造』昭和11年(1936年)1月号、p292、改造社、{{obn|2019}}<br />
* [[大宅壮一]]「大本教弾圧是非」、『日本評論』昭和11年(1936年)1月号、p577、日本評論新社、{{obn|2020}}<br />
* [[神岡阿矢夫]]「怪教「大本」を脱出して 一修業者のみたからくり」、『話』昭和11年(1936年)2月号、p20、文芸春秋社、{{obn|2021}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)6月号〔33巻6号〕、京都医学会、{{obn|2022}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)7月号〔33巻7号〕、京都医学会、{{obn|2023}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)8月号〔33巻8号〕、京都医学会、{{obn|2024}}<br />
* 「出口王仁三郎と大本教の信者達 動脈硬化と歯痛で獄中に悩む生き神様」、『話』昭和12年(1937年)12月号、p330、文芸春秋社、{{obn|2025}}<br />
<br />
== 昭和(20年~39年) ==<br />
* [[阿部真之助]]「大本教」、『サンデー毎日』昭和22年(1947年)3月2日号〔26巻10号〕、p14、毎日新聞社、{{obn|2026}}<br />
* [[直方敏]]「綾部の使徒行状記──続・大本教ものがたり」、『読物時事』昭和22年(1947年)9月1日号〔3巻7号〕、p8~9、時事通信社、{{obn|2027}}<br />
* [[駒沢三郎]]「女弥次将軍と呼ばれても 哀愁の大石ヨシエ(出口王仁三郎を知る)」、『政界ジープ』昭和22年(1947年)10月1日号〔通巻14号(2巻10号)〕、p29~31、政界ジープ社、{{obn|2028}}<br />
* 「出口王仁三郎昇天 百万円の葬式」、『週刊朝日』昭和23年(1948年)2月22日号、p9、朝日新聞社、{{obn|2029}}<br />
* 「喪服の山越え十八里」、『アサヒグラフ』昭和23年(1948年)2月25日号、p10、朝日新聞社、{{obn|2030}}<br />
* [[東大作]]「出口王仁三郎蒙古行状記」、『真相』昭和23年(1948年)5月1日号〔3巻6号〕、p21、人民社、{{obn|2031}}<br />
* 「王仁三郎の横顔」、『号外』(?)昭和23年(1948年)5月27日号〔第2集〕、p22、新史書房、{{obn|2032}}<br />
* [[石井純一]]「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、{{obn|2033}}<br />
* 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、{{obn|2034}}<br />
* 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、{{obn|2035}}<br />
* 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、{{obn|2036}}<br />
* 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、{{obn|2037}}<br />
* 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、{{obn|2038}}<br />
* 「王仁三郎師手造の楽焼茶碗鑑賞会」、『大道』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p39、{{obn|2039}}<br />
* [[東山三郎]]「出口王仁三郎と戦後の大本」、『同盟時報』昭和24年(1949年)11月号〔通号77・78号〕、p44、同盟通信社、{{obn|2040}}<br />
* 「豪華な遺跡 大本教」、『毎日グラフ』昭和25年(1950年)3月15日号、p8、毎日新聞社、{{obn|2041}}<br />
* 「出口家その後」、『アサヒグラフ』昭和27年(1952年)12月24日号、p12、朝日新聞社、{{obn|2042}}<br />
* 「ペンとカメラで…大本愛善苑」、『毎日グラフ』昭和28年(1953年)6月3日号、p6、毎日新聞社、{{obn|2043}}<br />
* [[林逸郎]]「大本教弾圧のかげに」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)1月号〔32巻16号〕、p116、文芸春秋社、{{obn|2044}}<br />
* [[薄田美朝]]「大本教攻略記」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)7月号〔32巻11号〕、p87、文芸春秋社、{{obn|2045}}<br />
* [[乾孝]]、[[松島栄一]]「教祖列伝 大本教」、『中央公論』昭和29年(1954年)9月号〔69巻9号〕、p188、中央公論社、{{obn|2046}}<br />
* [[唐沢俊樹]]「大本教手入れの前後──右翼革命の資金ルート遮断」、『信濃往来』昭和30年(1955年)2月号〔第5巻第2号〕、p22-23、信濃往来社、{{obn|2221}}<br />
* 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、{{obn|2047}}<br />
* [[大宅壮一]]「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、{{obn|2048}}<br />
* [[青地晨]]「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)9月号〔3巻10号〕、知性社、{{obn|2049}} →単行本『[[現代史の曲り角]]』に収録<br />
* [[山科小四郎]]「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、{{obn|2050}}<br />
* 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、{{obn|2051}}<br />
* 「三五教騒動記──手玉にとられた沼津市」、『週刊文春』昭和34年(1959年)11月16日号、p34~38、文芸春秋社、{{obn|2052}}<br />
* [[梅棹忠夫]]「日本探検 綾部・亀岡 大本教と世界連邦」、『中央公論』昭和35年(1960年)3月号〔75巻3号〕、p184、中央公論社、{{obn|2053}}<br />
* 「われこそは万能宗教 教団「大本」を訪ねる」、『毎日グラフ』昭和35年(1960年)4月17日号、p10、毎日新聞社、{{obn|2054}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 1」、『歴史評論』昭和35年(1960年)12月号〔通号124号〕、校倉書房、{{obn|2055}}<br />
* 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 2」、『歴史評論』昭和36年(1961年)1月号〔通号125号〕、校倉書房、{{obn|2056}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 3」、『歴史評論』昭和36年(1961年)2月号〔通号126号〕、校倉書房、{{obn|2057}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 4」、『歴史評論』昭和36年(1961年)3月号〔通号127号〕、校倉書房、{{obn|2058}}<br />
* [[前島不二雄]]「昭和神聖会運動」、『日本史研究』昭和36年(1961年)4月号〔通号54号〕、p66-69、日本史研究会、{{obn|2059}}<br />
* [[芳賀日出男]]「大本の芸能」、『芸能』昭和36年(1961年)4月号〔3巻4号〕、芸能発行所、{{obn|2060}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 5(完)」、『歴史評論』昭和36年(1961年)7月号〔通号131号〕、校倉書房、{{obn|2061}}<br />
* [[野上龍]]「ある新興宗教の教祖」、『文芸春秋』昭和39年(1964年)7月号、p246、文芸春秋社、{{obn|2062}}<br />
* 「連載 ひとつの人格(1~3)(出口栄二・著)」、『図書新聞』昭和39年(1964年)7月4日号~18日号、図書新聞社、{{obn|2063}}<br />
* [[黒田領治]]・他「(座談会)出口直日の陶芸」、『陶説』昭和39年(1964年)12月号〔通号141号〕、日本陶磁協会、{{obn|2064}}<br />
* [[前島不二雄]]「軍ファシズム運動と大本教」、『日本史研究』昭和39年(1964年)12月号〔通号75号〕、p60-78、日本史研究会、{{obn|2065}}<br />
<br />
== 昭和(40年~55年) ==<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、{{obn|2066}}<br />
* [[勝本清一郎]]「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、{{obn|2067}} →随筆集『[[こころの遠近]]』に収録<br />
* [[加藤秀俊]]「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、{{obn|2068}}<br />
* [[上田正昭]]「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、{{obn|2069}}<br />
* [[小沢信男]]「日本教育探検 大本教の青年」、『読書新聞』昭和41年(1966年)1月1日号、p11、{{obn|2070}}<br />
* [[松島栄一]]「教団大本 そのロゴスと、ミュトス」、『図書新聞』昭和42年(1967年)10月7日号、p1、図書新聞社、{{obn|2071}}<br />
* [[出口京太郎]]「出口王仁三郎を語る」、『今橋ニュース』昭和42年(1967年)12月号、p4、{{obn|2072}}<br />
* [[新名丈夫]]「大本事件(上)」、『歴史読本』昭和42年(1967年)12月号、p216、新人物往来社、{{obn|2073}}<br />
* [[末永勝介]]「日本性ゴウ伝7 恍惚の大教祖・出口王仁三郎」、『宝石』昭和43年(1968年)5月号、p280、光文社、{{obn|2074}}<br />
* 「突然銀座に躍り出た香港の“紅卍字会” 有名人をトリコにする中国“老祖のお告げ”」、『週刊サンケイ』昭和43年(1968年)11月11日号、p136、扶桑社、{{obn|2075}}<br />
* [[有竹修二]]「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、{{obn|2076}}<br />
* [[谷川徹三]]・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、{{obn|2077}}<br />
* [[高須令三]]「怪物・出口王仁三郎─その予言と警告─」、『経済往来』昭和45年(1970年)2月号、p228-242、経済往来社、{{obn|2226}}、(肩書きは「評論家」だが愛知主会幹部で医博の高須令三 →『[[明星記]]』参照)<br />
* [[出口栄二]]「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、{{obn|2078}}<br />
* [[出口京太郎]]「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、{{obn|2079}}<br />
* [[清水雅人]]「日本の秘密結社(5)弾圧下の新宗教 蓮門教・大本教・ひとのみち」、『伝統と現代』昭和46年(1971年)9月号、p170、伝統と現代社、{{obn|2080}}<br />
* [[小口偉一]]・[[村上重良]]「出口王仁三郎と戸田城聖」、『現代の眼』昭和47年(1972年)1月号〔13巻1号〕、p136、現代評論社、{{obn|2081}}<br />
* [[村上重良]]「近代日本と中国(28)大谷光瑞と出口王仁三郎」、『朝日ジャーナル』昭和47年(1972年)8月18日号〔14巻33号〕、p40、朝日新聞社、{{obn|2082}}<br />
* [[小沢信男]]「出口王仁三郎──世直し予言の組織者」、『別冊経済評論』昭和47年(1972年)11月号〔通号11号〕、p232、日本評論社、{{obn|2083}}<br />
* [[清水雅人]]「教祖と夢託 彼岸と此岸との往還の使者 大本教・出口王仁三郎」、『伝統と現代』昭和48年(1973年)1月号、p89、伝統と現代社、{{obn|2084}}<br />
* [[前田トシ子]]「続女人の書(6)出口なお──大本教開祖のお筆先」、『日本美術工芸』昭和48年(1973年)4月号〔通号415号〕、p62、日本美術工芸社、{{obn|2085}}<br />
* 「王仁三郎の“耀碗”がパリで評判」、『週刊現代』昭和48年(1973年)4月12日号、p35、講談社、{{obn|2086}}<br />
* 「宗教団体青年部に「青春とは何か」を問う 第5回 大本」、『プレイボーイ』昭和48年(1973年)4月17日号、p156、集英社、{{obn|2087}}<br />
* 「出口王仁三郎から生れた正統と異端」、『週刊文春』昭和48年(1973年)5月14日号、p155、文芸春秋社、{{obn|2088}}<br />
* [[佐木秋夫]]「現代五大教祖烈伝」、『創』昭和48年(1973年)6月号、p144、創出版、{{obn|2089}}<br />
* 「徹底分析 巨大宗教団体10派の実力者地図 大本教 保守派と進歩が混在」、『週刊大衆』昭和48年(1973年)8月23日号、p32、双葉社、{{obn|2090}}<br />
* [[梅原正紀]]「弾圧の嵐の中の出口王仁三郎家」、『文芸春秋』昭和49年(1974年)1月号〔52巻1号〕、p236、文芸春秋社、{{obn|2091}}<br />
* [[梅原正紀]]「経世済民への志向⦿の家(まことのいえ)<民衆宗教の原像(6)>」、『伝統と現代』昭和49年(1974年)1月号、p188、伝統と現代社、{{obn|2092}}<br />
* [[出口京太郎]]「巨人・出口王仁三郎パリに甦る──大本教祖の芸術作品がなぜこんなにも欧米人の心を捉えるのか」、『現代』昭和49年(1974年)2月号、p251-261、講談社、{{obn|2093}}<br />
* 「特集2 大本教団」、『季刊現代宗教』昭和50年(1975年)〔創刊号(1975春季)〕、エヌエス出版会、{{obn|2094}}<br />
* 「パリでプロ扱いされた、ワニサブローの陶器「飛鳥」」、『週刊新潮』昭和50年(1975年)1月2日号、p25、新潮社、{{obn|2095}}<br />
* 「⦿の家(まことのいえ) 世界連邦の建設をめざす<新宗教の“生き神さま”は語る(6)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)1月23日号、p38、双葉社、{{obn|2096}}<br />
* 「紀卍字会「内修・外慈」を説く不思議な修養団<新宗教の“生き神さま”は語る(13)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)3月13日号、p126、双葉社、{{obn|2097}}<br />
* [[北條明直]]「王仁三郎の茶わん」、『月刊ペン』昭和50年(1975年)9月号、p105、月刊ペン社、{{obn|2098}}<br />
* [[出口栄二]]「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、{{obn|2099}}<br />
* 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、{{obn|2100}}<br />
* 長尾和郎(評論家)「出口王仁三郎と世直し思想」(連載12 昭和人物史評伝)、『経済往来』昭和51年(1976年)3月号、230~241頁、{{obn|2229}}<br />
* [[飯田良一]]「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、{{obn|2101}}<br />
* 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、{{obn|2102}}<br />
* [[村上重良]]「特集 妻たちの歴史 出口王仁三郎とその妻すみ」、『伝統と現代』昭和52年(1977年)11月号、p45、伝統と現代社、{{obn|2103}}<br />
* 「求道集団 鈴鹿山脈の麓に潜む「マルチョンの家」とは」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)11月10日号、p64、新潮社、{{obn|2104}}<br />
* 「特集 新聞社説に見る昭和事件史 大本教事件」、『流動』昭和53年(1978年)9月号、p64、流動出版、{{obn|2105}}<br />
* 「大本教・出口王仁三郎は熾仁親王のご落胤!?」、『サンデー毎日』昭和53年(1978年)10月1日号、p172、毎日新聞社、{{obn|2106}}<br />
* [[出口京太郎]]「なぜ王仁三郎の未来予測が見直されるか」、『現代』昭和54年(1979年)6月号、p368、講談社、{{obn|2107}}<br />
* [[川村邦光]]「教祖における神がかりの意味をめぐって」、『論集』昭和55年(1980年)12月31日発行〔通号7号〕、東北印度学宗教学会、{{obn|2108}}<br />
* [[出口栄二]]「日本の近代化と宗教」、『社会科学討究』昭和55年(1980年)3月号〔25巻3号〕、p585~609、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2109}}<br />
* 「ミドル・リーダーの実力診断 大本教総長・出口京太郎43才“名門”は甦ったか」、『宝石』昭和55年(1980年)5月号、p208、光文社、{{obn|2110}}<br />
* [[鹿野政直]]「安丸良夫著「出口なお」」、『歴史評論』昭和55年(1980年)7月号〔通号363号〕、p90~93、校倉書房、{{obn|2111}}<br />
* [[梅原正紀]]「シリーズ新宗教の実像5 大本信仰に生きた人」、『創』昭和55年(1980年)12月号、p258、創出版、{{obn|2112}}<br />
* [[丸山照雄]]「宗教界をおおう「天皇制」の影──東本願寺和解と大本教内紛」、『朝日ジャーナル』昭和55年(1980年)12月12日号〔22巻50号〕、p28、朝日新聞社、{{obn|2113}}<br />
<br />
== 昭和(56年以降) ==<br />
* [[丸山照雄]]「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、{{obn|2114}}、{{ndldl|1771613/1/113}}<br />
* [[梅原正紀]]「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、{{obn|2115}}<br />
* [[有賀龍太]]「スメラミコト出口王仁三郎」、『天皇制研究』第3号=昭和56年(1981年)2月号、p20、JCA出版、{{bib|000000034339}}、{{obn|2225}}<br />
* [[近藤真男]]「国家権力との競合を論ず──大本教事件の場合」、『国士館大学政経論叢』昭和56年(1981年)3月号〔通号35号〕、p111、国士館大学政経学会、{{obn|2116}}<br />
* [[出口和明]]「大本教内紛の現状と改革への途」、『現代の眼』昭和56年(1981年)8月号〔22巻8号〕、p75、現代評論社、{{obn|2117}}<br />
* [[梅原正紀]]「失敗した大本教の“反乱”」、『人と日本』昭和56年(1981年)8月号、p92、行政通信社、{{obn|2118}}<br />
* 「巨大教団の財産追及 第13弾 大本ほか「分離騒動」と「財産」の相関を抉る」、『週刊ポスト』昭和56年(1981年)11月27日号、p222、小学館、{{obn|2119}}<br />
* 「戦後大本教団史の真相を語る」、『民族宗教研究』昭和57年(1982年)第1号、民族宗教研究所、{{obn|2120}}<br />
* [[栗原彬]]「郷(さと)の立替え立直し──出口王仁三郎」、『日本政治学会年報政治学』昭和57年(1982年)、p177、岩波書店、{{obn|2121}}<br />
* [[川村邦光]]「スティグマとカリスマの弁証法──教祖をめぐる一考察」、『宗教研究』昭和57年(1982年)〔25号〕、宗教時報社、{{obn|2122}}<br />
* [[寺井美奈子]]「昇華された恋愛感情──出口なお論」、『思想の科学』昭和57年(1982年)1月号、p15、思想の科学社、{{obn|2123}}<br />
* [[八代誠]]「骨肉の争い「大本教内紛」教団追放で紛争は泥沼化」、『創』昭和57年(1982年)1月号、p158、創出版、{{obn|2124}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ 出口栄二の追放処分」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2125}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2126}}<br />
* [[出口栄二]]「近代日本における「信教の自由」と「宗教弾圧」」、『社会科学討究』昭和57年(1982年)7月号〔27巻3号〕、p751~778、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2127}}<br />
* 「グラビア 昭和の顔60人 昭和10年」、『週刊文春』昭和57年(1982年)7月1日号巻頭、文芸春秋社、{{obn|2128}}<br />
* 「巨大教団追及・第47弾 揺れる「PL教団」「大本教」の後継者騒動と財産問題」、『週刊ポスト』昭和57年(1982年)7月30日号、p209、小学館、{{obn|2129}}<br />
* [[橋本信隆]]「真宗者の大本教批判──伊藤義賢を中心に」、『竜谷大学仏教文化研究所紀要』昭和57年(1982年)11月号〔通号21号〕、p127、竜谷大学仏教文化研究所、{{obn|2130}}<br />
* [[島田一男]]「現代宗教者に問う 大本教嗣・出口聖子」、『中央公論』昭和58年(1983年)2月号〔98巻2号〕、p194、中央公論社、{{obn|2131}}<br />
* [[出口栄二]]「強権政治による「近代化」と民衆宗教の対応──大本教弾圧事件の意味」、『社会科学討究』昭和58年(1983年)6月号〔28巻3号〕、p377~412、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2132}}<br />
* [[栗原彬]]「民衆にとっての平和──民衆宗教大本の平和思想を緒口に」、『平和研究』昭和58年(1983年)11月号〔8号〕、p121、日本平和学会、{{obn|2133}}<br />
* 「昭和の手紙 出口王仁三郎・すみの書簡」、『別冊太陽』昭和59年(1984年)6月25日号、p16、平凡社、{{obn|2134}}<br />
* [[尾辻克彦]]「教祖王仁三郎の精華」、『芸術新潮』昭和60年(1985年)3月号〔36巻3号〕、p64、新潮社、{{obn|2135}}<br />
* [[出口栄二]]「日本近代における政治と宗教のかかわり──祭神論争を通して」、『社会科学討究』昭和61年(1986年)12月号〔32巻2号〕、p331~364、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2136}}<br />
* [[薄井篤子]]「女性教祖の誕生」、『宗教研究』昭和62年(1987年)〔274号〕、宗教時報社、{{obn|2137}}<br />
* [[渡辺雅子]]「ちりめんの町における大本教の受容と展開」、『明治学院論叢』昭和62年(1987年)2月号〔通号403号〕、p1、明治学院大学、{{obn|2138}}<br />
* [[内藤国夫]]「神声天眼学会・倉田地久統理 言霊信仰の超過激<人はいま、なぜ新宗教に走るか(2)ふだん着の教祖サマかく語りき>」、『現代』昭和62年(1987年)3月号、p174~176、講談社、{{obn|2139}}<br />
* [[石川明保]]「中国が発祥 紅卍字会 人類最大の災厄に対処する術とは<日本の霊法集団4>」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)8月号、p42、全貌社、{{obn|2140}}<br />
* [[石川明保]]「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、{{obn|2141}}<br />
* 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、{{obn|2142}}<br />
* 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14-15、講談社、{{obn|2143}}<br />
* 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、{{obn|2144}}<br />
* [[野田晴巳]]「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、{{obn|2145}}<br />
* [[上之郷利昭]]「明治・大正・昭和 有名人おもしろまじめ交遊図巻 英文学者の入信で世間の評価を高めた大本教 出口王仁三郎、浅野和三郎」、『歴史読本臨時増刊』昭和63年(1988年)11月5日号、p92、新人物往来社、{{obn|2146}}<br />
<br />
== 平成 ==<br />
* [[四方田犬彦]]「書評 出口王仁三郎の「霊界物語」の復刊が始まった」、『SPA!』平成元年(1989年)6月21日号、p136、扶桑社、{{obn|2147}}<br />
* [[出口京太郎]]「大本の健康観とヒーリング(日本民間療法大観)」、『思想の科学』平成元年(1989年)10月号〔通号121号〕、p43~48、思想の科学社、{{obn|2148}}<br />
* [[出口京太郎]]「致知随想 世界平和を可能にする心」、『致知』平成2年(1990年)1月号、p95、致知出版社、{{obn|2149}}<br />
* [[滝沢誠]]・[[松本健一]]「対談 幻の大高麗国と出口王仁三郎」、『知識』平成2年(1990年)4月号〔通号100号〕、p254、彩文社、{{obn|2150}}<br />
* [[栗原彬]]「変容する社会主義 市民フォーラム・大本教・ネットワーキング」、『朝日ジャーナル臨時増刊』平成2年(1990年)6月20日号〔32巻24号〕、p150、朝日新聞社、{{obn|2151}}<br />
* [[山口文憲]]「日本ばちかん巡り 第3回 大本 霊界二都物語」、『芸術新潮』平成2年(1990年)9月号、p125、新潮社、{{obn|2152}}<br />
* 「TEMPO インシデント 亡くなった大本教3代教主「出口直日」の傷跡」、『週刊新潮』平成2年(1990年)10月4日号、p26、新潮社、{{obn|2153}}<br />
* [[平川宗信]]「第二次大本教治安維持法違反事件」、『別冊ジュリスト 109号 宗教判例百選(第二版)』平成3年(1991年)1月10日号、p232-233、有斐閣、{{obn|2154}}<br />
* [[早川和広]]「深層追及レポート 宗教界再編の目は立正佼成会、大本、黒住教」、『宝石』平成3年(1991年)2月号、p174、光文社、{{obn|2155}}<br />
* 「ひかり教会 至恩郷 岡本三典 “芸術家教祖”の遺作を守って<グラビア 平成の教祖たち(16)>」、『アサヒ芸能』平成3年(1991年)4月25日号、p96~97、徳間書店、{{obn|2156}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(1)」、『社会学論叢』平成3年(1991年)6月号〔通号111号〕、p75、日本大学社会学会、{{obn|2157}}<br />
* [[アレックス・カー]]「失われし美を求めて 第8回 大本教の国際部に就職し…」、『新潮45』平成3年(1991年)11月号、p164、新潮社、{{obn|2158}}<br />
* [[松本健一]]「中山みき・出口なお──神がかりする女性」、『彷書月刊』平成4年(1992年)〔8巻2号〕、弘隆社、{{obn|2159}}<br />
* 「墓碑銘 大本事件で迫害、拷問を受けた出口日出麿氏」、『週刊新潮』平成4年(1992年)1月16日号、p119、新潮社、{{obn|2160}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読7 増殖への憎悪」、『正論』平成4年(1992年)5月号、p340、産業経済新聞社、{{obn|2161}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、{{obn|2162}}<br />
* [[デ二ス・バッド・グレイ]]「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、{{obn|2163}}<br />
* [[鎌田東二]]「評論 大本霊学と内部生命論」『文芸』第31巻第3号、平成4年(1992年)8月、p296~302、河出書房新社、{{obn|2227}}<br />
* 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、{{obn|2194}}<br />
* [[松本健一]]「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、{{obn|2164}}<br />
* [[武田崇元]]「巨人・出口王仁三郎の黙示」、『ムー』平成5年(1993年)2月号〔15巻2号〕、p36、学習研究社、{{obn|2165}}<br />
* 「ドイモイ(刷新)の進む社会主義国ベトナムで復興著しいカオダイ教とは」、『VIEWS』平成5年(1993年)5月26日号、p119、講談社、{{obn|2166}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(2)」、『社会学論叢』平成5年(1993年)6月号〔通号117号〕、p61、日本大学社会学会、{{obn|2167}}<br />
* [[岡田信子]]「生きた、愛した、時代をつくった日本を創った女たち 第69回 大本教開祖 出口なお」、『週刊女性』平成5年(1993年)8月17日号、p174、主婦と生活社、{{obn|2168}}<br />
* [[佐高信]]「男言葉と改憲論」、『世界』平成6年(1994年)2月号、p238、岩波書店、{{obn|2169}}<br />
* [[佐高信]]「風速計 エスペラント(大本教のエスペラント運動支援)」、『週刊金曜日』平成7年(1995年)4月28日号、p4、金曜日、{{obn|2170}}<br />
* [[原田実]]「私が出会ったもうひとりの「カリスマ」──武田崇元とオカルト雑誌『ムー』、の軌跡」平成7年(1995年)11月号『宝島30』、p138~147、宝島社、{{obn|2171}}<br />
* [[武田崇元]](インタビュー・中島渉)「80年代オカルト一代記!」、『宝島30』平成8年(1996年)1月号、宝島社、{{obn|2172}}<br />
* [[大橋幸泰]]「安丸良夫著「出口なお」を読む」、『民衆史研究』平成8年(1996年)11月号〔通号52号〕、p16~25、民衆史研究会、{{obn|2173}}<br />
* [[南伸坊]]・[[能美勉]]「渥美清とヴィンセント・エドワーズ、ラスプーチンと出口王仁三郎、野口英世とマタ・ハリ」、『太陽』平成8年(1996年)11月号〔34巻12号〕、p149、博文館、{{obn|2174}}<br />
* 「(アートニュース)出口すみこの芸術・ほか」、『日経アート』平成11年(1999年)1月号〔12巻1号〕、p69~76、日本経済新聞社、{{obn|2175}}<br />
* [[武田崇元]]「昭和神聖会と出口王仁三郎」、『福神』平成11年(1999年)12月号〔通号2号〕、p46~56、福神研究所、{{obn|2176}}<br />
* [[武田崇元]]「平田篤胤から国家神道へ」、『福神』平成12年(2000年)3月号〔通号3号〕、p69~77、福神研究所、{{obn|2177}}<br />
* [[五十嵐太郎]]「復元思想の社会史(第19回)宗教建築の破壊と創造──大本教の弾圧をめぐって 」、『住宅建築』平成12年(2000年)8月号〔通号305号〕、p158、建築資料研究社、{{obn|2178}}<br />
* [[藤野七穂]]「偽史源流行(18)反大本運動の中の皇道宣揚会」、『歴史読本』平成13年(2001年)6月号、p220、新人物往来社、{{obn|2180}}<br />
* [[熊田一雄]]「大本聖師のトランスジェンダー志向を再考する 」、『愛知学院大学文学部紀要』平成14年(2002年)、p1、愛知学院大学文学会、{{obn|2181}}<br />
* [[広瀬浩二郎]]「人類愛善運動の史的意義──大本教のエスペラント・芸術・武道・農業への取り組み」、『国立民族学博物館研究報告』平成14年(2002年)〔27巻1号〕、p1-24、国立民族学博物館、{{obn|2182}}<br />
* [[津城寛文]]「国体思想・大本霊学・日蓮主義」、『神道宗教』平成14年(2002年)4月号、p128、神道宗教学会、{{obn|2183}}<br />
* [[森孝一]]「出口王仁三郎の陶芸について──出口王仁三郎とその一門の作品展より」、『陶説』平成14年(2002年)9月号〔通号594号〕、p46、日本陶磁協会、{{obn|2184}}<br />
* [[藤村耕治]]「大本と高橋和巳『邪宗門』──現実を峻拒する宗教」、『国文学 解釈と教材の研究』平成15年(2003年)5月号、p93、学灯社、{{obn|2185}}<br />
* [[熊田一雄]]「大衆宗教と男らしさ──出口王仁三郎の言説から」、『現代のエスプリ』平成16年(2004年)9月号2004年9月号、p163-172、ぎょうせい、{{obn|2186}}<br />
* [[窪田英樹]]「天皇制に関する研究──大本教典「霊界物語」の神格論を巡る第2次大本事件裁判記録」、『Journal of IOND University』平成17年(2005年)1月号、p193~223、イオンド大学出版局、{{obn|2187}}<br />
* [[兵頭晶子]]「大正期の「精神」概念──大本教と『変態心理』の相克を通して」平成17年(2005年)6月号(通号344号)『宗教研究』、p97~120、日本宗教学会、{{obn|2188}}<br />
* [[豊嶋泰國]]「出口王仁三郎 超凡の巨人か「怪物」か」、『歴史読本』平成18年(2006年)3月号、p130-136、新人物往来社、{{obn|2189}}<br />
* [[牧野史敬]]「出口王仁三郎の霊界に学ぶ」、『アネモネ』平成18年(2006年)4月号、p42-43、ビオ・マガジン、{{obn|2190}}<br />
* 「出口王仁三郎・すみ 信仰と弾圧の狭間で(総力特集 「功名が辻」もびっくり! 明治・大正・昭和 13の有名夫婦「怪」事件簿)」、『新潮45』平成18年(2006年)4月号、p42-44、新潮社、{{obn|2191}}<br />
* [[出口信一]]「イラン・ダマバンド山平和祈念祭典を奉仕して 「文明の衝突」から「文明の融和」への転換をめざす八岐大蛇退治を!」、『月刊日本』平成18年(2006年)7月号、p38-45、K&Kプレス、{{bib|7947107}}、{{obn|2223}}<br />
* [[出口信一]]「「文明の共存」実現への鍵を持つ「日本的神観」の再認識を」、『月刊日本』平成18年(2006年)11月号、p86-91、K&Kプレス、{{obn|2192}}<br />
* [[出口信一]](解説)「みやびのことば」、『アネモネ』平成19年(2007年)3月号、p20-21、ビオ・マガジン、{{obn|2193}}<br />
* [[鎌田東二]]「柳宗悦と宮沢賢治と出口王仁三郎における宗教と芸術」、『京都造形芸術大学紀要』第12号、平成19年(2007年)発行、p128-138、{{bib|10230726}}、{{obn|2197}}<br />
* [[早瀬圭一]]「出口王仁三郎──世界平和を目指した満州の地で、張作霖に裏切られた一行の運命は?(特集 石原莞爾と満洲帝国)」、『歴史読本』平成21年(2009年)9月号、p134-137、{{bib|10360682}}、{{obn|2198}}<br />
* [[吉永進一]]「大正期大本教の宗教的場──出口王仁三郎、浅野和三郎、宗教的遍歴者たち」、『舞鶴工業高等専門学校紀要』第45号、平成22年(2010年)3月発行、p69-80、{{bib|10758788}}、{{obn|2199}}<br />
* [[上本雄一郎]]「出口王仁三郎のユーモア──その作品と「屁」」、『国文学』平成22年(2010年)5月号、p81-89、{{bib|10651159}}、{{obn|2200}}<br />
* [[坪内隆彦]]「日本文明の先駆者(31)興亜陣営とともに理想郷建設の夢を描いた宗教家 出口王仁三郎」、『月刊日本』平成22年(2010年)6月号、p84-91、ケイアンドケイプレス、{{bib|10676986}}、{{obn|2201}}<br />
* [[三浦小太郎]]「近代の闇 闇の近代(第7回) 出口王仁三郎と大本教弾圧」、『月刊日本』平成24年(2012年)4月号、p56-61、ケイアンドケイプレス、{{bib|023499438}}、{{obn|2202}}<br />
* [[執行草舟]]「Shigyo Sosyu Collection 憂国の芸術(第3回)国士の涙 頭山満・出口王仁三郎」、『正論』平成26年(2014年)4月号、p14-17、産経新聞社、{{bib|025295817}}、{{obn|2203}}<br />
* [[水内勇太]]「皇道大本の思想と行動 皇道大本前史(特集 日本宗教史像の再構築 トランスナショナルヒストリーを中心として 近代日本宗教史における〈皇道〉のポリティクス)」、『人文学報』第108号、平成27年(2015年)発行、p85-96、京都大学人文科学研究所、{{bib|027062143}}、{{obn|2204}}<br />
* [[鎌田東二]]・[[安藤礼二]]「討議 隠された神々の世界を求めて 折口信夫と出口王仁三郎から(総特集 神道を考える)」、『現代思想』平成29年(2017年)2月臨時増刊号、p54-71、青土社、{{bib|028310074}}、{{obn|2205}}<br />
* [[徐玄九]]「昭和維新運動 大本教・出口王仁三郎を中心に」、『専修人間科学論集 社会学篇』第8号、平成30年(2018年)3月発行、p53-64、専修大学人間科学学会、{{bib|029089975}}、{{obn|2206}}<br />
* [[川島堅二]]「出口王仁三郎『霊界物語』とキリスト教──キリスト教土着の一事例として」、『人文学と神学』第16号、平成31年(2019年)3月発行、p1-12、東北学院大学学術研究会、{{bib|029655659}}、{{obn|2207}}<br />
<br />
== 令和 ==<br />
* [[河原信之]]「出口王仁三郎と船岡妙霊教会物語」、『丹波』第21号、令和元年(2019年)11月発行、p77-94、丹波史談会、{{bib|030182053}}、{{obn|2208}}<br />
* [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命」<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第1回)二〇二〇年と一九二〇年が問いかけるもの」、『三田文学』令和2年(2020年)夏季号、p234-243、三田文学会、{{bib|030559619}}、{{obn|2209}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第2回)世直しと言直し」、『三田文学』令和2年(2020年)秋季号、p216-227、三田文学会、{{bib|030697532}}、{{obn|2210}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第3回)大正十年の言直し」、『三田文学』令和3年(2021年)冬季号、p222-234、三田文学会、{{bib|031258382}}、{{obn|2211}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第4回)大正十年の言直し(2)予言の淵源 承久の乱と日蓮の予言」、『三田文学』令和3年(2021年)春季号、p236-247、三田文学会、{{bib|031420856}}、{{obn|2212}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第5回)大正十年の言直し(3)聖苦と笑いの物語戦略」、『三田文学』令和3年(2021年)夏季号、p212-225、三田文学会、{{bib|031608837}}、{{obn|2213}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第6回)物語の二相系 分岐する日の語りと月の語り」、『三田文学』令和3年(2021年)秋季号、p262-275、三田文学会、{{bib|031770498}}、{{obn|2214}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第7回)関東大震災とモンゴル奇行」、『三田文学』令和4年(2022年)冬季号、p238-249、三田文学会、{{bib|031945038}}、{{obn|2215}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第8回)人類愛善と万教同根」、『三田文学』令和4年(2022年)春季号、p216-228、三田文学会、{{bib|032114443}}、{{obn|2216}}<br />
* [[石原和]]「稲荷講社と出口王仁三郎──講社所管教会という視点から(第78回学術大会紀要特集 パネル 近代宗教政策下における「教団」未満の宗教者たち)」、『宗教研究 別冊』第93号、令和2年(2020年)3月30日発行、日本宗教学会、{{bib|031849681}}、{{obn|2217}}<br />
* [[島薗進]]「あなた自身の死生観のために(第6回)罪を贖うスサノオと出口王仁三郎、太宰治」、『一冊の本』令和2年(2020年)10月号、p14-19、朝日新聞出版、{{bib|030679834}}、{{obn|2218}}<br />
* [[佐々充昭]]「大本教の皇道宣揚運動と人類愛善会朝鮮本部の設立 出口王仁三郎と内田良平との提携を中心に」、『立命館文學』第675号、令和3年(2021年)10月号、p281-321、立命館大学人文学会、{{bib|031839368}}、{{obn|2219}}<br />
* [[小野耕資]]「風土と共同体に基づく経済(24)出口王仁三郎の皇道経済論」、『国体文化』第1172号、令和4年(2022年)1月号、p18-21、日本国体学会、{{bib|031892826}}、{{obn|2220}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:雑誌記事]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9B%91%E8%AA%8C%E8%A8%98%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7&diff=20348
雑誌記事一覧
2024-03-20T22:42:18Z
<p>IHiroaki: /* 昭和(40年~55年) */</p>
<hr />
<div>'''雑誌記事一覧'''は、雑誌に掲載された[[王仁三郎]]・[[大本]]関連の記事の一覧。ただし大本関係機関紙誌に掲載された記事は除く。<br />
<br />
== 大正 ==<br />
* [[中村古峡]]「連載 余の観たる大本教」、『東亜の光』大正9年(1920年)3月号~、東亜協会、{{obn|2008}}<br />
* [[大山郁夫]]「社会問題として見たる最近に於ける迷信流行の傾向」、『中央公論』大正9年(1920年)9月号、p63、中央公論社、{{obn|2001}}<br />
* [[境野黄洋]](東洋大学長)「知識階級と大本教」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p117~118、博文館、{{obn|2002}}<br />
* [[高島平三郎]]「教祖出口直子は精神異常者」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p119~122、博文館、{{obn|2003}}<br />
* [[沢田撫松]]「公平無私のメスを揮って解剖したる疑問の大本教」、『新小説』大正9年(1920年)10月号、p1、春陽堂、{{obn|2004}}<br />
* [[本多日生]](大僧正)「我国為政者の覚醒を促す」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p113~117、博文館、{{obn|2005}}<br />
* [[沢田撫松]]「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、{{obn|2006}}<br />
* [[北野博美]]「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、{{obn|2007}}<br />
* [[今村力三郎]]「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、{{digimeta|10232073}}、{{obn|2009}}、{{obc|Z9011|霊界物語ネット}}<br />
* [[吉野作造]]「大本教神殿の取毀ち」、『中央公論』大正10年(1921年)11月号、p180-181、中央公論社、{{digimeta|10232079}}、{{obn|2222}}<br />
* [[川端康成]]「湯ガ島温泉」、『文藝春秋』大正14年(1925年)3月号、p7-9、{{obn|1941}} →単行本『伊豆の旅』(1954年、中央公論社)、中公文庫『伊豆の旅』(1981年)に収録 →「[[湯本館#川端康成]]」参照<br />
<br />
== 昭和(19年まで) ==<br />
* SKP(特派記者)「綾部探訪記 怪教大本の正体」『実業時代』昭和2年(1927年)11月号(第4巻第11号)、p112-120、実業時代社、{{obn|2228}}、{{Ndldl|1541155/1/74|}}<br />
* [[那須皓]]「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、{{obn|2010}}<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)10月号、p46、新潮社、{{obn|2011}}──{{pid|2967335/1/115|大宅壮一選集 第11(宗教・皇室)}}p.219、『[[昭和青年]]』昭和6年(1931年)12月号pp.47-52に西村保男の筆による「出口王仁三郎と大宅壮一の問答」という記事がある。<br />
* [[宇佐美武吉]]「[[日本言霊学概論]]」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、{{obn|2196}}<br />
* [[金王志武哉]]「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、{{obn|2012}}<br />
* [[金王志武哉]]「世界に伸びる出口王仁三郎」、『人の噂』昭和7年(1932年)6月号、p132、月旦社、{{obn|2013}}<br />
* 「世界紅卍字会と結び、満蒙に活躍する大本教」、『世界公論』昭和9年(1934年)1月1日号、p132、世界連邦公報社、{{obn|2014}}<br />
* [[水原祐]]「大本教は果して没落したか 怪人出口王仁三郎の正体」、『話』昭和10年(1935年)2月号、p196、文芸春秋社、{{obn|2015}}<br />
* [[千田二郎]]「大本教教主・出口王仁三郎」、『実業之世界』昭和10年(1935年)9月号、p42-48、実業之世界社、{{ndldl|10293199/31}}、{{obn|2224}} →加筆訂正して「[[邪教を裁く]]」に掲載された<br />
* 「座談会・怪教大本教を暴く(井上善吉・鳥羽重節・梅原眞隆ほか)」、『サンデー毎日』昭和10年(1935年)12月号、毎日新聞社、{{obn|2016}}<br />
* M・T・M「大本教検挙とニウス戦 新聞匿名月評」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p132、文芸春秋社、{{obn|2017}}<br />
* [[阿部真之助]]「妖怪・出口王仁三郎」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p166、文芸春秋社、{{obn|2018}}<br />
* [[高津正道]]「大本教検挙の考察」、『改造』昭和11年(1936年)1月号、p292、改造社、{{obn|2019}}<br />
* [[大宅壮一]]「大本教弾圧是非」、『日本評論』昭和11年(1936年)1月号、p577、日本評論新社、{{obn|2020}}<br />
* [[神岡阿矢夫]]「怪教「大本」を脱出して 一修業者のみたからくり」、『話』昭和11年(1936年)2月号、p20、文芸春秋社、{{obn|2021}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)6月号〔33巻6号〕、京都医学会、{{obn|2022}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)7月号〔33巻7号〕、京都医学会、{{obn|2023}}<br />
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)8月号〔33巻8号〕、京都医学会、{{obn|2024}}<br />
* 「出口王仁三郎と大本教の信者達 動脈硬化と歯痛で獄中に悩む生き神様」、『話』昭和12年(1937年)12月号、p330、文芸春秋社、{{obn|2025}}<br />
<br />
== 昭和(20年~39年) ==<br />
* [[阿部真之助]]「大本教」、『サンデー毎日』昭和22年(1947年)3月2日号〔26巻10号〕、p14、毎日新聞社、{{obn|2026}}<br />
* [[直方敏]]「綾部の使徒行状記──続・大本教ものがたり」、『読物時事』昭和22年(1947年)9月1日号〔3巻7号〕、p8~9、時事通信社、{{obn|2027}}<br />
* [[駒沢三郎]]「女弥次将軍と呼ばれても 哀愁の大石ヨシエ(出口王仁三郎を知る)」、『政界ジープ』昭和22年(1947年)10月1日号〔通巻14号(2巻10号)〕、p29~31、政界ジープ社、{{obn|2028}}<br />
* 「出口王仁三郎昇天 百万円の葬式」、『週刊朝日』昭和23年(1948年)2月22日号、p9、朝日新聞社、{{obn|2029}}<br />
* 「喪服の山越え十八里」、『アサヒグラフ』昭和23年(1948年)2月25日号、p10、朝日新聞社、{{obn|2030}}<br />
* [[東大作]]「出口王仁三郎蒙古行状記」、『真相』昭和23年(1948年)5月1日号〔3巻6号〕、p21、人民社、{{obn|2031}}<br />
* 「王仁三郎の横顔」、『号外』(?)昭和23年(1948年)5月27日号〔第2集〕、p22、新史書房、{{obn|2032}}<br />
* [[石井純一]]「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、{{obn|2033}}<br />
* 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、{{obn|2034}}<br />
* 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、{{obn|2035}}<br />
* 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、{{obn|2036}}<br />
* 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、{{obn|2037}}<br />
* 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、{{obn|2038}}<br />
* 「王仁三郎師手造の楽焼茶碗鑑賞会」、『大道』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p39、{{obn|2039}}<br />
* [[東山三郎]]「出口王仁三郎と戦後の大本」、『同盟時報』昭和24年(1949年)11月号〔通号77・78号〕、p44、同盟通信社、{{obn|2040}}<br />
* 「豪華な遺跡 大本教」、『毎日グラフ』昭和25年(1950年)3月15日号、p8、毎日新聞社、{{obn|2041}}<br />
* 「出口家その後」、『アサヒグラフ』昭和27年(1952年)12月24日号、p12、朝日新聞社、{{obn|2042}}<br />
* 「ペンとカメラで…大本愛善苑」、『毎日グラフ』昭和28年(1953年)6月3日号、p6、毎日新聞社、{{obn|2043}}<br />
* [[林逸郎]]「大本教弾圧のかげに」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)1月号〔32巻16号〕、p116、文芸春秋社、{{obn|2044}}<br />
* [[薄田美朝]]「大本教攻略記」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)7月号〔32巻11号〕、p87、文芸春秋社、{{obn|2045}}<br />
* [[乾孝]]、[[松島栄一]]「教祖列伝 大本教」、『中央公論』昭和29年(1954年)9月号〔69巻9号〕、p188、中央公論社、{{obn|2046}}<br />
* [[唐沢俊樹]]「大本教手入れの前後──右翼革命の資金ルート遮断」、『信濃往来』昭和30年(1955年)2月号〔第5巻第2号〕、p22-23、信濃往来社、{{obn|2221}}<br />
* 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、{{obn|2047}}<br />
* [[大宅壮一]]「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、{{obn|2048}}<br />
* [[青地晨]]「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)9月号〔3巻10号〕、知性社、{{obn|2049}} →単行本『[[現代史の曲り角]]』に収録<br />
* [[山科小四郎]]「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、{{obn|2050}}<br />
* 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、{{obn|2051}}<br />
* 「三五教騒動記──手玉にとられた沼津市」、『週刊文春』昭和34年(1959年)11月16日号、p34~38、文芸春秋社、{{obn|2052}}<br />
* [[梅棹忠夫]]「日本探検 綾部・亀岡 大本教と世界連邦」、『中央公論』昭和35年(1960年)3月号〔75巻3号〕、p184、中央公論社、{{obn|2053}}<br />
* 「われこそは万能宗教 教団「大本」を訪ねる」、『毎日グラフ』昭和35年(1960年)4月17日号、p10、毎日新聞社、{{obn|2054}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 1」、『歴史評論』昭和35年(1960年)12月号〔通号124号〕、校倉書房、{{obn|2055}}<br />
* 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 2」、『歴史評論』昭和36年(1961年)1月号〔通号125号〕、校倉書房、{{obn|2056}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 3」、『歴史評論』昭和36年(1961年)2月号〔通号126号〕、校倉書房、{{obn|2057}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 4」、『歴史評論』昭和36年(1961年)3月号〔通号127号〕、校倉書房、{{obn|2058}}<br />
* [[前島不二雄]]「昭和神聖会運動」、『日本史研究』昭和36年(1961年)4月号〔通号54号〕、p66-69、日本史研究会、{{obn|2059}}<br />
* [[芳賀日出男]]「大本の芸能」、『芸能』昭和36年(1961年)4月号〔3巻4号〕、芸能発行所、{{obn|2060}}<br />
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 5(完)」、『歴史評論』昭和36年(1961年)7月号〔通号131号〕、校倉書房、{{obn|2061}}<br />
* [[野上龍]]「ある新興宗教の教祖」、『文芸春秋』昭和39年(1964年)7月号、p246、文芸春秋社、{{obn|2062}}<br />
* 「連載 ひとつの人格(1~3)(出口栄二・著)」、『図書新聞』昭和39年(1964年)7月4日号~18日号、図書新聞社、{{obn|2063}}<br />
* [[黒田領治]]・他「(座談会)出口直日の陶芸」、『陶説』昭和39年(1964年)12月号〔通号141号〕、日本陶磁協会、{{obn|2064}}<br />
* [[前島不二雄]]「軍ファシズム運動と大本教」、『日本史研究』昭和39年(1964年)12月号〔通号75号〕、p60-78、日本史研究会、{{obn|2065}}<br />
<br />
== 昭和(40年~55年) ==<br />
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、{{obn|2066}}<br />
* [[勝本清一郎]]「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、{{obn|2067}} →随筆集『[[こころの遠近]]』に収録<br />
* [[加藤秀俊]]「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、{{obn|2068}}<br />
* [[上田正昭]]「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、{{obn|2069}}<br />
* [[小沢信男]]「日本教育探検 大本教の青年」、『読書新聞』昭和41年(1966年)1月1日号、p11、{{obn|2070}}<br />
* [[松島栄一]]「教団大本 そのロゴスと、ミュトス」、『図書新聞』昭和42年(1967年)10月7日号、p1、図書新聞社、{{obn|2071}}<br />
* [[出口京太郎]]「出口王仁三郎を語る」、『今橋ニュース』昭和42年(1967年)12月号、p4、{{obn|2072}}<br />
* [[新名丈夫]]「大本事件(上)」、『歴史読本』昭和42年(1967年)12月号、p216、新人物往来社、{{obn|2073}}<br />
* [[末永勝介]]「日本性ゴウ伝7 恍惚の大教祖・出口王仁三郎」、『宝石』昭和43年(1968年)5月号、p280、光文社、{{obn|2074}}<br />
* 「突然銀座に躍り出た香港の“紅卍字会” 有名人をトリコにする中国“老祖のお告げ”」、『週刊サンケイ』昭和43年(1968年)11月11日号、p136、扶桑社、{{obn|2075}}<br />
* [[有竹修二]]「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、{{obn|2076}}<br />
* [[谷川徹三]]・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、{{obn|2077}}<br />
* [[高須令三]]「怪物・出口王仁三郎─その予言と警告─」、『経済往来』昭和45年(1970年)2月号、p228-242、経済往来社、{{obn|2226}}、(肩書きは「評論家」だが愛知主会幹部で医博の高須令三 →『[[明星記]]』参照)<br />
* [[出口栄二]]「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、{{obn|2078}}<br />
* [[出口京太郎]]「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、{{obn|2079}}<br />
* [[清水雅人]]「日本の秘密結社(5)弾圧下の新宗教 蓮門教・大本教・ひとのみち」、『伝統と現代』昭和46年(1971年)9月号、p170、伝統と現代社、{{obn|2080}}<br />
* [[小口偉一]]・[[村上重良]]「出口王仁三郎と戸田城聖」、『現代の眼』昭和47年(1972年)1月号〔13巻1号〕、p136、現代評論社、{{obn|2081}}<br />
* [[村上重良]]「近代日本と中国(28)大谷光瑞と出口王仁三郎」、『朝日ジャーナル』昭和47年(1972年)8月18日号〔14巻33号〕、p40、朝日新聞社、{{obn|2082}}<br />
* [[小沢信男]]「出口王仁三郎──世直し予言の組織者」、『別冊経済評論』昭和47年(1972年)11月号〔通号11号〕、p232、日本評論社、{{obn|2083}}<br />
* [[清水雅人]]「教祖と夢託 彼岸と此岸との往還の使者 大本教・出口王仁三郎」、『伝統と現代』昭和48年(1973年)1月号、p89、伝統と現代社、{{obn|2084}}<br />
* [[前田トシ子]]「続女人の書(6)出口なお──大本教開祖のお筆先」、『日本美術工芸』昭和48年(1973年)4月号〔通号415号〕、p62、日本美術工芸社、{{obn|2085}}<br />
* 「王仁三郎の“耀碗”がパリで評判」、『週刊現代』昭和48年(1973年)4月12日号、p35、講談社、{{obn|2086}}<br />
* 「宗教団体青年部に「青春とは何か」を問う 第5回 大本」、『プレイボーイ』昭和48年(1973年)4月17日号、p156、集英社、{{obn|2087}}<br />
* 「出口王仁三郎から生れた正統と異端」、『週刊文春』昭和48年(1973年)5月14日号、p155、文芸春秋社、{{obn|2088}}<br />
* [[佐木秋夫]]「現代五大教祖烈伝」、『創』昭和48年(1973年)6月号、p144、創出版、{{obn|2089}}<br />
* 「徹底分析 巨大宗教団体10派の実力者地図 大本教 保守派と進歩が混在」、『週刊大衆』昭和48年(1973年)8月23日号、p32、双葉社、{{obn|2090}}<br />
* [[梅原正紀]]「弾圧の嵐の中の出口王仁三郎家」、『文芸春秋』昭和49年(1974年)1月号〔52巻1号〕、p236、文芸春秋社、{{obn|2091}}<br />
* [[梅原正紀]]「経世済民への志向⦿の家(まことのいえ)<民衆宗教の原像(6)>」、『伝統と現代』昭和49年(1974年)1月号、p188、伝統と現代社、{{obn|2092}}<br />
* [[出口京太郎]]「巨人・出口王仁三郎パリに甦る──大本教祖の芸術作品がなぜこんなにも欧米人の心を捉えるのか」、『現代』昭和49年(1974年)2月号、p251-261、講談社、{{obn|2093}}<br />
* 「特集2 大本教団」、『季刊現代宗教』昭和50年(1975年)〔創刊号(1975春季)〕、エヌエス出版会、{{obn|2094}}<br />
* 「パリでプロ扱いされた、ワニサブローの陶器「飛鳥」」、『週刊新潮』昭和50年(1975年)1月2日号、p25、新潮社、{{obn|2095}}<br />
* 「⦿の家(まことのいえ) 世界連邦の建設をめざす<新宗教の“生き神さま”は語る(6)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)1月23日号、p38、双葉社、{{obn|2096}}<br />
* 「紀卍字会「内修・外慈」を説く不思議な修養団<新宗教の“生き神さま”は語る(13)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)3月13日号、p126、双葉社、{{obn|2097}}<br />
* [[北條明直]]「王仁三郎の茶わん」、『月刊ペン』昭和50年(1975年)9月号、p105、月刊ペン社、{{obn|2098}}<br />
* [[出口栄二]]「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、{{obn|2099}}<br />
* 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、{{obn|2100}}<br />
* 長尾和郎(評論家)「出口王仁三郎と世直し思想」(連載12 昭和人物史評伝)、『経済往来』昭和51年(1976年)3月号、230~241頁、{{obn|2229}}<br />
* [[飯田良一]]「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、{{obn|2101}}<br />
* 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、{{obn|2102}}<br />
* [[村上重良]]「特集 妻たちの歴史 出口王仁三郎とその妻すみ」、『伝統と現代』昭和52年(1977年)11月号、p45、伝統と現代社、{{obn|2103}}<br />
* 「求道集団 鈴鹿山脈の麓に潜む「マルチョンの家」とは」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)11月10日号、p64、新潮社、{{obn|2104}}<br />
* 「特集 新聞社説に見る昭和事件史 大本教事件」、『流動』昭和53年(1978年)9月号、p64、流動出版、{{obn|2105}}<br />
* 「大本教・出口王仁三郎は熾仁親王のご落胤!?」、『サンデー毎日』昭和53年(1978年)10月1日号、p172、毎日新聞社、{{obn|2106}}<br />
* [[出口京太郎]]「なぜ王仁三郎の未来予測が見直されるか」、『現代』昭和54年(1979年)6月号、p368、講談社、{{obn|2107}}<br />
* [[川村邦光]]「教祖における神がかりの意味をめぐって」、『論集』昭和55年(1980年)12月31日発行〔通号7号〕、東北印度学宗教学会、{{obn|2108}}<br />
* [[出口栄二]]「日本の近代化と宗教」、『社会科学討究』昭和55年(1980年)3月号〔25巻3号〕、p585~609、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2109}}<br />
* 「ミドル・リーダーの実力診断 大本教総長・出口京太郎43才“名門”は甦ったか」、『宝石』昭和55年(1980年)5月号、p208、光文社、{{obn|2110}}<br />
* [[鹿野政直]]「安丸良夫著「出口なお」」、『歴史評論』昭和55年(1980年)7月号〔通号363号〕、p90~93、校倉書房、{{obn|2111}}<br />
* [[梅原正紀]]「シリーズ新宗教の実像5 大本信仰に生きた人」、『創』昭和55年(1980年)12月号、p258、創出版、{{obn|2112}}<br />
* [[丸山照雄]]「宗教界をおおう「天皇制」の影──東本願寺和解と大本教内紛」、『朝日ジャーナル』昭和55年(1980年)12月12日号〔22巻50号〕、p28、朝日新聞社、{{obn|2113}}<br />
<br />
== 昭和(56年以降) ==<br />
* [[丸山照雄]]「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、{{obn|2114}}<br />
* [[梅原正紀]]「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、{{obn|2115}}<br />
* [[有賀龍太]]「スメラミコト出口王仁三郎」、『天皇制研究』第3号=昭和56年(1981年)2月号、p20、JCA出版、{{bib|000000034339}}、{{obn|2225}}<br />
* [[近藤真男]]「国家権力との競合を論ず──大本教事件の場合」、『国士館大学政経論叢』昭和56年(1981年)3月号〔通号35号〕、p111、国士館大学政経学会、{{obn|2116}}<br />
* [[出口和明]]「大本教内紛の現状と改革への途」、『現代の眼』昭和56年(1981年)8月号〔22巻8号〕、p75、現代評論社、{{obn|2117}}<br />
* [[梅原正紀]]「失敗した大本教の“反乱”」、『人と日本』昭和56年(1981年)8月号、p92、行政通信社、{{obn|2118}}<br />
* 「巨大教団の財産追及 第13弾 大本ほか「分離騒動」と「財産」の相関を抉る」、『週刊ポスト』昭和56年(1981年)11月27日号、p222、小学館、{{obn|2119}}<br />
* 「戦後大本教団史の真相を語る」、『民族宗教研究』昭和57年(1982年)第1号、民族宗教研究所、{{obn|2120}}<br />
* [[栗原彬]]「郷(さと)の立替え立直し──出口王仁三郎」、『日本政治学会年報政治学』昭和57年(1982年)、p177、岩波書店、{{obn|2121}}<br />
* [[川村邦光]]「スティグマとカリスマの弁証法──教祖をめぐる一考察」、『宗教研究』昭和57年(1982年)〔25号〕、宗教時報社、{{obn|2122}}<br />
* [[寺井美奈子]]「昇華された恋愛感情──出口なお論」、『思想の科学』昭和57年(1982年)1月号、p15、思想の科学社、{{obn|2123}}<br />
* [[八代誠]]「骨肉の争い「大本教内紛」教団追放で紛争は泥沼化」、『創』昭和57年(1982年)1月号、p158、創出版、{{obn|2124}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ 出口栄二の追放処分」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2125}}<br />
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2126}}<br />
* [[出口栄二]]「近代日本における「信教の自由」と「宗教弾圧」」、『社会科学討究』昭和57年(1982年)7月号〔27巻3号〕、p751~778、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2127}}<br />
* 「グラビア 昭和の顔60人 昭和10年」、『週刊文春』昭和57年(1982年)7月1日号巻頭、文芸春秋社、{{obn|2128}}<br />
* 「巨大教団追及・第47弾 揺れる「PL教団」「大本教」の後継者騒動と財産問題」、『週刊ポスト』昭和57年(1982年)7月30日号、p209、小学館、{{obn|2129}}<br />
* [[橋本信隆]]「真宗者の大本教批判──伊藤義賢を中心に」、『竜谷大学仏教文化研究所紀要』昭和57年(1982年)11月号〔通号21号〕、p127、竜谷大学仏教文化研究所、{{obn|2130}}<br />
* [[島田一男]]「現代宗教者に問う 大本教嗣・出口聖子」、『中央公論』昭和58年(1983年)2月号〔98巻2号〕、p194、中央公論社、{{obn|2131}}<br />
* [[出口栄二]]「強権政治による「近代化」と民衆宗教の対応──大本教弾圧事件の意味」、『社会科学討究』昭和58年(1983年)6月号〔28巻3号〕、p377~412、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2132}}<br />
* [[栗原彬]]「民衆にとっての平和──民衆宗教大本の平和思想を緒口に」、『平和研究』昭和58年(1983年)11月号〔8号〕、p121、日本平和学会、{{obn|2133}}<br />
* 「昭和の手紙 出口王仁三郎・すみの書簡」、『別冊太陽』昭和59年(1984年)6月25日号、p16、平凡社、{{obn|2134}}<br />
* [[尾辻克彦]]「教祖王仁三郎の精華」、『芸術新潮』昭和60年(1985年)3月号〔36巻3号〕、p64、新潮社、{{obn|2135}}<br />
* [[出口栄二]]「日本近代における政治と宗教のかかわり──祭神論争を通して」、『社会科学討究』昭和61年(1986年)12月号〔32巻2号〕、p331~364、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2136}}<br />
* [[薄井篤子]]「女性教祖の誕生」、『宗教研究』昭和62年(1987年)〔274号〕、宗教時報社、{{obn|2137}}<br />
* [[渡辺雅子]]「ちりめんの町における大本教の受容と展開」、『明治学院論叢』昭和62年(1987年)2月号〔通号403号〕、p1、明治学院大学、{{obn|2138}}<br />
* [[内藤国夫]]「神声天眼学会・倉田地久統理 言霊信仰の超過激<人はいま、なぜ新宗教に走るか(2)ふだん着の教祖サマかく語りき>」、『現代』昭和62年(1987年)3月号、p174~176、講談社、{{obn|2139}}<br />
* [[石川明保]]「中国が発祥 紅卍字会 人類最大の災厄に対処する術とは<日本の霊法集団4>」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)8月号、p42、全貌社、{{obn|2140}}<br />
* [[石川明保]]「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、{{obn|2141}}<br />
* 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、{{obn|2142}}<br />
* 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14-15、講談社、{{obn|2143}}<br />
* 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、{{obn|2144}}<br />
* [[野田晴巳]]「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、{{obn|2145}}<br />
* [[上之郷利昭]]「明治・大正・昭和 有名人おもしろまじめ交遊図巻 英文学者の入信で世間の評価を高めた大本教 出口王仁三郎、浅野和三郎」、『歴史読本臨時増刊』昭和63年(1988年)11月5日号、p92、新人物往来社、{{obn|2146}}<br />
<br />
== 平成 ==<br />
* [[四方田犬彦]]「書評 出口王仁三郎の「霊界物語」の復刊が始まった」、『SPA!』平成元年(1989年)6月21日号、p136、扶桑社、{{obn|2147}}<br />
* [[出口京太郎]]「大本の健康観とヒーリング(日本民間療法大観)」、『思想の科学』平成元年(1989年)10月号〔通号121号〕、p43~48、思想の科学社、{{obn|2148}}<br />
* [[出口京太郎]]「致知随想 世界平和を可能にする心」、『致知』平成2年(1990年)1月号、p95、致知出版社、{{obn|2149}}<br />
* [[滝沢誠]]・[[松本健一]]「対談 幻の大高麗国と出口王仁三郎」、『知識』平成2年(1990年)4月号〔通号100号〕、p254、彩文社、{{obn|2150}}<br />
* [[栗原彬]]「変容する社会主義 市民フォーラム・大本教・ネットワーキング」、『朝日ジャーナル臨時増刊』平成2年(1990年)6月20日号〔32巻24号〕、p150、朝日新聞社、{{obn|2151}}<br />
* [[山口文憲]]「日本ばちかん巡り 第3回 大本 霊界二都物語」、『芸術新潮』平成2年(1990年)9月号、p125、新潮社、{{obn|2152}}<br />
* 「TEMPO インシデント 亡くなった大本教3代教主「出口直日」の傷跡」、『週刊新潮』平成2年(1990年)10月4日号、p26、新潮社、{{obn|2153}}<br />
* [[平川宗信]]「第二次大本教治安維持法違反事件」、『別冊ジュリスト 109号 宗教判例百選(第二版)』平成3年(1991年)1月10日号、p232-233、有斐閣、{{obn|2154}}<br />
* [[早川和広]]「深層追及レポート 宗教界再編の目は立正佼成会、大本、黒住教」、『宝石』平成3年(1991年)2月号、p174、光文社、{{obn|2155}}<br />
* 「ひかり教会 至恩郷 岡本三典 “芸術家教祖”の遺作を守って<グラビア 平成の教祖たち(16)>」、『アサヒ芸能』平成3年(1991年)4月25日号、p96~97、徳間書店、{{obn|2156}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(1)」、『社会学論叢』平成3年(1991年)6月号〔通号111号〕、p75、日本大学社会学会、{{obn|2157}}<br />
* [[アレックス・カー]]「失われし美を求めて 第8回 大本教の国際部に就職し…」、『新潮45』平成3年(1991年)11月号、p164、新潮社、{{obn|2158}}<br />
* [[松本健一]]「中山みき・出口なお──神がかりする女性」、『彷書月刊』平成4年(1992年)〔8巻2号〕、弘隆社、{{obn|2159}}<br />
* 「墓碑銘 大本事件で迫害、拷問を受けた出口日出麿氏」、『週刊新潮』平成4年(1992年)1月16日号、p119、新潮社、{{obn|2160}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読7 増殖への憎悪」、『正論』平成4年(1992年)5月号、p340、産業経済新聞社、{{obn|2161}}<br />
* [[井上順孝]]「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、{{obn|2162}}<br />
* [[デ二ス・バッド・グレイ]]「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、{{obn|2163}}<br />
* [[鎌田東二]]「評論 大本霊学と内部生命論」『文芸』第31巻第3号、平成4年(1992年)8月、p296~302、河出書房新社、{{obn|2227}}<br />
* 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、{{obn|2194}}<br />
* [[松本健一]]「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、{{obn|2164}}<br />
* [[武田崇元]]「巨人・出口王仁三郎の黙示」、『ムー』平成5年(1993年)2月号〔15巻2号〕、p36、学習研究社、{{obn|2165}}<br />
* 「ドイモイ(刷新)の進む社会主義国ベトナムで復興著しいカオダイ教とは」、『VIEWS』平成5年(1993年)5月26日号、p119、講談社、{{obn|2166}}<br />
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(2)」、『社会学論叢』平成5年(1993年)6月号〔通号117号〕、p61、日本大学社会学会、{{obn|2167}}<br />
* [[岡田信子]]「生きた、愛した、時代をつくった日本を創った女たち 第69回 大本教開祖 出口なお」、『週刊女性』平成5年(1993年)8月17日号、p174、主婦と生活社、{{obn|2168}}<br />
* [[佐高信]]「男言葉と改憲論」、『世界』平成6年(1994年)2月号、p238、岩波書店、{{obn|2169}}<br />
* [[佐高信]]「風速計 エスペラント(大本教のエスペラント運動支援)」、『週刊金曜日』平成7年(1995年)4月28日号、p4、金曜日、{{obn|2170}}<br />
* [[原田実]]「私が出会ったもうひとりの「カリスマ」──武田崇元とオカルト雑誌『ムー』、の軌跡」平成7年(1995年)11月号『宝島30』、p138~147、宝島社、{{obn|2171}}<br />
* [[武田崇元]](インタビュー・中島渉)「80年代オカルト一代記!」、『宝島30』平成8年(1996年)1月号、宝島社、{{obn|2172}}<br />
* [[大橋幸泰]]「安丸良夫著「出口なお」を読む」、『民衆史研究』平成8年(1996年)11月号〔通号52号〕、p16~25、民衆史研究会、{{obn|2173}}<br />
* [[南伸坊]]・[[能美勉]]「渥美清とヴィンセント・エドワーズ、ラスプーチンと出口王仁三郎、野口英世とマタ・ハリ」、『太陽』平成8年(1996年)11月号〔34巻12号〕、p149、博文館、{{obn|2174}}<br />
* 「(アートニュース)出口すみこの芸術・ほか」、『日経アート』平成11年(1999年)1月号〔12巻1号〕、p69~76、日本経済新聞社、{{obn|2175}}<br />
* [[武田崇元]]「昭和神聖会と出口王仁三郎」、『福神』平成11年(1999年)12月号〔通号2号〕、p46~56、福神研究所、{{obn|2176}}<br />
* [[武田崇元]]「平田篤胤から国家神道へ」、『福神』平成12年(2000年)3月号〔通号3号〕、p69~77、福神研究所、{{obn|2177}}<br />
* [[五十嵐太郎]]「復元思想の社会史(第19回)宗教建築の破壊と創造──大本教の弾圧をめぐって 」、『住宅建築』平成12年(2000年)8月号〔通号305号〕、p158、建築資料研究社、{{obn|2178}}<br />
* [[藤野七穂]]「偽史源流行(18)反大本運動の中の皇道宣揚会」、『歴史読本』平成13年(2001年)6月号、p220、新人物往来社、{{obn|2180}}<br />
* [[熊田一雄]]「大本聖師のトランスジェンダー志向を再考する 」、『愛知学院大学文学部紀要』平成14年(2002年)、p1、愛知学院大学文学会、{{obn|2181}}<br />
* [[広瀬浩二郎]]「人類愛善運動の史的意義──大本教のエスペラント・芸術・武道・農業への取り組み」、『国立民族学博物館研究報告』平成14年(2002年)〔27巻1号〕、p1-24、国立民族学博物館、{{obn|2182}}<br />
* [[津城寛文]]「国体思想・大本霊学・日蓮主義」、『神道宗教』平成14年(2002年)4月号、p128、神道宗教学会、{{obn|2183}}<br />
* [[森孝一]]「出口王仁三郎の陶芸について──出口王仁三郎とその一門の作品展より」、『陶説』平成14年(2002年)9月号〔通号594号〕、p46、日本陶磁協会、{{obn|2184}}<br />
* [[藤村耕治]]「大本と高橋和巳『邪宗門』──現実を峻拒する宗教」、『国文学 解釈と教材の研究』平成15年(2003年)5月号、p93、学灯社、{{obn|2185}}<br />
* [[熊田一雄]]「大衆宗教と男らしさ──出口王仁三郎の言説から」、『現代のエスプリ』平成16年(2004年)9月号2004年9月号、p163-172、ぎょうせい、{{obn|2186}}<br />
* [[窪田英樹]]「天皇制に関する研究──大本教典「霊界物語」の神格論を巡る第2次大本事件裁判記録」、『Journal of IOND University』平成17年(2005年)1月号、p193~223、イオンド大学出版局、{{obn|2187}}<br />
* [[兵頭晶子]]「大正期の「精神」概念──大本教と『変態心理』の相克を通して」平成17年(2005年)6月号(通号344号)『宗教研究』、p97~120、日本宗教学会、{{obn|2188}}<br />
* [[豊嶋泰國]]「出口王仁三郎 超凡の巨人か「怪物」か」、『歴史読本』平成18年(2006年)3月号、p130-136、新人物往来社、{{obn|2189}}<br />
* [[牧野史敬]]「出口王仁三郎の霊界に学ぶ」、『アネモネ』平成18年(2006年)4月号、p42-43、ビオ・マガジン、{{obn|2190}}<br />
* 「出口王仁三郎・すみ 信仰と弾圧の狭間で(総力特集 「功名が辻」もびっくり! 明治・大正・昭和 13の有名夫婦「怪」事件簿)」、『新潮45』平成18年(2006年)4月号、p42-44、新潮社、{{obn|2191}}<br />
* [[出口信一]]「イラン・ダマバンド山平和祈念祭典を奉仕して 「文明の衝突」から「文明の融和」への転換をめざす八岐大蛇退治を!」、『月刊日本』平成18年(2006年)7月号、p38-45、K&Kプレス、{{bib|7947107}}、{{obn|2223}}<br />
* [[出口信一]]「「文明の共存」実現への鍵を持つ「日本的神観」の再認識を」、『月刊日本』平成18年(2006年)11月号、p86-91、K&Kプレス、{{obn|2192}}<br />
* [[出口信一]](解説)「みやびのことば」、『アネモネ』平成19年(2007年)3月号、p20-21、ビオ・マガジン、{{obn|2193}}<br />
* [[鎌田東二]]「柳宗悦と宮沢賢治と出口王仁三郎における宗教と芸術」、『京都造形芸術大学紀要』第12号、平成19年(2007年)発行、p128-138、{{bib|10230726}}、{{obn|2197}}<br />
* [[早瀬圭一]]「出口王仁三郎──世界平和を目指した満州の地で、張作霖に裏切られた一行の運命は?(特集 石原莞爾と満洲帝国)」、『歴史読本』平成21年(2009年)9月号、p134-137、{{bib|10360682}}、{{obn|2198}}<br />
* [[吉永進一]]「大正期大本教の宗教的場──出口王仁三郎、浅野和三郎、宗教的遍歴者たち」、『舞鶴工業高等専門学校紀要』第45号、平成22年(2010年)3月発行、p69-80、{{bib|10758788}}、{{obn|2199}}<br />
* [[上本雄一郎]]「出口王仁三郎のユーモア──その作品と「屁」」、『国文学』平成22年(2010年)5月号、p81-89、{{bib|10651159}}、{{obn|2200}}<br />
* [[坪内隆彦]]「日本文明の先駆者(31)興亜陣営とともに理想郷建設の夢を描いた宗教家 出口王仁三郎」、『月刊日本』平成22年(2010年)6月号、p84-91、ケイアンドケイプレス、{{bib|10676986}}、{{obn|2201}}<br />
* [[三浦小太郎]]「近代の闇 闇の近代(第7回) 出口王仁三郎と大本教弾圧」、『月刊日本』平成24年(2012年)4月号、p56-61、ケイアンドケイプレス、{{bib|023499438}}、{{obn|2202}}<br />
* [[執行草舟]]「Shigyo Sosyu Collection 憂国の芸術(第3回)国士の涙 頭山満・出口王仁三郎」、『正論』平成26年(2014年)4月号、p14-17、産経新聞社、{{bib|025295817}}、{{obn|2203}}<br />
* [[水内勇太]]「皇道大本の思想と行動 皇道大本前史(特集 日本宗教史像の再構築 トランスナショナルヒストリーを中心として 近代日本宗教史における〈皇道〉のポリティクス)」、『人文学報』第108号、平成27年(2015年)発行、p85-96、京都大学人文科学研究所、{{bib|027062143}}、{{obn|2204}}<br />
* [[鎌田東二]]・[[安藤礼二]]「討議 隠された神々の世界を求めて 折口信夫と出口王仁三郎から(総特集 神道を考える)」、『現代思想』平成29年(2017年)2月臨時増刊号、p54-71、青土社、{{bib|028310074}}、{{obn|2205}}<br />
* [[徐玄九]]「昭和維新運動 大本教・出口王仁三郎を中心に」、『専修人間科学論集 社会学篇』第8号、平成30年(2018年)3月発行、p53-64、専修大学人間科学学会、{{bib|029089975}}、{{obn|2206}}<br />
* [[川島堅二]]「出口王仁三郎『霊界物語』とキリスト教──キリスト教土着の一事例として」、『人文学と神学』第16号、平成31年(2019年)3月発行、p1-12、東北学院大学学術研究会、{{bib|029655659}}、{{obn|2207}}<br />
<br />
== 令和 ==<br />
* [[河原信之]]「出口王仁三郎と船岡妙霊教会物語」、『丹波』第21号、令和元年(2019年)11月発行、p77-94、丹波史談会、{{bib|030182053}}、{{obn|2208}}<br />
* [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命」<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第1回)二〇二〇年と一九二〇年が問いかけるもの」、『三田文学』令和2年(2020年)夏季号、p234-243、三田文学会、{{bib|030559619}}、{{obn|2209}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第2回)世直しと言直し」、『三田文学』令和2年(2020年)秋季号、p216-227、三田文学会、{{bib|030697532}}、{{obn|2210}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第3回)大正十年の言直し」、『三田文学』令和3年(2021年)冬季号、p222-234、三田文学会、{{bib|031258382}}、{{obn|2211}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第4回)大正十年の言直し(2)予言の淵源 承久の乱と日蓮の予言」、『三田文学』令和3年(2021年)春季号、p236-247、三田文学会、{{bib|031420856}}、{{obn|2212}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第5回)大正十年の言直し(3)聖苦と笑いの物語戦略」、『三田文学』令和3年(2021年)夏季号、p212-225、三田文学会、{{bib|031608837}}、{{obn|2213}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第6回)物語の二相系 分岐する日の語りと月の語り」、『三田文学』令和3年(2021年)秋季号、p262-275、三田文学会、{{bib|031770498}}、{{obn|2214}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第7回)関東大震災とモンゴル奇行」、『三田文学』令和4年(2022年)冬季号、p238-249、三田文学会、{{bib|031945038}}、{{obn|2215}}<br />
** [[鎌田東二]]「予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命(第8回)人類愛善と万教同根」、『三田文学』令和4年(2022年)春季号、p216-228、三田文学会、{{bib|032114443}}、{{obn|2216}}<br />
* [[石原和]]「稲荷講社と出口王仁三郎──講社所管教会という視点から(第78回学術大会紀要特集 パネル 近代宗教政策下における「教団」未満の宗教者たち)」、『宗教研究 別冊』第93号、令和2年(2020年)3月30日発行、日本宗教学会、{{bib|031849681}}、{{obn|2217}}<br />
* [[島薗進]]「あなた自身の死生観のために(第6回)罪を贖うスサノオと出口王仁三郎、太宰治」、『一冊の本』令和2年(2020年)10月号、p14-19、朝日新聞出版、{{bib|030679834}}、{{obn|2218}}<br />
* [[佐々充昭]]「大本教の皇道宣揚運動と人類愛善会朝鮮本部の設立 出口王仁三郎と内田良平との提携を中心に」、『立命館文學』第675号、令和3年(2021年)10月号、p281-321、立命館大学人文学会、{{bib|031839368}}、{{obn|2219}}<br />
* [[小野耕資]]「風土と共同体に基づく経済(24)出口王仁三郎の皇道経済論」、『国体文化』第1172号、令和4年(2022年)1月号、p18-21、日本国体学会、{{bib|031892826}}、{{obn|2220}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:雑誌記事]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9D%9E%E5%B8%B8%E6%99%82%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%A6%9A%E6%82%9F&diff=20347
非常時少年の覚悟
2024-03-19T21:46:09Z
<p>IHiroaki: ページの作成:「'''非常時少年の覚悟'''(ひじょうじしょうねんのかくご)は、昭和青年会の出版物。昭和9年(1934年)9月発行。昭和青年会…」</p>
<hr />
<div>'''非常時少年の覚悟'''(ひじょうじしょうねんのかくご)は、[[昭和青年会]]の出版物。昭和9年(1934年)9月発行。昭和青年会が組織した[[昭和少年隊]]の全国少年隊員雄弁大会が8月に開かれ、そこに選出された21名の少年隊員のうち8人の弁論が掲載された冊子。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
<br />
{|class="wikitable"<br />
! 題名<br />
| 非常時少年の覚悟<br />
|-<br />
! シリーズ名<br />
| 昭和少年叢書<br />
|-<br />
! 発行日<br />
| 昭和9年(1934年)9月30日<br />
|-<br />
! 発行所<br />
| [[昭和青年会]]本部<br />
|-<br />
! 判型<br />
| <br />
|-<br />
! 頁数<br />
| 33<br />
|-<br />
! 定価<br />
| 5銭<br />
|-<br />
! OBN<br />
| {{obn|1223}}<br />
|}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* {{Pid|1138269|非常時少年の覚悟}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:ひしようししようねんのかくこ}}<br />
[[Category:書籍]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9C%8A%E7%95%8C%E7%89%A9%E8%AA%9E%E7%AC%AC1%E5%B7%BB%E3%81%AE%E8%AB%B8%E6%9C%AC%E7%9B%B8%E9%81%95%E7%82%B9&diff=20346
霊界物語第1巻の諸本相違点
2024-03-18T22:41:58Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>{{RmSyohonSouiten|第1巻}}<br />
* 第1巻・第2巻・第27巻の御校正本は現存しないため、各版の編者が、戦前の版を元に、御校正本の他の巻の校正状況を参考にして編纂したようである。<br />
* 「初」は大正10年12月30日発行の初版のこと。<br />
* 「六」は大正14年2月8日発行の第六版のこと。<br />
<br />
----<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p44||確定的'''な'''ものではない。<br />
|-<br />
|愛||p3||確定的'''の'''ものではない。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p45||早く改心して下されよ。<br />
|-<br />
|愛||p4||早く改心'''いた'''して下されよ。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p47||悪を'''懲らし'''<br />
|-<br />
|愛||p8||悪を'''懲し'''<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p49下||確'''古'''不動の権力を<br />
|-<br />
|愛||p12||確'''固'''不動の権力を<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||着ること'''も'''できず、<br />
|-<br />
|愛||p22||着ることできず、<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||その'''御蔭'''によつて<br />
|-<br />
|愛||p22||その'''お蔭'''によつて<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||感謝のみの生活を'''楽しむ'''ことが<br />
|-<br />
|愛||p22||感謝のみの生活を'''楽む'''ことが<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p55上||『あの物音は'''何ん'''でせうか』<br />
|-<br />
|愛||p28||『あの物音は'''何'''でせうか』<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p57下||湯も水も修'''業'''中には禁制である。<br />
|-<br />
|愛||p34||湯も水も修'''行'''中には禁制である。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p58下||その修'''業'''が積んで、<br />
|-<br />
|愛||p38||その修'''行'''が積んで、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p59下||その水に美しい三十'''才'''余りの青年が<br />
|-<br />
|愛||p39||その水に美しい三十'''歳'''余りの青年が<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p60下||一度にパツ'''と'''消えて、<br />
|-<br />
|愛||p43||一度にパツ'''ト'''消えて、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p61下||前の「中」とい'''う'''鬼が現はれ、<br />
|-<br />
|愛||p45||前の「中」とい'''ふ'''鬼が現はれ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p65下||天国も地獄も皆自己の身魂より顕出する'''と'''。<br />
|-<br />
|愛||p55||天国も地獄も皆自己の身魂より顕出する。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p70下||大悪ただちに<br />
|-<br />
|愛||p68||大悪'''は'''ただちに<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p71上||右の方へ一目散に'''駈'''け出した。<br />
|-<br />
|愛||p70||右の方へ一目散に'''駆'''け出した。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p73上||また飛びつかうと狙'''う'''その時、<br />
|-<br />
|愛||p76||また飛びつかうと狙'''ふ'''その時、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p76下||神様に願つて許していただきたいと'''歎願'''した。<br />
|-<br />
|愛||p84||神様に願つて許していただきたいと'''嘆願'''した。<br />
|-<br />
|校||p84||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p112||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p78下||自分ながら実に涼しい<br />
|-<br />
|愛||p91||自分ながら'''も'''実に涼しい<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p81下||'''現'''界にて一層早く見ることもある。<br />
|-<br />
|愛||p99||'''限'''界にて一層早く見ることもある。<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p82下||諸罪悪に充'''み'''満ちて、<br />
|-<br />
|愛||p101||諸罪悪に充'''ち'''満ちて、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p83上||神界の修'''業'''に参加し、<br />
|-<br />
|愛||p102||神界の修'''行'''に参加し、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p144||神界平定後は'''天津日嗣命が現界を治め給ひ'''、国常立尊は幽政を総纜し給ひ、<br />
|-<br />
|六||p139||神界平定後は'''天津日継命が現界を治め給ひ'''、国常立尊は幽政を総纜し給ひ、(初版と同じだが、「嗣」が「継」になっている)<br />
|-<br />
|普||p65下||神界平定後は国常立の尊は幽政を総纜したまい、<br />
|-<br />
|校||p104||神界平定後は、国常立尊は幽政を総纜したまひ、<br />
|-<br />
|八||p83下||六版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p104||校定版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||{{Serious}}「嗣」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p83下||諸々の'''計画'''をめぐらしつつあるのである。<br />
|-<br />
|愛||p104||諸々の'''悪計'''をめぐらしつつあるのである。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p84下||神から'''充'''分保護をするから、<br />
|-<br />
|愛||p107||神から'''十'''分保護をするから、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p90下||雨が'''降'''すぎても<br />
|-<br />
|愛||p124||雨が'''降り'''すぎても<br />
|-<br />
|校||p124||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p91上||我'''儘'''放肆な人間の身魂に<br />
|-<br />
|愛||p125||我'''侭'''放肆な人間の身魂に<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(侭は儘の異体字。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p91上||数多の竜神がお現れになつた。<br />
|-<br />
|愛||p126||数多の竜神がお現'''は'''れになつた。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p96下||風雨電雷を叱'''咤'''し、<br />
|-<br />
|愛||p141||風雨電雷を叱'''咜'''し、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(一般には「叱咤」だが「叱咜」とも書く)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p98上||瑞の御'''霊'''を舌の剣、<br />
|-<br />
|愛||p145||瑞の御'''魂'''を舌の剣、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p100上||密'''義'''を凝らした。<br />
|-<br />
|愛||p151||密'''議'''を凝らした。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p102上||竹熊はなほ懲りずに、<br />
|-<br />
|愛||p156||竹熊はなほ懲りず'''ま'''に、<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ(「ま」は誤字だと思うので「懲りずに」にする。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p109上||三部将は'''あたま'''の風軍を引きつれ、<br />
|-<br />
|愛||p175||三部将は'''あまた'''の風軍を引きつれ、<br />
|-<br />
|校||p176||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p111下||三個の珠を一個づつ捧'''持'''して<br />
|-<br />
|愛||p183||三個の珠を一個づつ捧'''拝'''(ほうぢ)して<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ(「ほうぢ」とルビが振ってあるので「拝」は誤字だと思われる。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p112上||実に想'''像'''するに<br />
|-<br />
|愛||p185||実に想'''察'''するに<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p114下||これまで'''数度'''の戦ひに<br />
|-<br />
|愛||p193||これまで'''数多(あまた)'''の戦ひに<br />
|-<br />
|校||p193||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|六||p257||「数度(あまた)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p115上||かかる魔軍に計画あらむとは露だ'''に'''知らず、<br />
|-<br />
|愛||p193||かかる魔軍に計画あらむとは露だ'''も'''知らず、<br />
|-<br />
|校||p193||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p115下||信天翁の背に'''固'''く結びつけ、<br />
|-<br />
|愛||p194||信天翁の背に'''堅'''く結びつけ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p118下||或ひは水上に浮'''か'''び、<br />
|-<br />
|愛||p202||或ひは水上に浮(う)び、 (「か」が抜けている)<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
<br />
<hr style="height:2px;"><br />
{{Serious}}玉を手に入れた12柱の神司のうち、<br />
* 「亀若」が、校定版・八幡版・愛世版の第38章で、「亀彦」になっている。 →「[[亀若]]」「[[亀彦]]」<br />
* 「倉高」が、全ての版の第38章で、「高倉」になっている。 →「[[倉高]]」「[[高倉]]」<br />
** 霊界物語ネットでは、最初は「高倉」にしていたが、2016/12/24に読者の混乱を避けるため「倉高」に直した。<br />
* 「森鷹彦」が、初版以外の版の第38章で、「森高彦」になっている。 →「[[森鷹彦]]」「[[森高彦]]」<br />
** 霊界物語ネットでは、最初は「森高彦」にしていたが、2015/5/2に初版で確認したので「森鷹彦」に直した。<br />
(下記参照)<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p282(第38章)||田依彦、玉彦、芳彦、神彦、鶴若、'''亀若'''、'''高倉'''、杉生彦、高杉別、'''森鷹彦'''、猿彦、時彦 <玉を手に入れた12柱の神司><br />
|-<br />
|普||p106下||「亀若」「高倉」「森高彦」<br />
|-<br />
|校||p205||「亀彦」「高倉」「森高彦」<br />
|-<br />
|八||p119下||校定版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p205||校定版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||「亀若」「倉高」「森鷹彦」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p273(第37章)||高杉別、'''森鷹彦'''、田依彦、玉彦、芳彦、神彦、鶴若、'''亀若'''、'''倉高'''、杉生彦、時彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p199||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p199||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p303(第41章)||神彦、芳彦、高杉別、'''森鷹彦'''、鶴若、'''亀若'''、'''倉高'''、時彦、杉生彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p220||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p220||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p315(第42章)||芳彦、神彦、'''倉高'''、杉生彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p228||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p229||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
<hr style="height:2px;"><br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p122上||'''悪神(あくかみ)'''の仕組は<br />
|-<br />
|愛||p212||'''悪霊(あくがみ)'''の仕組は<br />
|-<br />
|校||p212||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|六||p281||「悪神(あくがみ)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p130上||亀若は緑の玉を生命'''を'''かけて<br />
|-<br />
|愛||p236||亀若は緑の玉を生命'''に'''かけて<br />
|-<br />
|校||p235||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p131下||如何にと待ち'''詫'''びた。<br />
|-<br />
|愛||p240||如何にと待ち'''詑'''びた。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(「詫」と「詑」は全く別字)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p135上||竹熊も武熊別も'''二神'''の誠意を疑はず、<br />
|-<br />
|愛||p250||竹熊も武熊別も'''二神司(にしん)'''の誠意を疑はず、<br />
|-<br />
|校||p249||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p333||「二神((に)しん)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(同じ章に「二神司」は5回使われているが「二神」は他には使われていないので「二神」は「二神司」の誤字誤植と判断する)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p135下||これより'''ふたり'''は竹熊の信任をえ、<br />
|-<br />
|愛||p250||これより'''二神司(にしん)'''は竹熊の信任をえ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p136下||と種々の虚'''儀'''を並べ、<br />
|-<br />
|愛||p252||と種々の虚'''偽'''を並べ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p139上||森鷹彦の'''変心'''に<br />
|-<br />
|愛||p261||森鷹彦の'''変身'''に<br />
|-<br />
|校||p261||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p349||「変心(へんしん)」<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
<br />
----<br />
== 竜世姫 ==<br />
[[竜世姫]]は、第1巻では2つの章に計4回出るが、版によって「竜代姫」と「竜世姫」という表記がある。第2巻では初版から全て「竜世姫」である。そのため「竜代姫」は誤表記と考えて、霊界物語ネットでは全て「竜世姫」という表記にする。<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
| || ||{{rm|1|47|エデン城塞陥落}}<br />
|-<br />
|初||p351||森鷹彦、竜'''代'''姫命、小島別命等の<br />
|-<br />
|六||p337||「代」<br />
|-<br />
|校||p252||「代」 ただし「森鷹彦、竜'''代'''姫、小島別等の」で「命」が省かれている。<br />
|-<br />
|愛||p252||「代」 校定版と同じく「命」が省かれている。<br />
|-<br />
|R|| ||「世」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
| || ||{{rm|1|48|鬼熊の終焉}}<br />
|-<br />
|初||p355-357||「竜'''代'''姫」が3回<br />
|-<br />
|六||p340-342||全て「代」<br />
|-<br />
|校||p254-256||全て「世」<br />
|-<br />
|愛||p254-256||「世」「代」「世」<br />
|-<br />
|R|| ||全て「世」<br />
|}<br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:霊界物語の諸本相違点]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9C%8A%E7%95%8C%E7%89%A9%E8%AA%9E%E7%AC%AC1%E5%B7%BB%E3%81%AE%E8%AB%B8%E6%9C%AC%E7%9B%B8%E9%81%95%E7%82%B9&diff=20345
霊界物語第1巻の諸本相違点
2024-03-18T22:38:19Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>{{RmSyohonSouiten|第1巻}}<br />
* 第1巻・第2巻・第27巻の御校正本は現存しないため、各版の編者が、戦前の版を元に、御校正本の他の巻の校正状況を参考にして編纂したようである。<br />
* 「初」は大正10年12月30日発行の初版のこと。<br />
* 「六」は大正14年2月8日発行の第六版のこと。<br />
<br />
----<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p44||確定的'''な'''ものではない。<br />
|-<br />
|愛||p3||確定的'''の'''ものではない。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p45||早く改心して下されよ。<br />
|-<br />
|愛||p4||早く改心'''いた'''して下されよ。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p47||悪を'''懲らし'''<br />
|-<br />
|愛||p8||悪を'''懲し'''<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p49下||確'''古'''不動の権力を<br />
|-<br />
|愛||p12||確'''固'''不動の権力を<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||着ること'''も'''できず、<br />
|-<br />
|愛||p22||着ることできず、<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||その'''御蔭'''によつて<br />
|-<br />
|愛||p22||その'''お蔭'''によつて<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||感謝のみの生活を'''楽しむ'''ことが<br />
|-<br />
|愛||p22||感謝のみの生活を'''楽む'''ことが<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p55上||『あの物音は'''何ん'''でせうか』<br />
|-<br />
|愛||p28||『あの物音は'''何'''でせうか』<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p57下||湯も水も修'''業'''中には禁制である。<br />
|-<br />
|愛||p34||湯も水も修'''行'''中には禁制である。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p58下||その修'''業'''が積んで、<br />
|-<br />
|愛||p38||その修'''行'''が積んで、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p59下||その水に美しい三十'''才'''余りの青年が<br />
|-<br />
|愛||p39||その水に美しい三十'''歳'''余りの青年が<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p60下||一度にパツ'''と'''消えて、<br />
|-<br />
|愛||p43||一度にパツ'''ト'''消えて、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p61下||前の「中」とい'''う'''鬼が現はれ、<br />
|-<br />
|愛||p45||前の「中」とい'''ふ'''鬼が現はれ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p65下||天国も地獄も皆自己の身魂より顕出する'''と'''。<br />
|-<br />
|愛||p55||天国も地獄も皆自己の身魂より顕出する。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p70下||大悪ただちに<br />
|-<br />
|愛||p68||大悪'''は'''ただちに<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p71上||右の方へ一目散に'''駈'''け出した。<br />
|-<br />
|愛||p70||右の方へ一目散に'''駆'''け出した。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p73上||また飛びつかうと狙'''う'''その時、<br />
|-<br />
|愛||p76||また飛びつかうと狙'''ふ'''その時、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p76下||神様に願つて許していただきたいと'''歎願'''した。<br />
|-<br />
|愛||p84||神様に願つて許していただきたいと'''嘆願'''した。<br />
|-<br />
|校||p84||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p112||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p78下||自分ながら実に涼しい<br />
|-<br />
|愛||p91||自分ながら'''も'''実に涼しい<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p81下||'''現'''界にて一層早く見ることもある。<br />
|-<br />
|愛||p99||'''限'''界にて一層早く見ることもある。<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p82下||諸罪悪に充'''み'''満ちて、<br />
|-<br />
|愛||p101||諸罪悪に充'''ち'''満ちて、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p83上||神界の修'''業'''に参加し、<br />
|-<br />
|愛||p102||神界の修'''行'''に参加し、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p144||神界平定後は'''天津日嗣命が現界を治め給ひ'''、国常立尊は幽政を総纜し給ひ、<br />
|-<br />
|六||p139||神界平定後は'''天津日継命が現界を治め給ひ'''、国常立尊は幽政を総纜し給ひ、(初版と同じだが、「嗣」が「継」になっている)<br />
|-<br />
|校||p104||神界平定後は、国常立尊は幽政を総纜したまひ、<br />
|-<br />
|八||p83下||六版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p104||校定版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||{{Serious}}「嗣」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p83下||諸々の'''計画'''をめぐらしつつあるのである。<br />
|-<br />
|愛||p104||諸々の'''悪計'''をめぐらしつつあるのである。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p84下||神から'''充'''分保護をするから、<br />
|-<br />
|愛||p107||神から'''十'''分保護をするから、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p90下||雨が'''降'''すぎても<br />
|-<br />
|愛||p124||雨が'''降り'''すぎても<br />
|-<br />
|校||p124||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p91上||我'''儘'''放肆な人間の身魂に<br />
|-<br />
|愛||p125||我'''侭'''放肆な人間の身魂に<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(侭は儘の異体字。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p91上||数多の竜神がお現れになつた。<br />
|-<br />
|愛||p126||数多の竜神がお現'''は'''れになつた。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p96下||風雨電雷を叱'''咤'''し、<br />
|-<br />
|愛||p141||風雨電雷を叱'''咜'''し、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(一般には「叱咤」だが「叱咜」とも書く)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p98上||瑞の御'''霊'''を舌の剣、<br />
|-<br />
|愛||p145||瑞の御'''魂'''を舌の剣、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p100上||密'''義'''を凝らした。<br />
|-<br />
|愛||p151||密'''議'''を凝らした。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p102上||竹熊はなほ懲りずに、<br />
|-<br />
|愛||p156||竹熊はなほ懲りず'''ま'''に、<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ(「ま」は誤字だと思うので「懲りずに」にする。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p109上||三部将は'''あたま'''の風軍を引きつれ、<br />
|-<br />
|愛||p175||三部将は'''あまた'''の風軍を引きつれ、<br />
|-<br />
|校||p176||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p111下||三個の珠を一個づつ捧'''持'''して<br />
|-<br />
|愛||p183||三個の珠を一個づつ捧'''拝'''(ほうぢ)して<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ(「ほうぢ」とルビが振ってあるので「拝」は誤字だと思われる。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p112上||実に想'''像'''するに<br />
|-<br />
|愛||p185||実に想'''察'''するに<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p114下||これまで'''数度'''の戦ひに<br />
|-<br />
|愛||p193||これまで'''数多(あまた)'''の戦ひに<br />
|-<br />
|校||p193||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|六||p257||「数度(あまた)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p115上||かかる魔軍に計画あらむとは露だ'''に'''知らず、<br />
|-<br />
|愛||p193||かかる魔軍に計画あらむとは露だ'''も'''知らず、<br />
|-<br />
|校||p193||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p115下||信天翁の背に'''固'''く結びつけ、<br />
|-<br />
|愛||p194||信天翁の背に'''堅'''く結びつけ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p118下||或ひは水上に浮'''か'''び、<br />
|-<br />
|愛||p202||或ひは水上に浮(う)び、 (「か」が抜けている)<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
<br />
<hr style="height:2px;"><br />
{{Serious}}玉を手に入れた12柱の神司のうち、<br />
* 「亀若」が、校定版・八幡版・愛世版の第38章で、「亀彦」になっている。 →「[[亀若]]」「[[亀彦]]」<br />
* 「倉高」が、全ての版の第38章で、「高倉」になっている。 →「[[倉高]]」「[[高倉]]」<br />
** 霊界物語ネットでは、最初は「高倉」にしていたが、2016/12/24に読者の混乱を避けるため「倉高」に直した。<br />
* 「森鷹彦」が、初版以外の版の第38章で、「森高彦」になっている。 →「[[森鷹彦]]」「[[森高彦]]」<br />
** 霊界物語ネットでは、最初は「森高彦」にしていたが、2015/5/2に初版で確認したので「森鷹彦」に直した。<br />
(下記参照)<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p282(第38章)||田依彦、玉彦、芳彦、神彦、鶴若、'''亀若'''、'''高倉'''、杉生彦、高杉別、'''森鷹彦'''、猿彦、時彦 <玉を手に入れた12柱の神司><br />
|-<br />
|普||p106下||「亀若」「高倉」「森高彦」<br />
|-<br />
|校||p205||「亀彦」「高倉」「森高彦」<br />
|-<br />
|八||p119下||校定版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p205||校定版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||「亀若」「倉高」「森鷹彦」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p273(第37章)||高杉別、'''森鷹彦'''、田依彦、玉彦、芳彦、神彦、鶴若、'''亀若'''、'''倉高'''、杉生彦、時彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p199||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p199||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p303(第41章)||神彦、芳彦、高杉別、'''森鷹彦'''、鶴若、'''亀若'''、'''倉高'''、時彦、杉生彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p220||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p220||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p315(第42章)||芳彦、神彦、'''倉高'''、杉生彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p228||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p229||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
<hr style="height:2px;"><br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p122上||'''悪神(あくかみ)'''の仕組は<br />
|-<br />
|愛||p212||'''悪霊(あくがみ)'''の仕組は<br />
|-<br />
|校||p212||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|六||p281||「悪神(あくがみ)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p130上||亀若は緑の玉を生命'''を'''かけて<br />
|-<br />
|愛||p236||亀若は緑の玉を生命'''に'''かけて<br />
|-<br />
|校||p235||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p131下||如何にと待ち'''詫'''びた。<br />
|-<br />
|愛||p240||如何にと待ち'''詑'''びた。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(「詫」と「詑」は全く別字)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p135上||竹熊も武熊別も'''二神'''の誠意を疑はず、<br />
|-<br />
|愛||p250||竹熊も武熊別も'''二神司(にしん)'''の誠意を疑はず、<br />
|-<br />
|校||p249||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p333||「二神((に)しん)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(同じ章に「二神司」は5回使われているが「二神」は他には使われていないので「二神」は「二神司」の誤字誤植と判断する)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p135下||これより'''ふたり'''は竹熊の信任をえ、<br />
|-<br />
|愛||p250||これより'''二神司(にしん)'''は竹熊の信任をえ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p136下||と種々の虚'''儀'''を並べ、<br />
|-<br />
|愛||p252||と種々の虚'''偽'''を並べ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p139上||森鷹彦の'''変心'''に<br />
|-<br />
|愛||p261||森鷹彦の'''変身'''に<br />
|-<br />
|校||p261||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p349||「変心(へんしん)」<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
<br />
----<br />
== 竜世姫 ==<br />
[[竜世姫]]は、第1巻では2つの章に計4回出るが、版によって「竜代姫」と「竜世姫」という表記がある。第2巻では初版から全て「竜世姫」である。そのため「竜代姫」は誤表記と考えて、霊界物語ネットでは全て「竜世姫」という表記にする。<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
| || ||{{rm|1|47|エデン城塞陥落}}<br />
|-<br />
|初||p351||森鷹彦、竜'''代'''姫命、小島別命等の<br />
|-<br />
|六||p337||「代」<br />
|-<br />
|校||p252||「代」 ただし「森鷹彦、竜'''代'''姫、小島別等の」で「命」が省かれている。<br />
|-<br />
|愛||p252||「代」 校定版と同じく「命」が省かれている。<br />
|-<br />
|R|| ||「世」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
| || ||{{rm|1|48|鬼熊の終焉}}<br />
|-<br />
|初||p355-357||「竜'''代'''姫」が3回<br />
|-<br />
|六||p340-342||全て「代」<br />
|-<br />
|校||p254-256||全て「世」<br />
|-<br />
|愛||p254-256||「世」「代」「世」<br />
|-<br />
|R|| ||全て「世」<br />
|}<br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:霊界物語の諸本相違点]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9C%8A%E7%95%8C%E7%89%A9%E8%AA%9E%E7%AC%AC1%E5%B7%BB%E3%81%AE%E8%AB%B8%E6%9C%AC%E7%9B%B8%E9%81%95%E7%82%B9&diff=20344
霊界物語第1巻の諸本相違点
2024-03-18T22:28:42Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>{{RmSyohonSouiten|第1巻}}<br />
* 第1巻・第2巻・第27巻の御校正本は現存しないため、各版の編者が、戦前の版を元に、御校正本の他の巻の校正状況を参考にして編纂したようである。<br />
* 「初」は大正10年12月30日発行の初版のこと。<br />
* 「六」は大正14年2月8日発行の第六版のこと。<br />
<br />
----<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p44||確定的'''な'''ものではない。<br />
|-<br />
|愛||p3||確定的'''の'''ものではない。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p45||早く改心して下されよ。<br />
|-<br />
|愛||p4||早く改心'''いた'''して下されよ。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p47||悪を'''懲らし'''<br />
|-<br />
|愛||p8||悪を'''懲し'''<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p49下||確'''古'''不動の権力を<br />
|-<br />
|愛||p12||確'''固'''不動の権力を<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||着ること'''も'''できず、<br />
|-<br />
|愛||p22||着ることできず、<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||その'''御蔭'''によつて<br />
|-<br />
|愛||p22||その'''お蔭'''によつて<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p53上||感謝のみの生活を'''楽しむ'''ことが<br />
|-<br />
|愛||p22||感謝のみの生活を'''楽む'''ことが<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p55上||『あの物音は'''何ん'''でせうか』<br />
|-<br />
|愛||p28||『あの物音は'''何'''でせうか』<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p57下||湯も水も修'''業'''中には禁制である。<br />
|-<br />
|愛||p34||湯も水も修'''行'''中には禁制である。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p58下||その修'''業'''が積んで、<br />
|-<br />
|愛||p38||その修'''行'''が積んで、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p59下||その水に美しい三十'''才'''余りの青年が<br />
|-<br />
|愛||p39||その水に美しい三十'''歳'''余りの青年が<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p60下||一度にパツ'''と'''消えて、<br />
|-<br />
|愛||p43||一度にパツ'''ト'''消えて、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p61下||前の「中」とい'''う'''鬼が現はれ、<br />
|-<br />
|愛||p45||前の「中」とい'''ふ'''鬼が現はれ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p65下||天国も地獄も皆自己の身魂より顕出する'''と'''。<br />
|-<br />
|愛||p55||天国も地獄も皆自己の身魂より顕出する。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p70下||大悪ただちに<br />
|-<br />
|愛||p68||大悪'''は'''ただちに<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p71上||右の方へ一目散に'''駈'''け出した。<br />
|-<br />
|愛||p70||右の方へ一目散に'''駆'''け出した。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p73上||また飛びつかうと狙'''う'''その時、<br />
|-<br />
|愛||p76||また飛びつかうと狙'''ふ'''その時、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p76下||神様に願つて許していただきたいと'''歎願'''した。<br />
|-<br />
|愛||p84||神様に願つて許していただきたいと'''嘆願'''した。<br />
|-<br />
|校||p84||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p112||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p78下||自分ながら実に涼しい<br />
|-<br />
|愛||p91||自分ながら'''も'''実に涼しい<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p81下||'''現'''界にて一層早く見ることもある。<br />
|-<br />
|愛||p99||'''限'''界にて一層早く見ることもある。<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p82下||諸罪悪に充'''み'''満ちて、<br />
|-<br />
|愛||p101||諸罪悪に充'''ち'''満ちて、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p83上||神界の修'''業'''に参加し、<br />
|-<br />
|愛||p102||神界の修'''行'''に参加し、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p144||神界平定後は'''天津日嗣命が現界を治め給ひ'''、国常立尊は幽政を総纜し給ひ、<br />
|-<br />
|六||p139||神界平定後は'''天津日継命が現界を治め給ひ'''、国常立尊は幽政を総纜し給ひ、(初版と同じだが、「嗣」が「継」になっている)<br />
|-<br />
|校||p104||神界平定後は、国常立尊は幽政を総纜したまひ、<br />
|-<br />
|八||p83下||六版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p104||校定版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||{{Serious}}「継」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p83下||諸々の'''計画'''をめぐらしつつあるのである。<br />
|-<br />
|愛||p104||諸々の'''悪計'''をめぐらしつつあるのである。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p84下||神から'''充'''分保護をするから、<br />
|-<br />
|愛||p107||神から'''十'''分保護をするから、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p90下||雨が'''降'''すぎても<br />
|-<br />
|愛||p124||雨が'''降り'''すぎても<br />
|-<br />
|校||p124||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p91上||我'''儘'''放肆な人間の身魂に<br />
|-<br />
|愛||p125||我'''侭'''放肆な人間の身魂に<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(侭は儘の異体字。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p91上||数多の竜神がお現れになつた。<br />
|-<br />
|愛||p126||数多の竜神がお現'''は'''れになつた。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p96下||風雨電雷を叱'''咤'''し、<br />
|-<br />
|愛||p141||風雨電雷を叱'''咜'''し、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(一般には「叱咤」だが「叱咜」とも書く)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p98上||瑞の御'''霊'''を舌の剣、<br />
|-<br />
|愛||p145||瑞の御'''魂'''を舌の剣、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p100上||密'''義'''を凝らした。<br />
|-<br />
|愛||p151||密'''議'''を凝らした。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p102上||竹熊はなほ懲りずに、<br />
|-<br />
|愛||p156||竹熊はなほ懲りず'''ま'''に、<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ(「ま」は誤字だと思うので「懲りずに」にする。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p109上||三部将は'''あたま'''の風軍を引きつれ、<br />
|-<br />
|愛||p175||三部将は'''あまた'''の風軍を引きつれ、<br />
|-<br />
|校||p176||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p111下||三個の珠を一個づつ捧'''持'''して<br />
|-<br />
|愛||p183||三個の珠を一個づつ捧'''拝'''(ほうぢ)して<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ(「ほうぢ」とルビが振ってあるので「拝」は誤字だと思われる。)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p112上||実に想'''像'''するに<br />
|-<br />
|愛||p185||実に想'''察'''するに<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p114下||これまで'''数度'''の戦ひに<br />
|-<br />
|愛||p193||これまで'''数多(あまた)'''の戦ひに<br />
|-<br />
|校||p193||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|六||p257||「数度(あまた)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p115上||かかる魔軍に計画あらむとは露だ'''に'''知らず、<br />
|-<br />
|愛||p193||かかる魔軍に計画あらむとは露だ'''も'''知らず、<br />
|-<br />
|校||p193||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p115下||信天翁の背に'''固'''く結びつけ、<br />
|-<br />
|愛||p194||信天翁の背に'''堅'''く結びつけ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p118下||或ひは水上に浮'''か'''び、<br />
|-<br />
|愛||p202||或ひは水上に浮(う)び、 (「か」が抜けている)<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
<br />
<hr style="height:2px;"><br />
{{Serious}}玉を手に入れた12柱の神司のうち、<br />
* 「亀若」が、校定版・八幡版・愛世版の第38章で、「亀彦」になっている。 →「[[亀若]]」「[[亀彦]]」<br />
* 「倉高」が、全ての版の第38章で、「高倉」になっている。 →「[[倉高]]」「[[高倉]]」<br />
** 霊界物語ネットでは、最初は「高倉」にしていたが、2016/12/24に読者の混乱を避けるため「倉高」に直した。<br />
* 「森鷹彦」が、初版以外の版の第38章で、「森高彦」になっている。 →「[[森鷹彦]]」「[[森高彦]]」<br />
** 霊界物語ネットでは、最初は「森高彦」にしていたが、2015/5/2に初版で確認したので「森鷹彦」に直した。<br />
(下記参照)<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p282(第38章)||田依彦、玉彦、芳彦、神彦、鶴若、'''亀若'''、'''高倉'''、杉生彦、高杉別、'''森鷹彦'''、猿彦、時彦 <玉を手に入れた12柱の神司><br />
|-<br />
|普||p106下||「亀若」「高倉」「森高彦」<br />
|-<br />
|校||p205||「亀彦」「高倉」「森高彦」<br />
|-<br />
|八||p119下||校定版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p205||校定版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||「亀若」「倉高」「森鷹彦」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p273(第37章)||高杉別、'''森鷹彦'''、田依彦、玉彦、芳彦、神彦、鶴若、'''亀若'''、'''倉高'''、杉生彦、時彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p199||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p199||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p303(第41章)||神彦、芳彦、高杉別、'''森鷹彦'''、鶴若、'''亀若'''、'''倉高'''、時彦、杉生彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p220||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p220||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|初||p315(第42章)||芳彦、神彦、'''倉高'''、杉生彦、猿彦<br />
|-<br />
|校||p228||初版と同じ<br />
|-<br />
|愛||p229||初版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||初版と同じ<br />
|}<br />
<hr style="height:2px;"><br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p122上||'''悪神(あくかみ)'''の仕組は<br />
|-<br />
|愛||p212||'''悪霊(あくがみ)'''の仕組は<br />
|-<br />
|校||p212||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|六||p281||「悪神(あくがみ)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p130上||亀若は緑の玉を生命'''を'''かけて<br />
|-<br />
|愛||p236||亀若は緑の玉を生命'''に'''かけて<br />
|-<br />
|校||p235||愛世版と同じ<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p131下||如何にと待ち'''詫'''びた。<br />
|-<br />
|愛||p240||如何にと待ち'''詑'''びた。<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(「詫」と「詑」は全く別字)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p135上||竹熊も武熊別も'''二神'''の誠意を疑はず、<br />
|-<br />
|愛||p250||竹熊も武熊別も'''二神司(にしん)'''の誠意を疑はず、<br />
|-<br />
|校||p249||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p333||「二神((に)しん)」<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ(同じ章に「二神司」は5回使われているが「二神」は他には使われていないので「二神」は「二神司」の誤字誤植と判断する)<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p135下||これより'''ふたり'''は竹熊の信任をえ、<br />
|-<br />
|愛||p250||これより'''二神司(にしん)'''は竹熊の信任をえ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p136下||と種々の虚'''儀'''を並べ、<br />
|-<br />
|愛||p252||と種々の虚'''偽'''を並べ、<br />
|-<br />
|R|| ||愛世版と同じ<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
|八||p139上||森鷹彦の'''変心'''に<br />
|-<br />
|愛||p261||森鷹彦の'''変身'''に<br />
|-<br />
|校||p261||八幡版と同じ<br />
|-<br />
|六||p349||「変心(へんしん)」<br />
|-<br />
|R|| ||八幡版と同じ<br />
|}<br />
<br />
----<br />
== 竜世姫 ==<br />
[[竜世姫]]は、第1巻では2つの章に計4回出るが、版によって「竜代姫」と「竜世姫」という表記がある。第2巻では初版から全て「竜世姫」である。そのため「竜代姫」は誤表記と考えて、霊界物語ネットでは全て「竜世姫」という表記にする。<br />
<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
| || ||{{rm|1|47|エデン城塞陥落}}<br />
|-<br />
|初||p351||森鷹彦、竜'''代'''姫命、小島別命等の<br />
|-<br />
|六||p337||「代」<br />
|-<br />
|校||p252||「代」 ただし「森鷹彦、竜'''代'''姫、小島別等の」で「命」が省かれている。<br />
|-<br />
|愛||p252||「代」 校定版と同じく「命」が省かれている。<br />
|-<br />
|R|| ||「世」<br />
|}<br />
{| class="rm_syohon_souiten"<br />
| || ||{{rm|1|48|鬼熊の終焉}}<br />
|-<br />
|初||p355-357||「竜'''代'''姫」が3回<br />
|-<br />
|六||p340-342||全て「代」<br />
|-<br />
|校||p254-256||全て「世」<br />
|-<br />
|愛||p254-256||「世」「代」「世」<br />
|-<br />
|R|| ||全て「世」<br />
|}<br />
<br />
{{デフォルトソート:*}}<br />
[[Category:霊界物語の諸本相違点]]</div>
IHiroaki
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日本と世界との比較対応地図
2024-03-17T23:38:58Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:日本と世界との比較対応地図(地理学上、国魂学上).jpg|thumb|『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』に掲載されている「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(上図)と「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(下図)]]<br />
[[ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg|thumb|『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」]]<br />
<br />
'''日本と世界との比較対応地図'''(にほんとせかいとのひかくたいおうちず)とは、日本のどの地域が、世界のどの地域の雛型なのか、その対応関係を示した地図である。<br />
<br />
『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』(昭和9年発行)に「'''地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(67頁)と「'''国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(68頁)の2種の地図が掲載されている。<br />
<br />
また、この2種の地図を混合させたような「'''日本と世界との比較対応地図'''」が『[[大本の神示と世界の将来]]』(昭和33年発行)の巻末に収録されている。<br />
<br />
<br style="clear:both;"><br />
== 対応表 ==<br />
次の表は、世界のどの地域と、日本のどの地域が対応しているのか、一覧表にしたものである。地図が三つあり、内容が少しずつ異なるので、三つそれぞれ対応させた。<br />
<br />
【凡例】<br />
* 一番上の項目名の「日本/地理学上」及び「日本/国魂学上」は全集掲載の「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」及び「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」における日本の地域で、「日本/大本の~」は『大本の神示と世界の将来』収録の「日本と世界との比較対応地図」における日本の地域である。<br />
* 地名の後ろに括弧書きで「地図では~」とあるのは、三つの比較対応地図ではそのように地名が表記されているということ。<br />
<br />
「地理学上」と「国魂学上」の違いが何を意味しているのかは不明である。また『大本の~』収録の地図が「地理学上」とも「国魂学上」とも少し異なっている理由も不明である。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
! 世界<br />
! 日本/地理学上<br />
! 日本/国魂学上<br />
! 日本/大本の~<br />
|-<br />
| class="a" | ユーラシア大陸<br />
| class="b" | 本州<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | アフリカ大陸<br />
| class="b" | 九州<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | オーストラリア大陸<br />
| class="b" | 四国<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 北アメリカ大陸<br />
| class="b" | 北海道<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 南アメリカ大陸<br />
| class="b" | 台湾島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アイスランド<br />
| class="b" | 壱岐<br />
| class="c" | 済州島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スピッツベルゲン島(ノルウェー・スヴァールバル諸島)<br />
| class="b" | 対馬<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 隠岐<br />
|-<br />
| class="a" | イギリス<br />
| class="b" | 隠岐<br />
| class="c" | グレートブリテン島が対馬、アイルランド島が壱岐<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スカンジナビア半島<br />
| class="b" | 能登半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ジブラルタル海峡<br />
| class="b" | 関門海峡(馬関海峡)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 地中海<br />
| class="b" | 瀬戸内海<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 黒海<br />
| class="b" | 大阪湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カスピ海(裏海)<br />
| class="b" | 琵琶湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アラル海<br />
| class="b" | 諏訪湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ダウガヴァ川(西ドヴィナ川)(地図ではヂェーナ河、ヂエー河)<br />
| class="b" | 射水川(いみずがわ)(富山県を流れる)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 北ドヴィナ川(地図ではドブイナ河)<br />
| class="b" | 神通川(じんずうがわ)(富山~岐阜県を流れる)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | オビ川(地図ではオブ河)<br />
| class="b" | 信濃川<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ノヴァヤゼムリャ列島<br />
| class="b" | 佐渡<br />
| class="c" | 隠岐<br />
| class="d" | 佐渡<br />
|-<br />
| class="a" | オビ湾(地図ではオブ湾)<br />
| class="b" | 八郎潟<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | エニセイ川(イェニセイ川)<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 最上川<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | レナ川<br />
| class="b" | 能代川(のしろがわ)・米代川(よねしろがわ)(能代川は秋田県を流れる米代川の河口付近での名称)<ref>新潟県を流れる能代川(のうだいがわ)は信濃川の支流で内陸を流れているので、レナ川には相応しないと思われる。また、最上川や八郎潟より青森寄りに位置しているので、レナ川に相応するのは秋田県の能代川だと思われる。</ref><br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バルハシ湖(地図ではバルカン湖)<br />
| class="b" | 猪苗代湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バイカル湖<br />
| class="b" | 十和田湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ベーリング海峡<br />
| class="b" | 津軽海峡<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | チュクチ半島<br />
| class="b" | 津軽半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カムチャッカ半島<br />
| class="b" | 下北半島(地図では陸奥半島)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 黒竜江<br />
| class="b" | 最上川<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 最上川<br />
|-<br />
| class="a" | 朝鮮半島<br />
| class="b" | 牡鹿半島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 黄海<br />
| class="b" | 石巻湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 黄河<br />
| class="b" | 阿武隈川(福島県~宮城県を流れる)<br />
| class="c" | 北上川(岩手県を流れる)<br />
| class="d" | 阿武隈川<br />
|-<br />
| class="a" | 揚子江<br />
| class="b" | 利根川(関東平野を流れる)<br />
| class="c" | 阿武隈川<br />
| class="d" | 利根川<br />
|-<br />
| class="a" | パプアニューギニア島<br />
| class="b" | 淡路島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 淡路島<br />
|-<br />
| class="a" | マレー諸島(地図では馬来群島)<br />
| class="b" | (伊豆諸島?)<ref name="Malay">「馬来群島」と「マライ半島」の中間に「伊豆〓島」と書いてあり、〓は「半」なのか「諸」なのか判読不能。</ref><br />
| class="c" | 小笠原諸島<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | マレーシア半島<br />
| class="b" | (伊豆半島?)<ref name="Malay" /><br />
| class="c" | 伊豆半島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スマトラ島<br />
| class="b" | 伊豆大島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 伊豆大島<br />
|-<br />
| class="a" | タイランド湾(シャム湾)<br />
| class="b" | 東京湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ガンジス川<br />
| class="b" | 富士川<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | ベンガル湾<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 駿河湾<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | インド半島<br />
| class="b" | 御前崎<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ヒマラヤ山脈<br />
| class="b" | 富士山<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | インダス川<br />
| class="b" | 天竜川(長野県~静岡県を流れる)<br />
| class="c" | 利根川<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | アラビア湾<br />
| class="b" | 伊勢湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 熊野灘<br />
|-<br />
| class="a" | ユーフラテス川<br />
| class="b" | 木曽川<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アラビア半島<br />
| class="b" | 紀伊半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | マダカスカル島<br />
| class="b" | 種子島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カーペンタリア湾(オーストラリア北部にある)<br />
| class="b" | 燧灘(ひうちなだ)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | オーストラリア湾(オーストラリア南部にある)<br />
| class="b" | 土佐湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | グリーンランド<br />
| class="b" | 樺太<br />
| class="c" | カムチャッカ半島<br />
| class="d" | 樺太<br />
|-<br />
| class="a" | パリー諸島(カナダ)(地図ではパーリ列島、ペアリー列島)<br />
| class="b" | 千島列島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バフィン島(カナダ)<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 樺太<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | ハドソン湾(カナダ)<br />
| class="b" | 根室湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ラブラドル半島<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 国後島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | メキシコ湾<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 内浦湾(噴火湾)<br />
| class="d" | 同左<br />
|}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[雛型]]<br />
* [[相応]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3&diff=20342
日本と世界との比較対応地図
2024-03-17T22:11:50Z
<p>IHiroaki: /* 対応表 */</p>
<hr />
<div>[[ファイル:日本と世界との比較対応地図(地理学上、国魂学上).jpg|thumb|『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』に掲載されている「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(上図)と「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(下図)]]<br />
[[ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg|thumb|『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」]]<br />
<br />
'''日本と世界との比較対応地図'''(にほんとせかいとのひかくたいおうちず)とは、日本のどの地域が、世界のどの地域の雛型なのか、その対応関係を示した地図である。<br />
<br />
『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』(昭和9年発行)に「'''地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(67頁)と「'''国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(68頁)の2種の地図が掲載されている。<br />
<br />
また、この2種の地図を混合させたような「'''日本と世界との比較対応地図'''」が『[[大本の神示と世界の将来]]』(昭和33年発行)の巻末に収録されている。<br />
<br />
<br style="clear:both;"><br />
== 対応表 ==<br />
次の表は、世界のどの地域と、日本のどの地域が対応しているのか、一覧表にしたものである。地図が三つあり、内容が少しずつ異なるので、三つそれぞれ対応させた。<br />
<br />
【凡例】<br />
* 一番上の項目名の「日本/地理学上」及び「日本/国魂学上」は全集掲載の「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」及び「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」における日本の地域で、「日本/大本の~」は『大本の神示と世界の将来』収録の「日本と世界との比較対応地図」における日本の地域である。<br />
* 地名の後ろに括弧書きで「地図では~」とあるのは、三つの比較対応地図ではそのように地名が表記されているということ。<br />
<br />
「地理学上」と「国魂学上」の違いが何を意味しているのかは不明である。また『大本の~』収録の地図が「地理学上」とも「国魂学上」とも少し異なっている理由も不明である。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
! 世界<br />
! 日本/地理学上<br />
! 日本/国魂学上<br />
! 日本/大本の~<br />
|-<br />
| class="a" | ユーラシア大陸<br />
| class="b" | 本州<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | アフリカ大陸<br />
| class="b" | 九州<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | オーストラリア大陸<br />
| class="b" | 四国<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 北アメリカ大陸<br />
| class="b" | 北海道<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 南アメリカ大陸<br />
| class="b" | 台湾島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アイスランド<br />
| class="b" | 壱岐<br />
| class="c" | 済州島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スピッツベルゲン島(ノルウェー・スヴァールバル諸島)<br />
| class="b" | 対馬<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 隠岐<br />
|-<br />
| class="a" | イギリス<br />
| class="b" | 隠岐<br />
| class="c" | グレートブリテン島が対馬、アイルランド島が壱岐<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スカンジナビア半島<br />
| class="b" | 能登半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ジブラルタル海峡<br />
| class="b" | 関門海峡(馬関海峡)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 地中海<br />
| class="b" | 瀬戸内海<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 黒海<br />
| class="b" | 大阪湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カスピ海(裏海)<br />
| class="b" | 琵琶湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アラル海<br />
| class="b" | 諏訪湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ダウガヴァ川(西ドヴィナ川)(地図ではヂェーナ河、ヂエー河)<br />
| class="b" | 射水川(いみずがわ)(富山県を流れる)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 北ドヴィナ川(地図ではドブイナ河)<br />
| class="b" | 神通川(じんずうがわ)(富山~岐阜県を流れる)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | オビ川(地図ではオブ河)<br />
| class="b" | 信濃川<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ノヴァヤゼムリャ列島<br />
| class="b" | 佐渡<br />
| class="c" | 隠岐<br />
| class="d" | 佐渡<br />
|-<br />
| class="a" | オビ湾(地図ではオブ湾)<br />
| class="b" | 八郎潟<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | エニセイ川(イェニセイ川)<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 最上川<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | レナ川<br />
| class="b" | 能代川(のしろがわ)・米代川(よねしろがわ)(能代川は秋田県を流れる米代川の河口付近での名称)<ref>新潟県を流れる能代川(のうだいがわ)は信濃川の支流で内陸を流れているので、レナ川には相応しないと思われる。また、最上川や八郎潟より青森寄りに位置しているので、レナ川に相応するのは秋田県の能代川だと思われる。</ref><br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バルハシ湖(地図ではバルカン湖)<br />
| class="b" | 猪苗代湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バイカル湖<br />
| class="b" | 十和田湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ベーリング海峡<br />
| class="b" | 津軽海峡<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | チュクチ半島<br />
| class="b" | 津軽半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カムチャッカ半島<br />
| class="b" | 下北半島(地図では陸奥半島)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 黒竜江<br />
| class="b" | 最上川<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 最上川<br />
|-<br />
| class="a" | 朝鮮半島<br />
| class="b" | 牡鹿半島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 黄海<br />
| class="b" | 石巻湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 黄河<br />
| class="b" | 阿武隈川(福島県~宮城県を流れる)<br />
| class="c" | 北上川(岩手県を流れる)<br />
| class="d" | 阿武隈川<br />
|-<br />
| class="a" | 揚子江<br />
| class="b" | 利根川(関東平野を流れる)<br />
| class="c" | 阿武隈川<br />
| class="d" | 利根川<br />
|-<br />
| class="a" | パプアニューギニア島<br />
| class="b" | 淡路島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 淡路島<br />
|-<br />
| class="a" | マレー諸島(地図では馬来群島)<br />
| class="b" | (伊豆諸島?)<ref name="Malay">「馬来群島」と「マライ半島」の中間に「伊豆〓島」と書いてあり、〓は「半」なのか「諸」なのか判読不能。</ref><br />
| class="c" | 小笠原諸島<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | マレーシア半島<br />
| class="b" | (伊豆半島?)<ref name="Malay" /><br />
| class="c" | 伊豆半島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スマトラ島<br />
| class="b" | 伊豆大島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 伊豆大島<br />
|-<br />
| class="a" | タイランド湾(シャム湾)<br />
| class="b" | 東京湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ガンジス川<br />
| class="b" | 富士川<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | ベンガル湾<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 駿河湾<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | インド半島<br />
| class="b" | 御前崎<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ヒマラヤ山脈<br />
| class="b" | 富士山<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | インダス川<br />
| class="b" | 天竜川(長野県~静岡県を流れる)<br />
| class="c" | 利根川<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | アラビア湾<br />
| class="b" | 伊勢湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 熊野灘<br />
|-<br />
| class="a" | ユーフラテス川<br />
| class="b" | 木曽川<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アラビア半島<br />
| class="b" | 紀伊半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | マダカスカル島<br />
| class="b" | 種子島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カーペンタリア湾(オーストラリア北部にある)<br />
| class="b" | 燧灘(ひうちなだ)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | オーストラリア湾(オーストラリア南部にある)<br />
| class="b" | 土佐湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | グリーンランド<br />
| class="b" | 樺太<br />
| class="c" | カムチャッカ半島<br />
| class="d" | 樺太<br />
|-<br />
| class="a" | パリー諸島(カナダ)(地図ではパーリ列島、ペアリー列島)<br />
| class="b" | 千島列島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バフィン島(カナダ)<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 樺太<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | ハドソン湾(カナダ)<br />
| class="b" | 根室湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ラブラドル半島<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 国後島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | メキシコ湾<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 内浦湾(噴火湾)<br />
| class="d" | 同左<br />
|}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3&diff=20341
日本と世界との比較対応地図
2024-03-17T21:59:55Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:日本と世界との比較対応地図(地理学上、国魂学上).jpg|thumb|『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』に掲載されている「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(上図)と「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(下図)]]<br />
[[ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg|thumb|『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」]]<br />
<br />
'''日本と世界との比較対応地図'''(にほんとせかいとのひかくたいおうちず)とは、日本のどの地域が、世界のどの地域の雛型なのか、その対応関係を示した地図である。<br />
<br />
『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』(昭和9年発行)に「'''地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(67頁)と「'''国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(68頁)の2種の地図が掲載されている。<br />
<br />
また、この2種の地図を混合させたような「'''日本と世界との比較対応地図'''」が『[[大本の神示と世界の将来]]』(昭和33年発行)の巻末に収録されている。<br />
<br />
<br style="clear:both;"><br />
== 対応表 ==<br />
{| class="wikitable"<br />
! 世界<br />
! 日本/地理学上<br />
! 日本/国魂学上<br />
! 日本/大本の~<br />
|-<br />
| class="a" | ユーラシア大陸<br />
| class="b" | 本州<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | アフリカ大陸<br />
| class="b" | 九州<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | オーストラリア大陸<br />
| class="b" | 四国<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 北アメリカ大陸<br />
| class="b" | 北海道<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 南アメリカ大陸<br />
| class="b" | 台湾島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アイスランド<br />
| class="b" | 壱岐<br />
| class="c" | 済州島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スピッツベルゲン島(ノルウェー・スヴァールバル諸島)<br />
| class="b" | 対馬<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 隠岐<br />
|-<br />
| class="a" | イギリス<br />
| class="b" | 隠岐<br />
| class="c" | グレートブリテン島が対馬、アイルランド島が壱岐<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スカンジナビア半島<br />
| class="b" | 能登半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ジブラルタル海峡<br />
| class="b" | 関門海峡(馬関海峡)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 地中海<br />
| class="b" | 瀬戸内海<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 黒海<br />
| class="b" | 大阪湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カスピ海(裏海)<br />
| class="b" | 琵琶湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アラル海<br />
| class="b" | 諏訪湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ダウガヴァ川(西ドヴィナ川)(地図ではヂェーナ河、ヂエー河)<br />
| class="b" | 射水川(いみずがわ)(富山県を流れる)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 北ドヴィナ川(地図ではドブイナ河)<br />
| class="b" | 神通川(じんずうがわ)(富山~岐阜県を流れる)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | オビ川(地図ではオブ河)<br />
| class="b" | 信濃川<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ノヴァヤゼムリャ列島<br />
| class="b" | 佐渡<br />
| class="c" | 隠岐<br />
| class="d" | 佐渡<br />
|-<br />
| class="a" | オビ湾(地図ではオブ湾)<br />
| class="b" | 八郎潟<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | エニセイ川(イェニセイ川)<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 最上川<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | レナ川<br />
| class="b" | 能代川(のしろがわ)・米代川(よねしろがわ)(能代川は秋田県を流れる米代川の河口付近での名称)<ref>新潟県を流れる能代川(のうだいがわ)は信濃川の支流で内陸を流れているので、レナ川には相応しないと思われる。また、最上川や八郎潟より青森寄りに位置しているので、レナ川に相応するのは秋田県の能代川だと思われる。</ref><br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バルハシ湖(地図ではバルカン湖)<br />
| class="b" | 猪苗代湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バイカル湖<br />
| class="b" | 十和田湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ベーリング海峡<br />
| class="b" | 津軽海峡<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | チュクチ半島<br />
| class="b" | 津軽半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カムチャッカ半島<br />
| class="b" | 下北半島(地図では陸奥半島)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 黒竜江<br />
| class="b" | 最上川<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 最上川<br />
|-<br />
| class="a" | 朝鮮半島<br />
| class="b" | 牡鹿半島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 黄海<br />
| class="b" | 石巻湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 黄河<br />
| class="b" | 阿武隈川(福島県~宮城県を流れる)<br />
| class="c" | 北上川(岩手県を流れる)<br />
| class="d" | 阿武隈川<br />
|-<br />
| class="a" | 揚子江<br />
| class="b" | 利根川(関東平野を流れる)<br />
| class="c" | 阿武隈川<br />
| class="d" | 利根川<br />
|-<br />
| class="a" | パプアニューギニア島<br />
| class="b" | 淡路島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 淡路島<br />
|-<br />
| class="a" | マレー諸島(地図では馬来群島)<br />
| class="b" | (伊豆諸島?)<ref name="Malay">「馬来群島」と「マライ半島」の中間に「伊豆〓島」と書いてあり、〓は「半」なのか「諸」なのか判読不能。</ref><br />
| class="c" | 小笠原諸島<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | マレーシア半島<br />
| class="b" | (伊豆半島?)<ref name="Malay" /><br />
| class="c" | 伊豆半島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スマトラ島<br />
| class="b" | 伊豆大島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 伊豆大島<br />
|-<br />
| class="a" | タイランド湾(シャム湾)<br />
| class="b" | 東京湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ガンジス川<br />
| class="b" | 富士川<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | ベンガル湾<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 駿河湾<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | インド半島<br />
| class="b" | 御前崎<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ヒマラヤ山脈<br />
| class="b" | 富士山<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | インダス川<br />
| class="b" | 天竜川(長野県~静岡県を流れる)<br />
| class="c" | 利根川<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | アラビア湾<br />
| class="b" | 伊勢湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 熊野灘<br />
|-<br />
| class="a" | ユーフラテス川<br />
| class="b" | 木曽川<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アラビア半島<br />
| class="b" | 紀伊半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | マダカスカル島<br />
| class="b" | 種子島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カーペンタリア湾(オーストラリア北部にある)<br />
| class="b" | 燧灘(ひうちなだ)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | オーストラリア湾(オーストラリア南部にある)<br />
| class="b" | 土佐湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | グリーンランド<br />
| class="b" | 樺太<br />
| class="c" | カムチャッカ半島<br />
| class="d" | 樺太<br />
|-<br />
| class="a" | パリー諸島(カナダ)(地図ではパーリ列島、ペアリー列島)<br />
| class="b" | 千島列島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バフィン島(カナダ)<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 樺太<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | ハドソン湾(カナダ)<br />
| class="b" | 根室湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ラブラドル半島<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 国後島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | メキシコ湾<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 内浦湾(噴火湾)<br />
| class="d" | 同左<br />
|}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3&diff=20340
日本と世界との比較対応地図
2024-03-17T21:58:09Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:日本と世界との比較対応地図(地理学上、国魂学上).jpg|thumb|『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』に掲載されている「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(上図)と「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(下図)]]<br />
[[ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg|thumb|『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」]]<br />
<br />
'''日本と世界との比較対応地図'''(にほんとせかいとのひかくたいおうちず)とは、日本のどの地域が、世界のどの地域の雛型なのか、その対応関係を示した地図である。<br />
<br />
『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』(昭和9年発行)に「'''地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(67頁)と「'''国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(68頁)の2種の地図が掲載されている。<br />
<br />
また、この2種の地図を混合させたような「'''日本と世界との比較対応地図'''」が『[[大本の神示と世界の将来]]』(昭和33年発行)の巻末に収録されている。<br />
<br />
== 対応表 ==<br />
{| class="wikitable"<br />
! 世界<br />
! 日本/地理学上<br />
! 日本/国魂学上<br />
! 日本/大本の~<br />
|-<br />
| class="a" | ユーラシア大陸<br />
| class="b" | 本州<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | アフリカ大陸<br />
| class="b" | 九州<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | オーストラリア大陸<br />
| class="b" | 四国<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 北アメリカ大陸<br />
| class="b" | 北海道<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 南アメリカ大陸<br />
| class="b" | 台湾島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アイスランド<br />
| class="b" | 壱岐<br />
| class="c" | 済州島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スピッツベルゲン島(ノルウェー・スヴァールバル諸島)<br />
| class="b" | 対馬<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 隠岐<br />
|-<br />
| class="a" | イギリス<br />
| class="b" | 隠岐<br />
| class="c" | グレートブリテン島が対馬、アイルランド島が壱岐<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スカンジナビア半島<br />
| class="b" | 能登半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ジブラルタル海峡<br />
| class="b" | 関門海峡(馬関海峡)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 地中海<br />
| class="b" | 瀬戸内海<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 黒海<br />
| class="b" | 大阪湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カスピ海(裏海)<br />
| class="b" | 琵琶湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アラル海<br />
| class="b" | 諏訪湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ダウガヴァ川(西ドヴィナ川)(地図ではヂェーナ河、ヂエー河)<br />
| class="b" | 射水川(いみずがわ)(富山県を流れる)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 北ドヴィナ川(地図ではドブイナ河)<br />
| class="b" | 神通川(じんずうがわ)(富山~岐阜県を流れる)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | オビ川(地図ではオブ河)<br />
| class="b" | 信濃川<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ノヴァヤゼムリャ列島<br />
| class="b" | 佐渡<br />
| class="c" | 隠岐<br />
| class="d" | 佐渡<br />
|-<br />
| class="a" | オビ湾(地図ではオブ湾)<br />
| class="b" | 八郎潟<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | エニセイ川(イェニセイ川)<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 最上川<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | レナ川<br />
| class="b" | 能代川(のしろがわ)・米代川(よねしろがわ)(能代川は秋田県を流れる米代川の河口付近での名称)<ref>新潟県を流れる能代川(のうだいがわ)は信濃川の支流で内陸を流れているので、レナ川には相応しないと思われる。また、最上川や八郎潟より青森寄りに位置しているので、レナ川に相応するのは秋田県の能代川だと思われる。</ref><br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バルハシ湖(地図ではバルカン湖)<br />
| class="b" | 猪苗代湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バイカル湖<br />
| class="b" | 十和田湖<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ベーリング海峡<br />
| class="b" | 津軽海峡<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | チュクチ半島<br />
| class="b" | 津軽半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カムチャッカ半島<br />
| class="b" | 下北半島(地図では陸奥半島)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | 黒竜江<br />
| class="b" | 最上川<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 最上川<br />
|-<br />
| class="a" | 朝鮮半島<br />
| class="b" | 牡鹿半島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 黄海<br />
| class="b" | 石巻湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | 黄河<br />
| class="b" | 阿武隈川(福島県~宮城県を流れる)<br />
| class="c" | 北上川(岩手県を流れる)<br />
| class="d" | 阿武隈川<br />
|-<br />
| class="a" | 揚子江<br />
| class="b" | 利根川(関東平野を流れる)<br />
| class="c" | 阿武隈川<br />
| class="d" | 利根川<br />
|-<br />
| class="a" | パプアニューギニア島<br />
| class="b" | 淡路島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 淡路島<br />
|-<br />
| class="a" | マレー諸島(地図では馬来群島)<br />
| class="b" | (伊豆諸島?)<ref name="Malay">「馬来群島」と「マライ半島」の中間に「伊豆〓島」と書いてあり、〓は「半」なのか「諸」なのか判読不能。</ref><br />
| class="c" | 小笠原諸島<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | マレーシア半島<br />
| class="b" | (伊豆半島?)<ref name="Malay" /><br />
| class="c" | 伊豆半島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | スマトラ島<br />
| class="b" | 伊豆大島<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | 伊豆大島<br />
|-<br />
| class="a" | タイランド湾(シャム湾)<br />
| class="b" | 東京湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ガンジス川<br />
| class="b" | 富士川<br />
| class="c" | (無記載)<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | ベンガル湾<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 駿河湾<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | インド半島<br />
| class="b" | 御前崎<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ヒマラヤ山脈<br />
| class="b" | 富士山<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | インダス川<br />
| class="b" | 天竜川(長野県~静岡県を流れる)<br />
| class="c" | 利根川<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | アラビア湾<br />
| class="b" | 伊勢湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 熊野灘<br />
|-<br />
| class="a" | ユーフラテス川<br />
| class="b" | 木曽川<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | アラビア半島<br />
| class="b" | 紀伊半島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | マダカスカル島<br />
| class="b" | 種子島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | カーペンタリア湾(オーストラリア北部にある)<br />
| class="b" | 燧灘(ひうちなだ)<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | オーストラリア湾(オーストラリア南部にある)<br />
| class="b" | 土佐湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | グリーンランド<br />
| class="b" | 樺太<br />
| class="c" | カムチャッカ半島<br />
| class="d" | 樺太<br />
|-<br />
| class="a" | パリー諸島(カナダ)(地図ではパーリ列島、ペアリー列島)<br />
| class="b" | 千島列島<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | バフィン島(カナダ)<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 樺太<br />
| class="d" | (無記載)<br />
|-<br />
| class="a" | ハドソン湾(カナダ)<br />
| class="b" | 根室湾<br />
| class="c" | 同左<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | ラブラドル半島<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 国後島<br />
| class="d" | 同左<br />
|-<br />
| class="a" | メキシコ湾<br />
| class="b" | (無記載)<br />
| class="c" | 内浦湾(噴火湾)<br />
| class="d" | 同左<br />
|}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E9%9C%8A%E7%95%8C%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%88%B9&diff=20339
霊界物語の船
2024-03-17T21:52:15Z
<p>IHiroaki: カテゴリ:霊界物語の船への転送ページ</p>
<hr />
<div>#REDIRECT [[カテゴリ:霊界物語の船]]</div>
IHiroaki
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日本と世界との比較対応地図
2024-03-17T21:48:05Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:日本と世界との比較対応地図(地理学上、国魂学上).jpg|thumb|『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』に掲載されている「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(上図)と「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(下図)]]<br />
[[ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg|thumb|『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」]]<br />
<br />
'''日本と世界との比較対応地図'''(にほんとせかいとのひかくたいおうちず)とは、日本のどの地域が、世界のどの地域の雛型なのか、その対応関係を示した地図である。<br />
<br />
『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』(昭和9年発行)に「'''地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(67頁)と「'''国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(68頁)の2種の地図が掲載されている。<br />
<br />
また、この2種の地図を混合させたような「'''日本と世界との比較対応地図'''」が『[[大本の神示と世界の将来]]』(昭和33年発行)の巻末に収録されている。<br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3&diff=20337
日本と世界との比較対応地図
2024-03-17T21:45:45Z
<p>IHiroaki: ページの作成:「'''日本と世界との比較対応地図'''(にほんとせかいとのひかくたいおうちず)とは、日本のどの地域が、世界のどの地域の雛…」</p>
<hr />
<div>'''日本と世界との比較対応地図'''(にほんとせかいとのひかくたいおうちず)とは、日本のどの地域が、世界のどの地域の雛型なのか、その対応関係を示した地図である。<br />
<br />
『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』(昭和9年発行)に「'''地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(67頁)と「'''国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図'''」(68頁)の2種の地図が掲載されている。<br />
<br />
また、この2種の地図を混合させたような「'''日本と世界との比較対応地図'''」が『[[大本の神示と世界の将来]]』(昭和33年発行)の巻末に収録されている。<br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%AB%AD&diff=20336
大本神諭
2024-03-17T03:30:10Z
<p>IHiroaki: /* 天声社以外 */</p>
<hr />
<div>{{kakikake}}<br />
'''大本神諭'''(おおもとしんゆ)は、[[大本]]の[[二大教典]]の一つ。<br />
<br />
[[出口直]]が[[艮の金神]]の神示を半紙に筆で自動書記したものを「[[筆先]]」と呼ぶ。筆先は平仮名と漢数字だけで書かれており、それを[[王仁三郎]]が解釈して漢字をあてはめて発表したものが「大本神諭」である。<ref>{{rm09|7|0003|総説}}:「教祖の直筆は所謂お筆先であり、そのお筆先を神示に随つて、取捨按配して発表したのが大本神諭である」</ref><br />
<br />
== 呼び方 ==<br />
* 大本神諭を「筆先」と呼ぶ場合もある。王仁三郎自身が「筆先」と「大本神諭」をあまり厳密に呼び分けていない。<br />
* 「[[裏の神諭]]」に対して「表の神諭」とも呼ばれる。単に「神諭」と言う場合には大本神諭のことである。「経の神諭」「経の筆先」と呼ばれる場合もある。<br />
<br />
== 筆先の書記 ==<br />
[[ファイル:筆先.jpg|thumb|||出口直が書いた筆先。]]<br />
<br />
明治25年(1892年)旧元旦の夜、出口直は艮の金神の霊夢を見た。その五日後の旧正月5日(新2月3日)の夜から発動するようになり、艮の金神の神示を声に発するようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1211|開教}}」</ref><br />
<br />
明治26年(1893年)4月、放火の嫌疑をかけられ、犯人が見つかって直は放免されたが、娘婿の[[大槻鹿造]](長女・米の夫)は直を座敷牢に閉じ込めてしまった。40日後に出牢するが、入牢中に釘で柱に書いたのが筆先の始まりとされる。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1221|放火の嫌疑}}」</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」</ref><br />
<br />
{{Inyou|<br />
開祖は、帰神中に大声をあげて叫ぶことが、入牢のそもそもの原因になったことから、神に、もうこれから叫ぶことのないように、とうったえてやまなかった。すると、神は、「それでは筆をとれ」と命じた。開祖は、じぶんは文字をまったく知らないのに、とためらっていると、「お前が書くのではない。神が書かすのであるから、疑わずに筆をもて」と重ねての神示があった。近くにあった一本の古釘を手にとって動かしてみると、ひとりでに手が動き、牢の柱になにか文字のようなものを、しきりに書かせられる。出牢後、命じられるままに筆を手にすると、いろはのひらがなで、スラスラと文字が書けだした。これが筆先のはじまりである。<br />
<br />
筆先を書くようになってから、帰神の発動はしずまった。|『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」}}<br />
<br />
いつから半紙に筆で書くようになったのは、はっきり判っていないが、明治26年(1893年)の秋以降と推定されている。年月日が記された筆先の写しで、現存する最古のものは、明治27年旧4月8日のものである。<ref>『[[大地の母]] 第5巻』「{{obc|B138905c01|唐行き}}」:「実際に筆を持って紙に書いたのは、八木から帰った二十六年秋以降と推定される。八木にいる期間に筆先を書いたという資料はない。年月日が記入された現存する最も古い筆先の写しは、明治二十七年旧四月八日の物で、それ以前の筆先は内容によって年月を推定するばかりである。」</ref><br />
<br />
明治25年旧正月の「[[初発の神諭]]」は、筆先として存在したものではない。[[王仁三郎]]が明治26~27年頃の筆先を元にして復元したもので、出口直が帰神して口に発した言葉とされている<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1231|初発の神諭}}」</ref>。<br />
<br />
筆先は大正7年(1918年)11月に昇天するまで、およそ25年間で半紙20万枚(20枚綴りで1万冊)に上った。<ref name="B195401c1223">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1223|釘で記された筆先}}」</ref> <ref>{{rm09|1|9901|附記 霊界物語について}}:「教祖の書き残された一万巻の筆先も」</ref><br />
<br />
筆先の文字はは独特の書体で、いわゆる金釘流(ヘタ字)である。直は文盲であり、自分が書いた筆先に何が書いてあるのか読めなかったため、他人に読んでもらっていた。書体は20余年間上達もせず変わらなかった。そのため直も後には筆先の文字が読めるようになったようである。<ref name="B195401c1223" /><br />
<br />
== 大本神諭の発表 ==<br />
<br />
筆先は信者が筆写することはあったが、印刷物にはほとんど掲載されなかった。機関誌『[[直霊軍]]』や『[[このみち]]』に筆先の抜粋が載せられたことはあるが、まとまった形で発表され出したのは『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号以降である。<ref name="B195401c2142">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2142|神諭の発表}}」</ref><br />
<br />
筆先に漢字を当てることは外国身魂のやり方であるとして旧い役員たちが反対していたが<ref>「昔は、漢字で書いた本を読めばすぐ、外国の悪霊が憑いて居るのであると私を責めた位であるから、周囲に居る人に漢字の読めた人は一人も無い」〔{{kgm|034|厳と瑞}}〕というくらい漢字は拒絶されていた。</ref>、しかし平仮名主体の筆先は多様な解釈が出来るので、そのまま発表すると誤解を招くおそれがある。そのため王仁三郎は筆先の発表を見合わせていたようである。<ref name="B195401c2133">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2133|神島開き}}」</ref><br />
<br />
しかし大正5年(1916年)10月の[[神島開き]]によって、王仁三郎が「みろく様」の霊統であることが明らかにされたため、王仁三郎が筆先を取捨選択したり加筆したり漢字を当てはめたりすることが公然と可能になった。<ref name="B195401c2133" /><br />
<br />
こうして筆先が「神諭」として『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号から大正9年(1920年)9月号まで掲載・発表された。<ref name="B195401c2142" /><br />
<br />
発表された順序は、筆先が書かれた年月日の順ではなく、ランダムである。<br />
<br />
『神霊界』には「おふでさき」と題して平仮名文の筆先も掲載されている。<br />
<br />
== 大本神諭の刊本 ==<br />
<br />
神霊界で発表された大本神諭は、単行本となり、大正7年(1918年)12月に『大本神諭 第一輯』が、翌8年2月に『大本神諭 第二輯』が刊行された。8年11月にはこの2輯を合わせて『大本神諭 天の巻』として刊行された。計画ではその後『火の巻』『水の巻』『地の巻』の計4巻出す予定だったが、『火の巻』は9年7月28日に出版された後、すぐに当局により発禁処分となり、残りは出版されずに終わった。<br />
<br />
大正10年(1921年)[[第一次大本事件]]の後は、新たな教典として[[霊界物語]]の刊行が進められたが、大正12年4月に口述された第60巻第20~25章には大本神諭が「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」として収録されている。<br />
<br />
これは[[筆先]]を新たに解釈し直したものであり、使われている言葉や表現に相違がある。 →「[[#大本神諭と三五神諭の相違点]]」を見よ<br />
<br />
=== 昭和二十五年版 ===<br />
第二次大戦後はまず、昭和25年(1950年)8月に『大本神諭 第一集』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和二十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
第一集だけであり、第二集以降は刊行されていない。<br />
<br />
本書は明治25年から32年までの大本神諭を抜粋して収録したものである<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c7432|梅花運動}}」</ref>。また、基本的に平仮名だけで(数字は漢字)書かれている。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和二十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一集(昭和二十五年版)}}<br />
<br />
=== 昭和三十五年版 ===<br />
昭和35年(1960年)6月に『大本神諭 第一巻』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和三十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
主な特徴は、<br />
* 新仮名遣いに修正。<br />
* 未発表のもの<ref>王仁三郎が大本神諭として発表していない筆先に編者が漢字を当てはめたもの<br />
* 。</ref>も含めて、年月日順に収録。<br />
* [[三五神諭]]を参考にした語句の修正(「改心」を「改信」に修正する等)。<br />
などがある。また、文言がかなり削除されている(時代情勢に配慮したと思われる)。<br />
<br />
第一巻は明治25年から32年までの神諭が収録された。第二巻以降も発行予定だったが、結局発行されずに、新たに編纂し直された五巻本(次項参照)が刊行されている。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和三十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一巻(昭和三十五年版)}}<br />
<br />
=== 五巻本 ===<br />
昭和43年(1968年)から46年にかけて『大本神諭』が「第一集」から「第五集」<ref>第一集の「あとがき」に「既刊〝第一巻〟の神諭とは、その内容が増加し年月日の位置づけも改まりましたので、〝大本神諭第一集〟とよぶことにいたしました」と書かれている。</ref>まで全5巻(通称・五巻本)刊行された。これは王仁三郎が神霊界で発表した大本神諭とはまた別の発想で編纂されたもので、特徴としては、<br />
<br />
* 筆先の原文通りに平仮名を主とし、原則として現代仮名遣いにした。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「このたびは、できるだけ原文のとおり平がなを主とし、それを特定のもののほかは現代かなづかいにしました。しかし当てられていた漢字に、とくに聖師の意を用いられているところは、そのまま残さして頂きました。」</ref><br />
* 神霊界で発表されていない筆先も新たに収録した。<br />
* 筆先が書かれた順序で掲載した。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「この"大本神諭"には、未発表のものも新たに多く加えられ、厳密な調査検討のうえ、年月日順を正しく整理しなおしました。」</ref><br />
<br />
神霊界掲載の大本神諭が全277篇であるのに対して、五巻本収録の大本神諭は全972篇と、大幅に増加している。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (五巻本)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12282826|大本神諭 第一集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281092|大本神諭 第二集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281091|大本神諭 第三集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12280402|大本神諭 第四集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281090|大本神諭 第五集(五巻本)}}<br />
<br />
=== 七巻本 ===<br />
<br />
昭和58年(1983年)から59年にかけて『おほもとしんゆ』全7巻(通称・七巻本)が刊行された。特徴としては、<br />
<br />
* 神霊界掲載の大本神諭を底本にした。<br />
* 順序は神霊界に掲載された順序。<br />
* 新仮名遣い。<br />
* PC(ポリティカル・コレクトネス)処理。現代において差別的とされる言葉などを省略(削除)したり、平仮名にした。<br />
<br />
収録数は275篇であり、神霊界掲載のものと較べて2篇足りない。未収録の神諭は次の2篇である。<br />
<br />
* {{os|277|明治34年旧7月15日}}<br />
* {{os|155|大正7年旧10月29日}}:出口直の昇天(旧10月3日)後に王仁三郎が書記した艮の金神の神示。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (七巻本)]]」([[おほもとしんゆ]])<br />
<br />
* {{Pid|12280810|おほもとしんゆ 第一巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12282686|おほもとしんゆ 第二巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280757|おほもとしんゆ 第三巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280811|おほもとしんゆ 第四巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280367|おほもとしんゆ 第五巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280910|おほもとしんゆ 第六巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280779|おほもとしんゆ 第七巻(七巻本)}}<br />
<br />
=== 天声社以外 ===<br />
<br />
* 『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』昭和47年(1972年)、三一書房、P3~P104:火の巻が底本になっている。<br />
* 『大本神諭 天の巻』『大本神諭 火の巻』昭和54年(1979年)、平凡社・東洋文庫。 →詳細は「[[大本神諭 (東洋文庫版)]]」<br />
* 『[[大本史料集成]] Ⅰ 思想篇』1982年、三一書房、P13~P485:神霊界の大本神諭の他、筆先も含め多数。年代順に収録。<br />
* 『大本神諭』全5巻、平成22年(2010年)11月~平成24年8月、[[愛善世界社]]:神霊界掲載の大本神諭を元に、年代順に収録。 →詳細は「[[大本神諭 (愛善世界社版)]]」<br />
* 『大本神諭 水の巻』(別冊 大本教学)、平成22年(2010年)4月、[[大本信徒連合会]]:大正時代に「天の巻・火の巻(発禁処分)が出版され、水の巻は出版に向けて聖師様の校閲を得て第一校まで進行した段階で大本第一次弾圧事件が起こり、中断の止むなきに至っていた」(同書「序」より)が、それを研修資料として刊行したものである。神霊界で発表済みの神諭であり、新しいものはない。<br />
<br />
=== 刊行略年表 ===<br />
<br />
* 大正7年(1918年)12月、『大本神諭 第一輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)2月、『大本神諭 第二輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)11月、『大本神諭 天之巻』が大日本修斎会から発刊。(前掲の第一輯と第二輯を合わせたもの)<br />
* 大正9年(1920年)7月、『大本神諭 火之巻』が大日本修斎会から発刊。(8月に発禁処分となる)(水の巻、地の巻も発刊予定だった)<br />
* 昭和25年(1950年)8月、『大本神諭 第一巻』が瑞光社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和35年(1960年)6月、『大本神諭 第一集』が天声社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和43年(1968年)11月、『大本神諭』全5巻が大本教典刊行会から発刊(~昭和46年)。通称「五巻本」。<br />
* 昭和47年(1972年)3月、『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』に収録。(大正9年刊『大本神諭 火之巻』が底本)<br />
* 昭和54年(1979年)1月、『大本神諭 天の巻』、2月『同 火の巻』が平凡社・東洋文庫から発刊。<br />
* 昭和57年(1982年)6月、『[[大本史料集成]] 1』に未発表の筆先も含めて収録。<br />
* 昭和58年(1983年)2月、『おほもとしんゆ』全7巻が大本神諭刊行会から発刊(~昭和59年2月)。通称「七巻本」。<br />
* 平成22年(2010年)4月、『大本神諭 水の巻』(別冊大本教学)が大本信徒連合会から発刊。<br />
* 平成22年(2010年)11月、『大本神諭』全5巻が愛善世界社から発刊(~平成24年8月)。通称「愛善世界社版」。<br />
<br />
== 大本神諭の原本 ==<br />
大本神諭は二度の[[大本事件]]によって王仁三郎の直筆原稿が失われた。そのため『神霊界』に掲載されているものが「現存する唯一の全文そろった原本」<ref>『おほもとしんゆ 第一巻』「あとがき」p269</ref>である。<br />
<br />
== 大本神諭の内容 ==<br />
→「[[大本神諭の内容]]」を見よ<br />
<br />
== 大本神諭と三五神諭の相違点 ==<br />
[[霊界物語]][[第60巻]]第20~25章に「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」が収録されているが、大本神諭との主な違いは次の3つある。全体的に見て、厳霊的な解釈から、瑞霊的な解釈に変更されたというようなかんじである。<br />
<br />
'''(1) 大本神諭の「立替え立直し」という言葉が「天の岩戸開き」に置き換えられている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''立替へ立直し'''を致すぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a016|a017}}〕<br />
* 三五神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''天之岩戸開き'''を致すぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a016|a017}}〕<br />
<br />
'''(2) 外国差別・国粋主義的な表現が修正されている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「'''外国'''は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''国'''であるぞよ。'''日本も'''獣の世になりて居るぞよ。'''外国人'''にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a007|a013}}〕<ref>昭和58年(1983年)刊行の『おほもとしんゆ』(通称・七巻本)では「がいこくはけものの世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本もけものの世になりて居るぞよ。尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」になっており、「外国人にばかされて」は削除されている。</ref><br />
* 三五神諭:「'''今日'''(いま)は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''世'''であるぞよ。'''世界は'''獣の世になりて居るぞよ。'''邪神'''(あくがみ)にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a007|a013}}〕<br />
<br />
'''(3) 神のイメージが恐い神ではなく、優しい神に変わっている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「此世の鬼を往生さして、'''地震'''(じしん)'''雷'''(かみなり)'''火の雨'''降らして、'''○○○(たやさ)ねば'''、世界は神国にならんから」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a094|a097}}〕<br />
* 三五神諭:「此世の鬼を往生さして、'''慈神'''(じしん)'''神也'''(かみなり)'''慈悲の雨'''降らして、'''戒めねば'''、世界は神国にならんから」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a081|a084}}〕<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
脚注に明記されたもの以外の参考文献。<br />
<br />
* 『おほもとしんゆ 第一巻』(七巻本)「あとがき」<br />
* 『大本神諭 天の巻』平凡社・東洋文庫、p157~175、村上重良の「解説」<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[筆先]]<br />
* [[伊都能売神諭]]<br />
* [[裏の神諭]]<br />
* [[霊界物語]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* <wp>大本神諭</wp><br />
* [https://onidb.info/mview.php?title=sinyu 大本神諭、筆先、伊都能売神諭の総目次] - 王仁DB<br />
* [https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os 大本神諭] - 霊界物語ネット<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:おおもとしんゆ}}<br />
[[Category:大本神諭|*]]<br />
[[Category:文献]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%AB%AD&diff=20335
大本神諭
2024-03-17T03:28:41Z
<p>IHiroaki: /* 七巻本 */</p>
<hr />
<div>{{kakikake}}<br />
'''大本神諭'''(おおもとしんゆ)は、[[大本]]の[[二大教典]]の一つ。<br />
<br />
[[出口直]]が[[艮の金神]]の神示を半紙に筆で自動書記したものを「[[筆先]]」と呼ぶ。筆先は平仮名と漢数字だけで書かれており、それを[[王仁三郎]]が解釈して漢字をあてはめて発表したものが「大本神諭」である。<ref>{{rm09|7|0003|総説}}:「教祖の直筆は所謂お筆先であり、そのお筆先を神示に随つて、取捨按配して発表したのが大本神諭である」</ref><br />
<br />
== 呼び方 ==<br />
* 大本神諭を「筆先」と呼ぶ場合もある。王仁三郎自身が「筆先」と「大本神諭」をあまり厳密に呼び分けていない。<br />
* 「[[裏の神諭]]」に対して「表の神諭」とも呼ばれる。単に「神諭」と言う場合には大本神諭のことである。「経の神諭」「経の筆先」と呼ばれる場合もある。<br />
<br />
== 筆先の書記 ==<br />
[[ファイル:筆先.jpg|thumb|||出口直が書いた筆先。]]<br />
<br />
明治25年(1892年)旧元旦の夜、出口直は艮の金神の霊夢を見た。その五日後の旧正月5日(新2月3日)の夜から発動するようになり、艮の金神の神示を声に発するようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1211|開教}}」</ref><br />
<br />
明治26年(1893年)4月、放火の嫌疑をかけられ、犯人が見つかって直は放免されたが、娘婿の[[大槻鹿造]](長女・米の夫)は直を座敷牢に閉じ込めてしまった。40日後に出牢するが、入牢中に釘で柱に書いたのが筆先の始まりとされる。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1221|放火の嫌疑}}」</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」</ref><br />
<br />
{{Inyou|<br />
開祖は、帰神中に大声をあげて叫ぶことが、入牢のそもそもの原因になったことから、神に、もうこれから叫ぶことのないように、とうったえてやまなかった。すると、神は、「それでは筆をとれ」と命じた。開祖は、じぶんは文字をまったく知らないのに、とためらっていると、「お前が書くのではない。神が書かすのであるから、疑わずに筆をもて」と重ねての神示があった。近くにあった一本の古釘を手にとって動かしてみると、ひとりでに手が動き、牢の柱になにか文字のようなものを、しきりに書かせられる。出牢後、命じられるままに筆を手にすると、いろはのひらがなで、スラスラと文字が書けだした。これが筆先のはじまりである。<br />
<br />
筆先を書くようになってから、帰神の発動はしずまった。|『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」}}<br />
<br />
いつから半紙に筆で書くようになったのは、はっきり判っていないが、明治26年(1893年)の秋以降と推定されている。年月日が記された筆先の写しで、現存する最古のものは、明治27年旧4月8日のものである。<ref>『[[大地の母]] 第5巻』「{{obc|B138905c01|唐行き}}」:「実際に筆を持って紙に書いたのは、八木から帰った二十六年秋以降と推定される。八木にいる期間に筆先を書いたという資料はない。年月日が記入された現存する最も古い筆先の写しは、明治二十七年旧四月八日の物で、それ以前の筆先は内容によって年月を推定するばかりである。」</ref><br />
<br />
明治25年旧正月の「[[初発の神諭]]」は、筆先として存在したものではない。[[王仁三郎]]が明治26~27年頃の筆先を元にして復元したもので、出口直が帰神して口に発した言葉とされている<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1231|初発の神諭}}」</ref>。<br />
<br />
筆先は大正7年(1918年)11月に昇天するまで、およそ25年間で半紙20万枚(20枚綴りで1万冊)に上った。<ref name="B195401c1223">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1223|釘で記された筆先}}」</ref> <ref>{{rm09|1|9901|附記 霊界物語について}}:「教祖の書き残された一万巻の筆先も」</ref><br />
<br />
筆先の文字はは独特の書体で、いわゆる金釘流(ヘタ字)である。直は文盲であり、自分が書いた筆先に何が書いてあるのか読めなかったため、他人に読んでもらっていた。書体は20余年間上達もせず変わらなかった。そのため直も後には筆先の文字が読めるようになったようである。<ref name="B195401c1223" /><br />
<br />
== 大本神諭の発表 ==<br />
<br />
筆先は信者が筆写することはあったが、印刷物にはほとんど掲載されなかった。機関誌『[[直霊軍]]』や『[[このみち]]』に筆先の抜粋が載せられたことはあるが、まとまった形で発表され出したのは『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号以降である。<ref name="B195401c2142">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2142|神諭の発表}}」</ref><br />
<br />
筆先に漢字を当てることは外国身魂のやり方であるとして旧い役員たちが反対していたが<ref>「昔は、漢字で書いた本を読めばすぐ、外国の悪霊が憑いて居るのであると私を責めた位であるから、周囲に居る人に漢字の読めた人は一人も無い」〔{{kgm|034|厳と瑞}}〕というくらい漢字は拒絶されていた。</ref>、しかし平仮名主体の筆先は多様な解釈が出来るので、そのまま発表すると誤解を招くおそれがある。そのため王仁三郎は筆先の発表を見合わせていたようである。<ref name="B195401c2133">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2133|神島開き}}」</ref><br />
<br />
しかし大正5年(1916年)10月の[[神島開き]]によって、王仁三郎が「みろく様」の霊統であることが明らかにされたため、王仁三郎が筆先を取捨選択したり加筆したり漢字を当てはめたりすることが公然と可能になった。<ref name="B195401c2133" /><br />
<br />
こうして筆先が「神諭」として『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号から大正9年(1920年)9月号まで掲載・発表された。<ref name="B195401c2142" /><br />
<br />
発表された順序は、筆先が書かれた年月日の順ではなく、ランダムである。<br />
<br />
『神霊界』には「おふでさき」と題して平仮名文の筆先も掲載されている。<br />
<br />
== 大本神諭の刊本 ==<br />
<br />
神霊界で発表された大本神諭は、単行本となり、大正7年(1918年)12月に『大本神諭 第一輯』が、翌8年2月に『大本神諭 第二輯』が刊行された。8年11月にはこの2輯を合わせて『大本神諭 天の巻』として刊行された。計画ではその後『火の巻』『水の巻』『地の巻』の計4巻出す予定だったが、『火の巻』は9年7月28日に出版された後、すぐに当局により発禁処分となり、残りは出版されずに終わった。<br />
<br />
大正10年(1921年)[[第一次大本事件]]の後は、新たな教典として[[霊界物語]]の刊行が進められたが、大正12年4月に口述された第60巻第20~25章には大本神諭が「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」として収録されている。<br />
<br />
これは[[筆先]]を新たに解釈し直したものであり、使われている言葉や表現に相違がある。 →「[[#大本神諭と三五神諭の相違点]]」を見よ<br />
<br />
=== 昭和二十五年版 ===<br />
第二次大戦後はまず、昭和25年(1950年)8月に『大本神諭 第一集』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和二十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
第一集だけであり、第二集以降は刊行されていない。<br />
<br />
本書は明治25年から32年までの大本神諭を抜粋して収録したものである<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c7432|梅花運動}}」</ref>。また、基本的に平仮名だけで(数字は漢字)書かれている。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和二十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一集(昭和二十五年版)}}<br />
<br />
=== 昭和三十五年版 ===<br />
昭和35年(1960年)6月に『大本神諭 第一巻』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和三十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
主な特徴は、<br />
* 新仮名遣いに修正。<br />
* 未発表のもの<ref>王仁三郎が大本神諭として発表していない筆先に編者が漢字を当てはめたもの<br />
* 。</ref>も含めて、年月日順に収録。<br />
* [[三五神諭]]を参考にした語句の修正(「改心」を「改信」に修正する等)。<br />
などがある。また、文言がかなり削除されている(時代情勢に配慮したと思われる)。<br />
<br />
第一巻は明治25年から32年までの神諭が収録された。第二巻以降も発行予定だったが、結局発行されずに、新たに編纂し直された五巻本(次項参照)が刊行されている。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和三十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一巻(昭和三十五年版)}}<br />
<br />
=== 五巻本 ===<br />
昭和43年(1968年)から46年にかけて『大本神諭』が「第一集」から「第五集」<ref>第一集の「あとがき」に「既刊〝第一巻〟の神諭とは、その内容が増加し年月日の位置づけも改まりましたので、〝大本神諭第一集〟とよぶことにいたしました」と書かれている。</ref>まで全5巻(通称・五巻本)刊行された。これは王仁三郎が神霊界で発表した大本神諭とはまた別の発想で編纂されたもので、特徴としては、<br />
<br />
* 筆先の原文通りに平仮名を主とし、原則として現代仮名遣いにした。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「このたびは、できるだけ原文のとおり平がなを主とし、それを特定のもののほかは現代かなづかいにしました。しかし当てられていた漢字に、とくに聖師の意を用いられているところは、そのまま残さして頂きました。」</ref><br />
* 神霊界で発表されていない筆先も新たに収録した。<br />
* 筆先が書かれた順序で掲載した。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「この"大本神諭"には、未発表のものも新たに多く加えられ、厳密な調査検討のうえ、年月日順を正しく整理しなおしました。」</ref><br />
<br />
神霊界掲載の大本神諭が全277篇であるのに対して、五巻本収録の大本神諭は全972篇と、大幅に増加している。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (五巻本)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12282826|大本神諭 第一集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281092|大本神諭 第二集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281091|大本神諭 第三集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12280402|大本神諭 第四集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281090|大本神諭 第五集(五巻本)}}<br />
<br />
=== 七巻本 ===<br />
<br />
昭和58年(1983年)から59年にかけて『おほもとしんゆ』全7巻(通称・七巻本)が刊行された。特徴としては、<br />
<br />
* 神霊界掲載の大本神諭を底本にした。<br />
* 順序は神霊界に掲載された順序。<br />
* 新仮名遣い。<br />
* PC(ポリティカル・コレクトネス)処理。現代において差別的とされる言葉などを省略(削除)したり、平仮名にした。<br />
<br />
収録数は275篇であり、神霊界掲載のものと較べて2篇足りない。未収録の神諭は次の2篇である。<br />
<br />
* {{os|277|明治34年旧7月15日}}<br />
* {{os|155|大正7年旧10月29日}}:出口直の昇天(旧10月3日)後に王仁三郎が書記した艮の金神の神示。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (七巻本)]]」([[おほもとしんゆ]])<br />
<br />
* {{Pid|12280810|おほもとしんゆ 第一巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12282686|おほもとしんゆ 第二巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280757|おほもとしんゆ 第三巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280811|おほもとしんゆ 第四巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280367|おほもとしんゆ 第五巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280910|おほもとしんゆ 第六巻(七巻本)}}<br />
* {{Pid|12280779|おほもとしんゆ 第七巻(七巻本)}}<br />
<br />
=== 天声社以外 ===<br />
<br />
* 『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』昭和47年(1972年)、三一書房、P3~P104:火の巻が底本になっている。<br />
* 『大本神諭 天の巻』『大本神諭 火の巻』昭和54年(1979年)、平凡社・東洋文庫。 →詳細は「[[大本神諭 (東洋文庫版)]]」<br />
* 『大本史料集成 Ⅰ 思想篇』1982年、三一書房、P13~P485:神霊界の大本神諭の他、筆先も含め多数。年代順に収録。<br />
* 『大本神諭』全5巻、平成22年(2010年)11月~平成24年8月、[[愛善世界社]]:神霊界掲載の大本神諭を元に、年代順に収録。 →詳細は「[[大本神諭 (愛善世界社版)]]」<br />
* 『大本神諭 水の巻』(別冊 大本教学)、平成22年(2010年)4月、[[大本信徒連合会]]:大正時代に「天の巻・火の巻(発禁処分)が出版され、水の巻は出版に向けて聖師様の校閲を得て第一校まで進行した段階で大本第一次弾圧事件が起こり、中断の止むなきに至っていた」(同書「序」より)が、それを研修資料として刊行したものである。神霊界で発表済みの神諭であり、新しいものはない。<br />
<br />
=== 刊行略年表 ===<br />
<br />
* 大正7年(1918年)12月、『大本神諭 第一輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)2月、『大本神諭 第二輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)11月、『大本神諭 天之巻』が大日本修斎会から発刊。(前掲の第一輯と第二輯を合わせたもの)<br />
* 大正9年(1920年)7月、『大本神諭 火之巻』が大日本修斎会から発刊。(8月に発禁処分となる)(水の巻、地の巻も発刊予定だった)<br />
* 昭和25年(1950年)8月、『大本神諭 第一巻』が瑞光社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和35年(1960年)6月、『大本神諭 第一集』が天声社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和43年(1968年)11月、『大本神諭』全5巻が大本教典刊行会から発刊(~昭和46年)。通称「五巻本」。<br />
* 昭和47年(1972年)3月、『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』に収録。(大正9年刊『大本神諭 火之巻』が底本)<br />
* 昭和54年(1979年)1月、『大本神諭 天の巻』、2月『同 火の巻』が平凡社・東洋文庫から発刊。<br />
* 昭和57年(1982年)6月、『[[大本史料集成]] 1』に未発表の筆先も含めて収録。<br />
* 昭和58年(1983年)2月、『おほもとしんゆ』全7巻が大本神諭刊行会から発刊(~昭和59年2月)。通称「七巻本」。<br />
* 平成22年(2010年)4月、『大本神諭 水の巻』(別冊大本教学)が大本信徒連合会から発刊。<br />
* 平成22年(2010年)11月、『大本神諭』全5巻が愛善世界社から発刊(~平成24年8月)。通称「愛善世界社版」。<br />
<br />
== 大本神諭の原本 ==<br />
大本神諭は二度の[[大本事件]]によって王仁三郎の直筆原稿が失われた。そのため『神霊界』に掲載されているものが「現存する唯一の全文そろった原本」<ref>『おほもとしんゆ 第一巻』「あとがき」p269</ref>である。<br />
<br />
== 大本神諭の内容 ==<br />
→「[[大本神諭の内容]]」を見よ<br />
<br />
== 大本神諭と三五神諭の相違点 ==<br />
[[霊界物語]][[第60巻]]第20~25章に「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」が収録されているが、大本神諭との主な違いは次の3つある。全体的に見て、厳霊的な解釈から、瑞霊的な解釈に変更されたというようなかんじである。<br />
<br />
'''(1) 大本神諭の「立替え立直し」という言葉が「天の岩戸開き」に置き換えられている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''立替へ立直し'''を致すぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a016|a017}}〕<br />
* 三五神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''天之岩戸開き'''を致すぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a016|a017}}〕<br />
<br />
'''(2) 外国差別・国粋主義的な表現が修正されている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「'''外国'''は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''国'''であるぞよ。'''日本も'''獣の世になりて居るぞよ。'''外国人'''にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a007|a013}}〕<ref>昭和58年(1983年)刊行の『おほもとしんゆ』(通称・七巻本)では「がいこくはけものの世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本もけものの世になりて居るぞよ。尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」になっており、「外国人にばかされて」は削除されている。</ref><br />
* 三五神諭:「'''今日'''(いま)は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''世'''であるぞよ。'''世界は'''獣の世になりて居るぞよ。'''邪神'''(あくがみ)にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a007|a013}}〕<br />
<br />
'''(3) 神のイメージが恐い神ではなく、優しい神に変わっている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「此世の鬼を往生さして、'''地震'''(じしん)'''雷'''(かみなり)'''火の雨'''降らして、'''○○○(たやさ)ねば'''、世界は神国にならんから」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a094|a097}}〕<br />
* 三五神諭:「此世の鬼を往生さして、'''慈神'''(じしん)'''神也'''(かみなり)'''慈悲の雨'''降らして、'''戒めねば'''、世界は神国にならんから」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a081|a084}}〕<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
脚注に明記されたもの以外の参考文献。<br />
<br />
* 『おほもとしんゆ 第一巻』(七巻本)「あとがき」<br />
* 『大本神諭 天の巻』平凡社・東洋文庫、p157~175、村上重良の「解説」<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[筆先]]<br />
* [[伊都能売神諭]]<br />
* [[裏の神諭]]<br />
* [[霊界物語]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* <wp>大本神諭</wp><br />
* [https://onidb.info/mview.php?title=sinyu 大本神諭、筆先、伊都能売神諭の総目次] - 王仁DB<br />
* [https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os 大本神諭] - 霊界物語ネット<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:おおもとしんゆ}}<br />
[[Category:大本神諭|*]]<br />
[[Category:文献]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%AB%AD&diff=20334
大本神諭
2024-03-17T03:24:39Z
<p>IHiroaki: /* 昭和二十五年版 */</p>
<hr />
<div>{{kakikake}}<br />
'''大本神諭'''(おおもとしんゆ)は、[[大本]]の[[二大教典]]の一つ。<br />
<br />
[[出口直]]が[[艮の金神]]の神示を半紙に筆で自動書記したものを「[[筆先]]」と呼ぶ。筆先は平仮名と漢数字だけで書かれており、それを[[王仁三郎]]が解釈して漢字をあてはめて発表したものが「大本神諭」である。<ref>{{rm09|7|0003|総説}}:「教祖の直筆は所謂お筆先であり、そのお筆先を神示に随つて、取捨按配して発表したのが大本神諭である」</ref><br />
<br />
== 呼び方 ==<br />
* 大本神諭を「筆先」と呼ぶ場合もある。王仁三郎自身が「筆先」と「大本神諭」をあまり厳密に呼び分けていない。<br />
* 「[[裏の神諭]]」に対して「表の神諭」とも呼ばれる。単に「神諭」と言う場合には大本神諭のことである。「経の神諭」「経の筆先」と呼ばれる場合もある。<br />
<br />
== 筆先の書記 ==<br />
[[ファイル:筆先.jpg|thumb|||出口直が書いた筆先。]]<br />
<br />
明治25年(1892年)旧元旦の夜、出口直は艮の金神の霊夢を見た。その五日後の旧正月5日(新2月3日)の夜から発動するようになり、艮の金神の神示を声に発するようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1211|開教}}」</ref><br />
<br />
明治26年(1893年)4月、放火の嫌疑をかけられ、犯人が見つかって直は放免されたが、娘婿の[[大槻鹿造]](長女・米の夫)は直を座敷牢に閉じ込めてしまった。40日後に出牢するが、入牢中に釘で柱に書いたのが筆先の始まりとされる。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1221|放火の嫌疑}}」</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」</ref><br />
<br />
{{Inyou|<br />
開祖は、帰神中に大声をあげて叫ぶことが、入牢のそもそもの原因になったことから、神に、もうこれから叫ぶことのないように、とうったえてやまなかった。すると、神は、「それでは筆をとれ」と命じた。開祖は、じぶんは文字をまったく知らないのに、とためらっていると、「お前が書くのではない。神が書かすのであるから、疑わずに筆をもて」と重ねての神示があった。近くにあった一本の古釘を手にとって動かしてみると、ひとりでに手が動き、牢の柱になにか文字のようなものを、しきりに書かせられる。出牢後、命じられるままに筆を手にすると、いろはのひらがなで、スラスラと文字が書けだした。これが筆先のはじまりである。<br />
<br />
筆先を書くようになってから、帰神の発動はしずまった。|『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」}}<br />
<br />
いつから半紙に筆で書くようになったのは、はっきり判っていないが、明治26年(1893年)の秋以降と推定されている。年月日が記された筆先の写しで、現存する最古のものは、明治27年旧4月8日のものである。<ref>『[[大地の母]] 第5巻』「{{obc|B138905c01|唐行き}}」:「実際に筆を持って紙に書いたのは、八木から帰った二十六年秋以降と推定される。八木にいる期間に筆先を書いたという資料はない。年月日が記入された現存する最も古い筆先の写しは、明治二十七年旧四月八日の物で、それ以前の筆先は内容によって年月を推定するばかりである。」</ref><br />
<br />
明治25年旧正月の「[[初発の神諭]]」は、筆先として存在したものではない。[[王仁三郎]]が明治26~27年頃の筆先を元にして復元したもので、出口直が帰神して口に発した言葉とされている<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1231|初発の神諭}}」</ref>。<br />
<br />
筆先は大正7年(1918年)11月に昇天するまで、およそ25年間で半紙20万枚(20枚綴りで1万冊)に上った。<ref name="B195401c1223">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1223|釘で記された筆先}}」</ref> <ref>{{rm09|1|9901|附記 霊界物語について}}:「教祖の書き残された一万巻の筆先も」</ref><br />
<br />
筆先の文字はは独特の書体で、いわゆる金釘流(ヘタ字)である。直は文盲であり、自分が書いた筆先に何が書いてあるのか読めなかったため、他人に読んでもらっていた。書体は20余年間上達もせず変わらなかった。そのため直も後には筆先の文字が読めるようになったようである。<ref name="B195401c1223" /><br />
<br />
== 大本神諭の発表 ==<br />
<br />
筆先は信者が筆写することはあったが、印刷物にはほとんど掲載されなかった。機関誌『[[直霊軍]]』や『[[このみち]]』に筆先の抜粋が載せられたことはあるが、まとまった形で発表され出したのは『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号以降である。<ref name="B195401c2142">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2142|神諭の発表}}」</ref><br />
<br />
筆先に漢字を当てることは外国身魂のやり方であるとして旧い役員たちが反対していたが<ref>「昔は、漢字で書いた本を読めばすぐ、外国の悪霊が憑いて居るのであると私を責めた位であるから、周囲に居る人に漢字の読めた人は一人も無い」〔{{kgm|034|厳と瑞}}〕というくらい漢字は拒絶されていた。</ref>、しかし平仮名主体の筆先は多様な解釈が出来るので、そのまま発表すると誤解を招くおそれがある。そのため王仁三郎は筆先の発表を見合わせていたようである。<ref name="B195401c2133">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2133|神島開き}}」</ref><br />
<br />
しかし大正5年(1916年)10月の[[神島開き]]によって、王仁三郎が「みろく様」の霊統であることが明らかにされたため、王仁三郎が筆先を取捨選択したり加筆したり漢字を当てはめたりすることが公然と可能になった。<ref name="B195401c2133" /><br />
<br />
こうして筆先が「神諭」として『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号から大正9年(1920年)9月号まで掲載・発表された。<ref name="B195401c2142" /><br />
<br />
発表された順序は、筆先が書かれた年月日の順ではなく、ランダムである。<br />
<br />
『神霊界』には「おふでさき」と題して平仮名文の筆先も掲載されている。<br />
<br />
== 大本神諭の刊本 ==<br />
<br />
神霊界で発表された大本神諭は、単行本となり、大正7年(1918年)12月に『大本神諭 第一輯』が、翌8年2月に『大本神諭 第二輯』が刊行された。8年11月にはこの2輯を合わせて『大本神諭 天の巻』として刊行された。計画ではその後『火の巻』『水の巻』『地の巻』の計4巻出す予定だったが、『火の巻』は9年7月28日に出版された後、すぐに当局により発禁処分となり、残りは出版されずに終わった。<br />
<br />
大正10年(1921年)[[第一次大本事件]]の後は、新たな教典として[[霊界物語]]の刊行が進められたが、大正12年4月に口述された第60巻第20~25章には大本神諭が「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」として収録されている。<br />
<br />
これは[[筆先]]を新たに解釈し直したものであり、使われている言葉や表現に相違がある。 →「[[#大本神諭と三五神諭の相違点]]」を見よ<br />
<br />
=== 昭和二十五年版 ===<br />
第二次大戦後はまず、昭和25年(1950年)8月に『大本神諭 第一集』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和二十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
第一集だけであり、第二集以降は刊行されていない。<br />
<br />
本書は明治25年から32年までの大本神諭を抜粋して収録したものである<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c7432|梅花運動}}」</ref>。また、基本的に平仮名だけで(数字は漢字)書かれている。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和二十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一集(昭和二十五年版)}}<br />
<br />
=== 昭和三十五年版 ===<br />
昭和35年(1960年)6月に『大本神諭 第一巻』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和三十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
主な特徴は、<br />
* 新仮名遣いに修正。<br />
* 未発表のもの<ref>王仁三郎が大本神諭として発表していない筆先に編者が漢字を当てはめたもの<br />
* 。</ref>も含めて、年月日順に収録。<br />
* [[三五神諭]]を参考にした語句の修正(「改心」を「改信」に修正する等)。<br />
などがある。また、文言がかなり削除されている(時代情勢に配慮したと思われる)。<br />
<br />
第一巻は明治25年から32年までの神諭が収録された。第二巻以降も発行予定だったが、結局発行されずに、新たに編纂し直された五巻本(次項参照)が刊行されている。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和三十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一巻(昭和三十五年版)}}<br />
<br />
=== 五巻本 ===<br />
昭和43年(1968年)から46年にかけて『大本神諭』が「第一集」から「第五集」<ref>第一集の「あとがき」に「既刊〝第一巻〟の神諭とは、その内容が増加し年月日の位置づけも改まりましたので、〝大本神諭第一集〟とよぶことにいたしました」と書かれている。</ref>まで全5巻(通称・五巻本)刊行された。これは王仁三郎が神霊界で発表した大本神諭とはまた別の発想で編纂されたもので、特徴としては、<br />
<br />
* 筆先の原文通りに平仮名を主とし、原則として現代仮名遣いにした。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「このたびは、できるだけ原文のとおり平がなを主とし、それを特定のもののほかは現代かなづかいにしました。しかし当てられていた漢字に、とくに聖師の意を用いられているところは、そのまま残さして頂きました。」</ref><br />
* 神霊界で発表されていない筆先も新たに収録した。<br />
* 筆先が書かれた順序で掲載した。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「この"大本神諭"には、未発表のものも新たに多く加えられ、厳密な調査検討のうえ、年月日順を正しく整理しなおしました。」</ref><br />
<br />
神霊界掲載の大本神諭が全277篇であるのに対して、五巻本収録の大本神諭は全972篇と、大幅に増加している。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (五巻本)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12282826|大本神諭 第一集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281092|大本神諭 第二集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281091|大本神諭 第三集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12280402|大本神諭 第四集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281090|大本神諭 第五集(五巻本)}}<br />
<br />
=== 七巻本 ===<br />
<br />
昭和58年(1983年)から59年にかけて『おほもとしんゆ』全7巻(通称・七巻本)が刊行された。特徴としては、<br />
<br />
* 神霊界掲載の大本神諭を底本にした。<br />
* 順序は神霊界に掲載された順序。<br />
* 新仮名遣い。<br />
* PC(ポリティカル・コレクトネス)処理。現代において差別的とされる言葉などを省略(削除)したり、平仮名にした。<br />
<br />
収録数は275篇であり、神霊界掲載のものと較べて2篇足りない。未収録の神諭は次の2篇である。<br />
<br />
* {{os|277|明治34年旧7月15日}}<br />
* {{os|155|大正7年旧10月29日}}:出口直の昇天(旧10月3日)後に王仁三郎が書記した艮の金神の神示。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (七巻本)]]」([[おほもとしんゆ]])<br />
<br />
=== 天声社以外 ===<br />
<br />
* 『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』昭和47年(1972年)、三一書房、P3~P104:火の巻が底本になっている。<br />
* 『大本神諭 天の巻』『大本神諭 火の巻』昭和54年(1979年)、平凡社・東洋文庫。 →詳細は「[[大本神諭 (東洋文庫版)]]」<br />
* 『大本史料集成 Ⅰ 思想篇』1982年、三一書房、P13~P485:神霊界の大本神諭の他、筆先も含め多数。年代順に収録。<br />
* 『大本神諭』全5巻、平成22年(2010年)11月~平成24年8月、[[愛善世界社]]:神霊界掲載の大本神諭を元に、年代順に収録。 →詳細は「[[大本神諭 (愛善世界社版)]]」<br />
* 『大本神諭 水の巻』(別冊 大本教学)、平成22年(2010年)4月、[[大本信徒連合会]]:大正時代に「天の巻・火の巻(発禁処分)が出版され、水の巻は出版に向けて聖師様の校閲を得て第一校まで進行した段階で大本第一次弾圧事件が起こり、中断の止むなきに至っていた」(同書「序」より)が、それを研修資料として刊行したものである。神霊界で発表済みの神諭であり、新しいものはない。<br />
<br />
=== 刊行略年表 ===<br />
<br />
* 大正7年(1918年)12月、『大本神諭 第一輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)2月、『大本神諭 第二輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)11月、『大本神諭 天之巻』が大日本修斎会から発刊。(前掲の第一輯と第二輯を合わせたもの)<br />
* 大正9年(1920年)7月、『大本神諭 火之巻』が大日本修斎会から発刊。(8月に発禁処分となる)(水の巻、地の巻も発刊予定だった)<br />
* 昭和25年(1950年)8月、『大本神諭 第一巻』が瑞光社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和35年(1960年)6月、『大本神諭 第一集』が天声社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和43年(1968年)11月、『大本神諭』全5巻が大本教典刊行会から発刊(~昭和46年)。通称「五巻本」。<br />
* 昭和47年(1972年)3月、『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』に収録。(大正9年刊『大本神諭 火之巻』が底本)<br />
* 昭和54年(1979年)1月、『大本神諭 天の巻』、2月『同 火の巻』が平凡社・東洋文庫から発刊。<br />
* 昭和57年(1982年)6月、『[[大本史料集成]] 1』に未発表の筆先も含めて収録。<br />
* 昭和58年(1983年)2月、『おほもとしんゆ』全7巻が大本神諭刊行会から発刊(~昭和59年2月)。通称「七巻本」。<br />
* 平成22年(2010年)4月、『大本神諭 水の巻』(別冊大本教学)が大本信徒連合会から発刊。<br />
* 平成22年(2010年)11月、『大本神諭』全5巻が愛善世界社から発刊(~平成24年8月)。通称「愛善世界社版」。<br />
<br />
== 大本神諭の原本 ==<br />
大本神諭は二度の[[大本事件]]によって王仁三郎の直筆原稿が失われた。そのため『神霊界』に掲載されているものが「現存する唯一の全文そろった原本」<ref>『おほもとしんゆ 第一巻』「あとがき」p269</ref>である。<br />
<br />
== 大本神諭の内容 ==<br />
→「[[大本神諭の内容]]」を見よ<br />
<br />
== 大本神諭と三五神諭の相違点 ==<br />
[[霊界物語]][[第60巻]]第20~25章に「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」が収録されているが、大本神諭との主な違いは次の3つある。全体的に見て、厳霊的な解釈から、瑞霊的な解釈に変更されたというようなかんじである。<br />
<br />
'''(1) 大本神諭の「立替え立直し」という言葉が「天の岩戸開き」に置き換えられている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''立替へ立直し'''を致すぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a016|a017}}〕<br />
* 三五神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''天之岩戸開き'''を致すぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a016|a017}}〕<br />
<br />
'''(2) 外国差別・国粋主義的な表現が修正されている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「'''外国'''は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''国'''であるぞよ。'''日本も'''獣の世になりて居るぞよ。'''外国人'''にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a007|a013}}〕<ref>昭和58年(1983年)刊行の『おほもとしんゆ』(通称・七巻本)では「がいこくはけものの世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本もけものの世になりて居るぞよ。尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」になっており、「外国人にばかされて」は削除されている。</ref><br />
* 三五神諭:「'''今日'''(いま)は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''世'''であるぞよ。'''世界は'''獣の世になりて居るぞよ。'''邪神'''(あくがみ)にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a007|a013}}〕<br />
<br />
'''(3) 神のイメージが恐い神ではなく、優しい神に変わっている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「此世の鬼を往生さして、'''地震'''(じしん)'''雷'''(かみなり)'''火の雨'''降らして、'''○○○(たやさ)ねば'''、世界は神国にならんから」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a094|a097}}〕<br />
* 三五神諭:「此世の鬼を往生さして、'''慈神'''(じしん)'''神也'''(かみなり)'''慈悲の雨'''降らして、'''戒めねば'''、世界は神国にならんから」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a081|a084}}〕<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
脚注に明記されたもの以外の参考文献。<br />
<br />
* 『おほもとしんゆ 第一巻』(七巻本)「あとがき」<br />
* 『大本神諭 天の巻』平凡社・東洋文庫、p157~175、村上重良の「解説」<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[筆先]]<br />
* [[伊都能売神諭]]<br />
* [[裏の神諭]]<br />
* [[霊界物語]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* <wp>大本神諭</wp><br />
* [https://onidb.info/mview.php?title=sinyu 大本神諭、筆先、伊都能売神諭の総目次] - 王仁DB<br />
* [https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os 大本神諭] - 霊界物語ネット<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:おおもとしんゆ}}<br />
[[Category:大本神諭|*]]<br />
[[Category:文献]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%AB%AD&diff=20333
大本神諭
2024-03-17T03:22:36Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>{{kakikake}}<br />
'''大本神諭'''(おおもとしんゆ)は、[[大本]]の[[二大教典]]の一つ。<br />
<br />
[[出口直]]が[[艮の金神]]の神示を半紙に筆で自動書記したものを「[[筆先]]」と呼ぶ。筆先は平仮名と漢数字だけで書かれており、それを[[王仁三郎]]が解釈して漢字をあてはめて発表したものが「大本神諭」である。<ref>{{rm09|7|0003|総説}}:「教祖の直筆は所謂お筆先であり、そのお筆先を神示に随つて、取捨按配して発表したのが大本神諭である」</ref><br />
<br />
== 呼び方 ==<br />
* 大本神諭を「筆先」と呼ぶ場合もある。王仁三郎自身が「筆先」と「大本神諭」をあまり厳密に呼び分けていない。<br />
* 「[[裏の神諭]]」に対して「表の神諭」とも呼ばれる。単に「神諭」と言う場合には大本神諭のことである。「経の神諭」「経の筆先」と呼ばれる場合もある。<br />
<br />
== 筆先の書記 ==<br />
[[ファイル:筆先.jpg|thumb|||出口直が書いた筆先。]]<br />
<br />
明治25年(1892年)旧元旦の夜、出口直は艮の金神の霊夢を見た。その五日後の旧正月5日(新2月3日)の夜から発動するようになり、艮の金神の神示を声に発するようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1211|開教}}」</ref><br />
<br />
明治26年(1893年)4月、放火の嫌疑をかけられ、犯人が見つかって直は放免されたが、娘婿の[[大槻鹿造]](長女・米の夫)は直を座敷牢に閉じ込めてしまった。40日後に出牢するが、入牢中に釘で柱に書いたのが筆先の始まりとされる。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1221|放火の嫌疑}}」</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」</ref><br />
<br />
{{Inyou|<br />
開祖は、帰神中に大声をあげて叫ぶことが、入牢のそもそもの原因になったことから、神に、もうこれから叫ぶことのないように、とうったえてやまなかった。すると、神は、「それでは筆をとれ」と命じた。開祖は、じぶんは文字をまったく知らないのに、とためらっていると、「お前が書くのではない。神が書かすのであるから、疑わずに筆をもて」と重ねての神示があった。近くにあった一本の古釘を手にとって動かしてみると、ひとりでに手が動き、牢の柱になにか文字のようなものを、しきりに書かせられる。出牢後、命じられるままに筆を手にすると、いろはのひらがなで、スラスラと文字が書けだした。これが筆先のはじまりである。<br />
<br />
筆先を書くようになってから、帰神の発動はしずまった。|『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」}}<br />
<br />
いつから半紙に筆で書くようになったのは、はっきり判っていないが、明治26年(1893年)の秋以降と推定されている。年月日が記された筆先の写しで、現存する最古のものは、明治27年旧4月8日のものである。<ref>『[[大地の母]] 第5巻』「{{obc|B138905c01|唐行き}}」:「実際に筆を持って紙に書いたのは、八木から帰った二十六年秋以降と推定される。八木にいる期間に筆先を書いたという資料はない。年月日が記入された現存する最も古い筆先の写しは、明治二十七年旧四月八日の物で、それ以前の筆先は内容によって年月を推定するばかりである。」</ref><br />
<br />
明治25年旧正月の「[[初発の神諭]]」は、筆先として存在したものではない。[[王仁三郎]]が明治26~27年頃の筆先を元にして復元したもので、出口直が帰神して口に発した言葉とされている<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1231|初発の神諭}}」</ref>。<br />
<br />
筆先は大正7年(1918年)11月に昇天するまで、およそ25年間で半紙20万枚(20枚綴りで1万冊)に上った。<ref name="B195401c1223">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1223|釘で記された筆先}}」</ref> <ref>{{rm09|1|9901|附記 霊界物語について}}:「教祖の書き残された一万巻の筆先も」</ref><br />
<br />
筆先の文字はは独特の書体で、いわゆる金釘流(ヘタ字)である。直は文盲であり、自分が書いた筆先に何が書いてあるのか読めなかったため、他人に読んでもらっていた。書体は20余年間上達もせず変わらなかった。そのため直も後には筆先の文字が読めるようになったようである。<ref name="B195401c1223" /><br />
<br />
== 大本神諭の発表 ==<br />
<br />
筆先は信者が筆写することはあったが、印刷物にはほとんど掲載されなかった。機関誌『[[直霊軍]]』や『[[このみち]]』に筆先の抜粋が載せられたことはあるが、まとまった形で発表され出したのは『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号以降である。<ref name="B195401c2142">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2142|神諭の発表}}」</ref><br />
<br />
筆先に漢字を当てることは外国身魂のやり方であるとして旧い役員たちが反対していたが<ref>「昔は、漢字で書いた本を読めばすぐ、外国の悪霊が憑いて居るのであると私を責めた位であるから、周囲に居る人に漢字の読めた人は一人も無い」〔{{kgm|034|厳と瑞}}〕というくらい漢字は拒絶されていた。</ref>、しかし平仮名主体の筆先は多様な解釈が出来るので、そのまま発表すると誤解を招くおそれがある。そのため王仁三郎は筆先の発表を見合わせていたようである。<ref name="B195401c2133">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2133|神島開き}}」</ref><br />
<br />
しかし大正5年(1916年)10月の[[神島開き]]によって、王仁三郎が「みろく様」の霊統であることが明らかにされたため、王仁三郎が筆先を取捨選択したり加筆したり漢字を当てはめたりすることが公然と可能になった。<ref name="B195401c2133" /><br />
<br />
こうして筆先が「神諭」として『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号から大正9年(1920年)9月号まで掲載・発表された。<ref name="B195401c2142" /><br />
<br />
発表された順序は、筆先が書かれた年月日の順ではなく、ランダムである。<br />
<br />
『神霊界』には「おふでさき」と題して平仮名文の筆先も掲載されている。<br />
<br />
== 大本神諭の刊本 ==<br />
<br />
神霊界で発表された大本神諭は、単行本となり、大正7年(1918年)12月に『大本神諭 第一輯』が、翌8年2月に『大本神諭 第二輯』が刊行された。8年11月にはこの2輯を合わせて『大本神諭 天の巻』として刊行された。計画ではその後『火の巻』『水の巻』『地の巻』の計4巻出す予定だったが、『火の巻』は9年7月28日に出版された後、すぐに当局により発禁処分となり、残りは出版されずに終わった。<br />
<br />
大正10年(1921年)[[第一次大本事件]]の後は、新たな教典として[[霊界物語]]の刊行が進められたが、大正12年4月に口述された第60巻第20~25章には大本神諭が「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」として収録されている。<br />
<br />
これは[[筆先]]を新たに解釈し直したものであり、使われている言葉や表現に相違がある。 →「[[#大本神諭と三五神諭の相違点]]」を見よ<br />
<br />
=== 昭和二十五年版 ===<br />
第二次大戦後はまず、昭和25年(1950年)8月に『大本神諭 第一集』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和二十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
これは明治25年から32年までの大本神諭を抜粋して収録したものである<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c7432|梅花運動}}」</ref>。これは第一集だけであり、第二集以降は刊行されていない。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和二十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一集(昭和二十五年版)}}<br />
<br />
=== 昭和三十五年版 ===<br />
昭和35年(1960年)6月に『大本神諭 第一巻』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和三十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
主な特徴は、<br />
* 新仮名遣いに修正。<br />
* 未発表のもの<ref>王仁三郎が大本神諭として発表していない筆先に編者が漢字を当てはめたもの<br />
* 。</ref>も含めて、年月日順に収録。<br />
* [[三五神諭]]を参考にした語句の修正(「改心」を「改信」に修正する等)。<br />
などがある。また、文言がかなり削除されている(時代情勢に配慮したと思われる)。<br />
<br />
第一巻は明治25年から32年までの神諭が収録された。第二巻以降も発行予定だったが、結局発行されずに、新たに編纂し直された五巻本(次項参照)が刊行されている。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和三十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一巻(昭和三十五年版)}}<br />
<br />
=== 五巻本 ===<br />
昭和43年(1968年)から46年にかけて『大本神諭』が「第一集」から「第五集」<ref>第一集の「あとがき」に「既刊〝第一巻〟の神諭とは、その内容が増加し年月日の位置づけも改まりましたので、〝大本神諭第一集〟とよぶことにいたしました」と書かれている。</ref>まで全5巻(通称・五巻本)刊行された。これは王仁三郎が神霊界で発表した大本神諭とはまた別の発想で編纂されたもので、特徴としては、<br />
<br />
* 筆先の原文通りに平仮名を主とし、原則として現代仮名遣いにした。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「このたびは、できるだけ原文のとおり平がなを主とし、それを特定のもののほかは現代かなづかいにしました。しかし当てられていた漢字に、とくに聖師の意を用いられているところは、そのまま残さして頂きました。」</ref><br />
* 神霊界で発表されていない筆先も新たに収録した。<br />
* 筆先が書かれた順序で掲載した。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「この"大本神諭"には、未発表のものも新たに多く加えられ、厳密な調査検討のうえ、年月日順を正しく整理しなおしました。」</ref><br />
<br />
神霊界掲載の大本神諭が全277篇であるのに対して、五巻本収録の大本神諭は全972篇と、大幅に増加している。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (五巻本)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12282826|大本神諭 第一集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281092|大本神諭 第二集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281091|大本神諭 第三集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12280402|大本神諭 第四集(五巻本)}}<br />
* {{Pid|12281090|大本神諭 第五集(五巻本)}}<br />
<br />
=== 七巻本 ===<br />
<br />
昭和58年(1983年)から59年にかけて『おほもとしんゆ』全7巻(通称・七巻本)が刊行された。特徴としては、<br />
<br />
* 神霊界掲載の大本神諭を底本にした。<br />
* 順序は神霊界に掲載された順序。<br />
* 新仮名遣い。<br />
* PC(ポリティカル・コレクトネス)処理。現代において差別的とされる言葉などを省略(削除)したり、平仮名にした。<br />
<br />
収録数は275篇であり、神霊界掲載のものと較べて2篇足りない。未収録の神諭は次の2篇である。<br />
<br />
* {{os|277|明治34年旧7月15日}}<br />
* {{os|155|大正7年旧10月29日}}:出口直の昇天(旧10月3日)後に王仁三郎が書記した艮の金神の神示。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (七巻本)]]」([[おほもとしんゆ]])<br />
<br />
=== 天声社以外 ===<br />
<br />
* 『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』昭和47年(1972年)、三一書房、P3~P104:火の巻が底本になっている。<br />
* 『大本神諭 天の巻』『大本神諭 火の巻』昭和54年(1979年)、平凡社・東洋文庫。 →詳細は「[[大本神諭 (東洋文庫版)]]」<br />
* 『大本史料集成 Ⅰ 思想篇』1982年、三一書房、P13~P485:神霊界の大本神諭の他、筆先も含め多数。年代順に収録。<br />
* 『大本神諭』全5巻、平成22年(2010年)11月~平成24年8月、[[愛善世界社]]:神霊界掲載の大本神諭を元に、年代順に収録。 →詳細は「[[大本神諭 (愛善世界社版)]]」<br />
* 『大本神諭 水の巻』(別冊 大本教学)、平成22年(2010年)4月、[[大本信徒連合会]]:大正時代に「天の巻・火の巻(発禁処分)が出版され、水の巻は出版に向けて聖師様の校閲を得て第一校まで進行した段階で大本第一次弾圧事件が起こり、中断の止むなきに至っていた」(同書「序」より)が、それを研修資料として刊行したものである。神霊界で発表済みの神諭であり、新しいものはない。<br />
<br />
=== 刊行略年表 ===<br />
<br />
* 大正7年(1918年)12月、『大本神諭 第一輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)2月、『大本神諭 第二輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)11月、『大本神諭 天之巻』が大日本修斎会から発刊。(前掲の第一輯と第二輯を合わせたもの)<br />
* 大正9年(1920年)7月、『大本神諭 火之巻』が大日本修斎会から発刊。(8月に発禁処分となる)(水の巻、地の巻も発刊予定だった)<br />
* 昭和25年(1950年)8月、『大本神諭 第一巻』が瑞光社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和35年(1960年)6月、『大本神諭 第一集』が天声社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和43年(1968年)11月、『大本神諭』全5巻が大本教典刊行会から発刊(~昭和46年)。通称「五巻本」。<br />
* 昭和47年(1972年)3月、『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』に収録。(大正9年刊『大本神諭 火之巻』が底本)<br />
* 昭和54年(1979年)1月、『大本神諭 天の巻』、2月『同 火の巻』が平凡社・東洋文庫から発刊。<br />
* 昭和57年(1982年)6月、『[[大本史料集成]] 1』に未発表の筆先も含めて収録。<br />
* 昭和58年(1983年)2月、『おほもとしんゆ』全7巻が大本神諭刊行会から発刊(~昭和59年2月)。通称「七巻本」。<br />
* 平成22年(2010年)4月、『大本神諭 水の巻』(別冊大本教学)が大本信徒連合会から発刊。<br />
* 平成22年(2010年)11月、『大本神諭』全5巻が愛善世界社から発刊(~平成24年8月)。通称「愛善世界社版」。<br />
<br />
== 大本神諭の原本 ==<br />
大本神諭は二度の[[大本事件]]によって王仁三郎の直筆原稿が失われた。そのため『神霊界』に掲載されているものが「現存する唯一の全文そろった原本」<ref>『おほもとしんゆ 第一巻』「あとがき」p269</ref>である。<br />
<br />
== 大本神諭の内容 ==<br />
→「[[大本神諭の内容]]」を見よ<br />
<br />
== 大本神諭と三五神諭の相違点 ==<br />
[[霊界物語]][[第60巻]]第20~25章に「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」が収録されているが、大本神諭との主な違いは次の3つある。全体的に見て、厳霊的な解釈から、瑞霊的な解釈に変更されたというようなかんじである。<br />
<br />
'''(1) 大本神諭の「立替え立直し」という言葉が「天の岩戸開き」に置き換えられている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''立替へ立直し'''を致すぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a016|a017}}〕<br />
* 三五神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''天之岩戸開き'''を致すぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a016|a017}}〕<br />
<br />
'''(2) 外国差別・国粋主義的な表現が修正されている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「'''外国'''は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''国'''であるぞよ。'''日本も'''獣の世になりて居るぞよ。'''外国人'''にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a007|a013}}〕<ref>昭和58年(1983年)刊行の『おほもとしんゆ』(通称・七巻本)では「がいこくはけものの世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本もけものの世になりて居るぞよ。尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」になっており、「外国人にばかされて」は削除されている。</ref><br />
* 三五神諭:「'''今日'''(いま)は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''世'''であるぞよ。'''世界は'''獣の世になりて居るぞよ。'''邪神'''(あくがみ)にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a007|a013}}〕<br />
<br />
'''(3) 神のイメージが恐い神ではなく、優しい神に変わっている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「此世の鬼を往生さして、'''地震'''(じしん)'''雷'''(かみなり)'''火の雨'''降らして、'''○○○(たやさ)ねば'''、世界は神国にならんから」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a094|a097}}〕<br />
* 三五神諭:「此世の鬼を往生さして、'''慈神'''(じしん)'''神也'''(かみなり)'''慈悲の雨'''降らして、'''戒めねば'''、世界は神国にならんから」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a081|a084}}〕<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
脚注に明記されたもの以外の参考文献。<br />
<br />
* 『おほもとしんゆ 第一巻』(七巻本)「あとがき」<br />
* 『大本神諭 天の巻』平凡社・東洋文庫、p157~175、村上重良の「解説」<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[筆先]]<br />
* [[伊都能売神諭]]<br />
* [[裏の神諭]]<br />
* [[霊界物語]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* <wp>大本神諭</wp><br />
* [https://onidb.info/mview.php?title=sinyu 大本神諭、筆先、伊都能売神諭の総目次] - 王仁DB<br />
* [https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os 大本神諭] - 霊界物語ネット<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:おおもとしんゆ}}<br />
[[Category:大本神諭|*]]<br />
[[Category:文献]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%AB%AD&diff=20332
大本神諭
2024-03-17T03:19:26Z
<p>IHiroaki: /* 昭和三十五年版 */</p>
<hr />
<div>{{kakikake}}<br />
'''大本神諭'''(おおもとしんゆ)は、[[大本]]の[[二大教典]]の一つ。<br />
<br />
[[出口直]]が[[艮の金神]]の神示を半紙に筆で自動書記したものを「[[筆先]]」と呼ぶ。筆先は平仮名と漢数字だけで書かれており、それを[[王仁三郎]]が解釈して漢字をあてはめて発表したものが「大本神諭」である。<ref>{{rm09|7|0003|総説}}:「教祖の直筆は所謂お筆先であり、そのお筆先を神示に随つて、取捨按配して発表したのが大本神諭である」</ref><br />
<br />
== 呼び方 ==<br />
* 大本神諭を「筆先」と呼ぶ場合もある。王仁三郎自身が「筆先」と「大本神諭」をあまり厳密に呼び分けていない。<br />
* 「[[裏の神諭]]」に対して「表の神諭」とも呼ばれる。単に「神諭」と言う場合には大本神諭のことである。「経の神諭」「経の筆先」と呼ばれる場合もある。<br />
<br />
== 筆先の書記 ==<br />
[[ファイル:筆先.jpg|thumb|||出口直が書いた筆先。]]<br />
<br />
明治25年(1892年)旧元旦の夜、出口直は艮の金神の霊夢を見た。その五日後の旧正月5日(新2月3日)の夜から発動するようになり、艮の金神の神示を声に発するようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1211|開教}}」</ref><br />
<br />
明治26年(1893年)4月、放火の嫌疑をかけられ、犯人が見つかって直は放免されたが、娘婿の[[大槻鹿造]](長女・米の夫)は直を座敷牢に閉じ込めてしまった。40日後に出牢するが、入牢中に釘で柱に書いたのが筆先の始まりとされる。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1221|放火の嫌疑}}」</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」</ref><br />
<br />
{{Inyou|<br />
開祖は、帰神中に大声をあげて叫ぶことが、入牢のそもそもの原因になったことから、神に、もうこれから叫ぶことのないように、とうったえてやまなかった。すると、神は、「それでは筆をとれ」と命じた。開祖は、じぶんは文字をまったく知らないのに、とためらっていると、「お前が書くのではない。神が書かすのであるから、疑わずに筆をもて」と重ねての神示があった。近くにあった一本の古釘を手にとって動かしてみると、ひとりでに手が動き、牢の柱になにか文字のようなものを、しきりに書かせられる。出牢後、命じられるままに筆を手にすると、いろはのひらがなで、スラスラと文字が書けだした。これが筆先のはじまりである。<br />
<br />
筆先を書くようになってから、帰神の発動はしずまった。|『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」}}<br />
<br />
いつから半紙に筆で書くようになったのは、はっきり判っていないが、明治26年(1893年)の秋以降と推定されている。年月日が記された筆先の写しで、現存する最古のものは、明治27年旧4月8日のものである。<ref>『[[大地の母]] 第5巻』「{{obc|B138905c01|唐行き}}」:「実際に筆を持って紙に書いたのは、八木から帰った二十六年秋以降と推定される。八木にいる期間に筆先を書いたという資料はない。年月日が記入された現存する最も古い筆先の写しは、明治二十七年旧四月八日の物で、それ以前の筆先は内容によって年月を推定するばかりである。」</ref><br />
<br />
明治25年旧正月の「[[初発の神諭]]」は、筆先として存在したものではない。[[王仁三郎]]が明治26~27年頃の筆先を元にして復元したもので、出口直が帰神して口に発した言葉とされている<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1231|初発の神諭}}」</ref>。<br />
<br />
筆先は大正7年(1918年)11月に昇天するまで、およそ25年間で半紙20万枚(20枚綴りで1万冊)に上った。<ref name="B195401c1223">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1223|釘で記された筆先}}」</ref> <ref>{{rm09|1|9901|附記 霊界物語について}}:「教祖の書き残された一万巻の筆先も」</ref><br />
<br />
筆先の文字はは独特の書体で、いわゆる金釘流(ヘタ字)である。直は文盲であり、自分が書いた筆先に何が書いてあるのか読めなかったため、他人に読んでもらっていた。書体は20余年間上達もせず変わらなかった。そのため直も後には筆先の文字が読めるようになったようである。<ref name="B195401c1223" /><br />
<br />
== 大本神諭の発表 ==<br />
<br />
筆先は信者が筆写することはあったが、印刷物にはほとんど掲載されなかった。機関誌『[[直霊軍]]』や『[[このみち]]』に筆先の抜粋が載せられたことはあるが、まとまった形で発表され出したのは『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号以降である。<ref name="B195401c2142">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2142|神諭の発表}}」</ref><br />
<br />
筆先に漢字を当てることは外国身魂のやり方であるとして旧い役員たちが反対していたが<ref>「昔は、漢字で書いた本を読めばすぐ、外国の悪霊が憑いて居るのであると私を責めた位であるから、周囲に居る人に漢字の読めた人は一人も無い」〔{{kgm|034|厳と瑞}}〕というくらい漢字は拒絶されていた。</ref>、しかし平仮名主体の筆先は多様な解釈が出来るので、そのまま発表すると誤解を招くおそれがある。そのため王仁三郎は筆先の発表を見合わせていたようである。<ref name="B195401c2133">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2133|神島開き}}」</ref><br />
<br />
しかし大正5年(1916年)10月の[[神島開き]]によって、王仁三郎が「みろく様」の霊統であることが明らかにされたため、王仁三郎が筆先を取捨選択したり加筆したり漢字を当てはめたりすることが公然と可能になった。<ref name="B195401c2133" /><br />
<br />
こうして筆先が「神諭」として『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号から大正9年(1920年)9月号まで掲載・発表された。<ref name="B195401c2142" /><br />
<br />
発表された順序は、筆先が書かれた年月日の順ではなく、ランダムである。<br />
<br />
『神霊界』には「おふでさき」と題して平仮名文の筆先も掲載されている。<br />
<br />
== 大本神諭の刊本 ==<br />
<br />
神霊界で発表された大本神諭は、単行本となり、大正7年(1918年)12月に『大本神諭 第一輯』が、翌8年2月に『大本神諭 第二輯』が刊行された。8年11月にはこの2輯を合わせて『大本神諭 天の巻』として刊行された。計画ではその後『火の巻』『水の巻』『地の巻』の計4巻出す予定だったが、『火の巻』は9年7月28日に出版された後、すぐに当局により発禁処分となり、残りは出版されずに終わった。<br />
<br />
大正10年(1921年)[[第一次大本事件]]の後は、新たな教典として[[霊界物語]]の刊行が進められたが、大正12年4月に口述された第60巻第20~25章には大本神諭が「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」として収録されている。<br />
<br />
これは[[筆先]]を新たに解釈し直したものであり、使われている言葉や表現に相違がある。 →「[[#大本神諭と三五神諭の相違点]]」を見よ<br />
<br />
=== 昭和二十五年版 ===<br />
第二次大戦後はまず、昭和25年(1950年)8月に『大本神諭 第一集』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和二十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
これは明治25年から32年までの大本神諭を抜粋して収録したものである<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c7432|梅花運動}}」</ref>。これは第一集だけであり、第二集以降は刊行されていない。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和二十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一集(昭和二十五年版)}}<br />
<br />
=== 昭和三十五年版 ===<br />
昭和35年(1960年)6月に『大本神諭 第一巻』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和三十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
主な特徴は、<br />
* 新仮名遣いに修正。<br />
* 未発表のもの<ref>王仁三郎が大本神諭として発表していない筆先に編者が漢字を当てはめたもの<br />
* 。</ref>も含めて、年月日順に収録。<br />
* [[三五神諭]]を参考にした語句の修正(「改心」を「改信」に修正する等)。<br />
などがある。また、文言がかなり削除されている(時代情勢に配慮したと思われる)。<br />
<br />
第一巻は明治25年から32年までの神諭が収録された。第二巻以降も発行予定だったが、結局発行されずに、新たに編纂し直された五巻本(次項参照)が刊行されている。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和三十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一巻(昭和三十五年版)}}<br />
<br />
=== 五巻本 ===<br />
昭和43年(1968年)から46年にかけて『大本神諭』が「第一集」から「第五集」<ref>第一集の「あとがき」に「既刊〝第一巻〟の神諭とは、その内容が増加し年月日の位置づけも改まりましたので、〝大本神諭第一集〟とよぶことにいたしました」と書かれている。</ref>まで全5巻(通称・五巻本)刊行された。これは王仁三郎が神霊界で発表した大本神諭とはまた別の発想で編纂されたもので、特徴としては、<br />
<br />
* 筆先の原文通りに平仮名を主とし、原則として現代仮名遣いにした。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「このたびは、できるだけ原文のとおり平がなを主とし、それを特定のもののほかは現代かなづかいにしました。しかし当てられていた漢字に、とくに聖師の意を用いられているところは、そのまま残さして頂きました。」</ref><br />
* 神霊界で発表されていない筆先も新たに収録した。<br />
* 筆先が書かれた順序で掲載した。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「この"大本神諭"には、未発表のものも新たに多く加えられ、厳密な調査検討のうえ、年月日順を正しく整理しなおしました。」</ref><br />
<br />
神霊界掲載の大本神諭が全277篇であるのに対して、五巻本収録の大本神諭は全972篇と、大幅に増加している。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (五巻本)]]」<br />
<br />
=== 七巻本 ===<br />
<br />
昭和58年(1983年)から59年にかけて『おほもとしんゆ』全7巻(通称・七巻本)が刊行された。特徴としては、<br />
<br />
* 神霊界掲載の大本神諭を底本にした。<br />
* 順序は神霊界に掲載された順序。<br />
* 新仮名遣い。<br />
* PC(ポリティカル・コレクトネス)処理。現代において差別的とされる言葉などを省略(削除)したり、平仮名にした。<br />
<br />
収録数は275篇であり、神霊界掲載のものと較べて2篇足りない。未収録の神諭は次の2篇である。<br />
<br />
* {{os|277|明治34年旧7月15日}}<br />
* {{os|155|大正7年旧10月29日}}:出口直の昇天(旧10月3日)後に王仁三郎が書記した艮の金神の神示。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (七巻本)]]」([[おほもとしんゆ]])<br />
<br />
=== 天声社以外 ===<br />
<br />
* 『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』昭和47年(1972年)、三一書房、P3~P104:火の巻が底本になっている。<br />
* 『大本神諭 天の巻』『大本神諭 火の巻』昭和54年(1979年)、平凡社・東洋文庫。 →詳細は「[[大本神諭 (東洋文庫版)]]」<br />
* 『大本史料集成 Ⅰ 思想篇』1982年、三一書房、P13~P485:神霊界の大本神諭の他、筆先も含め多数。年代順に収録。<br />
* 『大本神諭』全5巻、平成22年(2010年)11月~平成24年8月、[[愛善世界社]]:神霊界掲載の大本神諭を元に、年代順に収録。 →詳細は「[[大本神諭 (愛善世界社版)]]」<br />
* 『大本神諭 水の巻』(別冊 大本教学)、平成22年(2010年)4月、[[大本信徒連合会]]:大正時代に「天の巻・火の巻(発禁処分)が出版され、水の巻は出版に向けて聖師様の校閲を得て第一校まで進行した段階で大本第一次弾圧事件が起こり、中断の止むなきに至っていた」(同書「序」より)が、それを研修資料として刊行したものである。神霊界で発表済みの神諭であり、新しいものはない。<br />
<br />
=== 刊行略年表 ===<br />
<br />
* 大正7年(1918年)12月、『大本神諭 第一輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)2月、『大本神諭 第二輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)11月、『大本神諭 天之巻』が大日本修斎会から発刊。(前掲の第一輯と第二輯を合わせたもの)<br />
* 大正9年(1920年)7月、『大本神諭 火之巻』が大日本修斎会から発刊。(8月に発禁処分となる)(水の巻、地の巻も発刊予定だった)<br />
* 昭和25年(1950年)8月、『大本神諭 第一巻』が瑞光社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和35年(1960年)6月、『大本神諭 第一集』が天声社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和43年(1968年)11月、『大本神諭』全5巻が大本教典刊行会から発刊(~昭和46年)。通称「五巻本」。<br />
* 昭和47年(1972年)3月、『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』に収録。(大正9年刊『大本神諭 火之巻』が底本)<br />
* 昭和54年(1979年)1月、『大本神諭 天の巻』、2月『同 火の巻』が平凡社・東洋文庫から発刊。<br />
* 昭和57年(1982年)6月、『[[大本史料集成]] 1』に未発表の筆先も含めて収録。<br />
* 昭和58年(1983年)2月、『おほもとしんゆ』全7巻が大本神諭刊行会から発刊(~昭和59年2月)。通称「七巻本」。<br />
* 平成22年(2010年)4月、『大本神諭 水の巻』(別冊大本教学)が大本信徒連合会から発刊。<br />
* 平成22年(2010年)11月、『大本神諭』全5巻が愛善世界社から発刊(~平成24年8月)。通称「愛善世界社版」。<br />
<br />
== 大本神諭の原本 ==<br />
大本神諭は二度の[[大本事件]]によって王仁三郎の直筆原稿が失われた。そのため『神霊界』に掲載されているものが「現存する唯一の全文そろった原本」<ref>『おほもとしんゆ 第一巻』「あとがき」p269</ref>である。<br />
<br />
== 大本神諭の内容 ==<br />
→「[[大本神諭の内容]]」を見よ<br />
<br />
== 大本神諭と三五神諭の相違点 ==<br />
[[霊界物語]][[第60巻]]第20~25章に「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」が収録されているが、大本神諭との主な違いは次の3つある。全体的に見て、厳霊的な解釈から、瑞霊的な解釈に変更されたというようなかんじである。<br />
<br />
'''(1) 大本神諭の「立替え立直し」という言葉が「天の岩戸開き」に置き換えられている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''立替へ立直し'''を致すぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a016|a017}}〕<br />
* 三五神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''天之岩戸開き'''を致すぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a016|a017}}〕<br />
<br />
'''(2) 外国差別・国粋主義的な表現が修正されている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「'''外国'''は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''国'''であるぞよ。'''日本も'''獣の世になりて居るぞよ。'''外国人'''にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a007|a013}}〕<ref>昭和58年(1983年)刊行の『おほもとしんゆ』(通称・七巻本)では「がいこくはけものの世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本もけものの世になりて居るぞよ。尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」になっており、「外国人にばかされて」は削除されている。</ref><br />
* 三五神諭:「'''今日'''(いま)は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''世'''であるぞよ。'''世界は'''獣の世になりて居るぞよ。'''邪神'''(あくがみ)にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a007|a013}}〕<br />
<br />
'''(3) 神のイメージが恐い神ではなく、優しい神に変わっている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「此世の鬼を往生さして、'''地震'''(じしん)'''雷'''(かみなり)'''火の雨'''降らして、'''○○○(たやさ)ねば'''、世界は神国にならんから」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a094|a097}}〕<br />
* 三五神諭:「此世の鬼を往生さして、'''慈神'''(じしん)'''神也'''(かみなり)'''慈悲の雨'''降らして、'''戒めねば'''、世界は神国にならんから」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a081|a084}}〕<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
脚注に明記されたもの以外の参考文献。<br />
<br />
* 『おほもとしんゆ 第一巻』(七巻本)「あとがき」<br />
* 『大本神諭 天の巻』平凡社・東洋文庫、p157~175、村上重良の「解説」<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[筆先]]<br />
* [[伊都能売神諭]]<br />
* [[裏の神諭]]<br />
* [[霊界物語]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* <wp>大本神諭</wp><br />
* [https://onidb.info/mview.php?title=sinyu 大本神諭、筆先、伊都能売神諭の総目次] - 王仁DB<br />
* [https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os 大本神諭] - 霊界物語ネット<br />
<br />
{{デフォルトソート:おおもとしんゆ}}<br />
[[Category:大本神諭|*]]<br />
[[Category:文献]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%AB%AD&diff=20331
大本神諭
2024-03-17T03:18:51Z
<p>IHiroaki: /* 昭和二十五年版 */</p>
<hr />
<div>{{kakikake}}<br />
'''大本神諭'''(おおもとしんゆ)は、[[大本]]の[[二大教典]]の一つ。<br />
<br />
[[出口直]]が[[艮の金神]]の神示を半紙に筆で自動書記したものを「[[筆先]]」と呼ぶ。筆先は平仮名と漢数字だけで書かれており、それを[[王仁三郎]]が解釈して漢字をあてはめて発表したものが「大本神諭」である。<ref>{{rm09|7|0003|総説}}:「教祖の直筆は所謂お筆先であり、そのお筆先を神示に随つて、取捨按配して発表したのが大本神諭である」</ref><br />
<br />
== 呼び方 ==<br />
* 大本神諭を「筆先」と呼ぶ場合もある。王仁三郎自身が「筆先」と「大本神諭」をあまり厳密に呼び分けていない。<br />
* 「[[裏の神諭]]」に対して「表の神諭」とも呼ばれる。単に「神諭」と言う場合には大本神諭のことである。「経の神諭」「経の筆先」と呼ばれる場合もある。<br />
<br />
== 筆先の書記 ==<br />
[[ファイル:筆先.jpg|thumb|||出口直が書いた筆先。]]<br />
<br />
明治25年(1892年)旧元旦の夜、出口直は艮の金神の霊夢を見た。その五日後の旧正月5日(新2月3日)の夜から発動するようになり、艮の金神の神示を声に発するようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1211|開教}}」</ref><br />
<br />
明治26年(1893年)4月、放火の嫌疑をかけられ、犯人が見つかって直は放免されたが、娘婿の[[大槻鹿造]](長女・米の夫)は直を座敷牢に閉じ込めてしまった。40日後に出牢するが、入牢中に釘で柱に書いたのが筆先の始まりとされる。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1221|放火の嫌疑}}」</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」</ref><br />
<br />
{{Inyou|<br />
開祖は、帰神中に大声をあげて叫ぶことが、入牢のそもそもの原因になったことから、神に、もうこれから叫ぶことのないように、とうったえてやまなかった。すると、神は、「それでは筆をとれ」と命じた。開祖は、じぶんは文字をまったく知らないのに、とためらっていると、「お前が書くのではない。神が書かすのであるから、疑わずに筆をもて」と重ねての神示があった。近くにあった一本の古釘を手にとって動かしてみると、ひとりでに手が動き、牢の柱になにか文字のようなものを、しきりに書かせられる。出牢後、命じられるままに筆を手にすると、いろはのひらがなで、スラスラと文字が書けだした。これが筆先のはじまりである。<br />
<br />
筆先を書くようになってから、帰神の発動はしずまった。|『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1222|四〇日の座敷牢}}」}}<br />
<br />
いつから半紙に筆で書くようになったのは、はっきり判っていないが、明治26年(1893年)の秋以降と推定されている。年月日が記された筆先の写しで、現存する最古のものは、明治27年旧4月8日のものである。<ref>『[[大地の母]] 第5巻』「{{obc|B138905c01|唐行き}}」:「実際に筆を持って紙に書いたのは、八木から帰った二十六年秋以降と推定される。八木にいる期間に筆先を書いたという資料はない。年月日が記入された現存する最も古い筆先の写しは、明治二十七年旧四月八日の物で、それ以前の筆先は内容によって年月を推定するばかりである。」</ref><br />
<br />
明治25年旧正月の「[[初発の神諭]]」は、筆先として存在したものではない。[[王仁三郎]]が明治26~27年頃の筆先を元にして復元したもので、出口直が帰神して口に発した言葉とされている<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1231|初発の神諭}}」</ref>。<br />
<br />
筆先は大正7年(1918年)11月に昇天するまで、およそ25年間で半紙20万枚(20枚綴りで1万冊)に上った。<ref name="B195401c1223">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1223|釘で記された筆先}}」</ref> <ref>{{rm09|1|9901|附記 霊界物語について}}:「教祖の書き残された一万巻の筆先も」</ref><br />
<br />
筆先の文字はは独特の書体で、いわゆる金釘流(ヘタ字)である。直は文盲であり、自分が書いた筆先に何が書いてあるのか読めなかったため、他人に読んでもらっていた。書体は20余年間上達もせず変わらなかった。そのため直も後には筆先の文字が読めるようになったようである。<ref name="B195401c1223" /><br />
<br />
== 大本神諭の発表 ==<br />
<br />
筆先は信者が筆写することはあったが、印刷物にはほとんど掲載されなかった。機関誌『[[直霊軍]]』や『[[このみち]]』に筆先の抜粋が載せられたことはあるが、まとまった形で発表され出したのは『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号以降である。<ref name="B195401c2142">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2142|神諭の発表}}」</ref><br />
<br />
筆先に漢字を当てることは外国身魂のやり方であるとして旧い役員たちが反対していたが<ref>「昔は、漢字で書いた本を読めばすぐ、外国の悪霊が憑いて居るのであると私を責めた位であるから、周囲に居る人に漢字の読めた人は一人も無い」〔{{kgm|034|厳と瑞}}〕というくらい漢字は拒絶されていた。</ref>、しかし平仮名主体の筆先は多様な解釈が出来るので、そのまま発表すると誤解を招くおそれがある。そのため王仁三郎は筆先の発表を見合わせていたようである。<ref name="B195401c2133">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2133|神島開き}}」</ref><br />
<br />
しかし大正5年(1916年)10月の[[神島開き]]によって、王仁三郎が「みろく様」の霊統であることが明らかにされたため、王仁三郎が筆先を取捨選択したり加筆したり漢字を当てはめたりすることが公然と可能になった。<ref name="B195401c2133" /><br />
<br />
こうして筆先が「神諭」として『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号から大正9年(1920年)9月号まで掲載・発表された。<ref name="B195401c2142" /><br />
<br />
発表された順序は、筆先が書かれた年月日の順ではなく、ランダムである。<br />
<br />
『神霊界』には「おふでさき」と題して平仮名文の筆先も掲載されている。<br />
<br />
== 大本神諭の刊本 ==<br />
<br />
神霊界で発表された大本神諭は、単行本となり、大正7年(1918年)12月に『大本神諭 第一輯』が、翌8年2月に『大本神諭 第二輯』が刊行された。8年11月にはこの2輯を合わせて『大本神諭 天の巻』として刊行された。計画ではその後『火の巻』『水の巻』『地の巻』の計4巻出す予定だったが、『火の巻』は9年7月28日に出版された後、すぐに当局により発禁処分となり、残りは出版されずに終わった。<br />
<br />
大正10年(1921年)[[第一次大本事件]]の後は、新たな教典として[[霊界物語]]の刊行が進められたが、大正12年4月に口述された第60巻第20~25章には大本神諭が「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」として収録されている。<br />
<br />
これは[[筆先]]を新たに解釈し直したものであり、使われている言葉や表現に相違がある。 →「[[#大本神諭と三五神諭の相違点]]」を見よ<br />
<br />
=== 昭和二十五年版 ===<br />
第二次大戦後はまず、昭和25年(1950年)8月に『大本神諭 第一集』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和二十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
これは明治25年から32年までの大本神諭を抜粋して収録したものである<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c7432|梅花運動}}」</ref>。これは第一集だけであり、第二集以降は刊行されていない。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和二十五年版)]]」<br />
<br />
* {{Pid|12281923|大本神諭 第一集(昭和二十五年版)}}<br />
<br />
=== 昭和三十五年版 ===<br />
昭和35年(1960年)6月に『大本神諭 第一巻』が刊行された。(オニペディアでは仮に昭和三十五年版と呼ぶことにする)<br />
<br />
主な特徴は、<br />
* 新仮名遣いに修正。<br />
* 未発表のもの<ref>王仁三郎が大本神諭として発表していない筆先に編者が漢字を当てはめたもの<br />
* 。</ref>も含めて、年月日順に収録。<br />
* [[三五神諭]]を参考にした語句の修正(「改心」を「改信」に修正する等)。<br />
などがある。また、文言がかなり削除されている(時代情勢に配慮したと思われる)。<br />
<br />
第一巻は明治25年から32年までの神諭が収録された。第二巻以降も発行予定だったが、結局発行されずに、新たに編纂し直された五巻本(次項参照)が刊行されている。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (昭和三十五年版)]]」<br />
<br />
=== 五巻本 ===<br />
昭和43年(1968年)から46年にかけて『大本神諭』が「第一集」から「第五集」<ref>第一集の「あとがき」に「既刊〝第一巻〟の神諭とは、その内容が増加し年月日の位置づけも改まりましたので、〝大本神諭第一集〟とよぶことにいたしました」と書かれている。</ref>まで全5巻(通称・五巻本)刊行された。これは王仁三郎が神霊界で発表した大本神諭とはまた別の発想で編纂されたもので、特徴としては、<br />
<br />
* 筆先の原文通りに平仮名を主とし、原則として現代仮名遣いにした。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「このたびは、できるだけ原文のとおり平がなを主とし、それを特定のもののほかは現代かなづかいにしました。しかし当てられていた漢字に、とくに聖師の意を用いられているところは、そのまま残さして頂きました。」</ref><br />
* 神霊界で発表されていない筆先も新たに収録した。<br />
* 筆先が書かれた順序で掲載した。<ref>『大本神諭 第一集』「あとがき」:「この"大本神諭"には、未発表のものも新たに多く加えられ、厳密な調査検討のうえ、年月日順を正しく整理しなおしました。」</ref><br />
<br />
神霊界掲載の大本神諭が全277篇であるのに対して、五巻本収録の大本神諭は全972篇と、大幅に増加している。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (五巻本)]]」<br />
<br />
=== 七巻本 ===<br />
<br />
昭和58年(1983年)から59年にかけて『おほもとしんゆ』全7巻(通称・七巻本)が刊行された。特徴としては、<br />
<br />
* 神霊界掲載の大本神諭を底本にした。<br />
* 順序は神霊界に掲載された順序。<br />
* 新仮名遣い。<br />
* PC(ポリティカル・コレクトネス)処理。現代において差別的とされる言葉などを省略(削除)したり、平仮名にした。<br />
<br />
収録数は275篇であり、神霊界掲載のものと較べて2篇足りない。未収録の神諭は次の2篇である。<br />
<br />
* {{os|277|明治34年旧7月15日}}<br />
* {{os|155|大正7年旧10月29日}}:出口直の昇天(旧10月3日)後に王仁三郎が書記した艮の金神の神示。<br />
<br />
→詳細は「[[大本神諭 (七巻本)]]」([[おほもとしんゆ]])<br />
<br />
=== 天声社以外 ===<br />
<br />
* 『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』昭和47年(1972年)、三一書房、P3~P104:火の巻が底本になっている。<br />
* 『大本神諭 天の巻』『大本神諭 火の巻』昭和54年(1979年)、平凡社・東洋文庫。 →詳細は「[[大本神諭 (東洋文庫版)]]」<br />
* 『大本史料集成 Ⅰ 思想篇』1982年、三一書房、P13~P485:神霊界の大本神諭の他、筆先も含め多数。年代順に収録。<br />
* 『大本神諭』全5巻、平成22年(2010年)11月~平成24年8月、[[愛善世界社]]:神霊界掲載の大本神諭を元に、年代順に収録。 →詳細は「[[大本神諭 (愛善世界社版)]]」<br />
* 『大本神諭 水の巻』(別冊 大本教学)、平成22年(2010年)4月、[[大本信徒連合会]]:大正時代に「天の巻・火の巻(発禁処分)が出版され、水の巻は出版に向けて聖師様の校閲を得て第一校まで進行した段階で大本第一次弾圧事件が起こり、中断の止むなきに至っていた」(同書「序」より)が、それを研修資料として刊行したものである。神霊界で発表済みの神諭であり、新しいものはない。<br />
<br />
=== 刊行略年表 ===<br />
<br />
* 大正7年(1918年)12月、『大本神諭 第一輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)2月、『大本神諭 第二輯』が大日本修斎会から発刊。<br />
* 大正8年(1919年)11月、『大本神諭 天之巻』が大日本修斎会から発刊。(前掲の第一輯と第二輯を合わせたもの)<br />
* 大正9年(1920年)7月、『大本神諭 火之巻』が大日本修斎会から発刊。(8月に発禁処分となる)(水の巻、地の巻も発刊予定だった)<br />
* 昭和25年(1950年)8月、『大本神諭 第一巻』が瑞光社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和35年(1960年)6月、『大本神諭 第一集』が天声社から発刊。(全1巻)<br />
* 昭和43年(1968年)11月、『大本神諭』全5巻が大本教典刊行会から発刊(~昭和46年)。通称「五巻本」。<br />
* 昭和47年(1972年)3月、『日本庶民生活史料集成 第18巻 民間宗教』に収録。(大正9年刊『大本神諭 火之巻』が底本)<br />
* 昭和54年(1979年)1月、『大本神諭 天の巻』、2月『同 火の巻』が平凡社・東洋文庫から発刊。<br />
* 昭和57年(1982年)6月、『[[大本史料集成]] 1』に未発表の筆先も含めて収録。<br />
* 昭和58年(1983年)2月、『おほもとしんゆ』全7巻が大本神諭刊行会から発刊(~昭和59年2月)。通称「七巻本」。<br />
* 平成22年(2010年)4月、『大本神諭 水の巻』(別冊大本教学)が大本信徒連合会から発刊。<br />
* 平成22年(2010年)11月、『大本神諭』全5巻が愛善世界社から発刊(~平成24年8月)。通称「愛善世界社版」。<br />
<br />
== 大本神諭の原本 ==<br />
大本神諭は二度の[[大本事件]]によって王仁三郎の直筆原稿が失われた。そのため『神霊界』に掲載されているものが「現存する唯一の全文そろった原本」<ref>『おほもとしんゆ 第一巻』「あとがき」p269</ref>である。<br />
<br />
== 大本神諭の内容 ==<br />
→「[[大本神諭の内容]]」を見よ<br />
<br />
== 大本神諭と三五神諭の相違点 ==<br />
[[霊界物語]][[第60巻]]第20~25章に「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」が収録されているが、大本神諭との主な違いは次の3つある。全体的に見て、厳霊的な解釈から、瑞霊的な解釈に変更されたというようなかんじである。<br />
<br />
'''(1) 大本神諭の「立替え立直し」という言葉が「天の岩戸開き」に置き換えられている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''立替へ立直し'''を致すぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a016|a017}}〕<br />
* 三五神諭:「神が表に現はれて、三千世界の'''天之岩戸開き'''を致すぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a016|a017}}〕<br />
<br />
'''(2) 外国差別・国粋主義的な表現が修正されている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「'''外国'''は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''国'''であるぞよ。'''日本も'''獣の世になりて居るぞよ。'''外国人'''にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a007|a013}}〕<ref>昭和58年(1983年)刊行の『おほもとしんゆ』(通称・七巻本)では「がいこくはけものの世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本もけものの世になりて居るぞよ。尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」になっており、「外国人にばかされて」は削除されている。</ref><br />
* 三五神諭:「'''今日'''(いま)は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの'''世'''であるぞよ。'''世界は'''獣の世になりて居るぞよ。'''邪神'''(あくがみ)にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a007|a013}}〕<br />
<br />
'''(3) 神のイメージが恐い神ではなく、優しい神に変わっている。'''<br />
<br />
【例】(初発の神諭)<br />
* 大本神諭:「此世の鬼を往生さして、'''地震'''(じしん)'''雷'''(かみなり)'''火の雨'''降らして、'''○○○(たやさ)ねば'''、世界は神国にならんから」〔{{os|004|明治二十五年旧正月|a094|a097}}〕<br />
* 三五神諭:「此世の鬼を往生さして、'''慈神'''(じしん)'''神也'''(かみなり)'''慈悲の雨'''降らして、'''戒めねば'''、世界は神国にならんから」〔{{rm|60|20|三五神諭 その一||a081|a084}}〕<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
脚注に明記されたもの以外の参考文献。<br />
<br />
* 『おほもとしんゆ 第一巻』(七巻本)「あとがき」<br />
* 『大本神諭 天の巻』平凡社・東洋文庫、p157~175、村上重良の「解説」<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[筆先]]<br />
* [[伊都能売神諭]]<br />
* [[裏の神諭]]<br />
* [[霊界物語]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* <wp>大本神諭</wp><br />
* [https://onidb.info/mview.php?title=sinyu 大本神諭、筆先、伊都能売神諭の総目次] - 王仁DB<br />
* [https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os 大本神諭] - 霊界物語ネット<br />
<br />
{{デフォルトソート:おおもとしんゆ}}<br />
[[Category:大本神諭|*]]<br />
[[Category:文献]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3.jpg&diff=20330
ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg
2024-03-17T01:20:11Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」。<br />
<br />
== 関連地図 ==<br />
[[ファイル:日本と世界との比較対応地図(地理学上、国魂学上).jpg|150px|『[[出口王仁三郎全集 第二巻]]』に収録。]]<br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3%EF%BC%88%E5%9C%B0%E7%90%86%E5%AD%A6%E4%B8%8A%E3%80%81%E5%9B%BD%E9%AD%82%E5%AD%A6%E4%B8%8A%EF%BC%89.jpg&diff=20329
ファイル:日本と世界との比較対応地図(地理学上、国魂学上).jpg
2024-03-17T01:19:04Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』67頁及び68頁に収録されている「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(上図)及び「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(下図)。<br />
<br />
== 関連地図 ==<br />
[[ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg|150px|『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録。]]<br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3%EF%BC%88%E5%9C%B0%E7%90%86%E5%AD%A6%E4%B8%8A%E3%80%81%E5%9B%BD%E9%AD%82%E5%AD%A6%E4%B8%8A%EF%BC%89.jpg&diff=20328
ファイル:日本と世界との比較対応地図(地理学上、国魂学上).jpg
2024-03-17T01:17:05Z
<p>IHiroaki: 『出口王仁三郎全集 第二巻』67頁及び68頁に収録されている「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(上図)及び「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(…</p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
『[[出口王仁三郎全集]] 第二巻』67頁及び68頁に収録されている「地理学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(上図)及び「国魂学上より見たる日本と世界との比較対応地図」(下図)。<br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E8%A3%8F%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%AB%AD_(%E7%9A%87%E9%81%93%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%8F%A2%E6%9B%B8)&diff=20327
裏の神諭 (皇道大本叢書)
2024-03-17T01:05:25Z
<p>IHiroaki: /* 目次 */</p>
<hr />
<div>{{Otheruses|皇道大本叢書第五篇「裏の神諭」|その他の用法|裏の神諭 (曖昧さ回避)}}<br />
<br />
'''裏の神諭'''(うらのしんゆ)は、[[出口王仁三郎]]の著書。「[[皇道大本叢書]]」の第五篇。大本開祖・[[出口直]]の在世中に王仁三郎の手で出た神示が「[[裏の神諭]]」で、本書に収録されたものはその一部。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
<br />
{|class="wikitable"<br />
! 題名<br />
| 裏の神諭<br />
|-<br />
! 著者<br />
| [[出口王仁三郎]]<br />
|-<br />
! 編者<br />
| [[小牧斧助]]<br />
|-<br />
! 発行所<br />
| [[大日本修斎会]]<br />
|-<br />
! シリーズ名<br />
| [[皇道大本叢書]] 第五篇<br />
|-<br />
! 発行日<br />
| 大正8年(1919年)7月20日<br>大正9年(1920年)6月5日 八版<br />
|-<br />
! 頁数<br />
| 55<br />
|-<br />
! 定価<br />
| 30銭<br />
|-<br />
! OBN<br />
| 1143<br />
|-<br />
! 備考<br />
| <br />
|}<br />
<br />
== 裏の神諭の定義 ==<br />
何を「裏の神諭」と呼ぶか、明確な定義は無い。本書「解説」には次のように書いてある。<br />
<br />
{{inyou| 皇道大本には二様の神諭がある。教祖出口直子刀自が明治二十五年正月から大正七年十一月その帰幽昇天までに出されたものが一つで、これは主として国祖国常立尊が教祖の肉体に神懸りせられ、其手を器械的に動かし筆録せしめられたものである。他の一つは教主出口王仁三郎先生が明治三十二年旧五月を以て教祖と結合されてから十有余年に亘りて出されたもので、これは主として豊雲野尊及其系統の神々の神懸りの産物である。同時に二様の神諭が出るので、部内では区別の為めに前者を『表之神諭』、後者を『裏之神諭』と称へて居るが、教祖帰幽後モーその必要が無いので、現在教主の手から出るものを単に『神諭』と称して居る。<br />
<br />
本篇は右『裏之神諭』中から、主に教訓的要素に富める部分を抜粋編纂したもので、明治三十四五年の執筆<ref>実際には明治34・35年ではなく35・36年に執筆された神諭が収録されている。[[#目次]]を参照。</ref>にかかるものが多い。実は『裏之神諭』は総計五百巻にも上る浩瀚のものであつたので、内容は教訓、予言、教理等各方面に亘り、『表之神諭』に比して直截露骨を極めて居る。今日若し全部保存されたならば、一面に於て絶好の指針であつたと同時に、他面に於ては或は世人の物議の種となつたかも知れぬ。それは兎に角大本役員中に教主反対者が現はれ、其大部分は先年皆焼き棄てられて了つた。今日現存するものは僅々十幾冊に過ぎぬが、それでも数千頁の大冊を成す丈の分量がある。『表之神諭』を繙きて望洋の歎に堪へない者は畏らく『裏之神諭』によりて多大の満足と理解とを得らるる事であらうと思ふ。本篇はその第一輯で、本会は今後機会を見て第二輯以下を刊行し、大本研究者の便宜を図る積りである。<br />
<br />
大正八年六月下旬<br />
編者誌|『裏の神諭』「解説」}}<br />
<br />
→「[[裏の神諭]]」も参照せよ<br />
<br />
== 目次 ==<br />
<br />
* p01/明治三十六年六月一日<br />
* p39/明治三十五年一月三日<br />
* p48/…年…月…日 (注・日付不明)<br />
* p51/…年…月…日 (注・日付不明)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* {{Pid|926073|裏の神諭(皇道大本叢書、大正9年6月、八版)}}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:うらのしんゆこうとうおおもとそうしよ}}<br />
[[Category:書籍]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3.jpg&diff=20326
ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg
2024-03-17T00:18:42Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」。<br />
<br />
{{デフォルトソート:にほんとせかいとのひかくたいおうちす}}<br />
[[Category:地図]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3.jpg&diff=20325
ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg
2024-03-17T00:18:14Z
<p>IHiroaki: IHiroaki が ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg の新しいバージョンを アップロードしました</p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」。</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E5%9B%B3.jpg&diff=20324
ファイル:日本と世界との比較対応地図.jpg
2024-03-17T00:16:57Z
<p>IHiroaki: 『大本の神示と世界の将来』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」。</p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
『[[大本の神示と世界の将来]]』巻末に収録されている「日本と世界との比較対応地図」。</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=Onipedia:%E6%9B%B4%E6%96%B0%E5%B1%A5%E6%AD%B4&diff=20323
Onipedia:更新履歴
2024-03-16T22:13:55Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>オニペディアの更新履歴。<br />
<br />
;令和6年(2024年)3月17日<br />
:記事数3555項目。画像数711枚。写真をかなり増やした。<br />
;令和5年(2023年)3月15日<br />
:記事数3476項目。1年で約440項目増えた。<br />
;令和4年(2022年)8月21日<br />
:フェイスブックとツイッターのボタンを設置。<br />
;令和4年(2022年)8月15日<br />
:記事数3339項目。書籍の記事を集中的に増やした。<br />
;令和4年(2022年)3月15日<br />
:記事数3039項目。オープンして3年目。ここ2~3ヶ月で書籍の記事を二百数十作った。<br />
;令和4年(2022年)1月25日<br />
:記事数2920項目<br />
;令和3年(2021年)12月25日<br />
:王仁DBへのリンクを作りました。ページ名(項目名)で検索します。パソコンの場合は左横のメニューの中に、スマートフォンの場合は下部のメニューの中にあります。<br />
;令和3年(2021年)5月12日<br />
:記事数2753項目<br />
;令和2年(2020年)7月18日<br />
:記事数2700項目。<br />
;令和2年(2020年)3月15日(旧2月21日)<br />
:オープンして1年。記事数2546項目。<br />
;平成31年(2019年)3月15日(旧[[2月9日]])<br />
:新装したオニペディアのβ版オープン。Wikipediaと同じシステムを使用して再開設した。記事数2091項目。最終的には約2万項目、2033年[[3月3日]]に完成予定。<br />
;平成22年(2010年)5月9日<br />
:サイトリフォームのため閉鎖する。<br />
;平成18年(2006年)4月28日(旧4月1日)<br />
:オニペディアを王仁三郎ドット・ジェイピーに統合する。<br />
;平成17年(2005年)5月11日(旧4月4日)<br />
:出口王仁三郎大百科事典『ONIPEDIA(オニペディア)』を開設する。</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=Onipedia:%E6%9B%B4%E6%96%B0%E5%B1%A5%E6%AD%B4&diff=20322
Onipedia:更新履歴
2024-03-16T22:12:57Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>オニペディアの更新履歴。<br />
<br />
;令和6年(2024年)3月17日<br />
:記事数3555項目。画像数711枚。<br />
;令和5年(2023年)3月15日<br />
:記事数3476項目。1年で約440項目増えた。<br />
;令和4年(2022年)8月21日<br />
:フェイスブックとツイッターのボタンを設置。<br />
;令和4年(2022年)8月15日<br />
:記事数3339項目。書籍の記事を集中的に増やした。<br />
;令和4年(2022年)3月15日<br />
:記事数3039項目。オープンして3年目。ここ2~3ヶ月で書籍の記事を二百数十作った。<br />
;令和4年(2022年)1月25日<br />
:記事数2920項目<br />
;令和3年(2021年)12月25日<br />
:王仁DBへのリンクを作りました。ページ名(項目名)で検索します。パソコンの場合は左横のメニューの中に、スマートフォンの場合は下部のメニューの中にあります。<br />
;令和3年(2021年)5月12日<br />
:記事数2753項目<br />
;令和2年(2020年)7月18日<br />
:記事数2700項目。<br />
;令和2年(2020年)3月15日(旧2月21日)<br />
:オープンして1年。記事数2546項目。<br />
;平成31年(2019年)3月15日(旧[[2月9日]])<br />
:新装したオニペディアのβ版オープン。Wikipediaと同じシステムを使用して再開設した。記事数2091項目。最終的には約2万項目、2033年[[3月3日]]に完成予定。<br />
;平成22年(2010年)5月9日<br />
:サイトリフォームのため閉鎖する。<br />
;平成18年(2006年)4月28日(旧4月1日)<br />
:オニペディアを王仁三郎ドット・ジェイピーに統合する。<br />
;平成17年(2005年)5月11日(旧4月4日)<br />
:出口王仁三郎大百科事典『ONIPEDIA(オニペディア)』を開設する。</div>
IHiroaki
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ファイル:宣伝歌「信仰の妙諦」の楽譜.jpg
2024-03-16T22:00:35Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
[[宣伝歌]]の楽譜。歌詞の「信仰の妙諦」は、{{rm|19|9|身魂の浄化}}で[[隆靖彦]](荒鷹)・[[隆光彦]](鬼鷹)の2人が歌っている宣伝歌の一部。<br />
<br />
{{デフォルトソート:せんてんか しんこうのみようてい}}<br />
[[Category:楽譜]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E6%A5%BD%E8%AD%9C&diff=20320
カテゴリ:楽譜
2024-03-16T22:00:16Z
<p>IHiroaki: ページの作成:「楽譜に関するカテゴリ。 {{デフォルトソート:かくふ}} Category:文献」</p>
<hr />
<div>楽譜に関するカテゴリ。<br />
<br />
{{デフォルトソート:かくふ}}<br />
[[Category:文献]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%98%AD%E5%92%8C%E9%9D%92%E5%B9%B4%E4%BC%9A%E6%AD%8C%E3%81%AE%E6%A5%BD%E8%AD%9C%EF%BC%88%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%B9%EF%BC%89.png&diff=20319
ファイル:昭和青年会歌の楽譜(コーラス).png
2024-03-16T21:59:43Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
[[昭和青年会]]の会歌の楽譜。 →詳細は「[[昭和青年会会歌]]」<br />
<br />
[[有留弘泰]]・編『[[皇道の栞]]』昭和8年8月3日初版509頁に掲載されている「昭和青年会歌」の楽譜(独唱用の楽譜)を元に、CD『續・大名古屋軍歌』(発売ぐらもくらぶ)収録の「昭和青年の歌」(コーラス)を参考にして楽譜を作成した。<br />
<br />
(会歌の楽譜が掲載されているのは『皇道の栞』初版だけで、再版(二版)以降には歌詞だけで楽譜は掲載されていない)<br />
<br />
{{デフォルトソート:しようわせいねんかいかいか}}<br />
[[Category:楽譜]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%AE%A3%E4%BC%9D%E6%AD%8C%E3%80%8C%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%AE%E5%A6%99%E8%AB%A6%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%A5%BD%E8%AD%9C.jpg&diff=20318
ファイル:宣伝歌「信仰の妙諦」の楽譜.jpg
2024-03-16T21:58:16Z
<p>IHiroaki: IHiroaki が ファイル:宣伝歌「信仰の妙諦」の楽譜.jpg の新しいバージョンを アップロードしました</p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
[[宣伝歌]]の楽譜。歌詞の「信仰の妙諦」は、{{rm|19|9|身魂の浄化}}で[[隆靖彦]](荒鷹)・[[隆光彦]](鬼鷹)の2人が歌っている宣伝歌の一部。<br />
<br />
{{デフォルトソート:せんてんか しんこうのみようてい}}<br />
[[Category:文献]]</div>
IHiroaki
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ファイル:宣伝歌「信仰の妙諦」の楽譜.jpg
2024-03-16T21:56:47Z
<p>IHiroaki: 宣伝歌の楽譜。歌詞の「信仰の妙諦」は、{{rm|19|9|身魂の浄化}}で隆靖彦(荒鷹)・隆光彦(鬼鷹)の2人が歌っている宣伝歌の一部。
{{デフォルトソート:せんてんか しんこうの…</p>
<hr />
<div>== 概要 ==<br />
[[宣伝歌]]の楽譜。歌詞の「信仰の妙諦」は、{{rm|19|9|身魂の浄化}}で[[隆靖彦]](荒鷹)・[[隆光彦]](鬼鷹)の2人が歌っている宣伝歌の一部。<br />
<br />
{{デフォルトソート:せんてんか しんこうのみようてい}}<br />
[[Category:文献]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88:Pid&diff=20316
テンプレート:Pid
2024-03-16T20:45:41Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div><!--管理者以外は編集しないで下さい--><!--国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/{{{1}}}{{#if:{{{3|}}}|/{{{3|}}} }} {{{2}}}]』{{#if:{{{3|}}}|({{{3|}}}コマ目)}}-->国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『[https://dl.ndl.go.jp/pid/{{{1}}}{{#if:{{{3|}}}|/{{{3|}}} }} {{{2}}}]』{{#if:{{{3|}}}|({{{3|}}}コマ目)}} PID:{{{1}}}</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E7%9A%87%E9%81%93%E5%AE%A3%E6%8F%9A&diff=20315
皇道宣揚
2024-03-16T20:42:42Z
<p>IHiroaki: /* 外部リンク */</p>
<hr />
<div>'''皇道宣揚'''(こうどうせんよう)は、[[昭和青年会]]の出版物。皇道の世界的宇宙的偉大性と天壌無窮の永遠性とを明らかにし、国史を世界的に広く、また現代的に新しく活かすことにつとめた<ref>本書「はしがき」</ref>本。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
<br />
{|class="wikitable"<br />
! 題名<br />
| 皇道宣揚<br />
|-<br />
! 著者<br />
| [[昭和青年会]](代表:[[有留弘泰]])<br />
|-<br />
! 発行日<br />
| 昭和9年(1934年)10月12日<br />
|-<br />
! 発行所<br />
| [[昭和青年会]]<br />
|-<br />
! 頁数<br />
| 130<br />
|-<br />
! 定価<br />
| 20銭<br />
|-<br />
! OBN<br />
| 1226<br />
|-<br />
! 備考<br />
| <br />
|}<br />
<br />
== 目次 ==<br />
* p001/序文<br />
* p006/はしがき<br />
* p001/一、緒言<br />
** p001/皇国日本の責務<br />
* p005/二、天佑神助と皇道精神<br />
** p005/1、大偉人と信仰<br />
** p010/2、東郷元帥と天佑<br />
** p012/3、日露戦争大勝の真因<br />
** p016/4、日本海の大勝(撃滅)<br />
** p019/5、陸海一致(七了口上陸)<br />
** p022/6、伊勢の神風(元寇)<br />
** p024/7、大国難を大国福への道(焼津の神剣神火神風)<br />
* p027/三、肇国の大精神<br />
** p027/1、皇国の大使命(日本と世界の比較対照地図)<br />
** p030/2、漂へる地球(天津神の神勅)<br />
** p031/3、天孫降臨(天壌無窮の神勅)<br />
** p033/4、日を負うて進む天軍<br />
** p036/5、六合一都(神武奠都の詔勅)<br />
** p037/6、明治天皇御宸翰<br />
** p040/7、天に一日地に一君<br />
* p043/四、皇国・皇位の尊厳<br />
** p043/1、神国に刄向ふ主権は亡ぶ<br />
** p044/2、天位を覬覦するものは亡ぶ<br />
*** p045/イ、大極殿の血雨<br />
*** p046/ロ、宇佐の神勅<br />
*** p047/ハ、天誅の征矢<br />
* p049/五、思想戦<br />
** p049/1、八岐の大蛇<br />
** p051/2、フリー・メーソンの世界征略運動<br />
** p055/3、鷸蚌の争(漁夫の利)<br />
* p058/六、経済戦<br />
** p058/1、経済戦今酣なり(世界に雄飛する日本商品)<br />
** p062/2、平時は金、戦時は人・物<br />
* p065/七、農は天下の大本<br />
** p065/1、聖主と名将(明治天皇とグラント将軍)<br />
** p066/2、仁徳天皇仁慈の大詔<br />
** p067/3、農は天下の大本なり<br />
* p072/八、非常時日本の女性<br />
** p072/1、天地開明(天宇受女命)<br />
** p073/2、犠牲(弟橘姫命)<br />
** p074/3、神示の外征(神功皇后)<br />
** p075/4、南朝の柱石(小楠公の母)<br />
** p078/5、異国に香る(鄭成功の母)<br />
** p080/6、遊女・喜遊(番外)<br />
* p081/九、国辱条約の清算<br />
** p081/1、国辱華府条約を即時廃棄せよ<br />
** p087/2、噫!! 友鶴!!<br />
*** p089/イ、友鶴将兵の遺書<br />
*** p090/ロ、岩瀬艇長の遺書<br />
* p092/一〇、皇化宇内<br />
** p092/1、大義名分(大英雄即大忠臣)<br />
** p093/2、神勅の実行(征韓論即救韓論)<br />
* p095/一一、皇国の光栄<br />
** p095/1、宇内帰一の神国<br />
** p099/2、世界の頭脳国日本<br />
** p102/3、日出づる国の大業<br />
** p104/4、皇道・王道・覇道<br />
* p109/一二、皇道の具現<br />
** p109/1、皇道の旗幟・日章旗の尊厳<br />
** p113/2、祭政一致<br />
** p116/3、皇道の真髄・璽鏡剣<br />
* p120/一三、結言<br />
** p120/皇道日本より皇道世界へ<br />
* p122/跋に代へて<br />
** p122/1、爆弾三勇士<br />
** p124/2、純忠至誠乃木将軍<br />
** p125/3、銃後と戦線<br />
** p127/4、至誠の一厘<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* {{Pid|1086512|皇道宣揚}}<br />
* {{Pid|1137517|皇道宣揚}}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:こうとうせんよう}}<br />
[[Category:書籍]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E7%91%9E%E6%9C%88%E6%96%87%E5%BA%AB&diff=20314
瑞月文庫
2024-03-16T20:26:50Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:愛善の道(昭和28年三版)の表紙.jpg|thumb|150px|第一篇『愛善の道』(昭和28年発行、三版)]]<br />
[[ファイル:道のしおり(瑞月文庫第二篇)の表紙.jpg|thumb|150px|第二篇『道のしおり』(昭和23年)]]<br />
<br />
'''瑞月文庫'''(ずいげつぶんこ)は、[[大本]]が昭和20年代に発行した出版物のシリーズ。いずれも[[出口王仁三郎]]の過去の著述を編纂したもの。<br />
<br />
; 第一篇「愛善の道」 →詳細は「[[愛善の道 (歌集)|愛善の道]]」<br />
: 昭和22年(1947年)発行。定価30円。道歌500余首を収録した歌集。<br />
; 第二篇「道のしおり」 →詳細は「[[道の栞]]」<br />
: 昭和23年(1948年)2月4日発行、113頁、定価40円。 (OBN/1863)<br />
; 第三篇「宣伝歌集」<br />
: [[大崎勝夫]]・編。定価30円。霊界物語から宣伝歌を抜粋したもの。51章。188頁。<br />
; 第四篇「道の光」 →詳細は「[[道の光]]」<br />
: 昭和24年(1949年)4月発行、[[伊藤栄蔵]]・編、77頁、定価40円。<br />
; 第五篇「霊の礎」 →詳細は「[[霊の礎]]」<br />
: 昭和27年(1952年)発行。[[大崎勝夫]]・編。定価40円。<br />
<br />
発行元は昭和27年4月までは「[[瑞光社]]」、それ以降は「[[天声社]]」。<br />
<br />
{{デフォルトソート:すいけつふんこ}}<br />
[[Category:書籍]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E6%84%9B%E5%96%84%E3%81%AE%E9%81%93_(%E6%AD%8C%E9%9B%86)&diff=20313
愛善の道 (歌集)
2024-03-16T20:25:27Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:愛善の道(昭和22年)の表紙.jpg|thumb|『愛善の道』(昭和22年発行)の表紙。]]<br />
[[ファイル:愛善の道(昭和28年三版)の表紙.jpg|thumb|150px|『愛善の道』(昭和28年発行、三版、[[瑞月文庫]]第一篇)の表紙。]]<br />
[[ファイル:愛善の道(いづとみづ1993年発行)の表紙.jpg|thumb|150px|『愛善の道』(いづとみづ、平成5年発行)の表紙。]]<br />
<br />
'''愛善の道'''(あいぜんのみち)は、[[出口王仁三郎]]の道歌集。昭和22年(1947年)発行。歌集『[[東の光]]』と霊界物語[[第61巻]]・[[第62巻]]の歌の中から採録された。494首収録<ref>昭和22年6月5日発行の初版の場合。版によって異なる可能性あり。全90頁あり、5首が46頁(230首)、6首が44頁(264首)、計494首。</ref>。<ref>[[木庭次守]]・編『[[新月の光]]』「歌集『愛善の道』」(八幡版下巻p420)には「『霊界物語』第六十巻、第六十一巻、第六十二巻、聖師の歌集十一巻の『花明山』、『東の光』、『彗星』、『白童子』、『霞の奥』、『公孫樹』、『山と海』、『故山の夢』、『霧の海』、『青嵐』、『浪の音』の五万余首の中から、五百二首を選び出して」と書いてある。</ref><br />
<br />
大本が昭和21年2月7日に[[愛善苑 (1946)|愛善苑]]として新発足してから初めて出版した単行本であり、教典に代わるものとして普及し、『[[大本讃美歌]]』と共に神前礼拝の際に斉唱する神歌として併用された<ref name="h13_kouki">『大活字 大本の道』(平成13年)昭和32年8月付の編者による「後記」p157</ref>。<br />
<br />
昭和32年(1957年)に大幅に増補され『'''大本の道'''(おおもとのみち)』に改題された。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
<br />
{|class="wikitable"<br />
! 題名<br />
| 愛善の道<br />
|-<br />
! 著者<br />
| [[出口王仁三郎]]<br />
|-<br />
! 発行日<br />
| 昭和22年(1947年)6月5日<br />
|-<br />
! 発行所<br />
| [[愛善苑 (1946)|愛善苑]]本部出版課<br />
|-<br />
! 頁数<br />
| 90<br />
|-<br />
! 定価<br />
| 30円<br />
|-<br />
! OBN<br />
| {{obn|1245}}<br />
|}<br />
<br />
* 昭和32年(1957年)8月に[[天声社]]から『大本の道』に改題されて発行された。文庫本サイズ、158頁。『愛善の道』の原本である『[[東の光]]』と霊界物語[[第61巻]]・[[第62巻]]から新たに歌が加えられて二倍以上の数になり、16章87節に分類された<ref name="h13_kouki" />。(OBN:{{obn|1302}})<br />
** 平成13年(2001年)12月8日に[[天声社]]から『大活字 大本の道』が発行された。(OBN:{{obn|1471}})<br />
* 平成5年(1993年)8月7日、[[いづとみづ]]から『愛善の道』が発行された(発行:[[愛善苑 (1986)|愛善苑]]、発売:いづとみづ)。『東の光』から少し追加され567首になり、45節だったものが48節になっている<ref>いづとみづ版『愛善の道』「『愛善の道』編集にあたって」p83</ref>。また旧仮名遣いから新仮名遣いに改められた。83頁、定価777円+税。現在は[[みいづ舎]]から発行されている。(OBN:{{obn|1406}})<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:あいせんのみち}}<br />
[[Category:書籍]]</div>
IHiroaki
https://onipedia.info/w/index.php?title=%E6%84%9B%E5%96%84%E3%81%AE%E9%81%93_(%E6%AD%8C%E9%9B%86)&diff=20312
愛善の道 (歌集)
2024-03-16T20:25:08Z
<p>IHiroaki: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:愛善の道(昭和22年)の表紙.jpg|thumb|『愛善の道』(昭和22年発行)の表紙。]]<br />
[[ファイル:愛善の道(昭和28年三版)の表紙.jpg|thumb|150px|『愛善の道』(昭和28発行、三版、[[瑞月文庫]]第一篇)の表紙。]]<br />
[[ファイル:愛善の道(いづとみづ1993年発行)の表紙.jpg|thumb|150px|『愛善の道』(いづとみづ、平成5年発行)の表紙。]]<br />
<br />
'''愛善の道'''(あいぜんのみち)は、[[出口王仁三郎]]の道歌集。昭和22年(1947年)発行。歌集『[[東の光]]』と霊界物語[[第61巻]]・[[第62巻]]の歌の中から採録された。494首収録<ref>昭和22年6月5日発行の初版の場合。版によって異なる可能性あり。全90頁あり、5首が46頁(230首)、6首が44頁(264首)、計494首。</ref>。<ref>[[木庭次守]]・編『[[新月の光]]』「歌集『愛善の道』」(八幡版下巻p420)には「『霊界物語』第六十巻、第六十一巻、第六十二巻、聖師の歌集十一巻の『花明山』、『東の光』、『彗星』、『白童子』、『霞の奥』、『公孫樹』、『山と海』、『故山の夢』、『霧の海』、『青嵐』、『浪の音』の五万余首の中から、五百二首を選び出して」と書いてある。</ref><br />
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大本が昭和21年2月7日に[[愛善苑 (1946)|愛善苑]]として新発足してから初めて出版した単行本であり、教典に代わるものとして普及し、『[[大本讃美歌]]』と共に神前礼拝の際に斉唱する神歌として併用された<ref name="h13_kouki">『大活字 大本の道』(平成13年)昭和32年8月付の編者による「後記」p157</ref>。<br />
<br />
昭和32年(1957年)に大幅に増補され『'''大本の道'''(おおもとのみち)』に改題された。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
<br />
{|class="wikitable"<br />
! 題名<br />
| 愛善の道<br />
|-<br />
! 著者<br />
| [[出口王仁三郎]]<br />
|-<br />
! 発行日<br />
| 昭和22年(1947年)6月5日<br />
|-<br />
! 発行所<br />
| [[愛善苑 (1946)|愛善苑]]本部出版課<br />
|-<br />
! 頁数<br />
| 90<br />
|-<br />
! 定価<br />
| 30円<br />
|-<br />
! OBN<br />
| {{obn|1245}}<br />
|}<br />
<br />
* 昭和32年(1957年)8月に[[天声社]]から『大本の道』に改題されて発行された。文庫本サイズ、158頁。『愛善の道』の原本である『[[東の光]]』と霊界物語[[第61巻]]・[[第62巻]]から新たに歌が加えられて二倍以上の数になり、16章87節に分類された<ref name="h13_kouki" />。(OBN:{{obn|1302}})<br />
** 平成13年(2001年)12月8日に[[天声社]]から『大活字 大本の道』が発行された。(OBN:{{obn|1471}})<br />
* 平成5年(1993年)8月7日、[[いづとみづ]]から『愛善の道』が発行された(発行:[[愛善苑 (1986)|愛善苑]]、発売:いづとみづ)。『東の光』から少し追加され567首になり、45節だったものが48節になっている<ref>いづとみづ版『愛善の道』「『愛善の道』編集にあたって」p83</ref>。また旧仮名遣いから新仮名遣いに改められた。83頁、定価777円+税。現在は[[みいづ舎]]から発行されている。(OBN:{{obn|1406}})<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
{{デフォルトソート:あいせんのみち}}<br />
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IHiroaki